REVIEW

知らなかった世界が見えてくる~エティエンヌ・ダヴォドー『無知なる者たち』レビュー


前回のインタビューに引き続き、
今回もエティエンヌ・ダヴォドーさんを取り上げます。

インタビュー中でも触れていた、
ダヴォドーの注目作『無知なる者たち』について、
『氷河期』『ムチャチョ』などの翻訳を手掛ける
翻訳家の大西愛子さんにレビューしていただきました!


130522_01.jpg 無知なる者たち(仮題)
Récit d'une initiation croisée


[著者] Étienne Davodeau
[出版社] Futuropolis

2011


* * *


前回のインタビューに続き、今回はエティエンヌ・ダヴォドーの『Les Ignorants』(仮題:無知なる者たち)をさらに詳しくご紹介したい。

この作品は2011年秋に出版され、2012年のアングレーム国際漫画祭の公式セレクションにノミネートされた。

インタビューにもあるように、これはノンフィクションのドキュメンタリータッチの作品で、ワインの世界について「無知」なBD作家ダヴォドーと、BDについて「無知」なワイン生産者のリシャール・ルロワが、それぞれ熟知している世界のことを相手に教えながら未知の世界への目が開かれていく過程を描いたものである。

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ルロワはダヴォドーにワイン造りについて教えるが、葡萄作りにはじまり、ワインができて瓶詰めされ、発送されるまでには、1年という期間を必要とする。その間、ダヴォドー自身は、ほとんどの工程に自ら参加し、農作業も手伝いながらルロワのワイン造りに対する考え方を学んでいくのだ。

ほぼ時系列に沿って描かれているため、ときには作者ダヴォドーにとっては想定外のことも起きたようだ。冬の間、ルロワは鬚をはやしているのだが、気候が良くなると全部そり落としてしまう。そしてまた冬が近づくと少し髭が伸びているのだ。普通のマンガであれば、キャラクターを確立させるためにもそんなに外見が変わることはないと思うのだが、1年半という長期にわたるドキュメンタリーならではのできごとで、ダヴォドーも作品の中で「ひげ面のほうが描きやすいのに」とこぼしている。

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▲左が「冬仕様」、右が「夏仕様」のルロワ氏


ルロワはワイン造りに対して強いこだわりがある。その根底にあるものがワインが生まれた土地と風土を伝える生きた飲み物だという考えだ。彼は化学肥料も除草剤も一切使わず、できれば瓶詰めの際に必要な保存料も最低限にとどめたい(できれば使いたくない)くらい徹底していて、バイオダイナミック農法(この農法についてもかなりのページ数を割いて説明している)を実践している。自分作るワインにきちんと目が届くように、手作業でできる範囲の畑で採れる葡萄しか作らない。土の、葡萄の近くにでそれを感じ、接したいと思っているのだ。

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またルロワは、有機農業物として正式に認定されているのにもかかわらず、認定の証であるABマークを自分のワインに付けるのを拒否している。マークがついていることが一つのブランドとなり、消費者に対してある種の基準となることを嫌がっているからだ。自分のワインを味わって好きだと言ってくれる人にしか買ってもらいたくない、そんな強気の姿勢も見せる。農作業の傍ら、ルロワはワインの見本市のサロン・デ・ヴァン樽作りの職人、ほかのワイン生産者のところにダヴォドーを連れていく。


一方、ダヴォドーのほうはルロワに自分の好きなBDを大量に読ませる。彼もまたルロワをBD作家と会わせたり、出版社の編集会議印刷所を見学させたりする。

そんな中でお互いが語る感想が楽しい。無知だということは、その世界の常識だとか権威だとかいったものについても、まったく無知だということだ。ある意味、怖いものなしだ。そこでときどき驚くようなことが起きる。

ある時、ダヴォドーは試飲したワインが気に入らず、ルロワに促されて流しに捨ててしまう。ところが、実はそのワインは、識者の間では評価も値段も最高クラスの「いいワイン」だった。またある時、やはり薦められたワインを美味しくないと言ってしまうダヴォドーだが、そのワインはルロワ自身が作ったワインであるだけでなく、以前、自身の作品の中で登場人物に飲ませていたワインでもあった。ダヴォドーがワインの味をちゃんと覚えているか確かめるためにルロワがいたずらをしたのだ。

逆にルロワも、BDファンならびっくりするような感想を言う。彼のアート・シュピーゲルマン評やメビウス評は独特でかなり面白い。また、ルイス・トロンダイムという作家についても、ルロワは「なぜキャラクターに鳥のくちばしを付けるのか?」という素朴な疑問な疑問を抱くのだが、それに対して、トロンダイムは自ら1ページ説明を描き下ろしてくれている。

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▲"トロンダイム風"キャラクター


しかしBDファンにとっていちばん興味深いのは、他のBD作家とのやりとりだろう。この作品の中で、二人はジャン=ピエール・ジブラ(『赤いベレー帽の女』)、マルク・アントワーヌ・マチュー(『レヴォリュ美術館の地下』『3秒』『神様降臨』)、そしてエマニュエル・ギベール(『アランの戦争』)と会って話をしている。


ジブラとは、彼が一体どのように仕事をしているか、原作を書くことと絵を描くこととの違い、作家としての成功の意味、などについて。

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▲ジャン=ピエール・ジブラに会う


マチューとは、そのモノクロの世界観、シリーズものとして描いている『ジュリアン・コランタン・アクファク(夢の囚われ人)』の名前の由来、彼の描くキャラクターが人間ではなく概念にすぎないということ、BD作家と空間デザイナーという二つの顔を持つ彼が、どのようにしてバランスを取って仕事をしているのかなど、他では聞けないような話を語っている。

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▲マルク=アントワーヌ・マチューに会う


エマニュエル・ギベールとは、主に名作『アランの戦争』について語っているのだが、そのときにギベールは、アランの子供時代についての作品を描いていると言っている。その作品は、昨年2012年に『L'Enfance d'Alan』というタイトルで実際に出版され、今年のアングレーム国際漫画祭のオフィシャルセレクションにも選ばれている。

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▲エマニュエル・ギベールに会う


また、ギベールとの対談では、今年邦訳版の出版が予定されている『フォトグラフ(仮)』についても触れられており、作品に登場する実在の人物二人が、のちにワイン生産者になったことが語られている。後日、ダヴォドーとルロワはその二人のワイン生産者レジスとロベールに会いに行く。二人はもともと国境なき医師団に参加していた医師だったのだが、その任務が終わったのち、ワイン生生産者に転身していた。実は、ルロワも元銀行員。彼もまた転身組なのだ。

BDのことをまったく知らず、はからずもBDの登場人物となってしまった3人、そして第2の人生をワイン造りにささげた3人が偶然にも集結したところで本書は終わる。

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▲下段、左がロベール氏、右がレジス氏。『フォトグラフ』登場時から約25年後の二人


最後に、ダヴォドーがルロワに薦められて「飲んだ」リストと、ルロワがダヴォドーに薦められて「読んだ」リストが巻末についているのだが、そのラインナップも実におもしろい。特にBDのリストについていえば、邦訳されているものが意外に多いのにも驚くはずだ。


(Text by 大西愛子)
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