Who watches the watchmen? (誰が見張りを見張るのか?)WATCHMEN

原作コミック「WATCHMEN ウォッチメン」

復刊に寄せて  石川裕人氏 (『ウォッチメン』翻訳者) 現在のスタイルのコミックブックが世に出て、既に75年。その間に数万のタイトルが発売されてきたが、誰もがその頂点に立つ存在と認める1冊、それが『ウォッチメン』である。

『ウォッチメン』は1986年6月から、翌97年の6月にかけて、全12話のミニシリーズとして発売された。発売元は、スーパーマン、バットマンで知られる老舗出版社のDCコミックス。1935年に創立されたDCコミックスは、業界一の老舗として常にトップの座にあったが、70年代に入ると、スパイダーマン、X-メンなどを抱え、斬新な切り口でファン層を広げたマーヴルコミックスの後塵を拝するようになっていた。マーヴルは革新的、DCは保守的というイメージができあがっていたのだ。

ではなぜ、そんなDCから、コミックスに革命をもたらす異色作『ウォッチメン』が生まれたのだろうか。そもそも、誕生以来、アメリカンコミックスの読者層は常に子供だった。誰もが一度は手に取るものの、いつかは卒業する。それがアメリカのコミックスだったのである。そんな状況が変わり始めたのが、1980年代初頭だった。複雑なストーリーとキャラクター設定で人気を集めたX-メンがきっかけとなって、大人のファン、いわゆるマニア層が形成されるようになったのだ。

新たな読者を得た各出版社は、大人向けのコミックスを手掛けるようになり、『シン・シティ』や『300』で知られるフランク・ミラーのような新世代の作家たちが続々とデビュー。わずか数年でアメリカンコミックスの世界は大きく変わっていった。この状況は、『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』の大ヒットで、ファン層が大学生や大人にまで大きく拡がった、当時の日本のアニメ界の状況によく似ている。

DCコミックスもまたその変革の機運に乗じたが、その対応は震源地となったマーヴル以上に大胆なものだった。マーヴルが既存のキャラクターを大人向けに進化させていったのに対し、DCはこれまでのキャラクターとは一線を画す、作家性の強いオリジナル作品で勝負する道を選んだのである。

その第一弾となったのが、アーサー王が未来に復活するというSFコミック『キャメロット3000』(1982)だったが、その成功はDCに新しいトレンドをもたらした。それは、『キャメロット3000』のアーティストであるブライアン・ボランドをはじめとするイギリスのコミック作家の招聘だった。当時、イギリスのコミック界もまた変革の時期にあり、後に映画化された『ジャッジ・ドレッド』のような、大人向けのハイブロウな作品が次々と生まれていた。そして、その中心にいたのが『ウォッチメン』の原作者、アラン・ムーアであり、DCはそんな彼に白羽の矢を立てたのである。

高校をドロップアウトし、様々な職を転々としたムーアは、知り合いの紹介でコミック業界に入り、間もなく『V フォー・ヴェンデッタ』『マーベルマン』の2作で大きな話題を集めた。その評判は大西洋を渡り、DCのホラータイトル『スワンプシング』のライターに迎えられることになったのだ。ムーアの起用はDCにとっても冒険ではあったが、『スワンプシング』は大きな反響を呼び、ムーアには次々と仕事のオファーが舞い込んだ。その中で彼が提案したのが『ウォッチメン』だったのである。

当初ムーアは、DCが権利を取得したチャールトンコミックスのヒーローたちを主役に据えようと考えていたが、DCには既に予定があったため、チャールトンのキャラクターを下敷きに、新たなヒーローを考案することになった。こうして『ウォッチメン』は、完全なオリジナル作品として誕生することになったのである。

ムーアが『ウォッチメン』で取り組んだテーマは、スーパーヒーローと社会の関係を現実的に描くことだった。もしも本当にスーパーマンが存在するとしたら、社会はどんな姿になっているだろうか、それは彼が『マーベルマン』で追求したテーマであり、超人的存在によって変貌した社会とは、『V フォー・ヴェンデッタ』のテーマでもあった。また、人間以上の存在に変貌した人間の心理という面では、『スワンプシング』の要素もあった。

『ウォッチメン』のテーマは、ムーアがかつて取り上げたテーマの集大成ではあったが、だからこそ、その追求の度合いをより研ぎ澄ますことができたのかもしれない。さらに『ウォッチメン』では、演出面でも過去の秀作を大きく凌駕する試みが成されていた。

静止画と文字を同時に提示できるのが、他のメディアにないコミックならではの強みだとムーアはかねがね主張していたが、その効果を最大限に追求したのが『ウォッチメン』だったのである。フラッシュバックやカットバック、オーバーラップといった既存の演出手段に加え、街角の広告や映画の看板、路上を舞う新聞の見出しにまで意味を込めるという、手を止めて画に見入ることが可能なコミックスならではの新たなテクニックが試みられており、一度読んだだけでは、とてもその全てを読み取ることは困難な程である。

このムーアの過酷な要求に応えたのが、同じくイギリス出身のアーティスト、デイブ・ギボンズだった。極めてオーソドックスなスタイルを信条とするギボンズは、ムーアが一コマ一コマに込めた膨大な量の情報を余すことなく描き切り、その意図を完全に形にしてみせた(効果音を一切廃し、効果線も最低限しか使わず、1ページ9コマという定型パターンにこだわるなど、コミックス従来の演出パターンを極力避けている点も注目すべき点である)。

また、劇中劇とも言うべき架空のコミックを本編中に挟み込んだり、各話の巻末には、本文と連動した内容のテキストページを設け、架空の自伝や新聞を引用するなど、従来のコミックスにはなかった演出を試みており、もう一つの1985年を描くために盛り込まれた歴史的、文化的事象の数々も、ムーアならではの見せ場である。とはいえ、精密機械のようなその構造や斬新なテクニックだけでは、歴史に残る名作とはなりえない。人間という存在に向けた、ムーアの温かくも厳しい目があればこそである。ムーアは人間の一人一人が奇跡であるとしながらも、人間の愚かさにも極めて厳しい目を向けている。その栄光も汚点も全てを認めた上で、ラストでは、その判断を読者各々に任せている。

無論、ムーア自身の結論はあるのだろうが、それを読者に押し付けてはいないのだ。この物語をどう捉えるかは、読者の年齢やその時々の心情によって変わってくるだろう。一元的ではないその多様性は名作とされる物語に共通する要素であり、「タイム」誌が長編小説ベスト100に、コミックスで唯一『ウォッチメン』を選出したのも、その深みがあればこそなのである。

なお本書は、2005年に発売された『ABSOLUTE WATCHMEN』を底本としている。“ABSOLUTE”シリーズは、サイズをB5判からA4変形判に拡大し、ハードカバー仕様、ハードケース入り、さらに特典資料を追加した豪華本のシリーズで、特に人気、評価の高い作品だけがその栄誉に与っている。

『ABSOLUTE WATCHMEN』では、オリジナル版のカラリストであるジョン・ヒギンズがデジタルで再カラーリングを行い、1988年にグラフィティ・デザイン社から発売された限定ハードカバー版にのみ収録されていた48ページの特典資料を丸ごと復刻している(邦訳に際しては、サイズをオリジナルのB5判に戻し、通しノンブルを加えた)。なお翻訳は、1998年に株式会社メディアワークスより邦訳刊行された際の訳を、当時の翻訳陣で再度見直したものを使用している。

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