REVIEW

ニコラ・ド・クレシーの集大成!/『サルヴァトール』レビュー

 

現在、好評発売中のニコラ・ド・クレシー邦訳最新作『サルヴァトール』。



Salvatore_cvr.jpgのサムネール画像

  サルヴァトール

 

  ニコラ・ド・クレシー[著]

  大西愛子[訳]

 

  B5判変型、224ページ、上製、オールカラー

  定価:3,150円(税込)

  ISBN 978-4-7968-7114-3

  ©DUPUIS 2010, by De Crécy All rights reserved

 


今回は、同じくニコラ・ド・クレシーによる『天空のビバンドム』(飛鳥新社)の翻訳者である

原正人さんに『サルヴァトール』のレビューをご寄稿いただきました!

 

 


* * *

 

 

 

ニコラ・ド・クレシーの最新翻訳『サルヴァトール』はもうお読みいただけただろうか? 初恋の雌犬ジュリーを探すため南米に向かうという大志を抱いた自動車修理工の犬サルヴァトールが、お供の「小さいの」と一緒に悪戦苦闘の珍道中を繰り広げるというキュートな物語である。まだという方はまずはぜひ作品をお読みいただきたい。

 

 

ニコラ・ド・クレシーの翻訳単行本は『氷河期』(大西愛子訳、小学館集英社プロダクション刊)、『天空のビバンドム』(原正人訳、飛鳥新社刊)に続いて今回で3作目である。それ以前に『Slip』(飛鳥新社刊)に「プロゾポピュス」が、『JAPON』(飛鳥新社刊)に「新しき神々」が掲載されている。

 

 

そもそも、ニコラ・ド・クレシーは、ものすごく多作なBD作家というわけではない。邦訳されているものを除くと、BD作品としては、ヴィクトル・ユゴーに原作を仰ぎ、シルヴァン・ショメが脚本を担当した幻の処女作『ビュグ・ジャルガル』(Bug Jargal, 1989, 全1巻)、『フォリガット』(Foligatto, 1991, 全1巻)、『ムッシュー・フルーツ』(Monsieur Fruit, 1995-1996, 全2巻)、シルヴァン・ショメ脚本の『麻薬のレオン』(Léon la Came, 1995-1998, 全3巻)、『プロゾポピュス』(Prosopopus, 2009, 全1巻, 『Slip』に掲載された作品を発展させたもの)、『あるおばけの日記』(Journal d'un fantôme, 2007, 全1巻, 『JAPON』に掲載された「新しき神々」を発展させたもの)が刊行されている程度である。

 

 

BD作家の中には1作ごとに作風を変える器用な作家がいるが、ド・クレシーもそういった作家の一人である。『フォリガット』や『天空のビバンドム』では、表現主義の絵画を意識しているかのような濃厚な表現が用いられていたが、『麻薬のレオン』ではカラーで描きながらもより軽い、読みやすさを意識した表現が用いられ、『ムッシュー・フルーツ』ではそれが極限にまで押し進められ、鉛筆による非常に軽やかな描線で物語が語られている。内容的には、当初どこかゴシックめいたグロテスクな道具立てを好んで取り上げていたが、作品を発表していくにつれて、奇妙な要素は残しつつも、徐々にかわいいキャラクターが増えていっているように見受けられる。

 

 

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『フォリガット』 『ムッシュー・フルーツ』 『麻薬のレオン』

 

 

 

今回翻訳された『サルヴァトール』は、2005年に第1巻が刊行され、最新の第4巻が2010年に刊行されたニコラ・ド・クレシーのBD最新作だが、ここでは、これまでの経験を踏まえて、ド・クレシー作品史上、もっとも読みやすく、もっともかわいい作品に仕上がっている。とはいえ、そこはやはりド・クレシーである。そこかしこに皮肉が散りばめられているのだが、それについては訳者の大西愛子さんによる解説をお読みいただきたい。

 

 

ニコラ・ド・クレシーの作品は、世界観の奇妙さと文学的なテクストが相俟って、どこか難解でとっつきにくいところがある。邦訳作品は、どうしても訳者の解釈作業が入るので、原作の難解さを丸めてしまいがちである。だから、『氷河期』や『天空のビバンドム』の邦訳版からでは伝わりにくいかもしれないが、『フォリガット』にしろ『麻薬のレオン』(これはシルヴァン・ショメのテクストだが)にしろ『天空のビバンドム』にしろ、一読ではよくわからないものが多い。

 

例えば、『天空のビバンドム』は、ロンバックス教授が、ゴシック・ロマンス風の舞台設定の中でものものしい言葉を使いながらナレーションを始める場面から物語が始まるのだが、それは「いかにも」な、ものものしいナレーションのいわばパロディで、それが後々、奇想天外なナレーションの奪い合いに発展していくという具合である。マンガはわかりやすいものだという先入見を持ちがちだが、なかなか一読ではこの仕掛けに気づきにくい。こういうところがド・クレシーの魅力でもあるのだが、これでは読者を限定してしまうのも事実だろう。

 

しかるに『サルヴァトール』はド・クレシー的ナンセンス・ドタバタを残しつつ、しかも、多くの人に読みやすい作品に仕上がっている。

 

 

 

ド・クレシー作品では、ナレーションが物語内の会話に闖入し、物語空間を脅かすことが多いが、『サルヴァトール』にはそれがあまりなく、あったとしても自然に効果的な場面で用いられている。グラフィック的な効果も、読みやすさを助長している。初期の作品のようにけばけばしい色彩が用いられることはなく、絵も全体に丸みがあって、見ていて心地よい。豚のアマンディーヌがゲレンデを車で滑走するシーンなど、ハラハラドキドキさせる見せ場もある。このような要素は初期のド・クレシー作品にはあまり見られないものだった。

 

なによりこの作品を魅力的なものにしているのはキャラクターだろう。サルヴァトールやアマンディーヌもいいが、とにかく「小さいの」がすばらしい。タンタンとスノーウィの関係が逆転したようなコンビで、サルヴァトールが常にイヤな仕事を小さいのに押しつけたりするところが楽しいが、小さいのが何かにつけ怯え、ブルブル震える様子なども実に愛しい。

 

 

2010年に『サルヴァトール』の第4巻が刊行されてからというもの、ニコラ・ド・クレシーはもっぱらイラストに精力を注いでいるようだ。以前からイラスト集も多く出版していたのだが、2011年には『500枚の絵』(500 dessins)、2012年には『京都手帳』(Carnets de Kyoto)と立て続けに大きなイラスト集を出版している。2012年5月11日から6月9日にかけて後者の展覧会も行われた(※1)。2011年のさるインタビューでは、もうBDはやらないとまで言っている(※2)。20年以上BDを続けてきて、BDに対する居心地のよさは感じるものの、どこか繰り返しになっていると感じているそうだ。今は描き溜めたイラストに力強さを感じているとのこと。

 

これが本当なら非常に残念だが、常に新しいことに挑戦する実験精神を失わないド・クレシーだけに、新しい刺激を必要とするのも理解はできる。しかし、マンガ的な表現への情熱を完全に失ってしまったわけではあるまい。しばらくイラストでリフレッシュした後に、再びBDに戻り、『サルヴァトール』の続きを描いてくれることを期待したい。

 

 

Text by 原正人

 

 

 

〔出典〕

※1 - Galerie Martel: Exposition Nicolas de Crécy 

※2 - Rue89 Culture / Nicolas de Crécy : Je ne fais plus de BD. Je ne peux plus physiquement (2011/10/8/10)

 

 

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