ドイツ・ハンブルク在住の翻訳家、岩本順子さんがお届けする「ドイツコミック情報便」。
今回は2009年に『河をゆく女』とともに講談社の「MANDALA(マンダラ)」誌に掲載された
ドイツ人漫画家マティアス・シュルトハイスの作品『ダディ』をご紹介します!
★前回までの記事は下記よりどうぞ↓
【ドイツコミック情報便1】マティアス・シュルトハイスの世界~イントロダクション~
【ドイツコミック情報便2】マティアス・シュルトハイスの世界~『ビルとの旅』の周辺~
【ドイツコミック情報便3】マティアス・シュルトハイスの世界~『河をゆく女』と『放浪者』~
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『ダディ』のキャラクター設定は、一見スキャンダラスだ。主人公は、盲目で、肥満体で、ドラッグ中毒の放浪者、イエス・キリスト。彼の身辺の世話をしているのは、ヒットラーに瓜二つの小人だ。
今回は、ごく簡単にストーリーをご紹介しよう。

▲路上をゆくイエスと小人(ラフスケッチ) ©Matthias Schultheiss
戦争、暴力、災害が絶えない現在、紀元三千年紀、神(ダディ)は人類にあらためて神の道を知らしめようと、その子イエスを地上に送り込むことを決意する。だが、イエスにしてみれば、父親の言いなりになるなどまっぴらごめんだ。また十字架に磔になって殺されてしまうなんて、たまったものではない。だが、父は抵抗する息子の視力を奪い、地獄から引っ張って来た小人とともに、強引にも地上に送り込む。

▲路上をゆくイエスと小人 ©Matthias Schultheiss/Splitter Verlag
地上を放浪するイエスは、弱者に寄り添い、わずかな所持金さえも与えてしまう善き人だ。ドラッグの調達を任されている小人には苦労が絶えない。しかしイエスにとっては、地上の現実はあまりにも悲惨で耐え難く、そこから逃避させてくれるのはドラッグだけなのだ。だが、逃避は何も解決しない。やがてイエスは行動を起こし始める。虐げられている罪のない子供たちを救済しはじめるのだ。

▲病気の子供を癒すイエス ©Matthias Schultheiss/Splitter Verlag
イエスは最初の奇跡を起こす。高層ビルの火事現場で炎にまみれながら2人の子供を救出するのだ。続いて未成年の娼婦を助け、病棟の子供たちを退院させる。奇跡を起こす盲目の肥満男の噂は、バチカンのローマ教皇庁にも伝わる。バチカンの存在を脅かすイエスを生かしておくわけにはいかない。
イエスは教皇庁に捕えられ、十字架に磔にされる。手足には釘が打たれ、腹部は槍で刺され、巨体から血が流れる。十字架上のイエスは、苦しみながらこう叫ぶ。「神とサタンは同一だ!」と。
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その時、奇跡が起こる。イエスは自力で十字架を下り、その肉体には傷跡はもうなかった。バチカンは火の玉に襲われ全壊する。父は息子の願いを聞き入れてくれたのだろうか。
そして舞台は中央アフリカへ。イエスは小人を従え、奥地で治療師としての新しい人生をスタートしたばかり。 治療室のテレビニュースからニュースが流れる。「・・・先日のバチカンの爆発事故は、テロ行為ではなく、隕石の落下によるものではないかということです・・・」

▲中央アフリカのイエスと小人 ©Matthias Schultheiss/Splitter Verlag
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この作品は、2009年に講談社の「MANDALA」3号に掲載された。日本語版は43ページだったが、2011年にフランスのグレナ社とドイツのシュプリッター社から出版されたアルバム版は、地上にやってきたばかりのイエスの姿と磔のシーン、バチカン崩壊のシーンが加筆され、64ページとなった。このほかアルバム版には、虐げられる子供たちの姿が、子供のいたずら描きのような線で描き加えられた。意図的に稚拙に描かれた線からは、苦しむ子供たちの叫び声が聞こえてきそうだ。
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この作品はドイツでは高く評価され、フランスでも好評を博したという。マティアスがグレナ社に『河を渡る女』と『ダディ』を同時にプレゼンテーションした時、グレナ社は先に『ダディ』を出版することを決めたそうだ。講談社もそうだったが、グレナ社もシュプリッター社も、マティアスの作品をそのまま出版し、表現における自粛や変更は一切行われていない。ドイツでは「神の子の知的な言葉を通して、我々の信仰問題に疑問を投げかける作品」「学校のクラスや宗教や倫理の授業で取り上げるべき重要なコミック作品」「2011年に出版されたコミックの中で、最も挑戦的な作品」などと評された。
マティアスはこの作品を発表する際、カトリック教会などから抗議が来ることを覚悟したという。しかし、現在に至るまで何らクレームはない。彼はそれについて「ドイツではいまだ、コミックが取るに足らないものと見なされているからではないか」とコメントしている。
当のマティアスは、この作品は宗教問題についての考察ではないと言う。「神は神、それでいい。僕は神を否定はしない。僕が否定するのは、教会がいかに神を手段として利用し、何百年にもわたって、国家における一権力を握ってきたことだ。そして、僕を魅了したのは『父と息子の葛藤』というテーマ。この作品で描きたかったのは、何よりも父と息子の関係についてだった。宗教だけではストーリーがつくれない。宗教は信じるか否かに限定されるからだ」と語っている。そういえば、マティアスが90年代に日本向けに描きためていた未発表作品『狂気の中枢』のテーマも、父と息子の葛藤だった。
先頃のシャルリー・エブドの事件に関しては、マティアスは距離をとっている。彼は、約30年前にシャルリー・エブドの作家の何人かと会ったことがあるそうだが、当時から、彼らの表現世界は自分の表現世界とは相容れないと感じているそうだ。
『ダディ』は限りなく人間的なイエスを通して、バチカンの権力に疑問を突きつけている。そして、このマティアスの作品は、キリスト教批判でなく、権力をむやみに行使する者たちに対する抵抗の物語だ。そこには宗教を越えた、普遍的な考えが提示されている。
Text by 岩本順子