REVIEW

知られざるフランス外務省の舞台裏を描く! アングレーム最優秀作品『ケー・ドルセー(オルセー河岸)』レビュー


今年のアングレーム国際漫画祭で
最優秀作品賞を受賞した『ケー・ドルセー(オルセー河岸)』。
まだ邦訳が出ていない作品だけに、どんな内容か気になっている方も多いのではないでしょうか?


130403_01.jpg 130403_02.jpg   Quai d'Orsay
  Chroniques diplomatiques 1巻 2巻

  [著者] Abel Lanzac(作)
      Christophe Blain(画)
  [出版社] Dargaud



そこで、この受賞作『ケー・ドルセー』を
『氷河期』『サルヴァトール』などを手掛ける翻訳家、大西愛子さんに解説していただきました!




* * *



今年のアングレーム国際漫画祭で最優秀作品賞を受賞した、アベル・ランザック作、クリストフ・ブラン画の『ケー・ドルセー』第2巻。前年には第1巻も作品賞にノミネートされていたので1・2巻そろっての快挙と言えよう。


この作品はひとことで言えば、フランスの外務省の内部を描いた風刺的な作品だ。
Quai d'Orsay (ケー・ドルセー)」とはパリのセーヌ河沿いのオルセー河岸、フランスの外務省がある地名で、外務省そのものを指す代名詞でもある。日本で言えば「永田町」とか「霞が関」あたりだろうか。


並はずれた政治的センスと外交センスを持ち合わせたカリスマ性あふれる外務大臣アレクサンドル・タイヤール・ド・ヴォルムス。主人公アルテュール・ヴラマンクはそんな大臣の演説草稿係として雇われるが、新人の彼にとって外務省はまったく新しい世界で右も左もわからないことだらけ。
原稿はいつも一瞥されただけでボツにされてしまう。大臣は超多忙でいつも動きまわり、各地域の担当官たちは縄張り争いに忙しく、大臣のブレーン(文化人や作家など)は好き勝手言う。大臣の無茶ぶりも激しく、官房の人々はいつも振り回されている。大臣の言動はいつも突拍子もなく、周囲の人を茫然とさせるが、実は他人より先を見ていて、結局彼が正しかったことを後で知ることになる、とは官房長官モーパスの言葉だ。


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登場人物の名前は全部変えてあるが、外務大臣アレクサンドル・タイヤール・ド・ヴォルムスとは、一目見ればあのドミニク・ド・ヴィルパンのことだとわかる。時代背景は2002年から2003年にかけてのイラク危機のころで、イラクもここでは「ルースデム王国」となっているが、核武装しつつあり、隣国に侵攻し、アメリカが制裁を与えようとする、と当時そのままの状況だ。

最初に目につくのがカリカチュア的な要素だろう。実際のドミニク・ド・ヴィルパンもとても大柄で、肩幅が広く、長い腕を大きく動かし、せかせかと大股で歩きまわるのだが、クリストフ・ブランはその動きを巧く表現している。

ページ数が限られたBDにおいて動きを表現するというのはとても難しいが、この作品では擬音(「vlan」とか「tac tac tac」)を使ったり、動きを表すために何本も手を描いたりしている。ほかにも「Regard vers l'infini (遠い目)」というような、日本のマンガではおなじみの表現だがフランスのBDにはこれまでなかったような手法が巧く取り入れられている。


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大臣の存在感を表すために時々人気キャラクターの姿が借りられることもある。最もわかりやすいのは、1巻の最終ページに登場するダースベイダーだろうが、実は日本人的にはもっと嬉しいヒーローの姿もある。第1巻の中盤に登場する"X-or"というキャラクターは一見なじみのないヒーローだが、これは宇宙刑事ギャバンにほかならない。もちろん大臣の特徴である高い鼻を持ったギャバンではあるのだが。そのギャバンが、大臣が好んで使う「結束」「正当性」「効果」という言葉を武器に敵を倒すシーンは圧巻だ。


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そんなネタ満載の第1巻の一番の読みどころはおそらく大臣が語る「良い演説とは何か」のくだりだろう。良い演説とは心に残る演説だ。それをBDの巨匠エルジェの傑作にたとえ、「タンタンのように」と大臣は言う。「タンタンのテーマは壮大だが(宇宙旅行など)、タンタンとはなによりもテンポだ。タンタンとは音楽、交響曲だ。コマからコマへと移り、ページの下に行くと、次のページに行かざるを得ない。演説も音楽のように聴衆を自分の連れていきたいところに運んで行かなくてはならない」と。
BDの巨人タンタンを引用しながら「演説」を語りつつ、作品そのもので「良い演説」の手法をそのまま実践し、ぐいぐいと読者を引き込んでいくブランの語り口の巧さには脱帽である。

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第1巻がおもに外務省内部のドタバタを描いていたのに対し、第2巻はルースデム危機に対する各国のせめぎあいを中心に描かれている。ルースデムに武力制裁を与えたくてしょうがないアメリカに対して、フランスは武力行使を避ける立場をとる。各国との根回し、交渉・・・・そしてクライマックスは2003年2月14日に実際に行われた国連安全保障理事会における演説である。第2巻の最終章では、ドミニク・ド・ヴィルパン外相が実際に行った演説のエッセンスを2ぺージでほぼ忠実に再現している。


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ほとんど動きのない、落ち着いた厳粛な雰囲気で諭すように平和的解決を訴える大臣の姿が、普段のテンションの高い彼の姿との見事なコントラストを生み、読者を引き込んでいく。
ド・ヴィルパンの演説の感動的な部分は一字一句違わずに用いられている。たとえば「戦争という選択肢は一見、査察よりも手っ取り早いように思えるかもそれません。しかし忘れるべきでないのは、戦争に勝ったあとで平和を構築しなければならないということです」といった言葉だ。
でもそこはやはりスパイスが用意されていて「時期尚早な軍事介入は国際社会の結束を揺るがせ、その結果、軍事介入が正当性を、そして長期的には効果を失うでしょう」のくだりは宇宙刑事ギャバンが言っている。〔※〕

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このように一見小難しそうな風刺的作品と思いきや、ここには書ききれないくらいの小ネタが用意されていて、楽しみが尽きない作品である。アングレームで作品賞を受賞したのも十分うなずける。原作者のランザックは、「この受賞によってフランス外交というものが世間に認知されたのだ」と語っているが、クリストフ・ブランのフランス人らしい、斜に構えたような自らを客観視したがる画風によって、ユーモアあふれる作品に仕上がっている。


ここで簡単に作者の紹介もしておこう。

作画担当のクリストフ・ブランは1970年生まれ。ルイス・トロンダイム、ダヴィッド・ベー、ジョアン・スファールなどと親交があり、共同で作品を発表したこともある。主な作品に『Isaac le pirate』(仮題:海賊イザーク)、『Gus』(仮題:ギュス)、スファールがシナリオを書いた『Socrate le demi-chien』(仮題:哲学犬ソクラテス)などがある。既存のジャンル(海賊もの、西部劇など)の枠を用いながら、必ず何か新しいエッセンスが入る作品に定評がある。

シナリオ担当のアベル・ランザックは1975年生まれ。当初からこの作品の作者がド・ヴィルパンの側近だとは噂されていたが、今回のアングレームでの受賞の際に公式にカミングアウトした。本名はアントナン・ボードリー。実際にド・ヴィルパン外相時代に演説の執筆を担っていたこともあり、現在はニューヨークのフランス大使館で文化参事官を務めるバリバリの外交官だ。


この作品の第3巻が描かれるのかどうかは定かではないが、完結したとも言われていないので、楽しみに待つことができるかもしれない。

最後に嬉しいニュースがひとつ。この大ヒットBDが実写で映画化され、今秋にもフランスで公開される。監督は『田舎の日曜日』や『ソフィーマルソーの三銃士』のベルトラン・タヴェルニエ。タイヤール・ド・ヴォルムス外務大臣を演じるのは『奇人たちの晩餐会』のティエリー・レルミット。そしてアルテュール・ヴラマンクは『ぜんぶ、フィデルのせい』や『スペシャル・フォース』のラファスル・ペルソナーズ。これもまた楽しみである。


(Text by 大西愛子)



堀茂樹氏のブログあるいは不敬の義務/国連安全保障理事会2003.2.14におけるフランス共和国外相ドミニク・ド・ヴィルパンの演説(2010年8月18日付)より引用。太字は大西による。



REVIEW

フレンチ・ガーリーは甘くない ~ニーヌ・アンティコの魅力~


前回の記事で、女性BD作家ペネロープ・バジューの
日本版ブログ立ち上げのニュースをお伝えしましたが、
実は現在、フランスでは女性BD作家の活躍がめざましくなっています。

しかし、マルジャン・サトラピなどをのぞき、
特に若い女性層の支持を集める女性BD作家の作品については、
日本ではまだまだ知られていません。

そこで、今回は女性の本音を鋭く描いたストーリーで人気の
女性BD作家、ニーヌ・アンティコ(Nine ANTICO)ついて、
フランス語翻訳家の新行内紀子さんにご紹介いただきたいと思います!



* * *



私が彼女の作品に出会ったのは、パリで活躍するアーティストのアパルトマンの一室であった。

さりげなく本棚に表紙を前にして立て掛けられていた「トゥナイト(Tonight)」が目に入り、思わず手に取った。映画「ロリータ」を彷彿とさせるハート型のサングラスをつけたブロンドの女の子のアップ。まるでレコードのジャケット写真の様だった。そして頁をめくると、それはまさに一冊のレコードのようだった。登場人物たちは、歌い、ダンスし、音楽に耳を傾けている。私はすぐにアンティコのファンになってしまった。まるでロックバンドのファンになるように。

ニーヌ・アンティコ(Nine ANTICO)は、1981年生まれのフランス人女性アーティスト。自らの雑誌「Rock this way」を発表した後、NovaMagazine誌、Trax誌などにも作品を連載している。
現在までに出版されているBDのアルバムは5作品あり、その独特の画風と、女性の本音を鋭く描いたストーリーで、注目が集まっている作家である。また、海外での活躍も始まっており、英語・スペイン語の翻訳版も出されている。
日本では残念ながらまだ全く紹介されておらず、BD愛好家の中でも彼女の作品はあまり知られていないようである。今回、彼女の5作品のうち、執筆者既読の4冊について皆さんにご紹介させて頂きたい。


130213_01.jpg  Le Goût du paradis
  (天国の味)

  [出版社] Ego Comme X
  2008年

作者の幼少期から思春期までの自伝的作品。家族や友人たちとの関りの中で1人の少女が大人になって行く様をモノクロのデッサン調のタッチで描いている。いわゆる郊外の学校生活は友人関係も、異性関係もなかなかハードで、綺麗ごとだけでは渡っていけない。思春期特有の子供と大人の間を揺れ動く切ない感情が、剥き出しで表現されている。

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作中に、主人公が友人たちに日記を読まれそうになり、必死で取り返すシーンがあるが、まさにその日記を盗み読みしているような気分になる。それほど私的であけすけな内容なのだ。リセエンヌでなく日本の片田舎の中学生だった私にも当時同じ心情があったと感じる。思春期の複雑な精神状態は万国共通なのかもしれない。



130213_04.jpg  Coney Island Baby
  (コニー・アイランド・ベイビー)

  [出版社] L'Association
  2010年

ベティ・ペイジとリンダ・ラヴレース。世代の異なる実在のポルノモデルの数奇な運命を描いた作品。物語は2人と交流のあったプレイボーイ誌創刊者のヒュー・ヘフナーによって追想され、彼の元を訪れた2人のポルノモデル志願の少女たちに、語られる形で進行する。

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場面はベティとリンダの交互に展開し、それぞれの成功と挫折を描いている。かなり過激な性的表現も多いが、時代を反映したファッションや背景、所々に登場する当時の有名人、絶妙な場面展開などが実に洒落ている。このまま映画のコンテになるのではと思う。アンティコ自身、かなりの映画好きなのではないだろうか? また、アメリカンカルチャーに対する憧憬も感じられる。長編だが物語に引き込まれ、あっという間に読了してしまった。



130213_09.jpg  Girls Don't Cry
  (ガールズ・ドント・クライ)

  [出版社] Glénat
  2010年

新学期、あけすけなオシャレで登校するのはダサいからと、前髪を切ってさりげない変身を狙ったポリーヌ。でもいつも一緒のマリとジュリーも同じことを考えていた! 最悪! こんな女子大生の日常を描いた作品。
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言ってみればガールズトークをBDにした感じだが(本作品は当初、フランスのティーン誌「Muteen」に連載されていた)、少女漫画特有の甘ったるさはまるでない。まさに実録フランス女子! 仲良し三人組の中だけでなく、母や祖母など、世代を超えた女子トークも秀逸。登場人物のファッションも真似したくなるようなさりげなさが良い。



130213_12.jpg  Tonight
  (トゥナイト)

  [出版社] Glénat
  2012年

『ガールズ・ドント・クライ』の続編。題名の通りテーマは「夜」

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フランス人の若者にとって、「夜」を誰と、どんな風に過ごすかは非常に重要であり、本作にもそんな作者の思いが凝縮しているように思う。ひとりぼっちの大晦日の夜、母親と一緒に映画鑑賞の夜、恋人と過ごす夜、ダンスパーティーの夜。全部で8つの「夜」の、20時から朝の6時までの2時間おきの様子が描かれている。この構成も非常に面白い。3人組も少し大人になった印象だけど、毒舌はそのまま。楽しいだけじゃない、ちょっぴりおかしくてほろ苦い夜が描かれている。ラストの1ページは前作の読者へのサービスカットになっていて思わず吹き出してしまった。



簡単に4つの作品を紹介したが、全作に共通していることはテーマが「女性」に当てられている事だ。勿論登場人物には何人も男性がいるのだが、それは女性に光を当てるためのライトの役割に過ぎない。

しかしながら作品中に「フェミニズム」であるとか「男女同権」といった雰囲気は全く感じられない。あくまで女性は男性に「女性」として対峙し、相手を魅了し、何かで張り合うよりも恋の駆け引きをすることに精を出す。そのためにお洒落やメイクに手を抜かず、女性であることを謳歌している

しかしそれが全く嫌味がなく、軽妙に描かれているのだ。それはアンティコの素晴らしい絵に依るところが大きい。画力は勿論の事、その洒脱さはお見事。この洗練された雰囲気こそが、ニーヌ・アンティコの魅力だと思う。是非日本語翻訳が出され、多くの読者にその魅力を知って頂きたい。


Text by 新行内紀子

REVIEW

SFである!宇宙である!スペースオペラである!/『メタ・バロンの一族』(上)レビュー


現在、好評発売中の『メタ・バロンの一族』(上)。
あの『アンカル』のスピンオフシリーズとして、世界中で翻訳され、高い人気を集めている作品です。


metabarons_cvr.jpg   メタ・バロンの一族 上

  アレハンドロ・ホドロフスキー[作]
  フアン・ヒメネス[画]
  原正人[訳]

  B5変型、304ページ、並製、オールカラー
  定価:3,150円(税込)
  ISBN 978-4-7968-7119-8

  Gimenez & Jodorowsky, La Caste des Métabarons,
  © Les Humanoïdes Associés, SAS - Paris, 2012



原作を手掛けるのは、『アンカル』に引き続き、カルト映画監督として知られるアレハンドロ・ホドロフスキー
アートを、圧倒的重厚感を持った美麗なアートワークで世界中のクリエイターから尊敬を集めるフアン・ヒメネスが手掛けています。

本作では、『アンカル』に登場した宇宙最強の殺し屋メタ・バロンに連なる初代から5代目までのメタ・バロンを描いており、その壮大で濃密なストーリーは、BDの枠を越えて、アメコミやSFファンの方にも楽しんでいただける内容です。


そこで、今回はSFへの造詣が深く、
『ウォッチメン』をはじめとするアメコミの翻訳なども手掛けている
作家の海法紀光氏に本作のレビューをご寄稿いただきました!




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 SFである! 宇宙である! スペースオペラである!

 男は皆、勇ましくも愚かで、女は気高くも妖艶で、数ある異星に住む獣は、そのことごとくが奇怪にして凶暴。
 銀と鋼鉄の船が行きかう空漠たる宇宙空間を貫いて存在する帝国は、いつかなる時も、邪悪な陰謀に満ちており、その陰謀をめぐり、英雄と梟雄が剣と光線銃を交える。
 退廃に満ちた文明圏は奇矯な風俗をまとい、辺境星はことごとくが野蛮。どこをとっても一筋縄でいかない銀河の民を等しく心底から震わせる名がひとつ。
 その名をメタ・バロンという。
 メタ・バロンとは、宇宙に名を轟かす絶対の傭兵。人智を超える力をその身に秘め、ありとあらゆる地獄に望み、そのことごとくを叩き潰す偉大なる英雄。帝国の守護者。宇宙一の賞金稼ぎ。あるいは悪鬼羅刹の化身。その性は冷酷無惨な戦闘機械であり、生まれた時より身体の一部は冷たい鉄。その心はさらに冷たいという。

 カルト映画の巨匠、ホドロフスキー原作による本書『メタ・バロンの一族(上)』は、そのメタ・バロン一族の誕生と変遷を描く、スペースオペラである。
 宇宙で、もっとも恐れられた戦士の一族は、どのような残酷な運命のもとに生まれ、そして、どのようにその運命を踏みにじってきたのか? その恐るべき力は、いかにして手に入ったのか? その非人道的かつ残虐な伝統は、どこから生まれたのか? そして一族の歴史と銀河の歴史の暗部は、どのように絡み合うのか?

 本書はストレートな英雄譚であり、その物語の力強さも絵の雄渾さも、目や指から染み入るように伝わってくる名作であって、BD好きの方はもとより、BDに不案内な読者諸氏にも自信をもってお勧めできる。
 未読であれば、まずはご一読願いたい。愛憎と血しぶきに満ちた絢爛豪華たる銀河絵巻を隅から隅まで堪能いただきたい。

 ――堪能いただけただろうか? では蛇足かもしれない補足解説などを。

 本書の原作を担当するアレハンドロ・ホドロフスキーは、『エル・トポ』、『ホーリー・マウンテン』といったカルト映画の監督として偉名を轟かす一方、メビウス他と組んだ数々のBD原作者としても名高い。
 本書の画を担当するヒメネスは、これが初訳。アルゼンチン出身で、幼少期からコミックの魅力にとりつかれ、BDを手がける。工業高校で、機械工学、航空工学を専攻し、初期には戦史もののイラストレーションを担当したこともあり、メカデザインの深さと精密さには定評がある。コミック以外にも様々な方面で活躍しており、1980年代の映画『ヘビーメタル』のワンシーンも担当している。 

 本書に登場するメタ・バロンの初出は、ホドロフスキーとメビウスが組んだ『アンカル』である。
 『アンカル』は本書と同じ宇宙を舞台に、さえないR級私立探偵ジョン・ディフィールが謎の生命体アンカルにまつわる陰謀に巻き込まれ、銀河をまたにかけ、人類の精神そのものの深淵を探る冒険を描いている。
 そこで登場した無敵の傭兵、メタ・バロンの前日譚が本書というわけだ。

 神話的な英雄には二つの側面がある。一つは捨象。一つは過剰である。
 英雄とは純粋な存在だ。人間の、ある一面だけ残して他を削ぎ落とすことが英雄の条件といえよう。メタ・バロンが英雄であるのは、彼らが純粋な戦士だからだ。人間の中にある無数の弱さを不純物として切り捨て、ひたすらに磨き上げることによって英雄は誕生する。

 一方で、英雄は最初から英雄であったわけではない。人が英雄となるというのは、人が人を止め、人を超えることを決心することだ。その選択は多くの場合、悲しい。
 人が、そのような純粋な存在になるためには、過剰なものが必要となる。
 あるときは、過剰な怒り。あるいは悲しみ。悲運。受け継がれた意志。そういったものこそが人間というものを、鋭く削り、英雄に変えてゆく。

 メビウスの繊細なタッチで描かれた『アンカル』は、人類の集合精神の深淵を遡る物語とあいまって、捨象の物語とも言えるだろう。登場するメタ・バロンは完成された英雄だ。
 本作『メタ・バロンの一族』は、まごうこと無い、過剰の物語である。
 ヒメネスの絵は、人の肌や表情は言うにおよばず、広い画面を埋め尽くす無数の兵器や武器のディティールの全てを深く塗り重ねる迫力あるものである。物語もギリシア悲劇を題材にとったという通り、怒りがあり憎しみがあり愛があり、近親相姦と親殺しが全編にわたって横たわる。
 『アンカル』に登場する最後のメタ・バロンの誕生に向けて、無数のいびつな英雄たちが絡み合うのが本作『メタ・バロンの一族』だ。

 しかし過剰一方な物語は、見る側に負担をかける。読んでると疲れるのだ。本作においては、その熱い過剰さを和らげるように、柔らかなユーモアが随所に配置されている。
 全編の物語は、メタ・バロンの一族に仕えるロボットの下僕、ロタールとトントの語りの中で描かれ、この作品が英雄譚であると同時に、ホラ話でもありうるという含みを残す。
 熱く重い一撃と、風のように軽やかな語り口の二つを得て、メタ・バロンの物語は終末に向けて加速してゆく。

 果たして、メタ・バロンの一族が、いかなる奇跡のもとに大団円を......あるいは破滅を遂げるのか。無敵のバロンの右眉毛の上の怪我は、いかにして生じたのか。
 待て、下巻!




Text by 海法 紀光

REVIEW

ニコラ・ド・クレシーの集大成!/『サルヴァトール』レビュー

 

現在、好評発売中のニコラ・ド・クレシー邦訳最新作『サルヴァトール』。



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  サルヴァトール

 

  ニコラ・ド・クレシー[著]

  大西愛子[訳]

 

  B5判変型、224ページ、上製、オールカラー

  定価:3,150円(税込)

  ISBN 978-4-7968-7114-3

  ©DUPUIS 2010, by De Crécy All rights reserved

 


今回は、同じくニコラ・ド・クレシーによる『天空のビバンドム』(飛鳥新社)の翻訳者である

原正人さんに『サルヴァトール』のレビューをご寄稿いただきました!

 

 


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ニコラ・ド・クレシーの最新翻訳『サルヴァトール』はもうお読みいただけただろうか? 初恋の雌犬ジュリーを探すため南米に向かうという大志を抱いた自動車修理工の犬サルヴァトールが、お供の「小さいの」と一緒に悪戦苦闘の珍道中を繰り広げるというキュートな物語である。まだという方はまずはぜひ作品をお読みいただきたい。

 

 

ニコラ・ド・クレシーの翻訳単行本は『氷河期』(大西愛子訳、小学館集英社プロダクション刊)、『天空のビバンドム』(原正人訳、飛鳥新社刊)に続いて今回で3作目である。それ以前に『Slip』(飛鳥新社刊)に「プロゾポピュス」が、『JAPON』(飛鳥新社刊)に「新しき神々」が掲載されている。

 

 

そもそも、ニコラ・ド・クレシーは、ものすごく多作なBD作家というわけではない。邦訳されているものを除くと、BD作品としては、ヴィクトル・ユゴーに原作を仰ぎ、シルヴァン・ショメが脚本を担当した幻の処女作『ビュグ・ジャルガル』(Bug Jargal, 1989, 全1巻)、『フォリガット』(Foligatto, 1991, 全1巻)、『ムッシュー・フルーツ』(Monsieur Fruit, 1995-1996, 全2巻)、シルヴァン・ショメ脚本の『麻薬のレオン』(Léon la Came, 1995-1998, 全3巻)、『プロゾポピュス』(Prosopopus, 2009, 全1巻, 『Slip』に掲載された作品を発展させたもの)、『あるおばけの日記』(Journal d'un fantôme, 2007, 全1巻, 『JAPON』に掲載された「新しき神々」を発展させたもの)が刊行されている程度である。

 

 

BD作家の中には1作ごとに作風を変える器用な作家がいるが、ド・クレシーもそういった作家の一人である。『フォリガット』や『天空のビバンドム』では、表現主義の絵画を意識しているかのような濃厚な表現が用いられていたが、『麻薬のレオン』ではカラーで描きながらもより軽い、読みやすさを意識した表現が用いられ、『ムッシュー・フルーツ』ではそれが極限にまで押し進められ、鉛筆による非常に軽やかな描線で物語が語られている。内容的には、当初どこかゴシックめいたグロテスクな道具立てを好んで取り上げていたが、作品を発表していくにつれて、奇妙な要素は残しつつも、徐々にかわいいキャラクターが増えていっているように見受けられる。

 

 

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『フォリガット』 『ムッシュー・フルーツ』 『麻薬のレオン』

 

 

 

今回翻訳された『サルヴァトール』は、2005年に第1巻が刊行され、最新の第4巻が2010年に刊行されたニコラ・ド・クレシーのBD最新作だが、ここでは、これまでの経験を踏まえて、ド・クレシー作品史上、もっとも読みやすく、もっともかわいい作品に仕上がっている。とはいえ、そこはやはりド・クレシーである。そこかしこに皮肉が散りばめられているのだが、それについては訳者の大西愛子さんによる解説をお読みいただきたい。

 

 

ニコラ・ド・クレシーの作品は、世界観の奇妙さと文学的なテクストが相俟って、どこか難解でとっつきにくいところがある。邦訳作品は、どうしても訳者の解釈作業が入るので、原作の難解さを丸めてしまいがちである。だから、『氷河期』や『天空のビバンドム』の邦訳版からでは伝わりにくいかもしれないが、『フォリガット』にしろ『麻薬のレオン』(これはシルヴァン・ショメのテクストだが)にしろ『天空のビバンドム』にしろ、一読ではよくわからないものが多い。

 

例えば、『天空のビバンドム』は、ロンバックス教授が、ゴシック・ロマンス風の舞台設定の中でものものしい言葉を使いながらナレーションを始める場面から物語が始まるのだが、それは「いかにも」な、ものものしいナレーションのいわばパロディで、それが後々、奇想天外なナレーションの奪い合いに発展していくという具合である。マンガはわかりやすいものだという先入見を持ちがちだが、なかなか一読ではこの仕掛けに気づきにくい。こういうところがド・クレシーの魅力でもあるのだが、これでは読者を限定してしまうのも事実だろう。

 

しかるに『サルヴァトール』はド・クレシー的ナンセンス・ドタバタを残しつつ、しかも、多くの人に読みやすい作品に仕上がっている。

 

 

 

ド・クレシー作品では、ナレーションが物語内の会話に闖入し、物語空間を脅かすことが多いが、『サルヴァトール』にはそれがあまりなく、あったとしても自然に効果的な場面で用いられている。グラフィック的な効果も、読みやすさを助長している。初期の作品のようにけばけばしい色彩が用いられることはなく、絵も全体に丸みがあって、見ていて心地よい。豚のアマンディーヌがゲレンデを車で滑走するシーンなど、ハラハラドキドキさせる見せ場もある。このような要素は初期のド・クレシー作品にはあまり見られないものだった。

 

なによりこの作品を魅力的なものにしているのはキャラクターだろう。サルヴァトールやアマンディーヌもいいが、とにかく「小さいの」がすばらしい。タンタンとスノーウィの関係が逆転したようなコンビで、サルヴァトールが常にイヤな仕事を小さいのに押しつけたりするところが楽しいが、小さいのが何かにつけ怯え、ブルブル震える様子なども実に愛しい。

 

 

2010年に『サルヴァトール』の第4巻が刊行されてからというもの、ニコラ・ド・クレシーはもっぱらイラストに精力を注いでいるようだ。以前からイラスト集も多く出版していたのだが、2011年には『500枚の絵』(500 dessins)、2012年には『京都手帳』(Carnets de Kyoto)と立て続けに大きなイラスト集を出版している。2012年5月11日から6月9日にかけて後者の展覧会も行われた(※1)。2011年のさるインタビューでは、もうBDはやらないとまで言っている(※2)。20年以上BDを続けてきて、BDに対する居心地のよさは感じるものの、どこか繰り返しになっていると感じているそうだ。今は描き溜めたイラストに力強さを感じているとのこと。

 

これが本当なら非常に残念だが、常に新しいことに挑戦する実験精神を失わないド・クレシーだけに、新しい刺激を必要とするのも理解はできる。しかし、マンガ的な表現への情熱を完全に失ってしまったわけではあるまい。しばらくイラストでリフレッシュした後に、再びBDに戻り、『サルヴァトール』の続きを描いてくれることを期待したい。

 

 

Text by 原正人

 

 

 

〔出典〕

※1 - Galerie Martel: Exposition Nicolas de Crécy 

※2 - Rue89 Culture / Nicolas de Crécy : Je ne fais plus de BD. Je ne peux plus physiquement (2011/10/8/10)

 

 

REVIEW

あのスクイテンの細密画が動き出す! ノスタルジックな鉄道愛と衝撃の3D体験 新作BD『ラ・ドゥース』レビュー

 

今年初め、カステルマンから今年のラインナップの目玉として発表された

スクイテンの新作BD『ラ・ドゥース』が、先日、フランス本国でようやく発売となりました。

 

 

この待望の新作BD、実はある画期的な仕掛けでたいへん話題になっているのです。
というわけで、まずはこちらの動画をご覧ください。

 

 

 

 

 

 


なんとなんと、この新作BDは、見返し(※本の表紙の裏の部分)をウェブカメラで映し出すことで、

絵が飛び出してくる仕掛けになっているんですね。

 

 

0523_01.jpg   これが仕掛けのある見返し部分。
  ソフトをダウンロードして、
  ウェブカメラで撮影すると衝撃の3D体験が!

 

 

そうなると内容についても気になるところ。

 

そこで、『闇の国々』の翻訳で知られるBD研究家の古永真一さんに、

この新作BD『ラ・ドゥース』について、詳しくレビューしていただきました!

 

 


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  La Douce

 

  François Schuiten

  Casterman, 2012

 

フランソワ・スクイテンの待望の新作が出た。

 

ラ・ドゥース』(La Douce, Casterman, 2012)というちょっと訳しづらいタイトルである。

「ラ・ドゥース」とは機関車の愛称で「優しい」「心にしみる」「懐かしい」という意味のフランス語。この機関車の正式名称は「12.004」というのだが、数字の12はフランス語だと「ドゥーズ」という発音になるからそれにかけているのだろう。

 

 

 

■「闇の国々」シリーズの一冊?

 

 

今回の新作は「闇の国々」のシリーズ一冊なのだろうか?

表紙には「闇の国々」の表記はないが、あるウェブサイトでは、「シリーズ初のソロアルバム」〔同シリーズはブノワ・ペータースとスクイテンの共作〕と記されている〔*1〕

いずれにせよ今回の作品にも、近代化に対する愛憎半ばする複雑な感情という「闇の国々」と共通するムードがあることは確かだ。スクイテンによれば、『ラ・ドゥース』は多くの点で「闇の国々」の世界と共通点があるが、ひとつだけ違うのはブノワ・ペータースとの共作ではないことで、そのためストーリー面で弱い点があるかもしれないとのことだ。謙遜しているのだろうが、たしかにペータースの書くものとは違って、物語は蒸気機関車のようにまっすぐに突き進む。これはこれでおもしろい。頑固一徹な機関士の性格にもマッチしている。

 

 

 

■スクイテンと鉄道のかかわり

 

 

もともとスクイテンは鉄道好きでクロード・ルナールと『鉄道』(Le Rail, Les Humanoïdes Associés, 1981)というBDを描き、ブリュッセルの鉄道博物館のセノグラフィーやパリやブリュッセルの地下鉄の駅のデザインも手がけている。自分の得意分野で初のソロアルバムに挑んだ印象だ。

 

0523_03.jpg   Le Rail

  Claude Renard & François Schuiten
  Les Humanoïdes Associés, 1981

 

 

 

■ストーリーについて

 

 

ざっとストーリーを紹介してみよう。主人公は機関士のレオン・ファン・ベル

16歳から鉄道一筋で働いてきたが今や50を過ぎて定年が近い。コンビを組む運転士アンリとは兄弟のような間柄だ。どこぞの国の交通機関のように一人きりで長時間運転させることもなく、日勤教育もない。チームプレイで安全運転を心がける。

 

「ラ・ドゥース」は、近代化の流れのなかでお払い箱になる定めにある。ロープウェイが開発されて、機関車の存在価値がなくなってきたからだ。ロープウェイなら、建築とメンテナンスに費用のかかるトンネルや橋を作る必要もない。すでに鉄道会社では電車への移行が検討されており、職員に研修を受けさせようとするが、ファン・ベルは乗り気になれない。彼は過去にしがみつく男として職場で孤立してしまい、相棒アンリも離れていく。

 

 

0523_04.JPG

  冒頭の2コマ
  電気の時代への変化が
  暗示されている


電気を使った新たなシステムは最初のうちは職員たちを昂揚させたが、仕事が孤独でずっと同じ姿勢を保たなければならないこと、つねに「管制官」の指示に従わなければならないことから以前よりも疲労感を感じるようになる。機関士は手足の自由を奪われ、機械にコントロールされるようになった。新たなテクノロジーによって不要になった仕事も多く、職員の人員削減が断行される。

 

ファン・ベルは、同志をつのって「ラ・ドゥース」がスクラップにされる前に安全な場所に隠そうとする。だが計画は失敗し、窃盗罪で逮捕される。ファン・ベルは長年の重労働で肺に持病があったので、医師のはからいで仮出所する。彼は「ラ・ドゥース」がまだスクラップになっていないことを知って探し出そうとする。

 

ある日、彼は忍び込んだロープウェイから落ちそうになったところを若い女に救われる。その女には見覚えがあった。女がくず鉄を盗もうとしていたのを見つかって乱暴されそうになっていたところをファン・ベルが助けてやったことがあったのだ。

 

二人はロープウェイに乗ったまま移動を続けるが、危うく捕まりそうになる。その取締官の一人がかつての相棒アンリだった。ファン・ベルはアンリから、彼女はエリヤという名前で生まれつき言葉を話せないこと、両親は鉄道会社に勤務していたがすでに亡くなったことを知る。「機関車の墓場」に「ラ・ドゥース」があるかもしれないと知ったファン・ベルは、アンリの助けでエリヤとともに探索を続ける。


0523_05.JPG   ロープウェイで機関車を探す
  ファン・ベルとエリヤ


「アルタヴィル」という町にたどりつくと、エリヤが鉄を買い取ってくれる男の家に案内する。エドガーというその男は、ある女優に関するオブジェのコレクションに熱中している変わり者だった。彼らはどうにか「機関車の墓場」にたどりつき、埋もれていた「ラ・ドゥース」を探し出す。ファン・ベルとエリヤは機関車に乗り込み、疾走する車内で至福の時を味わうのであった......。

 

 

 

■作品のみどころ

 

 

スクイテンというと都市建築の描写に定評があるが、今回の作品では、機関車だけではなく機関車が疾走する周囲の自然描写も見所の一つである。

 

また鉄道先進国だったベルギーの歴史や文化に触れる機会にもなるだろう。

1835年、ヨーロッパ大陸で最初に開通したのがベルギーの鉄道だったこと、12型機関車が世界最速のブルーリボン賞に輝いたこと、第二次世界大戦ではこの機関車が強制収容所に移送される人々の命を救ったこと......。

 

 

 

■画期的な仕掛けにみる遊び心

 

 

最後にこのアルバムにはちょっとした仕掛けがある。

 

アルバムの見返しの絵を使ってウェブカムで動画が楽しめるのだ。スクイテンの細密無比の絵が動き出すと迫力がある。

 

鉄道の整備によって地方ごとにばらばらだった時間が統一され、近代化の土台が完成し、人々が勤勉にシステムに奉仕するようになり、機械技術の発達は遊びを排除し、その影響力は外的な自然の支配だけでなく人間の内面の自己規制にも及んだと言われる〔*2〕

 

そこで失われたのが遊びの精神だとすれば、鉄道にもマンガにもこのような遊びの要素は重要ではないか。無骨な機関士や野性味あふれる美女が活躍するこの物語からそんなことを考えさせられた。


 

Text by 古永真一

 

 


*1―http://www.altaplana.be/albums/la_douce
*2―ヴォルフガング・シベルブシュ、『鉄道旅行の歴史──十九世紀における空間と時間の工業化』(加藤二郎訳)、法政大学出版局、1982年。

 

 

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