今年初め、カステルマンから今年のラインナップの目玉として発表された
スクイテンの新作BD『ラ・ドゥース』が、先日、フランス本国でようやく発売となりました。
この待望の新作BD、実はある画期的な仕掛けでたいへん話題になっているのです。
というわけで、まずはこちらの動画をご覧ください。
なんとなんと、この新作BDは、見返し(※本の表紙の裏の部分)をウェブカメラで映し出すことで、
絵が飛び出してくる仕掛けになっているんですね。
これが仕掛けのある見返し部分。 ソフトをダウンロードして、 ウェブカメラで撮影すると衝撃の3D体験が! |
そうなると内容についても気になるところ。
そこで、『闇の国々』の翻訳で知られるBD研究家の古永真一さんに、
この新作BD『ラ・ドゥース』について、詳しくレビューしていただきました!
* * *
François Schuiten Casterman, 2012 |
フランソワ・スクイテンの待望の新作が出た。
『ラ・ドゥース』(La Douce, Casterman, 2012)というちょっと訳しづらいタイトルである。
「ラ・ドゥース」とは機関車の愛称で「優しい」「心にしみる」「懐かしい」という意味のフランス語。この機関車の正式名称は「12.004」というのだが、数字の12はフランス語だと「ドゥーズ」という発音になるからそれにかけているのだろう。
■「闇の国々」シリーズの一冊?
今回の新作は「闇の国々」のシリーズ一冊なのだろうか?
表紙には「闇の国々」の表記はないが、あるウェブサイトでは、「シリーズ初のソロアルバム」〔同シリーズはブノワ・ペータースとスクイテンの共作〕と記されている〔*1〕。
いずれにせよ今回の作品にも、近代化に対する愛憎半ばする複雑な感情という「闇の国々」と共通するムードがあることは確かだ。スクイテンによれば、『ラ・ドゥース』は多くの点で「闇の国々」の世界と共通点があるが、ひとつだけ違うのはブノワ・ペータースとの共作ではないことで、そのためストーリー面で弱い点があるかもしれないとのことだ。謙遜しているのだろうが、たしかにペータースの書くものとは違って、物語は蒸気機関車のようにまっすぐに突き進む。これはこれでおもしろい。頑固一徹な機関士の性格にもマッチしている。
■スクイテンと鉄道のかかわり
もともとスクイテンは鉄道好きでクロード・ルナールと『鉄道』(Le Rail, Les Humanoïdes Associés, 1981)というBDを描き、ブリュッセルの鉄道博物館のセノグラフィーやパリやブリュッセルの地下鉄の駅のデザインも手がけている。自分の得意分野で初のソロアルバムに挑んだ印象だ。
Le Rail
Claude Renard & François Schuiten |
■ストーリーについて
ざっとストーリーを紹介してみよう。主人公は機関士のレオン・ファン・ベル。
16歳から鉄道一筋で働いてきたが今や50を過ぎて定年が近い。コンビを組む運転士アンリとは兄弟のような間柄だ。どこぞの国の交通機関のように一人きりで長時間運転させることもなく、日勤教育もない。チームプレイで安全運転を心がける。
「ラ・ドゥース」は、近代化の流れのなかでお払い箱になる定めにある。ロープウェイが開発されて、機関車の存在価値がなくなってきたからだ。ロープウェイなら、建築とメンテナンスに費用のかかるトンネルや橋を作る必要もない。すでに鉄道会社では電車への移行が検討されており、職員に研修を受けさせようとするが、ファン・ベルは乗り気になれない。彼は過去にしがみつく男として職場で孤立してしまい、相棒アンリも離れていく。
冒頭の2コマ |
電気を使った新たなシステムは最初のうちは職員たちを昂揚させたが、仕事が孤独でずっと同じ姿勢を保たなければならないこと、つねに「管制官」の指示に従わなければならないことから以前よりも疲労感を感じるようになる。機関士は手足の自由を奪われ、機械にコントロールされるようになった。新たなテクノロジーによって不要になった仕事も多く、職員の人員削減が断行される。
ファン・ベルは、同志をつのって「ラ・ドゥース」がスクラップにされる前に安全な場所に隠そうとする。だが計画は失敗し、窃盗罪で逮捕される。ファン・ベルは長年の重労働で肺に持病があったので、医師のはからいで仮出所する。彼は「ラ・ドゥース」がまだスクラップになっていないことを知って探し出そうとする。
ある日、彼は忍び込んだロープウェイから落ちそうになったところを若い女に救われる。その女には見覚えがあった。女がくず鉄を盗もうとしていたのを見つかって乱暴されそうになっていたところをファン・ベルが助けてやったことがあったのだ。
二人はロープウェイに乗ったまま移動を続けるが、危うく捕まりそうになる。その取締官の一人がかつての相棒アンリだった。ファン・ベルはアンリから、彼女はエリヤという名前で生まれつき言葉を話せないこと、両親は鉄道会社に勤務していたがすでに亡くなったことを知る。「機関車の墓場」に「ラ・ドゥース」があるかもしれないと知ったファン・ベルは、アンリの助けでエリヤとともに探索を続ける。
ロープウェイで機関車を探す ファン・ベルとエリヤ |
「アルタヴィル」という町にたどりつくと、エリヤが鉄を買い取ってくれる男の家に案内する。エドガーというその男は、ある女優に関するオブジェのコレクションに熱中している変わり者だった。彼らはどうにか「機関車の墓場」にたどりつき、埋もれていた「ラ・ドゥース」を探し出す。ファン・ベルとエリヤは機関車に乗り込み、疾走する車内で至福の時を味わうのであった......。
■作品のみどころ
スクイテンというと都市建築の描写に定評があるが、今回の作品では、機関車だけではなく機関車が疾走する周囲の自然描写も見所の一つである。
また鉄道先進国だったベルギーの歴史や文化に触れる機会にもなるだろう。
1835年、ヨーロッパ大陸で最初に開通したのがベルギーの鉄道だったこと、12型機関車が世界最速のブルーリボン賞に輝いたこと、第二次世界大戦ではこの機関車が強制収容所に移送される人々の命を救ったこと......。
■画期的な仕掛けにみる遊び心
最後にこのアルバムにはちょっとした仕掛けがある。
アルバムの見返しの絵を使ってウェブカムで動画が楽しめるのだ。スクイテンの細密無比の絵が動き出すと迫力がある。
鉄道の整備によって地方ごとにばらばらだった時間が統一され、近代化の土台が完成し、人々が勤勉にシステムに奉仕するようになり、機械技術の発達は遊びを排除し、その影響力は外的な自然の支配だけでなく人間の内面の自己規制にも及んだと言われる〔*2〕。
そこで失われたのが遊びの精神だとすれば、鉄道にもマンガにもこのような遊びの要素は重要ではないか。無骨な機関士や野性味あふれる美女が活躍するこの物語からそんなことを考えさせられた。
Text by 古永真一
*1―http://www.altaplana.be/albums/la_douce
*2―ヴォルフガング・シベルブシュ、『鉄道旅行の歴史──十九世紀における空間と時間の工業化』(加藤二郎訳)、法政大学出版局、1982年。