REVIEW

躍動感溢れる描線に心がざわめく―今こそ注目したいBD作家、ボードァンのココがスゴイ! 

 

 

日本でも、ようやく邦訳が増えつつあるBDですが、

まだまだ知られていない傑作、素晴らしいBD作家さんがたくさんあります。

 

そこで、今回は、マンガ批評家の竹川環史さんに

90年代に一度、日本でも紹介されたことはあるものの、あまり広く知られることのなかった

フランスのBD作家、ボードァン(もしくはボードワン、とも)について解説していただきました。

 

 

 

 


* * *

 

 

 

 

90年代の一時期、『モーニング』(講談社)に海外のマンガ家の作品が継続的に掲載されていた。

 

当時興味深くそれらの作品を見ていたが、中には――もう10年以上も前のことなので記憶があいまいだが――たしかスクイテンの描く『リトル・ニモ』のパロディがあったはずだ。

 

スクイテンと『リトル・ニモ』の作者ウインザー・マッケイはどちらも、現実を描いても幻を見ているような印象を与える作家なので、このパロディはよくわかる気がしたし、いま思っても豪華な組み合わせだ。

 


そんな豪華なこともあった『モーニング』に登場した作家のなかで、BDの翻訳が続いているいまこそ再発見したい作家のナンバー1がボードァンだ。

 

 


0425_01.jpg

  Edmond Baudoin

 

  公式サイト

  http://edmondbaudoin.com/

 

 

 

 

ボードァンは1942年フランス、ニースに生まれた。

 

1971年に絵の道に入り、手元の単行本のリストを見る限り、1981年に最初のBDの単行本が出ている。

 

 

自在な筆の絵柄が印象的で、作画のみの作品と、自身がシナリオも担当した作品とともにある。

作品数はすでに50作をこえる大家である。

 


 

 

 

〔図版1〕

0425_02.jpg

 

 

 

図版は自伝的背景をもつ作品『Couma acò』から。

 

0425_09.jpg

  Couma acò

 

  L'Association, 2006  

  (Original: Futuropolis, 1991)

 

 

右側の人物群、とくに少女の後ろ姿をみてほしい。かなり省略を効かせた造形ながら動きもあり、筆の強弱が風によるスカートのふくらみをあらわしていてほれぼれするほど巧みだ。

 

ストーリー上特別な意味を読み取る場所ではないところも、こうした巧みな絵の連続で読み進めることができることが、ボードァンを読む楽しみの重要な要素である。

 

 


さまざまな作品のあるボードァンだが、複数の作品で老人が象徴的な役割を果たすなど、反復されるテーマのようなものがある。そのなかでもこの作家にとって重要で、特徴ともいえるテーマがおそらく3つあるように思われる。

 

 


ひとつは「」である。

 


もともと主流の日本マンガとアート志向のあるBDでは、マンガのなかの「顔」の扱いがだいぶ異なる。

ボードァンもBDらしい顔の描き方をするが、ボードァンで特徴的なのは、基本的なスタイルとは別に、顔を描くということに意識的な実験を行なうところだ。

 

 

 

 

〔図版2〕

0425_03.jpg

 

 

 

上の図版は『Les quatre fleuves』から。

 

 

0425_10.jpg

  Les quatre fleuves

  

  scénario: Fred Vargas

  Éditions Viviane Hamy, 2000.

 

 

走る人物の顔は塗りつぶされ、墨が漏れるようにして巨大なイメージの顔が随伴していく。

 

 

他にも、『Chroniques de l'éphémère』では1ページあたり約30の顔が描かれるページが3ページ続き、『Terrains vagues』では顔を×で描いたコマがあり、美しいカラー作品である『Les essuie-glaces』では、下の図版(部分)のように飛ぶ鳥によって顔を隠すという表現がなされている。

 

 

 

0425_11.jpg

  Chroniques de l'éphémère

 

  6 pieds sous terre, 1999

0425_12.jpg

  Terrains vagues

 

  L'Association, 1996.

0425_13.jpg

  Les essuie-glaces

 

  Dupuis, 2006

 

 

 

こういう表現で、なにかこちらの感情や反応を掻き立てるのがボードァンはすごくうまい。

 

 

 

 

〔図版3〕

0425_04.jpg 

 

 

もうひとつのテーマは、つきつめると「絵」そのものとなってしまうが、

現実を描写することと、絵によってのみ表されるイメージとの境界やそのゆらぎである。

 それは、実は「顔」のテーマと重なりあって、〔図版2〕にもあらわれている。

 


走る人物の現実と、その後ろにならぶ幻想かどうかも定かではない非実在の三つの顔、それが、筆で描くことのもつ流動性でつながってしまっているところが、実にボードァンらしいのだ。

 図像が、筆の振動から、アニメーション的にできあがってしまったかのような印象をうける。

 

 

総体として、絵にしか表せないような世界がここに実現していることが重要で、

この絵の問題は次のテーマとも関係してくる。

 

 

 


3つ目のテーマは「性愛」ないし「」というテーマだ。

 


女性との出会いや、性愛をいかに絵にするかということをボードァンは探求しているが、そのテーマを追った先で、より具体的で象徴的な対象に結実したのが、踊る女・舞う女という形象だ。

 

 

ボードァンは物語的にも、絵としても、踊る女をさまざまな工夫を交え、繰り返し描いている。

踊る女は、その意味で、ボードァンの集大成的なイコンといえよう。
下の図版は『Chroniques de l'éphémère』からの一部分だが、見事な躍動感ではないだろうか。

 

 

 

 

〔図版4〕

0425_05.jpg

 

 

ボードァンの作品には、非常にシンプルなボーイ・ミーツ・ガールの話が含まれていることがしばしばある。そこで女性は、異世界からやってきた特別な存在のように出現する。

 

 

踊ることは、その女性の特別さをあらわす表現でもあり、ボードァンの絵の流れのなかでは、セックスもダンスのように描かれる。踊ることは、世界と溶け合うような経験として描かれ、それは現実とイメージが溶け合うような「絵」のテーマとも重なり合っている。

 

 

 

 

〔図版5〕

  0425_06.jpg

 

〔図版6〕

  0425_07.jpg

〔図版7〕

  0425_08.jpg
 

上の図版はそれぞれ『Le portrait』、『Le voyage』、『La mort du peintre』から。

 

 

0425_14.jpg

  Le portrait

 

  L'Association, 1997

  (原著:Futuropolis, 1990)

0425_15.jpg

  Le voyage

 

  L'Association 1996

  (『旅』 講談社, 1995)

0425_16.jpg

  La mort du peintre

 

  Z'éditions, 1995

  

 

 

 

 

ボードァンがいかに踊る女に、また踊るという動きの変化に、表現の関心をいだいているかがよくわかるだろう。

 

〔図版2〕のようなイメージと現実のあいだがあいまい化した絵には、ときに現実が崩壊しつつあるような危機的な感じがある。それに対して、踊る女はポジティブだ。両面があることがボードァンの作家としての深みだろうが、しかしボードァンは根本においてはとてもポジティブな作家だ。

 

 

世界にはリスクや不自由が存在しているが、それでもなお根本においては世界を肯定するというポジティブな世界観がある。踊る女の形象は、そのポジティブなところを反映していて、大胆で豊かで、そして力強い。ボードァンの根底の部分により近いテーマだといえよう。

 


図版を見てもらうだけでもわかるように、ボードァンの絵柄は日本の読者にとっても読みやすい絵柄だ。

 

「顔」のテーマともあわせて、読み解きがいのある作家でもある。

その全貌が紹介される日が待たれる作家の一人だ。

 

 

 

 

Text by 竹川環史

(協力:原正人)

 

REVIEW

2012年度アングレーム国際漫画祭最優秀作品『エルサレム時評』レビュー

 

 

毎年1月末に行われるアングレーム国際漫画祭において、前年度に出版されたBDの中で最も優れた作品に与えられる最優秀作品賞

 

ここ最近日本でも、『イビクス -ネヴローゾフの数奇な運命-』(国書刊行会刊)、『アライバル』(河出書房新社刊)、『狂騒のユルビカンド』〔『闇の国々』収録〕、『鶏のプラム煮』、『ピノキオ』(いずれも小社刊)など、歴代の最優秀作品賞受賞作が相次いで邦訳出版されています。

 

 

そして今年のアングレーム国際漫画祭で、見事、最優秀作品賞を獲得したのが、ギィ・ドゥリール作『エルサレム時評』です。

 

0321_01.jpgのサムネール画像

  Chroniques de Jérusalem


  [著]Guy Delisle
  [仕様]165×230㎜ 並製 334ページ
  [出版社]Delcourt
  [価格]EUR 25.50

 

  ※コチラで試し読みできます。

 

そこで、この本年度の受賞作『エルサレム時評』がいったいどんな作品なのか、翻訳家の原正人さんに、レビューしていただきました。

 

 


* * *

 

 


2012年1月26日から29日にかけて行われた第39回アングレーム国際漫画祭は盛況のうちに幕を閉じた。展覧会やサイン会、各種講演など多くの催しがある中でも、前年度の最優秀作品を始めとする各賞を選ぶ各セレクションは、毎年漫画祭のトリを務める一大イベントである。


今年度は2010年12月から2011年11月までにフランス語圏で出版されたBD(日本マンガやアメコミの仏訳を含む)のうち、選考委員によってあらかじめ公式セレクション58点が選ばれ(今回は他にも3つセレクションがあった)、最終的に十数点に賞が与えられた。

 


今年はノミネート作の顔ぶれからいって、ここ数年の中でもとりわけ激戦だったのではないだろうか? 

 

なにしろ昨年末にACBD(BD批評家ジャーナリスト協会)の批評グランプリ2012を受賞したバスチャン・ヴィヴェスの『Polina(ポリーナ)』にシリル・ペドロサ『Portugal(ポルトガル)』、エティエンヌ・ダヴォドー『Les ignorants: Récit d'une initiation croisée(未知なる世界へ―BDがワインと出会うとき)』、マルク=アントワーヌ・マチュー『3秒』(邦訳:河出書房新社、拙訳)など、前評判が高い話題作が満載だったのだ。

 

 

結局、これらの並みいる話題作を押しのけ見事最優秀作品賞に輝いたのは、ギィ・ドゥリールの『Chroniques de Jérusalem(エルサレム時評)』だった。

 

 

意外と言ったら失礼になるが、まさかこの作品が最優秀作品賞を受賞するとは、正直思ってもみなかった。私見だが、アングレーム国際漫画祭のセレクションは、必ずしもよく売れた作品や読者から好意的に評価された作品に賞を与えるわけではなく、あまり日の目を見ていなかった名作や小出版社の意欲作などに賞を与える傾向がある。その年度の審査委員長の意向が反映される部分もあるかもしれない。

 

今年の審査委員長は『マウス』(邦訳:晶文社、小野耕世訳)で有名なアート・スピーゲルマンであり、彼が審査委員長を務める漫画祭で、『マウス』ともジョー・サッコの作品とも異なる語り口で戦争を語るBDを描いたギィ・ドゥリールが最優秀作品賞に選ばれたのはある意味、妥当とも言えるだろう。なお、その他の受賞作についてはこちらをご参照いただきたい。
 

 

0321_02.jpg

  『エルサレム時評』の作者ギィ・ドゥリール

  1966年、カナダのケベック生まれ。アニメーションを学び、

  さまざまなアニメーション・スタジオで働いたのち、

  現在はBD作家として活躍中である。

 

単行本化している作品はそう多くはなく、十数点に過ぎない。

その中で代表作と言える作品が、中国でのアニメーション・ディレクターとしての奮闘ぶりを描いた『深圳』(Shenzhen, 2000)、同じくアニメーション・ディレクターとして北朝鮮を訪れた時の様子を描いた『平壌』(邦訳:明石書店、檜垣嗣子訳、原書は2003年刊)、国境なき医師団の事務職についている妻と息子と一緒にミャンマーに滞在した時の様子を描く『ビルマ時評』(Chroniques Birmanes, 2007)、そして今回アングレームで最優秀作品賞を受賞した『エルサレム時評』(Chroniques de Jérusalem, 2011)ということになるだろう。


 

  0321_03.jpgのサムネール画像   0321_04.jpgのサムネール画像     0321_05.jpgのサムネール画像

『Shenzhen』

≫試し読み

  『Pyongyang』

 

    『Chroniques Birmanes』

  ≫試し読み

 

 

さて、それでは『エルサレム時評』とはどのような作品なのだろう?

 

国境なき医師団の事務局で働く妻を持つ作者ギィ・ドゥリールは、妻の赴任先に合わせ、子どもたちと一緒に世界中を転々としている。今回、彼らが滞在することになったのはイスラエルの都市エルサレムである。

彼らは2008年8月から2009年7月まで1年間エルサレムに滞在するのだが、その時の様子が334ページに渡って描かれることになる。2008年8月から2009年7月まで、月ごとに全12章に分けられていて、長短さまざまな物語が語られる。基本的にすべての物語が、ギィ・ドゥリールが見聞きしたことを描くルポルタージュである。

 

 

0321_06.jpg 

 

 

マンガ形式のルポルタージュと言えば、ジョー・サッコの『パレスチナ』(邦訳:いそっぷ社、小野耕世訳)を思い出す方も多いのではないだろうか? ジョー・サッコのこの作品は、パレスチナ問題をどちらかと言うとパレスチナ人の視点に立ち、挑発的に描いて見せた、読者の感情に強く訴えかける作品だが、ギィ・ドリールの『エルサレム時評』はほぼ同じ地域をテーマにしつつも、かなり趣を異にしている。

 

もちろんパレスチナとエルサレム、それぞれの地域の違いということもあるだろうが、これは作家の資質に負うところも大きい。ギィ・ドゥリールは、ジョー・サッコのように危険を冒して紛争地帯に足を踏み込んだりはしない(ある場所の入場に際して、職業を問われ、BD作家だと答えて通行を禁止されると、「ジョー・サッコと勘違いしてるんじゃないか?」などと答えたりしている)。ジョー・サッコとは異なり、ギィ・ドリールにはジャーナリストという自覚がない。

 

彼はBD作家であり、妻に代わって家族を守る主夫である。彼がすることと言えば、エルサレムの町を散歩し、面白そうな場所があればふらふらと向かい、絵になる風景を描き、子どもたちの世話をし、友人たちと交流し、大学でBDのワークショップを開き、たまに他の人に便乗して紛争地帯を遠巻きに眺めるくらいのものである。しかし、このようなどちらかと言えば平凡な日常の中から、エルサレムの奇妙さが浮かび上がり、この作品を非凡なものにしている。

 

0321_07.jpg 0321_08.jpg

 

 

実際、彼が語るエルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の厳かな聖地というよりは奇妙な都市と言った方がふさわしい。一般のイスラエル人と厳格なユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒、兵士たち、外国人居住者たち、観光客が雑然と混在している。町中にはゴミや瓦礫が散乱し、どこか閉鎖的な雰囲気が漂い、日常生活の中に銃が溶け込み、国中に70にも及ぶ検問所が設けられ、到るところに進入禁止の場所がある。

 

とりわけ銃の問題は作品を通じて何度も語られていて、スーパーの入口に銃を預かる場所があったり、動物園を訪れるイスラエル人一家の主がライフルを背負っていたり、町中をライフルを背負ってジョギングする男がいたり、銃でイヌを脅す男がいたりと普通の日本人からすると驚くべきエピソードが次々と登場する。ユダヤ教の慣習やイスラエルの周辺に住む民族たちの生活にも多くのページが割かれており、読み物として読者を飽きさせることがない。また、作者は2008年から2009年にかけて起きた"ガザ紛争"をエルサレムで体験しており、そのレポートとして読める部分もある。

 

 

既に翻訳がある『平壌』を読んでいたただければ、だいたいの雰囲気は感じられるかと思うが、彼は北朝鮮なりイスラエルなりに完全に溶け込んでしまうのではなく、一定の距離をおきながら、あくまで異邦人として、時に不謹慎になることすら辞さずに、これらの国を観察してみせる。『平壌』から8年の歳月が過ぎ、作品としても読みやすくなっているし、新たな家族が増えたこともあり(妻ナデージュの他に、息子のルイと娘のアリスがいる)、日常生活のさまざまな面に目が向けられるようにもなっている。

 

決して叙情に溺れることはないのだが、そのシンプルな描画から時に豊かな詩情が感じられるのが不思議である。ルイス・トロンダイムの作品にどこか近いところがあるかもしれない。メビウスやスクイテンのような圧倒的なグラフィックに関心がある向きにはあまりおすすめできないが、異文化に関心があるという方には強くおすすめしたい作品である。

 

 


(翻訳者・原正人)

 

 

<参考>

■ギィ・ドゥリール公式サイト

http://www.guydelisle.com/index.html

REVIEW

マルク=アントワーヌ・マチュー、奇想あふれる『レヴォリュ美術館の地下』と凝った手法の『3秒』

 

現在、『レヴォリュ美術館の地下』(小社刊)の著者マルク=アントワーヌ・マチュー氏が、

新作BD『3秒』(河出書房新社)のプロモーションのため来日しています。

(東京、福岡でトークイベントを開催予定!)


そこでマチュー氏の来日を記念し、邦訳版が出版されている『レヴォリュ美術館の地下』と『3秒』の2作品について、『ユリイカ』2009年7月号の「特集・メビウスと日本マンガ」への寄稿やバンド・デシネの始祖と呼ばれるテプフェールの研究などで知られるマンガ批評家の竹川環史さんに語っていただきました!

 

 

 


2007~2009年ごろから続々と翻訳が出版されているバンド・デシネ。

この『BDfile』のサイトもできて、BDに活気があってうれしい。BDは以前はなかなか翻訳が出なかったもので、現在の邦訳の刊行ペースは、歴史上未曾有の事態といっていいレベル。

 

どうして急にBDが翻訳されるようになったのか。

いろいろあるのだけれど、地道にBDの普及活動をしている人たちの努力はもちろんのこと、『フロム・ヘル』のヒットなどでアメコミも含めた海外マンガの大作の魅力がひろまったことが大きい。

 

このサイトの「邦訳BDガイド」に刊行年とページ数があるとわかりやすいのだが、近年の翻訳には『ペルセポリス』『大発作』『アンカル』『アランの戦争』『闇の国々』とページ数の多い作品や、合本での刊行が多い。読みごたえの充実感が求められているのだ。

 

 

 

0222_02.jpg

  『ペルセポリス』全2巻

  (バジリコ)

 

  2005年6月刊行

  Ⅰ...160ページ

  Ⅱ...192ページ

25903.jpg

  『大発作

   -てんかんをめぐる家族の物語-』

  (明石書店)

 

  2007年7月刊行

  388ページ

70832.jpg

  『アンカル』

  (小学館集英社プロダクション)

 

  2010年12月刊行

  336ページ

52940.jpg

  『アランの戦争

   -アラン・イングラム・コープの回想録-』

  (国書刊行会)  

 

  2011年1月刊行

  312ページ

71013.jpg

  『闇の国々』

  (小学館集英社プロダクション)

 

  2011年12月刊行

  400ページ

 

 

 

今回紹介するマルク=アントワーヌ・マチューも読みごたえのある作品を描く。しかし、ちょっとタイプの違う味わいである。

マチューの作品は、先日『3秒』が刊行されたばかり、他に「ルーヴル美術館BDプロジェクト」の一冊として刊行された『レヴォリュ美術館の地下-ある専門家の日記より-』の邦訳がある。

 

二冊ともページ数は多くない。けれども繰り返し読むことへ読者を引き込む仕掛けに満ちていて、その読みごたえは分厚い本に劣らない。

 

 

0229_01.jpg

  『レヴォリュ美術館の地下 -ある専門家の日記より-』

  

  マルク=アントワーヌ・マチュー 著

  大西愛子 訳

  小池寿子 監修

  定価:2,940円(税込)

  小学館集英社プロダクション

 

レヴォリュ美術館の地下』は、ある専門家が依頼された調査のためにその美術館へ訪れるところからはじまる。

 

専門家は、通常の来館者の目にすることのない地下へ導かれ、そこで美術品をめぐる保存・修復・分類などを見聞する。

ところが地下の空間構造は摩訶不思議で、美術館の活動も奇妙なものばかりなのだ。

例えば「モナリザ」の複製を大量に作り続けている老人がいたりする。

(エピソードの細かい部分までアニメのルパン三世『モナリザは二度微笑う』と似ているのはパロディなのか偶然なのか!?)

 


額縁のみを保管する保管庫が描かれるエピソードがある。

そこでは額が「最も簡素な形に戻された」ことが語られ、私たち読者はそこに、マンガの「コマ」を発見する。

マチューはその「コマ」について、作中で「もちろん上のほうでは」「完全にバカにされています」と語らせている。

 

ここにはBDと美術の関係への諷刺があるが、そもそも「ルーヴル美術館BDプロジェクト」は、

作家の側からすると戦略を練らずにはいられないコンセプトだ。

実際、荒木飛呂彦も含めて他の作家たちも皆、ひとひねりふたひねりしたアイデアの作品を描いている。

 

 

*ルーヴル美術館BDプロジェクト刊行一覧

 

0229_03.jpg

  第1弾

  『氷河期』

  ニコラ・ド・クレシー著

  大西愛子 訳/小池寿子 監修

 

 

  ※日本語版発売中

 

0229_01.jpg

  第2弾

  『レヴォリュ美術館の地下』

  マルク=アントワーヌ・マチュー著

  大西愛子訳/小池寿子監修

 

 

  ※日本語版発売中

 

0229_04.jpg

  第3弾

  『Aux heures impaires』

 

  未邦訳

0229_05.jpg

  第4弾

  『Le ciel au-dessus du Louvre』

 

  未邦訳

0229_06.jpg

  第5弾

  『岸辺露伴、ルーヴルへ行く』

  荒木飛呂彦著

 

 

  ※日本語版発売中

 

0229_07.jpg

  第6弾

  『Un Enchantement』

  

  未邦訳 

 

マチューが書いたように、美術はBDを認めてこなかった。

BD作家がその権威へ諷刺の毒を仕込めば、その毒をも受け入れる度量をルーヴルは示す、だから作家はよりひねった毒を仕掛けたい。そのうえで、読者を楽しませ、同じシリーズを描いている他の作家とも違ったアイデアやセンスを示さなければならない......。


このとおりに考えたわけではないにしても、さまざまな思考と戦略の可能性があり、マチューの作品は、それらを感じさせる内容をもった、きわめて奇想に富んだ作品として仕上がっている。

 

しかも、さすがだと思うのは、凝り性な作家にしては意外なほど軽やかによめるエピソード集になっていることだ。

美術をめぐる修復や真贋といった、私たちもあやしい想像をしてしまいがちなネタを切り口にしているところも読みやすいのだろう。ルーヴル美術館の知名度、存在感が大きいだけに、奇想との組み合わせが楽しい。

 


 

 

0229_02.jpg   『3秒』

  

  マルク=アントワーヌ・マチュー 著

  原正人 訳

  定価:1,890円(税込)

  河出書房新社

 

 

一方、『3秒』は凝り性の作家が凝りまくった作品だ。作品そのものが仕掛けのようなもので、ちょっとした難物。

 

『3秒』は1ページ9マスの正方形に順々とズームする画像が描かれていくという手法の作品で、この手法で最後まで貫徹されている。個々の画像がズームで連続するという形式は、写真集などでも見られるし、イシュトバン・バンニャイの『ZOOM』『RE-ZOOM』(ブッキング)を思い出させる。

 

マチューはそこに物語性を、しかも平行する複数のラインの物語を盛り込んだ。その物語のために、読者は各画像を積極的に読み解かなければならない。

本の前書きなどに初期情報のようなものが書かれてはいる。だがヒントは少なめで、時間をじっくりかけて解読させられるあたりは、洋ゲーに近い。

 

読者は、この手法によりある視線をたどる。この視線は何度も鏡面に反射する。

鏡だけではなく、眼球や金管楽器の表面などさまざまなものに当たっては反射することで、同じ事象がさまざまな視点からとらえられる。シンプルな映像体験的にもそれはおもしろい。

 

同じ事象を別の視点から見ると、前の視点では死角にあって見えなかったものを見ることができる。

ここが反射することの妙味なのだ。別の視点から見て知りえた情報を総合するために、くりかえしくりかえし読み、あっちこっちページをめくる。すると起きている出来事やその関係性がわかってくる。

そのわかる過程のおもしろさが、この作品なのである。

 

結果として、すべての読者がその人だけの順序で発見し、理解する。その理解の流れが、固有の物語体験となるのだ。心地よい疲労感とともに思い出の一冊になること間違いなしである。

 

 

この二冊なら、とにかくおもしろいBDを、と言われたら『レヴォリュ美術館の地下』を、せっかくBDを読むのだから表現の極北を、と言われたら『3秒』をオススメする。


 
さて最後に作品内容ではなく、翻訳出版物としてのBDについて述べておきたい。

『レヴォリュ美術館の地下』には背景に書き文字のあるコマがあり、書き文字はフランス語であるから、翻訳時にはそのコマをどう処理するかという問題がある。
 

0229_08.JPG

  この本では、左の図版のように、描き文字の背景をそのまま残しながら、

  半透明の白いレイヤーを載せて、白いレイヤーに訳文を記載するという

  処理をしている。

 

 

こうした処理への感触は個人差があるだろうけれど、筆者は読んでいてとても自然で読みやすかった。訳文がフォントではなく描き文字だったらどうだっただろうとは思う。

 

こうしたところへの工夫はマンガの読書体験を支える重要な部分であり、ここがだめだと作品が"読めない"ものになりかねない。そのつどシーン、コマごとに最適の解は異なるに違いないから、BDのみならず海外マンガの翻訳においては、編集上の試行錯誤がつづくだろう。成果が見えにくいわりに経費のかかる部分だけに、訳者、デザイナー、版元の努力に敬意を表したい。そしてこうした箇所への工夫や試行が今後も継続されることを期待する。


(竹川環史)

REVIEW

2月21日発売!マルジャン・サトラピ著『鶏のプラム煮」レビュー

著者
マルジャン・サトラピ
訳者
渋谷豊
仕様
B5判変型、上製、本文1C、90ページ
定価
1,890円
ISBN
978-4-7968-7106-8

 

『BDfile』レビュー第一弾は新刊ホヤホヤのマルジャン・サトラピ著『鶏のプラム煮』です!


2月21日(火)に発売となったこの新刊コミックについて、

海外マンガ情報を配信するfacebookページ「ガイマン(外漫)」を運営されている

コミック・レビュアーの石田貴之さんにご紹介いただきました。

 

 


* * *

 

 

 

マルジャン・サトラピ著『鶏のプラム煮』は、このサイトでも度々話題になるアングレーム国際漫画祭にて、2005年の最優秀作品賞を受賞している名高い作品で、昨年、実写映画化もされています。

 

 

作品についての紹介をする前に、そもそもマルジャン・サトラピと言う人はどういう人物なのでしょう。フランス人にしては不思議な語感、と感じた方も居るのではないでしょうか。

 

0222_01.jpg

  マルジャン・サトラピは1969年、イラン北部のラシュトにて、

  カージャール朝最後のシャーである

  アフマド・シャーの血を引く非常に裕福な家庭に生まれ、

  首都テヘランでフランス語学校に通いながら育ちます。

 

10歳のときにイラン革命を経験、進歩的な上流階級という家庭環境から、幼少にして思想や政治に関心を持ちますが、14歳のときマルジャンの思想や竹を割ったような性格を心配した両親は、当時のイラン政権から彼女を逃がすために、オーストリアのフランス語学校に留学させます。

 

高校時代はウィーンで過ごしますが、自堕落な生活や2カ月の路上生活がたたって、重度の気管支炎にかかり帰国。やがて、結婚と離婚を体験し、25歳でフランスのストラスブールに渡ると、そこで本格的にイラストレーションを学び始めます。

 

その後、ダビッド・ベー(※フランスのBD作家。邦訳に『大発作 てんかんをめぐる家族の物語』〔明石書店〕)と出会い、本格的にコミック作家としての活動をスタートさせるのです。

 


実に波乱に満ちた人生ですが、現在はパリに住み、「ニューヨーク・タイムズ」のコラムニストやコミック作家として活躍、近年では映画監督の活動を精力的に行なっています。


ちなみに彼女の数奇な半生は自伝コミックの傑作『ペルセポリス』全2巻(バジリコ)に詳しく描かれています。

 

0222_02.jpg 0222_03.jpg

  『ペルセポリス』全2巻

  (バジリコ)

 

コミックもアニメーション映画もありますし、大変素晴らしい作品ですので、興味のある方は是非手に取ってみることをオススメします。

 

 

 

さて、本作『鶏のプラム煮』は、そんなマルジャン・サトラピが産まれるよりも前、1958年のテヘランを舞台に、一人のタール奏者が死ぬまでの8日間を描いた作品です。

 
0222_04.JPG

 

タール奏者の名はナーセル・アリ。彼は大切に扱っていたお気に入りのタールを壊されてしまったため、新しいタールを求めて幾つも試してみますが、どれもこれもしっくり来ない。もう自分の演奏とそれに伴う喜びは永遠に失われてしまったのだと思った彼は絶望し「死ぬことより他に手はない」と決心するのです。

 

はたして、彼はその8日後、母親の隣に埋葬されることに相成るのですが、肝心の物語はそこから始まります。

彼はいったい死ぬまでの8日間、何を思い、何を感じていたのでしょうか。

 


まるでお伽噺のように、様々な要素が削ぎ落とされ簡略化された導入には、ある種のファンタジーのような空気感を感じることが出来ます。また、サトラピの描く木版画の様な温かい絵がそれを一層引き立てています。

 

ところが、彼女の作品はそう単純ではありません。特に人物描写の細やかさには、こだわり抜かれたリアリティが感じられます。どの人間も、善い人でもあり悪い人でもあり、そのどちらでもないという多面性をもって描かれており、その仕草一つに一つにキャラクターの性格が滲み出るようなのです。

 

彼の回想とともに、兄弟や母親、息子や娘、妻や友人、そして、様々な人々の人生や時間が折り重なり、ナーセル・アリと言う人物そのものに収斂してゆく様は目を見張るものがあります。

その一種マルチプレックス的な表現により、彼の人生の輪郭を立体的に浮き上がらせ、物語の小さな、しかし重要な意外性を生み出すあたりに、『ペルセポリス』ではあまり感じられなかったサトラピのストーリーテラーぶりが見事に発揮されています。

 


これは回想録であるとともに、ある芸術家の芸術家たる剥き出しで繊細な精神、そしてそれらから切っても切り離せない愛、そういった普遍的なテーマを扱った作品です。 

しかし、それらが重苦しい形を取らず、不思議に柔らかなカジュアルさと、細やかな文芸的表現というアンビバレントな要素とともに一つの作品の中に違和感なく結実しているあたりに、サトラピのサトラピの作家としての優れたバランス感覚が現れています。

 

それ故、多くの人々の中にするりと沁み込み、アングレーム国際漫画祭の最優秀作品賞として見事選出されるに至ったのでしょう。

 

 

そんな『鶏のプラム煮』ですが、前述のように昨年、実写映画化がなされており、ヴェネチア国際映画祭を経てフランスで公開、日本でも昨年の東京国際映画祭で『チキンとプラム』という邦題で特別上映されています。

 

 

■映画予告編

 

 

この実写映画の指揮を執ったのは、マルジャン・サトラピ本人とヴァンサン・パロノーの二人。

ちなみにヴァンサン・パロノーは別名のヴィンシュルス名義で小学館集英社プロダクションから邦訳が出ている『ピノキオ』の作者としても知られています。

 彼らはアニメーション映画『ペルセポリス』でも共に仕事をしている、まさに盟友同士と言ったところ。

 

映画『鶏のプラム煮』は、実写映画という枠を逆手に取り、コミック的な表現をふんだんに盛り込んだファンタジックな作品に仕上がっています。

 アニメーション映画版の『ペルセポリス』でも白黒にこだわり続けたマルジャン・サトラピが、色彩豊かな実写映画を製作したと言うだけでワクワクしますが、残念ながら現在、再上映の予定はないようです。

 

東京国際映画祭だけの特別上映と言わず、是非とも日本でも公開して欲しいですね。

 

 

 

最後に現在刊行中のその他のサトラピの邦訳コミック作品を下記に枚挙しますので参考にしてください。

 

 

<マルジャン・サトラピ既刊邦訳作品>

 

・『ペルセポリスI イランの少女マルジ』(園田恵子訳、バジリコ、2005年6月、ISBN 978-4901784658 )

・『ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る』(園田恵子訳、バジリコ、2005年6月、ISBN 978-4901784665)

・『刺繍―イラン女性が語る恋愛と結婚』(山岸智子監訳、大野朗子訳、明石書店、2006年、ISBN 978-4750323619)

 

 

(石田貴之)

<<前 1  2  3  4
  • 教えて!BDくん
  • 邦訳BDガイド
新着記事
カテゴリー
アーカイブ
リンク
  • L'INCAL アンカル
  • 氷河期 -ルーヴル美術館BDプロジェクト-
  • ピノキオ
  • レヴォリュ美術館の地下 -ルーヴル美術館BDプロジェクト-
  • 皺
  • 闇の国々
  • follow me
  • find us
  • SHOPRO BOOKS