INTERVIEW

ドイツコミック最前線を知る!/『ベイビーズ・イン・ブラック』翻訳者・岩本順子さんインタビュー〔前編〕


今年5月、ドイツ人漫画家アルネ・ベルストフによるコミック『ベイビーズ・イン・ブラック』日本語版が
講談社より刊行されました。


bib_cover.jpg   ベイビーズ・イン・ブラック
  THE STORY OF ASTRID KIRCHHER & STUART S UTCLIFFE


  アルネ・ベルストルフ[著]
  岩本順子[訳]
  講談社
  定価:2,058円(税込)
  
  © 2010 Arne Bellstorf / Reprodukt. All rights reserved.


本書のタイトルにもなっている「ベイビーズ・イン・ブラック」は、1964年に発表されたビートルズの楽曲。
本書は、この曲のモチーフとなったとされる、ビートルズの初代ベーシスト、スチュアート・サトクリフと彼の恋人のドイツ人写真家アスリットの実話をもとに描かれました。
名曲「ベイビーズ・イン・ブラック」に秘められたかなしい物語......60年代ハンブルグを舞台に、若者の青春と死を描いた、せつなく美しいグラフィック・ノベルです。



■Baby's in Black - The Beatles



さて、『ベイビーズ・イン・ブラック』は日本ではまだあまり馴染みのないドイツのコミックですが、
ドイツのコミック事情とはどのようなものなのでしょうか?

そこで、BDfileでは『ベイビーズ・イン・ブラック』の翻訳者、岩本順子さん
ドイツのコミック事情についてインタビューしました!

岩本さんは、かつて講談社の『モーニング』に掲載されたドイツコミックの翻訳を手掛け、
ドイツにおける日本漫画の普及にも携わってこられた方です。

岩本さんがドイツコミックに携わられたきっかけから
ドイツコミックの歴史、現状まで、興味深いお話をたくさん伺えましたので、
ドイツコミック最前線を知る!」と題し、〔前編〕〔後編〕の2回に分けてお届けします!




* * *



―先日、ドイツの漫画家アルネ・ベルストルフの『ベイビーズ・イン・ブラック』(講談社)が岩本さんの訳で刊行されました。本作の見どころを教えてください。



作者のアルネは、50~60年代のハンブルクの若者文化に興味があり、色々調べて行くうちに、アストリット・キルヒヘアという女流写真家の作品、そして彼女とビートルズとの繋がりを知ったそうです。この作品は、現在もハンブルクで暮らすアストリットへのインタビューから生まれた、本当のお話です。

60年代初期のハンブルクは、ミュージシャンを目指す若者たちにとって、強い磁力を持つ、特別な場所だったようです。それは、ひょっとすると、ハンブルクが最も輝いていた時代だったのかもしれません。アルネは、当時のハンブルクと、そこで起きた悲しい物語を、誇張することなく、淡々と描いています。どのページからも、ハンブルクというドイツの北の果ての都会の、60年代初頭の空気を感じ取っていただけるのではないかなと思います。




―岩本さんはかつて『モーニング』誌上でドイツ作品の翻訳を手がけ、ドイツにおける日本マンガの普及にも携わられたそうですが、どのような経緯でドイツ、それから日本マンガ、ドイツのマンガに関わることになったのですか?


1989年に、ハンブルクの出版社に研修に来ておられた、講談社の社員の方の通訳を時々担当させていただいたのですが、そのご縁で、翌1990年、講談社国際室でドイツ語翻訳スタッフとして働きました。仕事内容は、フランクフルト国際書籍見本市の日本年イベントの準備でしたが、国際室にいると、他の色々な部署からも翻訳の依頼や、ドイツに関わる問い合わせが舞い込み、そういったことにも対応していました。

当時、国際室では、大友克洋さんの『AKIRA』をドイツで出版する準備が進んでいたのですが、ドイツの出版社が、訳者が見つからず困っているという話を、国際室の方から伺いました。そこで、当時のパートナーと一緒に試訳を送りましたら、運良く採用され、ただちに作品の翻訳にとりかかることになりました。私が漫画の世界と関わるようになったのは、『AKIRA』の翻訳を通じてでした。


私は、少女時代も学生時代も、ほとんどマンガを読まずに過ごしたのですが、『AKIRA』との出会いの衝撃は、とても大きなものでした。翻訳しながら、大友さんの絵と表現法に魅せられ、彼の過去の作品も手に入れて読みました。『ハイウェイスター』とか『さよならにっぽん』など、本当に魅力的でした。


『モーニング』との出会いは、その翌年の1991年でした。『AKIRA』のドイツでの出版がスタートし、帰省の折りに国際室にご挨拶に伺いましたら、『AKIRA』担当の方が、ちょうど『モーニング』が世界各地の漫画家との共同作業を始めているので、一度編集長にお会いになってみませんか、と言って下さったのです。


そうして、モーニングの編集長から、ドイツのコミック事情をレポートするほか、編集部と一緒に仕事ができそうな面白い作家を発掘し、編集のサポートをするという仕事をいただき、約9年間ドイツ支局を担当しました。ドイツのマンガ作品に触れたのは、この仕事を通じてです。


以後、日本のマンガをドイツ語に翻訳する仕事と、ドイツのコミックを日本に紹介する仕事を並行して行っていました。


 
―具体的にどのような作家を紹介なさったのでしょうか? 日本のマンガ誌にドイツの作家の作品を連載するにあたって苦労されたことなどあればお教えください。


ドイツのコミック事情を調べるうち、当時のドイツにはあまり独自のコミックが発展していないことがわかりました。正確ではないかもしれませんが、当時、市場に出回っていたコミックの8割が外国のものだったと思います。


あの頃、ドイツで唯一成功していたのは、クノルナーゼン(ダンゴ鼻)・コミックスとひとまとめによばれていた、大きな鼻のキャラクターが登場するコミックでしたが、それは『モーニング』が求めているものとは違いました。


「モーニング」の編集者の方が、すでにマティアス・シュルトハイス(Matthias Schultheiss)という作家についての情報を持っておられたので、最初にコンタクトを取ったのが彼です。マティアスは当時『プロペラマン』(Propeller Man)という作品をアメリカ向けに製作しはじめたばかりで(ダークホース刊)、この作品をフランクフルト書籍見本市で講談社にも持ち込んでいたそうです。


0815_01.jpg   Propeller Man


  [著者] Matthias Schultheiss
  [出版社] Dark Horse Comics



『モーニング』が、これとは別の作品を希望したため、マティアスは『プロペラマン』完結後の1994年頃から、全力で新作に取り組んでくれました。でも、500ページを越える、モノクロの大作になるはずだった『狂気の中枢(仮題)』(Im Zentrum des Wahnsinns)という作品が400ページくらいできたところで、海外支局を閉めることになってしまい(1999年)、掲載には至りませんでした。マティアスはアシスタントを持たず、たった一人、インクとエアブラシで描いていましたから、全ページを描き終える前に連載を始めてしまうと、きっと追いつかなくなってしまうだろう、ということで、編集部では完成を待って掲載する予定だったようです。後に、ハンブルクの小さな出版社が出版を検討していましたが、実現せず、この作品は未完のまま葬られてしまいました。


でも、その後、シュルトハイスの新作を講談社の『MANDALA』という雑誌で紹介することができました。『河をゆく女』(Die Frau auf dem Fluß, 2008)と『ダディ』(Daddy,2009)で、ともにオールカラーの作品です。シュルトハイスは、2010年に、久しぶりの長編『ビルとの旅』(Die Reise mit Bill)をフランスとドイツで出版し、カムバックを果たしました。2011年にはドイツ版『ダディ』も出版しています。


0815_02.jpg   MANDALA Vol.2


  2008年3月発行

  ※『河をゆく女』収録



0815_03.jpg   MANDALA Vol.3


  2009年7月発行

  ※『ダディ』収録


0815_07.jpg   Die Reise mit Bill


  [著]Matthias Schultheiss
  [出版社]Splitter Verlag
  2010年




私が『モーニング』に紹介したのは、アンドレアス・ディアセンAndreas Dierßenという、当時デビューしたばかりの作家でした。犯罪者や探偵など、孤独な人間の姿を切り取ってみせてくれる作家で、『モーニング』には『血のようにはかなく』(Zart wie Blut)というオールカラーの短編集と『クンツ』(Kunz)という私立探偵が主人公のモノクロ作品を掲載することができました。前者はドイツですでに単行本化されたものを逆版にして掲載、後者は1999年にドイツで単行本となりました。アンドレアスは、その後、絵本の仕事に集中していますが、彼も昨年、久しぶりに『最高の時代』(Die besten Zeiten)という作品を出版、カムバックしました。


0815_04.jpg   Kunz


  [著]Andreas Dierßen
  [出版社]Carlsen
  1999年


0815_05.jpg   Die besten Zeiten


  [著]Andreas Dierßen
  [出版社]Carlsen
  2011年



私は、このような非常に面白い仕事に巡りあったのですが、ドイツの作家を紹介するという点では、あまり成果をあげることができませんでした。当時のドイツに『モーニング』の編集者をうならせるほどの作家、『モーニング』に挑戦しようとする作家が、ほとんどいなかったことも事実です。90年代は、ドイツの出版社が日本のマンガを「発見」し、輸入することに躍起になった時代で、自国の作家を育てようとしていませんでした。また、アンダーグラウンドで活動する作家たち、個性的なイラストレーターたちが、登場しはじめてはいましたが、彼らはまずドイツで地盤を固めることに力をいれていました。



* * *


というわけで〔前編〕はここまでです!
次回の更新(8/22)では、ドイツのコミック事情についてより詳しく岩本さんにお聞きしていきます。
お楽しみに!



(インタビュー・構成執筆:原正人)



■岩本順子さんPROFILE

0815_06.jpg   1960年神戸市生まれ。翻訳者、ライター。ハンブルク在住。
  90年代に日本の漫画作品のドイツ語訳に従事。
  現在はドイツとブラジルを往復しながら、両国の風土、食文化、ワイン
  について執筆活動中。自ら運営するサイトでは、ハンブルク・エッセイも
  発信してい る。著作に『おいしいワインが出来た!名門ケラー醸造所
  飛び込み奮闘記』(講談社)『ドイツワイン 偉大なる造り手たちの肖像』
  (新宿書房)、『ぼくは兵役に行かない!』(ボーダーインク)がある。

  WEBサイト: www.junkoiwamoto.com



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