REVIEW

【『塩素の味』発売記念!】バスティアン・ヴィヴェス最新作『ラストマン』レビュー


先週のBDfileでもご紹介しましたが
フランス漫画界がいま最も注目する新世代のBD作家
バスティアン・ヴィヴェスの『塩素の味』が先日発売され、
Twitterなどで、じわじわと高い評価の声をいただいています!

塩素の味.jpg 塩素の味

バスティアン・ヴィヴェス[著]
原正人[訳]

B5判変、226ページ、上製、フルカラー
定価:2,800+税
ISBN 978-4-7968-7159-4
© Casterman, 2008, 2009 All rights reserved.

好評発売中!


作品自体の魅力もさることながら、
バスティアン・ヴィヴェスというBD作家の魅力の一つに、
BDと日本のマンガ、双方のいいところを柔軟に取り入れながら、
まったく新しい作品を生み出している、ということが挙げられると思います。

そこで今回は、ヴィヴェスが特に日本のマンガを意識して制作しているという
最新作『ラストマン』について、『塩素の味』の翻訳者、原正人さんに解説していただきました!


* * *


バスティアン・ヴィヴェス『塩素の味』が先週発売された。

「訳者あとがき」にも書いたが、バスティアン・ヴィヴェスの作品をついに日本語で紹介することができて本当にうれしい。BDの翻訳はどうしても評価がある程度定まった過去の作品や新作でも巨匠の作品が多いのだが、そんな中で、1984年生まれのまだ若い作家を紹介できた意義は決して小さくないと思う。

ヴィヴェスは、1970年代に台頭したメビウスらの世代はもちろん、1990年代のダヴィッド・ベーやルイス・トロンダイム、ジョアン・スファール、マルジャン・サトラピといったラソシアシオンの世代とも異なる、より現代的な感受性を持った作家である。日本のマンガやアニメに当然のように触れて成長した世代に属しており、そういう意味では、日本の読者にとって親近感を抱ける作家でもあるのではないだろうか。


先週のBDfileでも取り上げられたが、日本語版『塩素の味』には、表題作と『僕の目の中で』の2編が収められている。どちらもバスティアン・ヴィヴェスの代表作と言って申し分ない作品だが、純粋に個人的な趣味で言えば、筆者は表題作『塩素の味』が好きだ。この表題作には試し読みページも設けられているので、まだどんな作品か知らないという方はぜひご覧いただきたい。

⇒『塩素の味』日本語版試し読みは コチラ から


主線のない面だけで表現した水中の身体が実に気持ちいい。水上にある身体が水の中に沈み、まるで時間が止まったかのように、ゆっくりと優雅に伸びる様子に思わずため息が出てしまう。ステキなシーンはたくさんあるが、例えば、主人公が背泳ぎをしながら眺める室内プールの天井に、突然ヒロインの顔が映るシーンなんかもよかった。若干24歳のヴィヴェスは、この作品で2009年度アングレーム国際漫画祭新人賞を受賞したが、それにふさわしい瑞々しさがある。
蛇足だが、この年の最優秀作品賞は、小学館集英社プロダクションから邦訳が出ているヴィンシュルスの『ピノキオ』である。

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0718_12.jpg 2009年度アングレーム国際漫画祭
最優秀作品賞

ピノキオ

ヴィンシュルス[著]
原正人[訳]

B5変型、192ページ、上製、オールカラー
定価:3,000円+税
ISBN 978-4-7968-7097-9
©WINSHLUSS


さて、「訳者あとがき」でも少し触れたが、バスティアン・ヴィヴェスはカステルマン社の1レーベル「KSTЯ(カステール)」からデビューし、『塩素の味』と『僕の目の中で』も含め、その後の作品の多くを同レーベルから刊行している。

これはフランスの編集者ディディエ・ボルグ(Didier Borg)が創始したもので、KSTЯという名はカステルマン(Casterman)をもじって作られている。あるインタビューによると、80年代のロックのようにあらゆるものに開かれた場所、ロック・フェスティヴァルのようなものをBDの中に設け、とりわけ若手作家たちが自由に創作する場にしたいという願いから、2007年に作られたとのこと。

ご存じの方も多いかもしれないが、BDには日本の週刊・月刊マンガ誌のような作品を連載する定期刊行物がほぼなく、若手にチャンスを与えるこのような試みは貴重である。今となっては確認のしようもないが、筆者の記憶では、KSTЯ創設当初は、単行本化前の作品をブログで公開し、読者が自由に意見を書きこめるといった、これまでにない例のないプロモーションを行い、話題を呼んでいた。ヴィヴェスの実質的なデビュー作『彼女(たち)〔Elle(s)〕』がこのブログに掲載されていた記憶はあるのだが、その後の作品については定かではない。レーベル自体は今も残っていて、既に100点を超える作品が刊行されているとのことである。


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▲いずれもKSTЯから出版されたヴィヴェスの作品

⇒カステルマン社KSTЯレーベルの作品一覧は コチラ から


KSTЯのブログは、現在、「デリトゥーン(delitoon)」というウェブBDのポータルサイトに発展している。

このサイトはアマチュア作家がアカウントを作成して、自分の作品を公開することができるウェブBDのポータルである。読者がコメントを寄せたり、作品を気に入った出版社があれば、作家にコンタクトすることもできるようだ。しかし、同時にKSTЯで刊行が決まっている作品の連載媒体としても機能していて、バスティアン・ヴィヴェスはここで現在最新作を連載中である。フランス語のハードルはあるが、ウェブ上でアクセスできる作品なので、この機会に紹介しよう。


タイトルは『ラストマン(Lastman)』。

バスティアン・ヴィヴェス1人の作品ではなく、バラック(Balak)とミカエル・サンラヴィル(Michaël Sanlaville)との共著である。既に刊行されている単行本第1巻のクレジットによれば、シナリオをバラックが、作画をサンラヴィルが、彩色をヴィヴェスが担当していることになっているが、実際のところはシナリオにも作画にもヴィヴェスが相当関わっているようだ。デリトゥーンでの連載を経て、2013年3月に第1巻が刊行され、同年6月に第2巻が刊行されたばかり。BDのシリーズ作品は年に1巻単行本が刊行されるというのがわりとよくあるケースだが、大場つぐみと小畑健のマンガ『バクマン。』に感銘を受けた3人は、単行本1巻分200ページを3カ月で仕上げるという、BDにしては非常に珍しいハイペースで仕事をしている。作品は基本白黒で描かれているが、巻頭カラーを採用したり、巻末に作者のエッセイBDを掲載したり、シール付録をつけたりという日本マンガに対するオマージュっぷりである。

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▲『ラストマン』1巻・2巻



物語の舞台はとある王国。王ヴィルジルと王妃エフィラが主催する恒例の格闘技トーナメントが直前に迫っている。

多くの住民がこのトーナメントでの優勝を目指して、日々鍛錬に励んでいる。幼いアドリアン・ベルバもそんな一人。彼は武術家ジャンセンが指導する学校で1年間に及ぶ厳しい修行に耐え、今年初めてこのトーナメントに出場する。彼の夢は、女手一つで彼を養ってくれている母親マリアンヌの生活を、優勝賞金で楽にしてやることである。

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▲アドリアン


トーナメントの試合は2人1組で行われる。最年少で体格にも恵まれないアドリアンは、最後に余ったやはり体格に恵まれないヴラドとコンビを組むことになった。しかし、ヴラドは試合当日、腹痛を起こして棄権することになってしまう。アドリアンはショックの色を隠せないが、飛び込み参加者の出現に一縷の望みを託し、受付前で待つことにする。


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▲棄権が決まり涙を流すアドリアン


そこに屈強な男がたった1人で現れる。男はリシャール・アルダナと名乗る。世界各地のトーナメントに出場していると思しい彼は、このトーナメントのことをどこからか聞きつけ、2人1組で戦われるということを知らずにやってきた模様である。呆然自失のリシャールは、やはり1人で途方に暮れているアドリアンに、一緒にトーナメントに出場しようと呼びかける。リシャールを胡散臭げに眺める母親をアドリアンがどうにか説得し、晴れて2人はトーナメントに出場できることになる。そして、2人はこの武術トーナメントの奇妙な戦いの渦中に巻き込まれていく。


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▲アドリアンとリシャール・アルダナ

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▲アドリアンの母マリアンヌ。美人で気が強い


2人の武運やいかに? そして、このトーナメントに出場したリシャール・アルダナの正体とは? 彼はいったい何のためにこのトーナメントに出場したのか? 物語は徐々にこれらの謎を明かしていく。


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▲最初の敵ソアレス兄弟


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▲アドリアン対ラモン・ソアレス

既に述べたように現在第1巻と第2巻が単行本にまとめられているが、ウェブ上では 第1巻の最初のエピソード と 第2巻 を丸々読むことができる。


いずれバスティアン・ヴィヴェスの他の作品を翻訳でお届けできる日が来るといいのだが(個人的にはバレエBD『ポリーナPolina』をぜひ訳したい!)、ひとまずは、ウェブで無料で読むことができるこの作品をご覧いただきたい。

フランスの超一流若手BD作家がお送りする、日本のマンガとはまた一味違った、とはいえ、手に汗握る戦闘シーンあり、ユーモアあり、お色気シーンありの痛快なエンターテインメント作品である。


(Text by 原正人)

REVIEW

知らなかった世界が見えてくる~エティエンヌ・ダヴォドー『無知なる者たち』レビュー


前回のインタビューに引き続き、
今回もエティエンヌ・ダヴォドーさんを取り上げます。

インタビュー中でも触れていた、
ダヴォドーの注目作『無知なる者たち』について、
『氷河期』『ムチャチョ』などの翻訳を手掛ける
翻訳家の大西愛子さんにレビューしていただきました!


130522_01.jpg 無知なる者たち(仮題)
Récit d'une initiation croisée


[著者] Étienne Davodeau
[出版社] Futuropolis

2011


* * *


前回のインタビューに続き、今回はエティエンヌ・ダヴォドーの『Les Ignorants』(仮題:無知なる者たち)をさらに詳しくご紹介したい。

この作品は2011年秋に出版され、2012年のアングレーム国際漫画祭の公式セレクションにノミネートされた。

インタビューにもあるように、これはノンフィクションのドキュメンタリータッチの作品で、ワインの世界について「無知」なBD作家ダヴォドーと、BDについて「無知」なワイン生産者のリシャール・ルロワが、それぞれ熟知している世界のことを相手に教えながら未知の世界への目が開かれていく過程を描いたものである。

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ルロワはダヴォドーにワイン造りについて教えるが、葡萄作りにはじまり、ワインができて瓶詰めされ、発送されるまでには、1年という期間を必要とする。その間、ダヴォドー自身は、ほとんどの工程に自ら参加し、農作業も手伝いながらルロワのワイン造りに対する考え方を学んでいくのだ。

ほぼ時系列に沿って描かれているため、ときには作者ダヴォドーにとっては想定外のことも起きたようだ。冬の間、ルロワは鬚をはやしているのだが、気候が良くなると全部そり落としてしまう。そしてまた冬が近づくと少し髭が伸びているのだ。普通のマンガであれば、キャラクターを確立させるためにもそんなに外見が変わることはないと思うのだが、1年半という長期にわたるドキュメンタリーならではのできごとで、ダヴォドーも作品の中で「ひげ面のほうが描きやすいのに」とこぼしている。

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▲左が「冬仕様」、右が「夏仕様」のルロワ氏


ルロワはワイン造りに対して強いこだわりがある。その根底にあるものがワインが生まれた土地と風土を伝える生きた飲み物だという考えだ。彼は化学肥料も除草剤も一切使わず、できれば瓶詰めの際に必要な保存料も最低限にとどめたい(できれば使いたくない)くらい徹底していて、バイオダイナミック農法(この農法についてもかなりのページ数を割いて説明している)を実践している。自分作るワインにきちんと目が届くように、手作業でできる範囲の畑で採れる葡萄しか作らない。土の、葡萄の近くにでそれを感じ、接したいと思っているのだ。

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またルロワは、有機農業物として正式に認定されているのにもかかわらず、認定の証であるABマークを自分のワインに付けるのを拒否している。マークがついていることが一つのブランドとなり、消費者に対してある種の基準となることを嫌がっているからだ。自分のワインを味わって好きだと言ってくれる人にしか買ってもらいたくない、そんな強気の姿勢も見せる。農作業の傍ら、ルロワはワインの見本市のサロン・デ・ヴァン樽作りの職人、ほかのワイン生産者のところにダヴォドーを連れていく。


一方、ダヴォドーのほうはルロワに自分の好きなBDを大量に読ませる。彼もまたルロワをBD作家と会わせたり、出版社の編集会議印刷所を見学させたりする。

そんな中でお互いが語る感想が楽しい。無知だということは、その世界の常識だとか権威だとかいったものについても、まったく無知だということだ。ある意味、怖いものなしだ。そこでときどき驚くようなことが起きる。

ある時、ダヴォドーは試飲したワインが気に入らず、ルロワに促されて流しに捨ててしまう。ところが、実はそのワインは、識者の間では評価も値段も最高クラスの「いいワイン」だった。またある時、やはり薦められたワインを美味しくないと言ってしまうダヴォドーだが、そのワインはルロワ自身が作ったワインであるだけでなく、以前、自身の作品の中で登場人物に飲ませていたワインでもあった。ダヴォドーがワインの味をちゃんと覚えているか確かめるためにルロワがいたずらをしたのだ。

逆にルロワも、BDファンならびっくりするような感想を言う。彼のアート・シュピーゲルマン評やメビウス評は独特でかなり面白い。また、ルイス・トロンダイムという作家についても、ルロワは「なぜキャラクターに鳥のくちばしを付けるのか?」という素朴な疑問な疑問を抱くのだが、それに対して、トロンダイムは自ら1ページ説明を描き下ろしてくれている。

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▲"トロンダイム風"キャラクター


しかしBDファンにとっていちばん興味深いのは、他のBD作家とのやりとりだろう。この作品の中で、二人はジャン=ピエール・ジブラ(『赤いベレー帽の女』)、マルク・アントワーヌ・マチュー(『レヴォリュ美術館の地下』『3秒』『神様降臨』)、そしてエマニュエル・ギベール(『アランの戦争』)と会って話をしている。


ジブラとは、彼が一体どのように仕事をしているか、原作を書くことと絵を描くこととの違い、作家としての成功の意味、などについて。

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▲ジャン=ピエール・ジブラに会う


マチューとは、そのモノクロの世界観、シリーズものとして描いている『ジュリアン・コランタン・アクファク(夢の囚われ人)』の名前の由来、彼の描くキャラクターが人間ではなく概念にすぎないということ、BD作家と空間デザイナーという二つの顔を持つ彼が、どのようにしてバランスを取って仕事をしているのかなど、他では聞けないような話を語っている。

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▲マルク=アントワーヌ・マチューに会う


エマニュエル・ギベールとは、主に名作『アランの戦争』について語っているのだが、そのときにギベールは、アランの子供時代についての作品を描いていると言っている。その作品は、昨年2012年に『L'Enfance d'Alan』というタイトルで実際に出版され、今年のアングレーム国際漫画祭のオフィシャルセレクションにも選ばれている。

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▲エマニュエル・ギベールに会う


また、ギベールとの対談では、今年邦訳版の出版が予定されている『フォトグラフ(仮)』についても触れられており、作品に登場する実在の人物二人が、のちにワイン生産者になったことが語られている。後日、ダヴォドーとルロワはその二人のワイン生産者レジスとロベールに会いに行く。二人はもともと国境なき医師団に参加していた医師だったのだが、その任務が終わったのち、ワイン生生産者に転身していた。実は、ルロワも元銀行員。彼もまた転身組なのだ。

BDのことをまったく知らず、はからずもBDの登場人物となってしまった3人、そして第2の人生をワイン造りにささげた3人が偶然にも集結したところで本書は終わる。

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▲下段、左がロベール氏、右がレジス氏。『フォトグラフ』登場時から約25年後の二人


最後に、ダヴォドーがルロワに薦められて「飲んだ」リストと、ルロワがダヴォドーに薦められて「読んだ」リストが巻末についているのだが、そのラインナップも実におもしろい。特にBDのリストについていえば、邦訳されているものが意外に多いのにも驚くはずだ。


(Text by 大西愛子)

REVIEW

カニ界に巻き起こる革命旋風! アルチュール・ド・パンス『カニの歩み』


現在、ユーロマンガにて『ゾンビレニアム』を連載中の人気BD作家アルチュール・ド・パンス

モンスターたちを集めたテーマパーク「ゾンビレニアム」で巻き起こる
さまざまな騒動をユーモアたっぷりに描いたこの作品は、
昨年のアングレーム国際漫画祭にて、子ども向け作品の最優秀作品賞を受賞(第2巻)し、
フランス国内でのアルチュール・ド・パンスの評価はますます高まっています。


0801_02.jpg ゾンビレニアム
Zombillénium


第1巻: Gretchen
第2巻: Ressources Humaines


[著者] Arthur de Pins
[出版社] DUPUIS

※詳しいストーリーはユーロマンガ公式サイトにて


そこで、今回はそんなアルチュール・ド・パンスの作品の中でも
特にヘンテコでユーモアに満ちた傑作『カニの歩み』を
翻訳者の原正人さんにレビューしていただきました!



* * *


前回、日本のマンガ・アニメに影響を受けたフランス人BD作家としてクリストフ・フェレラを紹介した。彼とはまた違った意味で日本のマンガ・アニメの影響を受けた作家にアルチュール・ド・パンスがいる。

アルチュール・ド・パンスについては昨年BDfileでインタビューをお届けしている。
1977年、フランスはブルターニュ生まれ。若手の人気BD作家である。アニメからイラスト、BDと仕事の幅を広げ、ここ数年はBDの仕事に専念。日本語で読めるものに『かわいい罪』(『ユーロマンガ』Vol4に第1巻の抄訳掲載)と『ゾンビレニアム』(『ユーロマンガ』Vol7、8に第1巻訳載)がある。


今回は彼の最新作『カニの歩み』をご紹介しよう。


●Arthur de Pins, La Marche du crabe, 全3巻, Soleil Productions, 2010-2012
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アルチュール・ド・パンスがもともとアニメに携わっていたことはすでに述べたが、彼は2004年に、今回紹介する『カニの歩み』の原型とも言うべき、『カニ革命』(La Revolution des crabes)というアニメを制作している。

《動画》
■LA REVOLUTION DES CRABES (The crabs revolution)
http://www.youtube.com/watch?v=S6xncXA3rGM


横歩きしかできなかったあるカニが、ある事件をきっかけに方向転換できるようになり、それまで向きを変えられなかったのは自分たちの愚かさゆえだったと気づく。しかし、彼は破廉恥な行動に眉をひそめる仲間たちの視線にいたたまれなくなり、今まで通り横歩きをしながらその場を立ち去る。最後のエンドロールのクレジットが気が利いていて、監督のクレジットがArthur de PinsではなくArthur de Pince(発音は同じだが、最後のパンスは「カニのはさみ」の意)となっている。なお、この作品はかつてCS放送を通じて日本語版が放送されたこともあるとのこと。

このアニメをベースにアルチュール・ド・パンスは長編BDを構想する。それが本作『カニの歩み』である。第1巻が2010年に刊行され、2012年、第3巻で完結した。物語は以下のとおりである。



舞台はフランス南西部にあるシャラント=マリティーム県のとある港町。浜辺にうち棄てられたギターを1匹のカニがかき鳴らし、もう1匹がそれに合わせて歌っている〔図1〕
彼らは学名Cancer Simplicimus Vulgaris(タダノドコニデモイルガニ)、通称"四角ガニ"と呼ばれる何の変哲もないカニである。他のカニとは異なり、彼らは誕生から400万年間 横歩きしかせず、互いに名前を呼び合うことも、恋愛を楽しむことも知らない。それゆえに海に棲むあらゆる生物の嘲笑の的となっていた。


〔図1〕 海辺でギターに興ずるカニたち
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冒頭の四角ガニ2匹のうち1匹が人間の子どもたちに捕まり、彼らは離ればなれになってしまう。残された1匹は、浜辺で大きなイチョウガニにいじめられる別の四角ガニの姿を目撃し、四角ガニに生まれた運命を呪う。彼はいじめられていたカニを救い出し、壮大な野望を語って聞かせる。互いに相手をおんぶして、水平と垂直の移動を繰り返す。そうすることで、自分たちが住む海域を踏破し、イチョウガニたちをぎゃふんと言わせてやろうというのだ。

手始めに彼らは名前で呼び合うことにする。ギターのところにいたカニは、移動方向が太陽の進行と同じなので"ソレイユ(太陽)"と名のり、もう1匹は船の進行方向と同じなので、"バトー(船)"と名のることにする。それは彼らにとって進化へと向かう、偉大なる革命の第一歩だった。
やがて彼らは、人間に捕えられていたもう1匹とも再会する〔図2、3〕


〔図2〕 カニたちの再会
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〔図3〕 3匹のカニたち。左からバトー、ギター、ソレイユ
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彼には"ギター"という名前がつけられた。3匹は"互いに協力し合って向きを変え、好きな方角に移動する"という思想を他の四角ガニたちに布教し始める〔図4-5〕


〔図4〕 ソレイユとバトーは二人組でおんぶして
    方向転換することを思いつく
〔図5〕 片方が一旦降りて、もう片方がおんぶし直し、
     別方向に進む
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同じ頃、人間界に、この学名Cancer Simplicimus Vulgaris(タダノドコニデモイルガニ)、通称"四角ガニ"に注目する人物が現れる。動物番組制作会社のリポーター、ドミニク・ランデルノーとカメラマンのレーモン・ピシャールである〔図6〕。彼らはこの400万年間進化を知らなかったカニが、ふとしたきっかけで人間の脅威に変貌しかねないと予見していた。彼らはさっそくシャラント=マリティーム県の海岸に向かい、四角ガニの生態を取材することになる。


〔図6〕 ドミニク・ランデルノー(左)とレーモン・ピシャール(右)
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折しも、彼らが訪れた港町では、河口に建設予定のパイプラインが議論の的となっていた。反対派の旗頭はグリーンピース・フランス事務局長イヴ・デュクルエである〔図7〕


〔図7〕 イヴ・デュクルエ
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ドミニクとレーモンが海中にもぐり、四角ガニの生態を撮影しているまさにそのとき、彼らの真上でグリーンピースの抗議行動が大事故を引き起こす。貨客船とグリーンピースの抗議船が衝突し、沈没してしまったのである。2人は水中カメラを放り出し、一目散にその場を逃げ出す。だが、置きっぱなしにされたカメラは、その後に起きた衝撃の事件を撮影していた。現場に残された四角ガニが船につぶされる直前、思わず向きを変えたのである〔図8〕400万年間横歩きしかできなかった四角ガニが方向転換したのだ。それはあの3匹の四角ガニのうちの1匹ソレイユだった〔図9-10〕


〔図8〕 沈没する船から必死に逃げるカニ
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〔図9〕 方向転換したソレイユに皆の視線が集まる
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〔図10〕 呆然とする海の生物たち
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この事件はやがて、海中の勢力図を塗り替えることになる。ソレイユたちは横歩きの遵守を訴える"秩序の守護者"〔図11〕率いる保守主義四角ガニ一派と対決し〔図12〕、さらにイチョウガニ〔図13〕オマールとも雌雄を決する〔図14-15〕


〔図11〕 "秩序の守護者"
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〔図12〕 保守ガニとの戦い。甲羅に○印が描かれているのが方向転換をする進歩派、×印が保守派
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〔図13〕 保守派のバックに控えるイチョウガニ
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〔図14〕 オマール
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〔図15〕 オマール軍との戦闘
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だが、彼らの進化は海中の勢力争いにとどまらず、やがて生態系全体に影響を及ぼし〔図16〕、さらには人間社会まで揺さぶることになるのだった――。


〔図16〕 生態系に影響を及ぼすカニたち
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もとの短編アニメは全編白黒だったが、このBD版はオールカラーで描かれ、また違った印象になっている。『ユーロマンガ』に掲載された『かわいい罪』や『ゾンビレニアム』と同様に抑制の効いたカラーリングがすばらしい。BDfile用のインタビューで答えているように、イラストレーターを用いて作画しているとのこと。絵が達者なのは一目見ればわかるだろうが、意外にもと言うべきか、この作品はアクション・シーンも見どころの一つである。四角ガニたちのすばやい動きが迫力たっぷりに描かれている。一旦仲間たちのもとを離れた主人公のソレイユが深海で修業をするシーンがあったりするのだが〔図17〕、こういう部分は日本のマンガに対するオマージュだったりするのだろうか。第3巻にはゴエモンという名の四角ガニも登場する〔図18〕


〔図17〕 深海で修業するソレイユ
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〔図18〕 ゴエモン
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全3巻で完結しているこの作品には、劇場用長編アニメの企画がある。公開時期などの具体的な情報については不明だが、以下のサイトで予告編を見ることができる。
http://www.lamarcheducrabe-lefilm.com


現在執筆中で2巻まで刊行されている『ゾンビレニアム』も劇場用長編アニメ化される予定だとか。フランスの若手作家の中でも評価の高いアルチュール・ド・パンスにぜひ注目していただきたい。


(Text by 原正人)



REVIEW

日本在住の現役アニメーター、クリストフ・フェレラのBD『ミロの世界』


日本のマンガやアニメが広く一般に親しまれているフランスでは、
当然のことながら日本のアニメ、マンガに影響を受けたクリエイターが大勢います。

そこで今回は、東京在住で、現役アニメーターとして
LUPIN the Third -峰不二子という女-』などの日本アニメの制作に携わっている
クリストフ・フェレラ氏によるBDデビュー作『ミロの世界』を
翻訳者の原正人さんにレビューしていただきました。

記事の最後にお知らせもありますので、どうぞお見逃しなく!




* * *




日本のマンガ・アニメがフランスで人気を博していることはよく知られている。フランスで年間に刊行されるBDも含めたすべてのマンガの刊行点数の約3分の1が日本のマンガの翻訳だというから相当なものである。

もちろんすべてがベストセラーというわけではない。ACBDが毎年年末に発表している報告書によれば、2012年度に刊行された仏訳マンガで刷り部数が5万部を超えているものは、作品名で言えば、『NARUTO‐ナルト‐』、『ONE PIECE』、『FAIRY TAIL』、『黒執事』、『BLEACH』、『バクマン。』、『HUNTER×HUNTER』だけである。日本マンガが大人気と一言で言ってしまうと、誤解を招いてしまいかねないが、それでも市場の約3分の1を占めるほどの大量の日本マンガが、もう何年も翻訳し続けられているのだから、驚きである。


そもそも70年代末から90年代前半にかけて日本のアニメがフランス及びヨーロッパで大量に放送されていた(その辺りの事情は清谷信一『ル・オタク フランスおたく物語』講談社文庫に詳しい)。それが下地となった部分もあるのだろうが、90年代に入ると、今度は日本マンガの翻訳が徐々に増え始め、2000年以降、翻訳刊行点数が急激に伸びる。このような状況の中で日本マンガ・アニメの影響を受けた作家が登場しないほうがおかしい。


日本マンガがフランスの作家に影響を及ぼした初期の例としてグレナ社が刊行した2冊のBDをあげることができるだろう。グレナは、『AKIRA』や『ドラゴンボール』の仏訳を刊行し、日本マンガの紹介役としても重要な役割を果たした大手出版社だが、1990年代半ば、ここから2つのシリーズが刊行される。ジャン=ダヴィッド・モルヴァン作、シルヴァン・サヴォイア画『ノマド』と同じくジャン=ダヴィッド・モルヴァン作、トランカ画『HK』である。前者は全5巻、後者は全4巻で、絵柄の面で日本マンガの影響を受けているだけでなく、ページ数も1巻につき130ページ以上と、当時のBDとしては破格だった。ちなみに2作とも「Akira」と名づけられた叢書に収められている。


130508_01.jpg ノマド
Nomad 全5巻



[著者] Jean-David Morvan, Sylvain Savoia
[出版社] Glénat

1994-2000
130508_02.jpg HK 全4巻


[著者] Jean-David Morvan, Trantkat
[出版社] Glénatt

1996-2001


その後も多くの作家が日本マンガ・アニメの影響下にさまざまな作品を発表している。この方面についての筆者の知識は乏しいが、70年代末に日本人編集者がスイスで創刊した、時代に先駆けた日本マンガの翻訳誌『クリ・キ・チュ』(Le Cri qui tue)や、あのレ・ユマノイド・アソシエがヨーロッパの作家を採用して刊行したマンガ・スタイルの雑誌『ショーグン・マグ』(Shogun Mag)を始め、面白そうなネタがたくさん転がっている。

『ショーグン・マグ』からはイズ作、ショウネン画の『オメガ・コンプレックス』という日本マンガにまったく見劣りしない抜群に絵のうまい作品も誕生した。『ユリイカ』2013年3月臨時増刊号「世界マンガ大系」で紹介したモドゥー・フロランの『フリークス・スクイール』も日本マンガを見事に消化したテンポのいい作品である。日本のマンガ・アニメがBDにどのような影響を及ぼし、そこからどのような新しい作品が生まれたのか、丹念に調べてみるのも面白いだろう。


130508_03.jpg オメガ・コンプレックス
Omega complex 全3巻



[著者] Izu, Shonen
[出版社] Les Humanoïdes Associés

2009-2011
130508_04.jpg フリークス・スクイール
Freak's Squeele 1~5巻(以下続刊)



[著者] Maudoux Florent
[出版社] Ankama Éditions

2008-



さて、前置きが長くなったが、2013年3月にまた一つ、日本マンガ・アニメの影響を受けた作品が出版された。リシャール・マラザーノ作、クリストフ・フェレラ画『ミロの世界』である。


130508_05.jpg ミロの世界
Le Monde de Milo 1巻(以下続刊)
 


[著者] Richard Marazano, Christophe Ferreira
[出版社] Dargaud

2013


原作のリシャール・マラザーノは『チンパンジー・コンプレックス』で注目された1971年生まれの気鋭のフランス人BD原作者。アジアの作家との共作も多い。

130508_14.jpg チンパンジー・コンプレックス
Le Complexe du chimpanzé 全3巻



[著者]Richard Marazano, Jean-Michel Ponzio
[出版社]Dargaud

2007-2008


作画のクリストフ・フェレラはこれがBDデビュー作。なんと彼は東京在住のアニメーターである。何年か前まで日本にスタジオを構えていたフランスのゲーム・アニメ制作会社アンカマ(Ankama)で働き、その後、日本のアニメにも関わり始める。最近のアニメでは『LUPIN the Third -峰不二子という女-』などに関わっている。

130508_13.jpg LUPIN the Third 峰不二子という女 DVD-BOX

[原作] モンキー・パンチ
[監督] 山本沙代
[シリーズ構成] 岡田麿里
[キャラクターデザイン] 小池健
[音楽] 菊地成孔

[制作] TMS/Po10tial
[販売元] バップ


BDとアニメを股にかける作家はこれまでにもいたが、日本アニメのアニメーターでありつつ、BD作家というのは初めてではないだろうか? 


『ミロの世界』のストーリーは以下の通り。


小学生のミロは親元を離れ、田舎の湖のほとりに一人で暮らしている。父親は仕事が忙しく、月に一度しか彼を訪れることができない。普段は近所に住む3人のおばさんが食事などの面倒を見てくれている〔図1〕。夏休みを迎えたその日、湖でザリガニ釣りをしていたミロは、金色に輝く、何か稚魚のようなものを見つけ、家に持ち帰る。

〔図1〕
130508_06.jpg

それからというもの、ミロの周りで奇妙なことが起こり始める。カエルのような頭に頭巾をかぶった不思議な人物が大きな袋を担ぎ、近辺をうろつき始める〔図2〕。その人物はやがてミロの家を訪れる。何でも知人が湖で落し物をし、それを探し歩いているのだという。彼は何か気づいたら教えてくれと言い残し、その場を立ち去る。

〔図2〕
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ミロが捕まえた稚魚は急速に成長し、金色の魚になる〔図3〕。ミロは喜んで餌をやるが、やがて魚は盥には収まりきらないほどの大きさになる。

〔図3〕
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魚に夢中のミロの元を再び例の怪人物が訪れる。犬の鳴き声をまねて何とか彼を追い払ったミロは、彼の行動を不審に思い、その後をつける決意をする〔図4〕

〔図4〕
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ミロは彼のアジトを突き止めることに成功する。そこには大きな袋が置かれていて、どうやら中には何かが入っているらしい。驚いたことに、中に入っていたのはミロが会ったこともない少女だった〔図5〕。謎の少女はヴァリアと名乗る。彼女は危うく例の怪人物に食われるところだったが、ミロのおかげで命拾いした。

〔図5〕
130508_10.jpg

ミロとヴァリアは、ミロの家に避難する。例の怪人はヴァリアの脱走に気づくと、もう一人の仲間と一緒に、ミロの家に迫る。逃げ場を失った二人は、魚を連れて、家の中に置かれていた壊れたボートに乗り、湖に避難する〔図6〕

〔図6〕
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敵をうまくまき、一息ついた二人にさらなる試練が訪れる。急に雨雲が出現し、嵐が襲いかかってきたのだ〔図7〕。ボートは転覆し、二人は湖に放り出されてしまう。

〔図7〕
130508_12.jpg


そしてそれはミロの真の冒険の始まりでしかなかった。目を覚ました彼らの目の前には、それまでいた世界とはまるで異なる世界が広がっていた。ヴァリアはいったい何者なのか? 謎の怪人物が探していたものとは? そして、この世界とミロが住んでいた世界の関係とは? ミロは思ってもいない冒険に巻き込まれることになる。

『ミロの世界』は全2巻完結予定。第2巻は8月に刊行されるとのことである。
(※『ミロの世界』1巻は出版社のサイトにて一部試し読みできます)


さて、『ミロの世界』の作画家クリストフ・フェレラが東京在住であることは既に述べたが、来る6月2日(日)、彼がBD研究会に来てくれることが決まった。

(※BD研究会についての詳しい説明はコチラ

東京飯田橋にあるアンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)の301号室で13時から開始予定である。事前申し込みは特に不要。
ここでは最後まで紹介しなかった『ミロの世界』について、作者本人が詳しく話してくれるはずだ。ふるってご参加いただきたい。



(Text by 原正人)

REVIEW

まさに"カットの天才"! 建築に魅せられたBD作家アンドレアスの美しき幻視世界


日本語で読めるBDが少しずつ増えてきている昨今ですが、
世界には、まだまだ日本で知られていないBD作家、傑作BDがたくさんあります。

そこで今回は、『アンカル』『メタ・バロンの一族』『闇の国々』など
数多くの日本語版BDを手掛ける翻訳者の原正人さんに
ドイツ出身の人気BD作家、アンドレアスを解説していただきました!



* * *


アンドレアス(Andreas)というBD作家をご存じだろうか?
1951年ドイツ生まれ。現在62歳だからかなりのベテランである。今のところ邦訳はない。

日本ではティエリ・グルンステン『線が顔になるとき―バンドデシネとグラフィックアート―』(古永真一訳、人文書院、2008年)の巻末に収められた略伝と山下雅之『フランスのマンガ』(論創社、2009年)でほんの少し紹介されているだけ。『フランスのマンガ』によれば、アンドレアスはコマを独自に編成する「カットの天才」。アンドレアスを紹介したことはこの本の功績に数えていいだろう。『STUDIO VOICE』の「特集:地球コミック宣言」号(1990年11月号、Vol.179)あたりで紹介されていてもおかしくない作家だが(パラシオスやカザ、ブレッチア、同じドイツ出身のシュルトハイツなどは紹介されている)、なぜか紹介されなかった。


かく言う筆者は、今は無き中野のBD専門店"パピエ"で『ミル』という作品と出合い、それ以来、彼の作品の魅力に魅せられてしまった一人である。


■『ミル』
130501_01.jpg ミル
Mil


[著者] Andreas

[出版社] Les Humanoïdes Associés
[発行年] 1987
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アンドレアスの代表作と言えば、『ローク』や『アルク』、『カプリコーン』といった長編だが、ここでは『赤い三角形』という1巻完結作品を紹介したい。


■『ローク』
130501_03.jpg ローク
Rork 全8巻


[著者] Andreas

[出版社] Le Lombard
[発行年] 1984-2012
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■『アルク』
130501_06.jpg アルク
Arq 1~16巻(以下続刊)


[著者] Andreas

[出版社] Delcourt
[発行年] 1997~
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■『カプリコーン』
130501_09.jpg カプリコーン
Capricorne 1~16巻(以下続刊)


[著者] Andreas

[出版社] Le Lombard
[発行年] 1997~
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ちなみに1巻完結のBDを"シリーズ"(série)に対して"ワンショット"(one-shot)と呼ぶ。『赤い三角形』はアンドレアス作品の中でもとりわけ評価の高いワンショットである。


130501_12.jpg 赤い三角形
Le Triangle rouge


[著者] Andreas

[出版社] Delcourt
[発行年] 1995


表紙を見ると、美しく着色された建築をバックに白黒で描かれた人物が配置されている。表紙だけこのような特別な処理がなされているわけではない。ページを開くと、時には水彩、時にはパステルで彩色された美しい絵と白黒のペン画が混在している。


冒頭にはまずエピグラフとしてアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトの言葉の引用。"OUT OF THE GROUND AND INTO THE LIGHT"。続いて物語が始まる。

荒野に建つ建築物の遠景。場面は夜。右下に赤い正方形が描かれる〔図2〕。赤い正方形(レッド・スクエア)はフランク・ロイド・ライトが自分で引いた図面に必ず入れていた署名のようなものだという。察しのいい読者なら表紙の建築物で既にピンと来ていたかもしれない。そう、この作品はあの著名な建築家に対するオマージュなのだ。


〔図2〕
130501_13.jpg

物語に戻ろう。夜の建築物が描かれたページをめくると、いきなり白黒のページが現れる。飛行機が砂漠のような場所に不時着。尾翼にはD-2と記されている。パイロットが"やれやれ"といった様子で飛行機を降り、機外で休憩する。彼は小箱から三角形の物体(砂糖菓子?)を取り出し、口に入れる。三角形の物体だけが赤で着色されている〔図3〕。ほっとしたのか、彼はまどろみ始める。


〔図3〕
130501_14.jpg


さらにページをめくると、場面が一転。背景にフランク・ロイド・ライトが設計したと思しい建築物が描かれ、その上に白黒の小さなコマが置かれていく形で、物語が展開していく〔図4〕


〔図4〕
130501_15.jpg
▲メモを手に立っている人物がフレッド。帽子をかぶった人物がフロー


背景の建築物と手前の白黒で描かれたコマの間には関係がなさそうだ。5人の人物が登場する。パイロットのフロー(Flaw)がある荷物を飛行機に載せよう としている。積荷の管理をしているフレッドFredが、勝手にそんなことをしては困ると諌める。フローはアンダーソン嬢(Miss Anderson)に頼まれたのだと説明するが、フレッドは認めない。荷物を預かった彼は、中を検分したものか躊躇するが、結局、開封せずにロッカーの中 にしまっておくことにする。廊下を歩いている彼にレオン(Leon)話しかける。新しい車を買ったので自慢したくて仕方ないのだ。車体にはD-4と記され ている。一緒にドライブに出かける二人。しばらくすると、反対側から似たような車がやってくる。車を運転していたのはウィル(Will)だった。彼の車に もD-4の文字が。彼は自分の車のほうがお買い得だったと、レオンの車をけなし、洗練された車はやはり赤でなければならないと語る〔図5〕


〔図5〕
130501_16.jpg
▲口論をするフレッド、レオン、ウィル。あごひげの人物がレオン。ゴーグルをかけているのがウィル。夢の中の人物らしく3人ともどこか似ている


次のページで、以上がすべて夢であったことが判明する。場面は一転して、豪華な建物の一室。すべてがカラーで描かれる。使用人に起こされて、フロイド(Floyd)が目を覚ます〔図6〕


〔図6〕
130501_17.jpg
▲目を覚ましたフロイド。場面がカラーに変わる


彼はこれからお抱えのレーサー、ライトニング(Lightning)を迎えなければならない。フロイドはどうやらライトニングが気に入らないらしい。彼は 壁に掛けられた空軍中尉ワース(Worth)のような人物を迎えられればいいのにとため息をつく。ワースの容姿は物語の冒頭で登場したパイロットによく似 ている。二度寝して再びまどろむフロイドを不意の来客が脅かす。それは先の夢の中で名前があがったアンダーソン嬢に他ならなかった。彼女はフロイドに金庫 の中に隠した箱を返すように詰め寄る〔図7〕。何が何だかわからないフロイドは、使用人に彼女を追い返させ、再び夢の世界に戻る。


〔図7〕
130501_18.jpg
▲フロイドに詰め寄るアンダーソン嬢。背中ににはフランク・ロイド・ライトのイニシャルFLWが。登場人物の名前は多くの場合、建築家の名前のアナグラムである


最初の夢でフレッドだったフロイドは、次の夢でレオンに、その次の夢でウィルにという具合に、3人の人物に順番に同一化していく。夢の中ではすべてが白黒なのだが、"赤"という強迫観念にとらわれ、やがてフロイドは自らを傷つけるに至る・・・・。




既にかなりネタばれをしてしまった。これ以上、無粋なことをするのは控えたいが、一つだけ付け加えておこう。実はこの作品、夢が入れ子状に描かれているのである。ある人物が夢見た世界で、別の人物が夢を見、さらにその夢の中で別の人物が夢見る・・・・。


もともと建築を勉強していたアンドレアスはフランク・ロイド・ライトの作品に長年惹かれ続け、彼の赤い正方形の署名をもとに、"創造的行為"についてのある寓話を描いた。それがこの作品『赤い三角形』である。

さまざまなヒントが散りばめられているが、一読しただけでは一体何のことやらさっぱりわからない。美しいページに誘われるようにしてまずは一読し、何か釈然としない気持ちを抱きつつ、再読三読すると作者の企みに気づく。ある意味、創造力の原型と言ってもいい夢を、まさに夢のような支離滅裂な論理で描き出した刺激的な作品だ。『レヴォリュ美術館の地下』(小学館集英社プロダクション)や『3秒』、『神様降臨』(『神様降臨』は2013年5月刊行予定、いずれも河出書房新社)などの作品で知られるマルク=アントワーヌ・マチューが好きな読者なら、きっとアンドレアスの作品も好きになるに違いない。


『赤い三角形』は白黒とカラーの混在が印象的である。私たちは既に同じようなコンセプトの作品を知っている。そう、スクイテン&ペータースの『闇の国々』に収められた「」だ。

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▲ペータース&スクイテン「塔」より(『闇の国々』に収録)


この作品のパートカラーの魅力については、昨年11月に行われた海外マンガフェスタのトークライブで、マンガ家の浦沢直樹も感嘆していた(トークライブの模様は『ユリイカ』2013年3月臨時増刊号「特集:世界マンガ大系」で読める)。オールカラーだからこそできる仕掛けである。


実はアンドレアスとスクイテンには接点がある。彼らは二人ともベルギーのサン=リュック学院の出身であり、アンドレアスのほうが4年早く入学しているものの、1976年から始まるクロード・ルナール(Claude Renard)の指導を受けているのである。1975年にフランスで創刊された雑誌『メタル・ユルラン』の自由な表現に刺激を受けたクロード・ルナールは、自分が担当するアトリエで、学生たちに新しいBDの魅力を吹き込む。彼のもとからはフランソワ・スクイテン、フィリップ・ベルテ(Philippe Berthet)、ブノワ・ソカル(Benoît Sokal)、イヴ・スヴォルフ(Yves Swolfs)など、のちに著名になるBD作家が次々と巣立っていった。彼は、1978年に『第九の夢』(Le 9ème rêve)という同人誌を創刊するが、その記念すべき第1号には、スクイテンと並んで、アンドレアスの名も見える。

スクイテンとルーツを同じくする幻視の作家アンドレアス。いつか彼の作品を日本で紹介できる日が来るといいのだが......。


最後に今やフランスでも入手困難な『ファンタリア』という作品について触れておこう。

130501_19.jpg ファンタリア
Fantalia


[著者] Andreas

[出版社] Magic Strip
[発行年] 1986


『ファンタリア』は一切セリフがない、一枚絵だけで構成されたメビウスの『B砂漠の40日間』のような作品である。最近アンドレアスの存在を知ったファンにとっては幸いなことに、フランスのファンサイトが、あくまで再版予定のないこの傑作を世に知らしめる目的で画像を公開している。

■Andreas / Fantalia
http://quentin.ebbs.net/andreas/histoires.html

こっそり覗いてみてはいかがだろうか? あなたもアンドレアスの不可思議な世界の虜になるはずだ。



(Text by 原正人)


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