COLUMN

【BD研究会レポート】メビウス追悼 ダニエル・ピゾリ氏が語るメビウス〔ジャン・ジロー編〕

 

BDファンのための集い「BD研究会」(通称:ベデ研)をご存知でしょうか?

 

『アンカル』『ピノキオ』などの翻訳で知られる

翻訳者の原正人さんが中心になって活動しているグループで、

だいたい月に1回くらいのペースで、BDファンが集って情報交換を行ったり、

時にはゲストとして、海外の作家さんや編集者さんをお招きしてお話を伺うなど、

精力的に活動を行っています。


(※BD研究会についての詳しい情報はコチラ

 

 

そのBD研究会で、先日、今年3月10日に亡くなった

BD界の巨匠メビウスを偲んでの追悼集会が東京・飯田橋にある日仏学院で行われました。

 

今回のゲストはメビウスがジャン・ジロー名義で描いた

西部劇BD『ブルーベリー』の研究書『ll était une fois Blueberry(昔、ブルーベリーという男が...)』で

知られるダニエル・ピゾリ(Daniel Pizzoli)さん。

ピゾリさんは、なんと現在日本にお住まいなんです。

 

メビウス、ジャン・ジロー、二つの名前を持つこの偉大な作家について

ピゾリさんが詳しく解説してくださいましたので、

その模様を〈ジャン・ジロー編〉〈メビウス編〉の2回に分けてレポートします!

 


 


* * *

 

 

 

 「今回、BD研究会に初めて来てくださった方も多いのではないかと思います。ありがとうございます。まず最初にご挨拶をさせていただくと、僕は原正人といいまして、一応BD研究会の代表というような立場で、司会進行や連絡などをさせていただいます」

 

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 「前にも一度、メビウスが来日した際(※1)に、メビウスについての発表会を開いたことがありましたが、もうそれから3年経つんですね。先日、メビウスが残念ながらお亡くなりになって、その追悼ということで、今回またこのようなかたちでBD研究会を開くことになりました。

今日は、こちらにいらっしゃるダニエル・ ピゾリさんにメビウスについての発表をしていただきたいと思います。ダニエルさんは、『ブルーベリー』というメビウスがジャン・ジロー名義で描いている西部劇のBDがあるんですが、それについての研究書を書いていらっしゃる方です」

 

 

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  ll était une fois Blueberry

 

  Daniel Pizzoli[著]

  Dargaud

 

 

 

 

原 「『ブルーベリー』については、僕も以前『ユリイカ』(※2)で文章を書いたりしましたが、その時にも、ピゾリさんの本を参照させていただきました。実は僕も、去年初めてピゾリさんにお会いしたのですが、なんでこんな方が日本にいるのかと、正直たいへん驚きました(笑)。

とにかくメビウスについてはたいへん詳しい方ですので、今日はメビウスについていろいろとお話を伺いたいと思います。

じゃあ準備の方はよろしいでしょうか。それではピゾリさん、よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

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ピゾリ 「今日はこういったかたちでメビウス追悼の会をされるということで、たいへん結構なことだと思っております。よろしくお願い致します。

 

最初に、私自身のことをお話させていただきますと、私は、パリの学校でずっと絵を描く勉強をしていまして、その後いわゆる装飾美術を専門に学び、広告とデッサンの仕事に就きました。

この『ll était une fois Blueberry』は、学校の卒業論文で作った本です。当時は今みたいに、DTPのような便利な技術もありませんでしたので、すべて手仕事で切り張りして版下を作りました。それで、『ブルーベリー』を出版しているDARGAUD(ダルゴー)という出版社に行って卒業論文を見せたところ、すぐに出版が決まったんです」

 

 

 

■ 『ブルーベリー』との出会い

 

ピゾリ 「私が初めて『ブルーベリー』を読んだのは、掲載されていた『ピロット』誌で、12歳の頃でした。その時に読んだエピソードが「チワワ・パール」編です。シリーズの第13巻目にあたるエピソードですが、それからすっかり『ブルーベリー』のファンになってしまいました。

 

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  『ブルーベリー』第13巻

  「チワワ・パール」(Chiuahua Pearl, 1973)

 

実は、私はBDのアルバムはかなりのコレクションを持っていまして、多くはフランスの家に置いてあるんですが、実際、数えてみたら数千はあるんじゃないかと思います。そんなコレクションを持っているくらいですから、もちろんBDが好きで、絵が好きで、言葉が好きなんですけれども、ジャン・ジロー/メビウスの読者として自分が少し特殊だなと思うところがあるんです。

 

というのも、ジャン・ジロー、あるいはジルの名義で発表された作品が好きな読者というのは、メビウス名義で発表された作品があまり好きでないことが多い。その逆もまた然りで、メビウスファンの人はジャン・ジロー名義の作品があまり好きでないことが多いんですね。ところが私の場合は、そのどちらも同等に好きなんです。そこは読者として、多少変わっているところだと思います。

 

ちなみに作品の売上げ部数を比較してみると、ジル名義、ジャン・ジロー名義で出された作品は平均で約20万~30万くらいの数が出ているのに対し、メビウス名義の作品は、実はそれほど売れていなくて、約5000部程度と言われています。つまり、圧倒的にジル名義の作品の方が一般には読まれているようです」

 

 

 

■二人の偉大なアーティスト

 

ピゾリ 「さて、私は2012年3月10日には二人のアーティストが亡くなったと言っていいんじゃないかと思っています。一人はメビウスであり、もう一人はジルです。

 

一般的な認識としては、ジルは西部劇の作家であり、メビウスはSFの作家です。まずジルがいて、その後にメビウスが来た、と考えている方も多いと思うのですが、実はジャン・ジローがジルになる前に、すでにメビウス的な仕事もしていたという事実があるんです。

 

 

ではまず、ジルのことからお話しようと思います。

 

ジャン・ジローは1938年、パリの郊外で生まれました。子供の頃から学校で絵を描いていて、最初に、当時非常に有名だった「ABC」という通信制の美術講座に登録して勉強をしました。その後、パリ市内のレピュブリックという界隈にある装飾美術学校に入学し、当初は、ビジュアルコミュニケーション、視覚コミュニケーションといったコミュニケーション系の学科に入りたかったそうなんですけど、そこがもう定員がいっぱいになっていたのでタピスリーの学科に行くことになりました。それで、16歳の頃には、早くもプロとして仕事を始めることになります。

 

西部劇もの、ユーモアもの、あるいはリアルなものを描くようになっていくのですが、その当時、彼が仕事をしていた出版社の人間には、ハッキリと「リアルなものを描いていては将来はないよ」と言われたそうです。それで1958年に、当時フランスのコミック界でたいへん活躍していたジジェ(Jijé)という作家と出会います。この作家さんは非常にリアルな作風で意欲的に仕事をしていた方です。代表作は『ジェリー・スプリング』ですね。

 

 

『ジェリー・スプリング』(Jerry Spring)

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といっても、この時ジジェとは会っただけで、それ以上のことはありませんでした。この時期、ジャン・ジローは学校が嫌になりまして、学校を休んで母親を追って初めてメキシコに行きます。それから、当時フランスの若者は全て通らなければいけなかった兵役も経験します。それが終わって帰ってきた時、『文明の歴史』という本の企画に参加しました。そこで彼は、非常にリアルなイラストで優れた仕事をするんですね。それでジジェのところに1年間弟子入りすることになります」

 

 

 

■ジルと師匠ジジェ

 

ピゾリ 「ジジェのところに入ると、例えば、まず自然を見てキチッと描くとか、筆で描くとか、いろいろなことをやらされるものなんですが、ジャン・ジローの場合は、そういうことをまったくしませんでした。独自の描き方というのを貫くんですね。それがまた、師匠であるジジェを驚かせることになります。

 

ジャン・ジローは、物事というのは内側から描いていくものだという考え方をしていて、ジジェのように、実物や自然を見て、それをクロッキーのようなかたちでしっかり描いていく、さまざまな資料にあたってリアルな絵を追求していくというスタイルとは全く別のスタイルを貫きます。

 

つまり、ジャン・ジローは師匠であるジジェの「こういう風に絵を覚えたまえ」というやり方を完全に拒否するわけなんですが、にもかかわらずジジェそっくりの絵を描けるようになってしまいます。そして"ジル"として、最初の作品を出版することになるんですが、その時の絵が、まるでジジェの絵そっくりなんですね。

ですので、この後、ジルの2作目の単行本の一部はジジェが代理で描いていたりもします。それでも違いが全く分からないほどなんですけれども。ジジェは『ピロット』誌の第1号の表紙を描いたりもしているのですが、ジャン・ジローの『ブルーベリー』の単行本第1冊目の表紙になっている絵、これも実はジジェが描いています」

 

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  『ブルーベリー』第1巻

  「ナヴァホ砦」(Fort Navajo, 1965)

 

 

 

 

■『ハラキリ』誌での連載

 

ピゾリ 「一方その頃、フランスの風刺雑誌『ハラキリ』――この『ハラキリ』というのは、「愚かで意地悪な雑誌」というのがスローガンなのですが――で、1962年から63年にかけてジャン・ジローはメビウスのペンネームで作品を発表します。

 

ここで先ほどの、ジルの名義の前にメビウスはすでにいたというお話に戻ります。その当時のものが、こちらの雑誌に再録されています。

 

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当時、アメリカで刊行されていた『MAD』という雑誌がありますが、そこのスター作家だったジャック・デイヴィス(Jack Davis)という人の作風に、この頃の絵はたいへんよく似ています」

 

 

 

■ジャン・ミシェル・シャルリエと『プルーベリー』

 

ピゾリ 「ジジェのもとで学んだ時代、そして『ハラキリ』で作品を発表した時代を経て、ここでようやくジャン・ジローはジャン・ミシェル・シャルリエと出会うことになります。

ジャン・ミシェル・シャルリエは、かの『ピロット』誌の当時の編集長で、ルネ・ゴシニという『アステリックス』の原作で有名な人と一緒にこの雑誌をやっていました。『ピロット』誌は、1959年10月に創刊されて1989年10月まで続いた雑誌です。

 

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これは『ブルーベリー』の連載がスタートした当時の『ピロット』誌の表紙です。ただ、この当時の表紙は先ほどお話したように、ジジェが描いています。その後、ジャン・ジロー自身が表紙を描くようになっていきますが。

 


『ブルーベリー』は連載開始後、たちまち人気作品になります。この主人公が、飲んだくれだわ、人を騙すわ、とにかくハチャメチャなキャラクターで、しかもインディアンの味方というそれまで無かった設定だった。このキャラクター設定が人気の秘密ではないかと思います。

 

ここで、ジャン・ミシェル・シャルリエについてもお話したいと思います。やはりこの当時、時代を博した作家でありますので少し時間を割いてご説明します。

 

ジャン・ミシェル・シャルリエと、ジャン・ジローの二人で組んで始めた『ブルーベリー』ですが、シャルリエが、どちらかというと現実のアメリカの歴史に則した話を持ってくるというスタイルだったのに対して、ジャン・ジローの場合は、映画からのインスピレーションが多かったようです。初めにジョン・フォードの西部劇映画、次にいわゆるマカロニ・ウェスタンを経て、そしてまた古典的な西部劇......というように映画で描かれる西部劇というのはさまざまな変遷があったのですが、それをジャン・ジロー自身が後を追うかたちで『ブルーベリー』の作品作りに生かしてきた傾向が見られます。

 

 

これはシリーズの15巻目にあたる「棺桶のバラッド」という作品ですが、シャルリエはこのエピソードで、主人公ブルーベリーのバイオグラフィーというか、人生を振り返るような内容のものを作ります。

 

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  『ブルーベリー』第15巻

  「棺桶のバラッド」(Ballade pour un cercueil, 1974)

 

 

その際、まるで実際に撮られて古びたような写真の絵を使うなど、この当時のシャルリエはいろんなアイデアを用いて、ちょっと楽しんでるような雰囲気があります。

 

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これは、いわゆる西部劇の舞台になってる時代、19世紀頃の絵のように描かれた『ブルーベリー』です。

 

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これはピーター・クレイ(Peter Clay)というアーティストが描いた絵で、この人はやはり『ピロット』誌で活躍していたジャン・タバリー(Jean Tabary)という作家の兄弟であったりします。『イズノーグー』(Iznogoud)という、中東を舞台にしたユーモア作品で有名なジャン・タバリーです。

 

このように、シャルリエは『ブルーベリー』をネタにした遊びのようなことをしたわけなんですが、この後、一部の読者から『ブルーベリー』の生涯をまとめたものが欲しい、買いたいという反響が来るまでになって、一部の読者がブルーベリーに実在のモデルがいたかのように信じてしまうという事態にまでなりました」

 

 

 

■最も評価の高い作品

 

ピゾリ 「『ブルーベリー』は28巻のアルバムで出版されています。その他にいくつかスピンオフ作品も出ていますが、スピンオフは私に言わせるとあまり面白くないし、正直それほど価値のあるものではありません。

ジャン・ミシェル・シャルリエは、この『ブルーベリー』連載途中に亡くなってしまい、それ以降はジャン・ジローが1人で作品を作り続けました。ただ、シャルリエが亡くなってから第24巻の『ミスター・ブルーベリー』以降、ブルーベリーが怪我をして、ベッドに横たわったまま物語るという内容の作品が続いたものですから、読者には必ずしも評判は良くなかったようです。

 

『ブルーベリー』ファンの間では、第12巻「黄金の銃弾を撃つ亡霊」から、第17巻「天使の顔」あたりまでが『ブルーベリー』の最高潮であり、最も優れた仕事であると言われています。

 

ジャン・ジローは、だいたい14巻目あたりから自分のスタイルをどんどん出すようになるのですが、さきほどお話した12巻~17巻あたりの最も評価の高い時期は、ジャン・ジロー自身の画力も上がり、その中で自分のスタイルをどんどん出してくるようになってきた時期とちょうど重なっているわけです」

 

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ピゾリ 「以上で、私のジャン・ジローに関する発表は終わりにしたいと思います。その気になればいくらでもお話できるのですが、絵に関しての非常にテクニカルなお話になってしまうので(笑)。とりあえず今日のところはここまでとさせてください」

 

 

* * *

 

 

 

...と、いうわけで、〔ジャン・ジロー編〕は以上です。

いかがでしたでしょうか?

次回、〔メビウス編〕をお送りします。どうぞお楽しみに!

 

 


(通訳:鵜野孝紀氏)


※1--2009年5月のメビウス来日のこと。大友克洋、浦沢直樹など日本を代表する漫画家を交え、京都国際マンガミュージアム、京都精華大学、明治大学で講演やシンポジウムが行われた。
※2--『ユリイカ』2009年7月号「特集:メビウスと日本マンガ」

 

 

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