毎年1月末に行われるアングレーム国際漫画祭において、前年度に出版されたBDの中で最も優れた作品に与えられる最優秀作品賞。
ここ最近日本でも、『イビクス -ネヴローゾフの数奇な運命-』(国書刊行会刊)、『アライバル』(河出書房新社刊)、『狂騒のユルビカンド』〔『闇の国々』収録〕、『鶏のプラム煮』、『ピノキオ』(いずれも小社刊)など、歴代の最優秀作品賞受賞作が相次いで邦訳出版されています。
そして今年のアングレーム国際漫画祭で、見事、最優秀作品賞を獲得したのが、ギィ・ドゥリール作『エルサレム時評』です。
※コチラで試し読みできます。 |
そこで、この本年度の受賞作『エルサレム時評』がいったいどんな作品なのか、翻訳家の原正人さんに、レビューしていただきました。
* * *
2012年1月26日から29日にかけて行われた第39回アングレーム国際漫画祭は盛況のうちに幕を閉じた。展覧会やサイン会、各種講演など多くの催しがある中でも、前年度の最優秀作品を始めとする各賞を選ぶ各セレクションは、毎年漫画祭のトリを務める一大イベントである。
今年度は2010年12月から2011年11月までにフランス語圏で出版されたBD(日本マンガやアメコミの仏訳を含む)のうち、選考委員によってあらかじめ公式セレクション58点が選ばれ(今回は他にも3つセレクションがあった)、最終的に十数点に賞が与えられた。
今年はノミネート作の顔ぶれからいって、ここ数年の中でもとりわけ激戦だったのではないだろうか?
なにしろ昨年末にACBD(BD批評家ジャーナリスト協会)の批評グランプリ2012を受賞したバスチャン・ヴィヴェスの『Polina(ポリーナ)』にシリル・ペドロサ『Portugal(ポルトガル)』、エティエンヌ・ダヴォドー『Les ignorants: Récit d'une initiation croisée(未知なる世界へ―BDがワインと出会うとき)』、マルク=アントワーヌ・マチュー『3秒』(邦訳:河出書房新社、拙訳)など、前評判が高い話題作が満載だったのだ。
結局、これらの並みいる話題作を押しのけ見事最優秀作品賞に輝いたのは、ギィ・ドゥリールの『Chroniques de Jérusalem(エルサレム時評)』だった。
意外と言ったら失礼になるが、まさかこの作品が最優秀作品賞を受賞するとは、正直思ってもみなかった。私見だが、アングレーム国際漫画祭のセレクションは、必ずしもよく売れた作品や読者から好意的に評価された作品に賞を与えるわけではなく、あまり日の目を見ていなかった名作や小出版社の意欲作などに賞を与える傾向がある。その年度の審査委員長の意向が反映される部分もあるかもしれない。
今年の審査委員長は『マウス』(邦訳:晶文社、小野耕世訳)で有名なアート・スピーゲルマンであり、彼が審査委員長を務める漫画祭で、『マウス』ともジョー・サッコの作品とも異なる語り口で戦争を語るBDを描いたギィ・ドゥリールが最優秀作品賞に選ばれたのはある意味、妥当とも言えるだろう。なお、その他の受賞作についてはこちらをご参照いただきたい。
『エルサレム時評』の作者ギィ・ドゥリールは 1966年、カナダのケベック生まれ。アニメーションを学び、 さまざまなアニメーション・スタジオで働いたのち、 現在はBD作家として活躍中である。 |
単行本化している作品はそう多くはなく、十数点に過ぎない。
その中で代表作と言える作品が、中国でのアニメーション・ディレクターとしての奮闘ぶりを描いた『深圳』(Shenzhen, 2000)、同じくアニメーション・ディレクターとして北朝鮮を訪れた時の様子を描いた『平壌』(邦訳:明石書店、檜垣嗣子訳、原書は2003年刊)、国境なき医師団の事務職についている妻と息子と一緒にミャンマーに滞在した時の様子を描く『ビルマ時評』(Chroniques Birmanes, 2007)、そして今回アングレームで最優秀作品賞を受賞した『エルサレム時評』(Chroniques de Jérusalem, 2011)ということになるだろう。
『Shenzhen』 |
『Pyongyang』
|
『Chroniques Birmanes』 |
さて、それでは『エルサレム時評』とはどのような作品なのだろう?
国境なき医師団の事務局で働く妻を持つ作者ギィ・ドゥリールは、妻の赴任先に合わせ、子どもたちと一緒に世界中を転々としている。今回、彼らが滞在することになったのはイスラエルの都市エルサレムである。
彼らは2008年8月から2009年7月まで1年間エルサレムに滞在するのだが、その時の様子が334ページに渡って描かれることになる。2008年8月から2009年7月まで、月ごとに全12章に分けられていて、長短さまざまな物語が語られる。基本的にすべての物語が、ギィ・ドゥリールが見聞きしたことを描くルポルタージュである。
マンガ形式のルポルタージュと言えば、ジョー・サッコの『パレスチナ』(邦訳:いそっぷ社、小野耕世訳)を思い出す方も多いのではないだろうか? ジョー・サッコのこの作品は、パレスチナ問題をどちらかと言うとパレスチナ人の視点に立ち、挑発的に描いて見せた、読者の感情に強く訴えかける作品だが、ギィ・ドリールの『エルサレム時評』はほぼ同じ地域をテーマにしつつも、かなり趣を異にしている。
もちろんパレスチナとエルサレム、それぞれの地域の違いということもあるだろうが、これは作家の資質に負うところも大きい。ギィ・ドゥリールは、ジョー・サッコのように危険を冒して紛争地帯に足を踏み込んだりはしない(ある場所の入場に際して、職業を問われ、BD作家だと答えて通行を禁止されると、「ジョー・サッコと勘違いしてるんじゃないか?」などと答えたりしている)。ジョー・サッコとは異なり、ギィ・ドリールにはジャーナリストという自覚がない。
彼はBD作家であり、妻に代わって家族を守る主夫である。彼がすることと言えば、エルサレムの町を散歩し、面白そうな場所があればふらふらと向かい、絵になる風景を描き、子どもたちの世話をし、友人たちと交流し、大学でBDのワークショップを開き、たまに他の人に便乗して紛争地帯を遠巻きに眺めるくらいのものである。しかし、このようなどちらかと言えば平凡な日常の中から、エルサレムの奇妙さが浮かび上がり、この作品を非凡なものにしている。
実際、彼が語るエルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の厳かな聖地というよりは奇妙な都市と言った方がふさわしい。一般のイスラエル人と厳格なユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒、兵士たち、外国人居住者たち、観光客が雑然と混在している。町中にはゴミや瓦礫が散乱し、どこか閉鎖的な雰囲気が漂い、日常生活の中に銃が溶け込み、国中に70にも及ぶ検問所が設けられ、到るところに進入禁止の場所がある。
とりわけ銃の問題は作品を通じて何度も語られていて、スーパーの入口に銃を預かる場所があったり、動物園を訪れるイスラエル人一家の主がライフルを背負っていたり、町中をライフルを背負ってジョギングする男がいたり、銃でイヌを脅す男がいたりと普通の日本人からすると驚くべきエピソードが次々と登場する。ユダヤ教の慣習やイスラエルの周辺に住む民族たちの生活にも多くのページが割かれており、読み物として読者を飽きさせることがない。また、作者は2008年から2009年にかけて起きた"ガザ紛争"をエルサレムで体験しており、そのレポートとして読める部分もある。
既に翻訳がある『平壌』を読んでいたただければ、だいたいの雰囲気は感じられるかと思うが、彼は北朝鮮なりイスラエルなりに完全に溶け込んでしまうのではなく、一定の距離をおきながら、あくまで異邦人として、時に不謹慎になることすら辞さずに、これらの国を観察してみせる。『平壌』から8年の歳月が過ぎ、作品としても読みやすくなっているし、新たな家族が増えたこともあり(妻ナデージュの他に、息子のルイと娘のアリスがいる)、日常生活のさまざまな面に目が向けられるようにもなっている。
決して叙情に溺れることはないのだが、そのシンプルな描画から時に豊かな詩情が感じられるのが不思議である。ルイス・トロンダイムの作品にどこか近いところがあるかもしれない。メビウスやスクイテンのような圧倒的なグラフィックに関心がある向きにはあまりおすすめできないが、異文化に関心があるという方には強くおすすめしたい作品である。
(翻訳者・原正人)
<参考>
■ギィ・ドゥリール公式サイト