『BDfile』レビュー第一弾は新刊ホヤホヤのマルジャン・サトラピ著『鶏のプラム煮』です!
2月21日(火)に発売となったこの新刊コミックについて、
海外マンガ情報を配信するfacebookページ「ガイマン(外漫)」を運営されている
コミック・レビュアーの石田貴之さんにご紹介いただきました。
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マルジャン・サトラピ著『鶏のプラム煮』は、このサイトでも度々話題になるアングレーム国際漫画祭にて、2005年の最優秀作品賞を受賞している名高い作品で、昨年、実写映画化もされています。
作品についての紹介をする前に、そもそもマルジャン・サトラピと言う人はどういう人物なのでしょう。フランス人にしては不思議な語感、と感じた方も居るのではないでしょうか。
マルジャン・サトラピは1969年、イラン北部のラシュトにて、 カージャール朝最後のシャーである アフマド・シャーの血を引く非常に裕福な家庭に生まれ、 首都テヘランでフランス語学校に通いながら育ちます。 |
10歳のときにイラン革命を経験、進歩的な上流階級という家庭環境から、幼少にして思想や政治に関心を持ちますが、14歳のときマルジャンの思想や竹を割ったような性格を心配した両親は、当時のイラン政権から彼女を逃がすために、オーストリアのフランス語学校に留学させます。
高校時代はウィーンで過ごしますが、自堕落な生活や2カ月の路上生活がたたって、重度の気管支炎にかかり帰国。やがて、結婚と離婚を体験し、25歳でフランスのストラスブールに渡ると、そこで本格的にイラストレーションを学び始めます。
その後、ダビッド・ベー(※フランスのBD作家。邦訳に『大発作 てんかんをめぐる家族の物語』〔明石書店〕)と出会い、本格的にコミック作家としての活動をスタートさせるのです。
実に波乱に満ちた人生ですが、現在はパリに住み、「ニューヨーク・タイムズ」のコラムニストやコミック作家として活躍、近年では映画監督の活動を精力的に行なっています。
ちなみに彼女の数奇な半生は自伝コミックの傑作『ペルセポリス』全2巻(バジリコ)に詳しく描かれています。
『ペルセポリス』全2巻 (バジリコ) |
コミックもアニメーション映画もありますし、大変素晴らしい作品ですので、興味のある方は是非手に取ってみることをオススメします。
さて、本作『鶏のプラム煮』は、そんなマルジャン・サトラピが産まれるよりも前、1958年のテヘランを舞台に、一人のタール奏者が死ぬまでの8日間を描いた作品です。
タール奏者の名はナーセル・アリ。彼は大切に扱っていたお気に入りのタールを壊されてしまったため、新しいタールを求めて幾つも試してみますが、どれもこれもしっくり来ない。もう自分の演奏とそれに伴う喜びは永遠に失われてしまったのだと思った彼は絶望し「死ぬことより他に手はない」と決心するのです。
はたして、彼はその8日後、母親の隣に埋葬されることに相成るのですが、肝心の物語はそこから始まります。
彼はいったい死ぬまでの8日間、何を思い、何を感じていたのでしょうか。
まるでお伽噺のように、様々な要素が削ぎ落とされ簡略化された導入には、ある種のファンタジーのような空気感を感じることが出来ます。また、サトラピの描く木版画の様な温かい絵がそれを一層引き立てています。
ところが、彼女の作品はそう単純ではありません。特に人物描写の細やかさには、こだわり抜かれたリアリティが感じられます。どの人間も、善い人でもあり悪い人でもあり、そのどちらでもないという多面性をもって描かれており、その仕草一つに一つにキャラクターの性格が滲み出るようなのです。
彼の回想とともに、兄弟や母親、息子や娘、妻や友人、そして、様々な人々の人生や時間が折り重なり、ナーセル・アリと言う人物そのものに収斂してゆく様は目を見張るものがあります。
その一種マルチプレックス的な表現により、彼の人生の輪郭を立体的に浮き上がらせ、物語の小さな、しかし重要な意外性を生み出すあたりに、『ペルセポリス』ではあまり感じられなかったサトラピのストーリーテラーぶりが見事に発揮されています。
これは回想録であるとともに、ある芸術家の芸術家たる剥き出しで繊細な精神、そしてそれらから切っても切り離せない愛、そういった普遍的なテーマを扱った作品です。
しかし、それらが重苦しい形を取らず、不思議に柔らかなカジュアルさと、細やかな文芸的表現というアンビバレントな要素とともに一つの作品の中に違和感なく結実しているあたりに、サトラピのサトラピの作家としての優れたバランス感覚が現れています。
それ故、多くの人々の中にするりと沁み込み、アングレーム国際漫画祭の最優秀作品賞として見事選出されるに至ったのでしょう。
そんな『鶏のプラム煮』ですが、前述のように昨年、実写映画化がなされており、ヴェネチア国際映画祭を経てフランスで公開、日本でも昨年の東京国際映画祭で『チキンとプラム』という邦題で特別上映されています。
■映画予告編
この実写映画の指揮を執ったのは、マルジャン・サトラピ本人とヴァンサン・パロノーの二人。
ちなみにヴァンサン・パロノーは別名のヴィンシュルス名義で小学館集英社プロダクションから邦訳が出ている『ピノキオ』の作者としても知られています。
彼らはアニメーション映画『ペルセポリス』でも共に仕事をしている、まさに盟友同士と言ったところ。
映画『鶏のプラム煮』は、実写映画という枠を逆手に取り、コミック的な表現をふんだんに盛り込んだファンタジックな作品に仕上がっています。
アニメーション映画版の『ペルセポリス』でも白黒にこだわり続けたマルジャン・サトラピが、色彩豊かな実写映画を製作したと言うだけでワクワクしますが、残念ながら現在、再上映の予定はないようです。
東京国際映画祭だけの特別上映と言わず、是非とも日本でも公開して欲しいですね。
最後に現在刊行中のその他のサトラピの邦訳コミック作品を下記に枚挙しますので参考にしてください。
<マルジャン・サトラピ既刊邦訳作品>
・『ペルセポリスI イランの少女マルジ』(園田恵子訳、バジリコ、2005年6月、ISBN 978-4901784658 )
・『ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る』(園田恵子訳、バジリコ、2005年6月、ISBN 978-4901784665)
・『刺繍―イラン女性が語る恋愛と結婚』(山岸智子監訳、大野朗子訳、明石書店、2006年、ISBN 978-4750323619)
(石田貴之)