今回のBDFileは、フランス人漫画研究者ブランシュ・ドゥラボルドさんと、
BD翻訳家、原正人さんのインタビューをお送りします。
BDに対する深い教養もさることながら、流暢な日本語にも驚かされるドゥラボルドさんは、
現在、博士課程で日本に留学中。
男性多数のBD研究界において、まさに紅一点の存在です。
そんな彼女に、フランス人女性ならではの視点で、
BDの読書歴からBD作家の小話、日本の少女マンガまで幅広く語っていただきました!
「前編」「後編」の2回に分けてお送りします。
* * *
■きっかけは『ア・シュイーヴル』
原 「本日はよろしくお願いします。ではまず、そもそもBDを研究し始めたきっかけについて教えてください」
ドゥラボルド 「小さい頃からBDが好きで、ブノワ・ペータースのエッセイや、BDの研究誌『Neuvième Art(第九の芸術)』などを読んでいたんです。今は日本のマンガも研究対象ですが、はじめからマンガを研究したかったわけではありません。大学の時に日本語を勉強しだして、その魅力に取り憑かれ、そのままマンガにも興味を持つようになりました」
原 「お気に入りのBD作品は何ですか?」
ドゥラボルド 「最初はクラシックなもの、『タンタンの冒険』とかフランカンのBDを読んでいました。小学生の終わり頃に父の持っていたBD雑誌『ア・シュイーヴル』のコレクションを読み始めてからは、タルディやホセ・ムニョス、ウーゴ・プラット、マルク=アントワーヌ・マチュー、ニコラ・ド・クレシーといった、のちの研究にも影響する作品を見つけて、ハマっていきました」
原 「ド・クレシーは最近『サルヴァトール』、『レオン・ラ・カム』などが日本でも翻訳されてますよ。『ア・シュイーブル』を中心に読んでいたということは、出版社としては"カステルマン派"だったんですね」
ドゥラボルド 「そうですね。だから私の世界の中心は、よくあるアルバム形式のカラーBDではなくて、長いストーリーで展開する白黒のBDだったんです」
原 「それって当時の女の子は普通に読んでいたんですか?」
ドゥラボルド 「いえ、同年代にはあまり読まれてなかったですね。同年代だと男の子でも珍しかったと思います。私は、なんというか・・・・本ばかり読むようなタイプの子でしたから(笑)」
原 「なるほど。マチューの作品も何作か邦訳が出ていますが、『l'Origine(起源)』などの作品に見られる"メタ"バンド・デシネには本当に驚嘆させられます。それを10代で読んでいたとは・・・・」
ドゥラボルド 「いえ、なにか逆にそれを読んでいる自分に酔っていた部分もあったと思います。『ア・シュイーヴル』で読んだペータース&スクイテンの『傾いた少女』の作中に写真が出てきたことなんかにも衝撃を受けましたね」
原 「スクイテンやマチューはすでに邦訳されていますが、他の作家陣も本当に日本で紹介されてもおかしくない作品ばかりですからね。特にムニョスなんて邦訳されるのは時間の問題なんじゃないかと思いますが・・・・」
ドゥラボルド 「本当にその通りです。都会的な都市群とその雰囲気、余白の使い方などは本当にすばらしいですから」
原 「他にもキャラクターが立っているウーゴ・プラットの作品なんかは日本でもウケるかもしれませんよね」
■『週刊モーニング』の取組みとその影響
原 「ブランシュさんは、90年代頃が最もBDにのめり込んだ時期のようですが、同じ時期に日本の『週刊モーニング』が何点かBDを連載していたというのはご存知ですか?」
ドゥラボルド 「いえ、初めて知りました」
原 「93~95年頃のことですが、『モーニング』が積極的にBD作品を掲載していた時期があったんです。ダヴィッド・ベーやスクイテンも描いていました。でもあまり成功はしなくて、売れたのは、台湾や韓国の作家くらいでした。その後、井上雄彦さんの『バガボンド』が始まったというのが象徴的だと思うんですが、海外作家の作品は掲載されなくなってしまったんですね。
あの時代は、BD作家たちが日本のマンガの技術を学ぶ一方、日本のほうでもBDを取り入れてみようという試みをしていた時期だったようです。賛否はいろいろあったようですが・・・・。ただ、『イビクス ネヴローゾフの数奇な運命』の著者であるパスカル・ラバテなんかは、のちに"あの時期のマンガとの出会いが本当に役に立った"と感謝していました。個人的には、一度あの時期に日本で描いていた作家全員にインタビューしてみたいと思っているんですが、いずれブランシュさんのようなフランス人の方にしていただけたら面白いのではないかと・・・・」
ドゥラボルド 「いえ、わたしが彼らにインタビューなんて(笑)。でもこの時期の歴史の移り変わりは面白いですね」
原 「当時は、大友克洋さんや谷口ジローさんがメビウスらにインスパイアされ、それまであまり三次元的ではなかったマンガのコマに三次元性を取り入れたりと、マンガ界もある種の過渡期だったんですね。実は夏目房之介先生も、この時代背景はもっと取り上げられるべきだと仰っていました。BDが日本でも本格的に紹介され始めた今、研究の方ももっと掘り下げられるべきなのでは、と」
ドゥラボルド 「本当に興味深いです。機会さえあれば、その時期に関しても掘り下げてみたいですね」
■オルタナ系BDからアメリカン・コミックス、そしてマンガへ
原 「話を元に戻しましょう。『ア・シュイーブル』などのカステルマン作品をいろいろと読まれていた時期を経て、その後はどういった作品を?」
ドゥラボルド 「その時期が過ぎるとオルタナ系出版社ラソシアシオンの作品がBD界の主流になってきて、私を含めたBD好きたちもそちらの作品を多く読むようになりました。ダヴィッド・ベーとかルイス・トロンダイムが中心でしたね。ダヴィッド・ベーだと『大発作』を特に読みふけってました」
原 「ずいぶん重いものを選ばれたんですね。個人的には、グラフィック的な価値や文学的な価値はもちろん、その裏側に描かれたフランスのサブカル的な部分、カルト宗教や、幻想文学、マクロビオテックを描いていた部分が新鮮でした」
ドゥラボルド 「確かにテーマは重く、暗いのですが、幼少期からの実体験をありのままに、うまくBDに落とし込んでいるという点が優れていると思います」
原 「その他で近年注目している作家はいますか? 例えばラソシアシオンと同時期に台頭したソレイユやデルクールといった出版社の系譜はどうでしょう?」
ドゥラボルド 「正直に言うと、絵としてうまいとは思うのですが、個人的な好みとしてはヒロイック・ファンタジーや、SFのコンピューターで着色されたBDって、なんというか"クリームが塗りたくってあるケーキ"みたいで、胃に重そうで・・・・(笑)。
ですから、一時期はアメリカン・コミックスをよく読んでいました。特にダニエル・クロウズの『LIKE A VELVET GLOVE CAST IN IRON(鉄で造ったベルベットの手袋のように)』はベスト5に入るくらいのお気に入りです。まさに悪夢のようなマンガなんですよ。主人公が友人の家を訪ねたら、友人の目がエビの尻尾になっていたりするんですが、何事もなかったかのように話が進んで、あとで訳のわからない説明がくるという・・・・めちゃくちゃな作品なんですが、それが面白いんです。こんな紹介の仕方では読みたくならないとは思いますが・・・・(笑)」
原 「なるほど。僕は未読なんですが、日本語版も出ているようなので、ぜひ読んでみたいと思います。それにしてもオルタナ系の作品は日本でも出版されてはいるのですが、幅広く販売するのは難しいようですね。日本では、少なくとも海外マンガについてはある程度売れる確信がないと出版は難しいのが現状ですが、例えばフランスでは、「いい」と思ったものは出版しよう、という考え方が出版社の側にもありますよね。もちろん日本にもそういう出版社はあって、ダニエル・クロウズの本を出しているPRESSPOPはまさにそういう存在だと思います。ただ、フランスはベースにグローバルな文化を受け入れるところがあって、ワールドミュー ジックや、ダリ、ピカソをはじめとする画家たちの活躍の場もフランスだったわけですが、その懐の深さには驚かされます」
ドゥラボルド 「そうかもしれません。私も20代になってからは日本のマンガも読むようになりましたし」
(後編に続く)
(インタビュー構成・執筆:林 聡宏)
■PROFILE
Blanche DELABORDE ブランシュ・ドゥラボルド 現在INALCO(国立東洋言語文化大学)博士課程にてマンガ研究者として日本に留学中。フランスのBD研究誌『Neuvième art(第九の芸術)』にフランスの女性向け雑誌『Ah! NANA』に関する論文を発表。早稲田大学に在籍中、学習院大学の夏目房之介ゼミに聴講生として参加し、BD研究から日本のマンガ研究までを行う。現在はマンガにおける擬音の役割を追究している。 |