



『スーパーマン:アップ・イン・ザ・スカイ』序文
スーパーマンの脚本を書くのは不可能だ……そんな話をしばしば聞く。
彼は善良すぎる。強すぎる。本質的すぎる。正しすぎる。アメリカ的すぎる。8月のカンザス州並みに陳腐で、ブルーベリーパイのように凡庸だ。ありふれたブルーベリーパイがけだるい晩夏の午後に中西部の太陽を浴びて、何がおもしろい? 現代のひねくれたご時世に、そんな古くさい存在が通用するとでも?
“もう一人”のほうにしておけ。とがった耳で、白く細い目で、非業の最期を遂げた両親のそばには真珠が転がっている……暗くて不機嫌なあの男だ。彼なら悲観と苦悩に満ちたいまの世の中に起こる、陰気で憂鬱な出来事の象徴になる。雨に濡れた屋根で、雨と屋根についてそっけないモノローグを並べれば、たちまち現代的な傑作のできあがりだ。
DCコミックスで働くライターにとって、これは一般常識に近い意見といえる。“紺”は“青”より易し。すべてがあって、なんでもできる“明日の男”を使っても、実のある話はつくれない。
言わせてもらおう……そんな意見はデタラメもいいところだと。
何年か前、“もう一人”の脚本を担当していたころ、DCから“彼”を手がける機会が舞い込んだ。しかも、相棒は生ける伝説……コミック界における最良の語り手の一人……アンディ・キューバート。偉大なる名家の栄光に恥じぬ達人が、作品の根底を担ってくれる。しかもアンディと組むインカーは、ペンを自在に操って線に厚みを与える比類なき天才サンドラ・ホープ。そこに大胆かつ繊細な色使いで、物語の光をたくみにとらえるカラリストのブラッド・アンダーソンが加わる。さらに、文字を入れるレタラーには、僕の作品ではおなじみとなった、業界の最高峰クレイトン・カウルズ。
正直な話、ここまで豪華な布陣でスーパーマンの作品に関わる機会は二度とないかもしれない。崩壊する惑星から脱出する赤ん坊のように、自分の幸運が信じられない気持ちになって、僕はこのまたとない機会に飛びついた。そして思いつく限りのスーパーマンの物語を書いた…… 哲学的なジレンマ、フラッシュとの競走、1950年代のシルバーエイジ的ドタバタ、戦争、壮大なSF、その合間にありえないほどのバカバカしさも入れつつ、骨子は単純明快。つまり、誰にも救えないはずの者を、彼にしかできない方法で救う一人の男の物語である。
すばらしい仲間と作品をつくり上げる過程で、僕はこれまで多くの作家が身をもって証明してきた事実をあらためて発見できた(少しでも疑った自分が愚かだった)……スーパーマンの脚本を書くのは不可能でもなんでもない。むしろ現代の神話を書くのなら、彼ほどやりやすいヒーローはいないくらいだ。
スーパーマンは正しいことをする。だからライターは彼が体現する真理を追いかけ、善良な男が正しい判断を下すさまを記録するだけでいい。
もちろん、スーパーマンが生きる世界は道徳的に複雑で、艱難辛苦がつきものだ。常に疑念と危険につきまとわれながら飛ぶことになる。しかし、そんな世界で彼はよりよい明日をもたらす正しいやり方と、希望に満ちた道を見いだす。ライターのやるべき仕事は、混沌の中に彼を放り込み、秩序をつくってもらうこと。あとはクリプトン的な科学によるつじつま合わせを少々すれば、見事できあがりだ。
そうしてこの本が生まれた。危険な世界を旅する“鋼鉄の男”を通じて、スーパーマンの物語の可能性を追求したのだ……彼の物語こそ最高だと証明するために。
スーパーマンは楽しく、刺激的で、喜びをもたらす存在だからこそ、現代的だといえる。危機的な時代に……つまり現代に……スーパーマンが象徴するのは逃避ではなく小休止だ。そしてひと息ついてよく考え、勇気をもらってから、僕たちは喧騒に飛び込む。
けだるい晩夏の午後に、中西部の太陽を浴びる、ありふれたブルーベリーパイ……それのどこが悪い?
トム・キング
ワシントンD.C.
2025年冬
(翻訳:中沢俊介)



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