現在、『レヴォリュ美術館の地下』(小社刊)の著者マルク=アントワーヌ・マチュー氏が、
新作BD『3秒』(河出書房新社)のプロモーションのため来日しています。
(東京、福岡でトークイベントを開催予定!)
そこでマチュー氏の来日を記念し、邦訳版が出版されている『レヴォリュ美術館の地下』と『3秒』の2作品について、『ユリイカ』2009年7月号の「特集・メビウスと日本マンガ」への寄稿やバンド・デシネの始祖と呼ばれるテプフェールの研究などで知られるマンガ批評家の竹川環史さんに語っていただきました!
2007~2009年ごろから続々と翻訳が出版されているバンド・デシネ。
この『BDfile』のサイトもできて、BDに活気があってうれしい。BDは以前はなかなか翻訳が出なかったもので、現在の邦訳の刊行ペースは、歴史上未曾有の事態といっていいレベル。
どうして急にBDが翻訳されるようになったのか。
いろいろあるのだけれど、地道にBDの普及活動をしている人たちの努力はもちろんのこと、『フロム・ヘル』のヒットなどでアメコミも含めた海外マンガの大作の魅力がひろまったことが大きい。
このサイトの「邦訳BDガイド」に刊行年とページ数があるとわかりやすいのだが、近年の翻訳には『ペルセポリス』『大発作』『アンカル』『アランの戦争』『闇の国々』とページ数の多い作品や、合本での刊行が多い。読みごたえの充実感が求められているのだ。
今回紹介するマルク=アントワーヌ・マチューも読みごたえのある作品を描く。しかし、ちょっとタイプの違う味わいである。
マチューの作品は、先日『3秒』が刊行されたばかり、他に「ルーヴル美術館BDプロジェクト」の一冊として刊行された『レヴォリュ美術館の地下-ある専門家の日記より-』の邦訳がある。
二冊ともページ数は多くない。けれども繰り返し読むことへ読者を引き込む仕掛けに満ちていて、その読みごたえは分厚い本に劣らない。
『レヴォリュ美術館の地下 -ある専門家の日記より-』
マルク=アントワーヌ・マチュー 著 大西愛子 訳 小池寿子 監修 定価:2,940円(税込) 小学館集英社プロダクション |
『レヴォリュ美術館の地下』は、ある専門家が依頼された調査のためにその美術館へ訪れるところからはじまる。
専門家は、通常の来館者の目にすることのない地下へ導かれ、そこで美術品をめぐる保存・修復・分類などを見聞する。
ところが地下の空間構造は摩訶不思議で、美術館の活動も奇妙なものばかりなのだ。
例えば「モナリザ」の複製を大量に作り続けている老人がいたりする。
(エピソードの細かい部分までアニメのルパン三世『モナリザは二度微笑う』と似ているのはパロディなのか偶然なのか!?)
額縁のみを保管する保管庫が描かれるエピソードがある。
そこでは額が「最も簡素な形に戻された」ことが語られ、私たち読者はそこに、マンガの「コマ」を発見する。
マチューはその「コマ」について、作中で「もちろん上のほうでは」「完全にバカにされています」と語らせている。
ここにはBDと美術の関係への諷刺があるが、そもそも「ルーヴル美術館BDプロジェクト」は、
作家の側からすると戦略を練らずにはいられないコンセプトだ。
実際、荒木飛呂彦も含めて他の作家たちも皆、ひとひねりふたひねりしたアイデアの作品を描いている。
*ルーヴル美術館BDプロジェクト刊行一覧
マチューが書いたように、美術はBDを認めてこなかった。
BD作家がその権威へ諷刺の毒を仕込めば、その毒をも受け入れる度量をルーヴルは示す、だから作家はよりひねった毒を仕掛けたい。そのうえで、読者を楽しませ、同じシリーズを描いている他の作家とも違ったアイデアやセンスを示さなければならない......。
このとおりに考えたわけではないにしても、さまざまな思考と戦略の可能性があり、マチューの作品は、それらを感じさせる内容をもった、きわめて奇想に富んだ作品として仕上がっている。
しかも、さすがだと思うのは、凝り性な作家にしては意外なほど軽やかによめるエピソード集になっていることだ。
美術をめぐる修復や真贋といった、私たちもあやしい想像をしてしまいがちなネタを切り口にしているところも読みやすいのだろう。ルーヴル美術館の知名度、存在感が大きいだけに、奇想との組み合わせが楽しい。
『3秒』
マルク=アントワーヌ・マチュー 著 原正人 訳 定価:1,890円(税込) 河出書房新社 |
一方、『3秒』は凝り性の作家が凝りまくった作品だ。作品そのものが仕掛けのようなもので、ちょっとした難物。
『3秒』は1ページ9マスの正方形に順々とズームする画像が描かれていくという手法の作品で、この手法で最後まで貫徹されている。個々の画像がズームで連続するという形式は、写真集などでも見られるし、イシュトバン・バンニャイの『ZOOM』『RE-ZOOM』(ブッキング)を思い出させる。
マチューはそこに物語性を、しかも平行する複数のラインの物語を盛り込んだ。その物語のために、読者は各画像を積極的に読み解かなければならない。
本の前書きなどに初期情報のようなものが書かれてはいる。だがヒントは少なめで、時間をじっくりかけて解読させられるあたりは、洋ゲーに近い。
読者は、この手法によりある視線をたどる。この視線は何度も鏡面に反射する。
鏡だけではなく、眼球や金管楽器の表面などさまざまなものに当たっては反射することで、同じ事象がさまざまな視点からとらえられる。シンプルな映像体験的にもそれはおもしろい。
同じ事象を別の視点から見ると、前の視点では死角にあって見えなかったものを見ることができる。
ここが反射することの妙味なのだ。別の視点から見て知りえた情報を総合するために、くりかえしくりかえし読み、あっちこっちページをめくる。すると起きている出来事やその関係性がわかってくる。
そのわかる過程のおもしろさが、この作品なのである。
結果として、すべての読者がその人だけの順序で発見し、理解する。その理解の流れが、固有の物語体験となるのだ。心地よい疲労感とともに思い出の一冊になること間違いなしである。
この二冊なら、とにかくおもしろいBDを、と言われたら『レヴォリュ美術館の地下』を、せっかくBDを読むのだから表現の極北を、と言われたら『3秒』をオススメする。
さて最後に作品内容ではなく、翻訳出版物としてのBDについて述べておきたい。
『レヴォリュ美術館の地下』には背景に書き文字のあるコマがあり、書き文字はフランス語であるから、翻訳時にはそのコマをどう処理するかという問題がある。
この本では、左の図版のように、描き文字の背景をそのまま残しながら、 半透明の白いレイヤーを載せて、白いレイヤーに訳文を記載するという 処理をしている。 |
こうした処理への感触は個人差があるだろうけれど、筆者は読んでいてとても自然で読みやすかった。訳文がフォントではなく描き文字だったらどうだっただろうとは思う。
こうしたところへの工夫はマンガの読書体験を支える重要な部分であり、ここがだめだと作品が"読めない"ものになりかねない。そのつどシーン、コマごとに最適の解は異なるに違いないから、BDのみならず海外マンガの翻訳においては、編集上の試行錯誤がつづくだろう。成果が見えにくいわりに経費のかかる部分だけに、訳者、デザイナー、版元の努力に敬意を表したい。そしてこうした箇所への工夫や試行が今後も継続されることを期待する。
(竹川環史)