昨年、アングレーム国際漫画祭でキュルチュラ読者賞に輝いたBD『悪趣味』。
男性作家が圧倒的に多いBD界において、まだまだ珍しい女性作家による作品で、
第一次世界大戦中に脱走兵となり、
逃げのびるために女装することを余儀なくされた男とその妻を描いた物語です。
あらすじだけでも非常に気になるこの作品を、
『サルヴァトール』『フォトグラフ』などの翻訳を手がける
翻訳家の大西愛子さんにレビューしていただきました!
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今回ご紹介するのはクロエ・クリュショデ作の『悪趣味(Mauvais genre)』である。
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Mauvais genre (悪趣味) [著者] Chloé Cruchaudet [出版社] Delcourt [刊行年] 2013 |
昨年のアングレーム国際漫画祭では惜しくも最優秀作品賞を逃したものの、キュルチュラ読者賞を受賞。またACBD(フランスのBD批評家ジャーナリスト協会)主催の2014年BD批評大賞をはじめ様々な賞に輝いている。
ストーリーは以下の通りである。
第一次世界大戦前夜、ポールとルイーズはごく普通の若い男女として愛し合い、やがて結婚する。しかしポールの兵役のため、早々にふたりは離ればなれに。本来ならすぐに戻れるはずだったのだが、そこに第一次大戦が勃発し、ポールはそのまま前線に送られることになった。

▲ポールとルイーズ
ドイツ相手の塹壕戦は苛酷を極め、中には脱走を試みる者もいた。ある日、脱走した仲間の一人を連れ戻しに向かったポールは、運悪く鉄条網に引っかかってしまう。そして自分を助けようと塹壕の中で立ち上がった仲間が、敵の攻撃を浴び、頭を吹き飛ばされるのを目の当たりにするのだった。目の前で起きたこの惨劇に打ちのめされたポールは戦意喪失し、とうとう脱走してルイーズのもとに帰る。

▲過酷な戦争体験がポールの心に大きな傷を残す
だが戦時下において、脱走は重罪だ。ポールは身を隠してルイーズと暮らすが、それは息が詰まるような日々だった。ある日、ルイーズに促される形で、ポールは女装を試みる。ひげを剃り、すね毛を剃り、スカートをはき、胸につめものをし、帽子をかぶっておそるおそる外に出てみると、誰にも疑われずに街を歩けた。久々に味わう外の空気、自由。その日以来、ポールはシュザンヌと名乗り、おおっぴらに外に出るようになる。

▲ルイーズの服を着て、町に出るポール
やがてルイーズが働いていた工房で同じようにお針子として働きだしたシュザンヌ。そこは女性だけの職場で、生真面目なルイーズに対し、シュザンヌはとても面白く、職場でも人気者だった。
ある晩、仲間たちに誘われ、仕事帰りにブーローニュの森に出かけたシュザンヌは、そこでさまざまな出会いをすることになる。1920年代、パリ郊外にあるブーローニュの森はある種の出会い、社交の場であり、あらゆる性の営みの場でもあった。シュザンヌはそこでも人気者となり、男女を問わず関係を重ねるようになってゆく。当然、妻のルイーズとの間も次第にぎくしゃくしていった。

▲怪しげな人々の集まるブーローニュの森
終戦を迎えても、脱走兵に対する追求は相変わらず続いており、ポールはシュザンヌのまま暮らし続けた。だが、とうとう恩赦が下ると、シュザンヌは自分が女性として身を隠して暮らしていたことを世間に告白した。ラジオに出演するなどして一躍時の人となったポール。地に足のついたルイーズにとってはそんなところも不満の種だったが、ポールは彼女が嫉妬しているとしか思わない。
晴れて男性としての身分を取り戻したはずのポールだったが、一度狂った運命の歯車は、もう元に戻ることはなかった。男に戻ってもなお化粧をし、マニキュアをし、自分の性のアイデンティティを見失って混乱していくポール。戦争中の仲間の死の影もトラウマとなって彼にのしかかり、やがて・・・・。

▲次第に追い詰められていくポール。結末ははたして・・・・
結末をここで語ることはしないが、この作品は実話に基づいており、原案はファブリス・ヴィルジリとダニエル・ヴォルドマン共著の『ギャルソンヌと殺人者、狂乱の20年代に生きたルイーズと女装脱走兵ポールの物語』というノンフィクションである。
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La garçonne et l'assassin. Histoire de Louise et Paul, déserteur travesti, dans le Paris des années folles (ギャルソンヌと殺人者) [著] Fabrice Virgili / Danièle Voldman [出版社]Payot [刊行年] 2011 |
作者のクリシュショデはほぼ忠実に物語を再現しているが、原作では描けていない内面の動きなどを本作では巧みに描いている。また、当時のパリの風俗――女性が髪をばっさりと切り、今でいうマニッシュなファッションに身を包み、大股で闊歩するような時代、ブーローニュの森での性風俗など、あまり知られていない時代の側面が描かれていて、とても興味深い。
さらに、この作品で注目したいのはその色使いだ。色調を抑えた、ほとんど単色で描かれた絵の中で、「赤」が差し色のように効果的に使われている。実はこの「赤」には意味があり、最初はルイーズの服の色なのだが、その後女装するポールの服の色に変わり、女装が進むにつれ鮮やかになっていくのだ。ポールが男性に戻った時も名残のように朱色として使われている。これは二人の間の倒錯している女性性の象徴と言えよう。
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ポールの描き方も巧みで、最初はむしろマッチョなくらい男らしいのだが、徐々に女性らしく変化していく。それはファッションだけでなく、歩き方、身のこなしなどにも現れている。
そしてタイトルの『Mauvais genre』。この言葉は一般に「悪趣味」とか「ガラが悪い」などという意味に使われる。しかし、この本に関する限り、別のとらえ方もできる。「Genre」はジェンダー、性別を意味する。「Mauvais」は悪いという意味だが、「正しい」という意味の反対語でもある。つまり「Mauvais genre」は、正しくない性、偽りの性という意味にもなるのだ。事実、「mauvais genre」で検索すると同性愛関連のサイトに行きあたったりもする。
最後にこの本の作者、クロエ・クリシュショデについて書いておこう。彼女は1976年フランスのリヨン生まれ。リヨンのエコール・エミール・コール、その後パリのゴブランで学び、最初はアニメーションの仕事に携わっている。2006年に他の漫画家との共著でBD界にデビュー。単独での作品は2006年にノクチュルヌ社から『ジョゼフィーヌ・ベーカー』、デルクール社から2008年に『グリーンランド・マンハッタン』(ルネ・ゴッシニ賞受賞)、2009年に『イダ』シリーズ(全3巻)などがある。
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▲Joséphine Baker | ▲Groenland Manhattan | ▲Ida |
いずれも実話に基づいた話で、これまではシナリオも作画もひとりで行っていた。あるインタビューによると、次回作は初めて他人のシナリオでの作品となり、トマ・カデヌ(Thomas Cadene)と組むことになっているという。
今回の『悪趣味』を機に一躍注目されるようになったクリシュショデだが、圧倒的に男性作家の多いBD界でどのように活躍していくか、今後が楽しみな作家である。
Text by 大西愛子