日本でも、ようやく邦訳が増えつつあるBDですが、
まだまだ知られていない傑作、素晴らしいBD作家さんがたくさんあります。
そこで、今回は、マンガ批評家の竹川環史さんに
90年代に一度、日本でも紹介されたことはあるものの、あまり広く知られることのなかった
フランスのBD作家、ボードァン(もしくはボードワン、とも)について解説していただきました。
* * *
90年代の一時期、『モーニング』(講談社)に海外のマンガ家の作品が継続的に掲載されていた。
当時興味深くそれらの作品を見ていたが、中には――もう10年以上も前のことなので記憶があいまいだが――たしかスクイテンの描く『リトル・ニモ』のパロディがあったはずだ。
スクイテンと『リトル・ニモ』の作者ウインザー・マッケイはどちらも、現実を描いても幻を見ているような印象を与える作家なので、このパロディはよくわかる気がしたし、いま思っても豪華な組み合わせだ。
そんな豪華なこともあった『モーニング』に登場した作家のなかで、BDの翻訳が続いているいまこそ再発見したい作家のナンバー1がボードァンだ。
Edmond Baudoin
公式サイト |
ボードァンは1942年フランス、ニースに生まれた。
1971年に絵の道に入り、手元の単行本のリストを見る限り、1981年に最初のBDの単行本が出ている。
自在な筆の絵柄が印象的で、作画のみの作品と、自身がシナリオも担当した作品とともにある。
作品数はすでに50作をこえる大家である。
〔図版1〕
図版は自伝的背景をもつ作品『Couma acò』から。
Couma acò
L'Association, 2006 (Original: Futuropolis, 1991) |
右側の人物群、とくに少女の後ろ姿をみてほしい。かなり省略を効かせた造形ながら動きもあり、筆の強弱が風によるスカートのふくらみをあらわしていてほれぼれするほど巧みだ。
ストーリー上特別な意味を読み取る場所ではないところも、こうした巧みな絵の連続で読み進めることができることが、ボードァンを読む楽しみの重要な要素である。
さまざまな作品のあるボードァンだが、複数の作品で老人が象徴的な役割を果たすなど、反復されるテーマのようなものがある。そのなかでもこの作家にとって重要で、特徴ともいえるテーマがおそらく3つあるように思われる。
ひとつは「顔」である。
もともと主流の日本マンガとアート志向のあるBDでは、マンガのなかの「顔」の扱いがだいぶ異なる。
ボードァンもBDらしい顔の描き方をするが、ボードァンで特徴的なのは、基本的なスタイルとは別に、顔を描くということに意識的な実験を行なうところだ。
〔図版2〕
上の図版は『Les quatre fleuves』から。
Les quatre fleuves
scénario: Fred Vargas Éditions Viviane Hamy, 2000. |
走る人物の顔は塗りつぶされ、墨が漏れるようにして巨大なイメージの顔が随伴していく。
他にも、『Chroniques de l'éphémère』では1ページあたり約30の顔が描かれるページが3ページ続き、『Terrains vagues』では顔を×で描いたコマがあり、美しいカラー作品である『Les essuie-glaces』では、下の図版(部分)のように飛ぶ鳥によって顔を隠すという表現がなされている。
Chroniques de l'éphémère
6 pieds sous terre, 1999 | |
Terrains vagues
L'Association, 1996. | |
Les essuie-glaces
Dupuis, 2006 |
こういう表現で、なにかこちらの感情や反応を掻き立てるのがボードァンはすごくうまい。
〔図版3〕
もうひとつのテーマは、つきつめると「絵」そのものとなってしまうが、
現実を描写することと、絵によってのみ表されるイメージとの境界やそのゆらぎである。
それは、実は「顔」のテーマと重なりあって、〔図版2〕にもあらわれている。
走る人物の現実と、その後ろにならぶ幻想かどうかも定かではない非実在の三つの顔、それが、筆で描くことのもつ流動性でつながってしまっているところが、実にボードァンらしいのだ。
図像が、筆の振動から、アニメーション的にできあがってしまったかのような印象をうける。
総体として、絵にしか表せないような世界がここに実現していることが重要で、
この絵の問題は次のテーマとも関係してくる。
3つ目のテーマは「性愛」ないし「女」というテーマだ。
女性との出会いや、性愛をいかに絵にするかということをボードァンは探求しているが、そのテーマを追った先で、より具体的で象徴的な対象に結実したのが、踊る女・舞う女という形象だ。
ボードァンは物語的にも、絵としても、踊る女をさまざまな工夫を交え、繰り返し描いている。
踊る女は、その意味で、ボードァンの集大成的なイコンといえよう。
下の図版は『Chroniques de l'éphémère』からの一部分だが、見事な躍動感ではないだろうか。
〔図版4〕
ボードァンの作品には、非常にシンプルなボーイ・ミーツ・ガールの話が含まれていることがしばしばある。そこで女性は、異世界からやってきた特別な存在のように出現する。
踊ることは、その女性の特別さをあらわす表現でもあり、ボードァンの絵の流れのなかでは、セックスもダンスのように描かれる。踊ることは、世界と溶け合うような経験として描かれ、それは現実とイメージが溶け合うような「絵」のテーマとも重なり合っている。
〔図版5〕
〔図版6〕
〔図版7〕
上の図版はそれぞれ『Le portrait』、『Le voyage』、『La mort du peintre』から。
Le portrait
L'Association, 1997 (原著:Futuropolis, 1990) |
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Le voyage
L'Association 1996 (『旅』 講談社, 1995) |
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La mort du peintre
Z'éditions, 1995
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ボードァンがいかに踊る女に、また踊るという動きの変化に、表現の関心をいだいているかがよくわかるだろう。
〔図版2〕のようなイメージと現実のあいだがあいまい化した絵には、ときに現実が崩壊しつつあるような危機的な感じがある。それに対して、踊る女はポジティブだ。両面があることがボードァンの作家としての深みだろうが、しかしボードァンは根本においてはとてもポジティブな作家だ。
世界にはリスクや不自由が存在しているが、それでもなお根本においては世界を肯定するというポジティブな世界観がある。踊る女の形象は、そのポジティブなところを反映していて、大胆で豊かで、そして力強い。ボードァンの根底の部分により近いテーマだといえよう。
図版を見てもらうだけでもわかるように、ボードァンの絵柄は日本の読者にとっても読みやすい絵柄だ。
「顔」のテーマともあわせて、読み解きがいのある作家でもある。
その全貌が紹介される日が待たれる作家の一人だ。
Text by 竹川環史
(協力:原正人)