COLUMN

【ドイツコミック情報便2】マティアス・シュルトハイスの世界~『ビルとの旅』の周辺~


ドイツ・ハンブルク在住の翻訳家、岩本順子さんがお届けする「ドイツコミック情報便」。

前回は、岩本さんイチオシのドイツ人漫画家マティアス・シュルトハイス
経歴と作品について紹介していただきましたが、
今回はそのシュルトハイスのカムバック後の長編作品『ビルとの旅』について
著者本人のコメントを交えて詳しく解説していただきました!

★前回の記事は コチラ から。



* * *



2010年にフランスとドイツでほぼ同時に出版された『ビルとの旅(Die Reise mit Bill)』は283ページの大作だ。従来のドイツのコミックアルバムは1巻が50ページ前後。それまでマティアスの作品は、長いもので3巻完結、つまり150ページくらいのボリュームだった。283ページというと、5~6巻に相当する。一挙にたっぷり読めることに心躍った。


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▲『ビルとの旅』書影 ©Matthias Schultheiss/Éditions Glénat, Splitter Verlag


『ビルとの旅』はサイズも新しい。ほぼDIN(ドイツ規格) B5サイズより少し小さく、従来のアルバム(DIN A4とB4の中間くらい)の半分程度。コンパクトで手に取りやすい。気軽に持ち歩いて、地下鉄やカフェ、公園でも読める。コミックを持ち歩いて読む行為自体がとても新鮮で、ほとんどのページを戸外で読んだ。

最近では、ページ数に関わらずストーリー性のある作品をグラフィックノベルと称し、コンパクトサイズで出版することが定着しつつある。ただ、グラフィックノベルの定義はあいまいで、従来のコミックと厳密に区別することは不可能だ。ドイツでは「コミック」という名称から「子供のもの」「フリーク達のもの」「可笑しいもの」というイメージが喚起されるため、大人の読者を意識する出版社が「グラフィックノベル」という名称に飛びついたのだろう。

新鮮だったのは本の体裁だけでない。私はそれまでマティアスの作品世界になかなか入り込めなかったのだが、『ビルとの旅』にはすんなりと入ることができた。作品のテンポが映画的で、いくつかの日本のストーリー漫画の時間の流れに似ている。ナレーションも吹き出しも簡潔だ。以前のマティアスの作品には、このようなテンポやページの余白はなかった。それに、60代半ばの彼の描線には、30年前の『シェルビーの真実』の描線にはない優しさ、まるさが感じられた。


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©Matthias Schultheiss/Éditions Glénat, Splitter Verlag


マティアスは1990年代に約7年にわたって日本の漫画編集部と共同作業を行った。例外もあるが、日本の漫画はページ数に決まりがなく、1つのコマに沢山情報を詰め込みすぎないため、作品中の時間の流れにゆとりがある。『ビルとの旅』には、日本との共同作業を経た痕跡があり、それが読みやすかった理由ではないかと思った。その話をマティアスにしたら、日本との共同作業の後、『ビルとの旅』でカムバックするまで、10年以上にわたってテレビドラマの脚本を書いていたので、そっちの影響が大きい、と教えてくれた。

『ビルとの旅』で、アメリカ大陸をあてもなく車で旅しているのはルークとその娘トゥイーティ。彼らは路上で、ベトナム戦争で両足を失った車椅子の男、ビルと出会う。ビルは両足を取り戻してくれるはずだというシャーマンを探している。ルークたちはビルに同行することを決め、3人の旅が始まる。『ビルとの旅』は前半と後半で大きく舞台が変わる。前半は陽光眩しいアメリカ大陸を舞台とする3人の旅、後半は冬のアラスカ半島でやっとシャーマンを見つけたビルが、北洋で孤独な試練を受けるという構成だ。

ルークのモデルはマティアス自身だろう。彼には本当にトゥイーティという名の1人娘がいて、時々マティアスの作品に顔を出す。確か『プロペラマン』にも登場していた。幼い無邪気なトゥイーティとビルの会話がとても素敵で、安らかな気持ちになる。


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©Matthias Schultheiss/Éditions Glénat, Splitter Verlag


2013年4月11日のブログで、マティアスは『ビルとの旅』(当初の仮題は『鯨の歌』)を始め、作品のアイディアがどう生まれてくるかについて述べている。それは彼自身にも理解できない「マジックのようなもの」だという。現在では、敢えてそれを理解しようとせず、アイディアが生じるままにさせているため、頭の中では沢山のアイディアの断片が渦を巻いており、時間とともに、面白くない要素が淘汰されて行くという。


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▲30年前の構想スケッチ ©Matthias Schultheiss


上記のイメージスケッチは、マティアスが30年以上前に描いたものだ。当時、彼はモノクロで、こんな画風の作品を描いていた。よく見ると、ルークとトゥイーティ、そして車椅子のビルがいる。鯨は『ビルとの旅』の後半に登場する。中には作品に使われなかった要素、別の作品に結晶した要素もある。

2013年4月11日のブログページには、同じく30年以上前に描かれた他のスケッチもアップされている。


先日、マティアスに『ビルとの旅』のなりたちについて尋ねてみたら、こんな返事がかえって来た。

この話は30年以上前に、出版することなど一切考えずに構想し始めたものなんだ。アイディアと物語が膨らむにまかせていた。でも当時の僕にはどうしても終わりが見えず、そのままになっていた。30年たったある時、この物語を終わらせたいと思うようになった。そして、新たに物語を練って行くうちに、結末が見えて来た。僕はひたすら描き続け、作品は完成をみた。そして、これを出版しないのはあまりにも残念だと思って、グレナ社に見せてみたら、すんなり出版が決まったんだ


ルーク、トゥイーティ、そしてビルは、30年の年月を経て、豊かな物語に熟成した。

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©Matthias Schultheiss/Éditions Glénat, Splitter Verlag


今年3月29日の彼のブログにこんな文章を見つけた。「『ビルとの旅』は僕がこれまでに描いた作品の中で一番美しく、一番重要な作品、非常に個人的な作品だ。僕はアメリカという広大な国とそこに住む人々が好きだ。アメリカにはアメリカでしか起こりえない物語がある。僕が言う物語とは、UFOとかインディアンの話じゃないよ。僕は度々アメリカを訪れ、気の向くままに旅をした。グレイハウンド(バス)で旅をしていた時には、僕の人生において最も素晴しいいくつかの出会いがあった


これを読んだとき、マティアスがかつて語っていたことを思い出した。「僕は少年の頃から、自分の父親に象徴されるドイツの重苦しさ、狭苦しさに窒息しそうになっていて、ひたすらアメリカに、その広大さ、スケールの大きさに憧れていたんだ......


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©Matthias Schultheiss/Éditions Glénat, Splitter Verlag


続いて5月19日のマティアスのブログにはこんなことが書いてあった。「遠くで雷鳴が響くとき、僕のところに、「ランベルト」[※]や「ビル」がやってくる。彼らは僕の旧友となった。ルークのことは見失ってしまった。彼は塵となり、何かを探すような眼をして、星と星の間の無限の空間をさまよっている。ルークの娘のトゥイーティも、あまり訪ねて来なくなった。たまに僕の肩越しに現れて『パパったら、またお話描いているの』なんて言ってくる」。
―『ラゴスの鮫』の主人公


『ビルとの旅』から4年。ビルの存在は、マティアスにとって、今なお重要なのだろう。ビルがまた、彼の作品に登場するなら、その続きの話を読んでみたいと思う。


★出版社のサイトで、一部閲覧可能です↓
http://www.splitter-verlag.eu/die-reise-mit-bill.html

★マティアス・シュルトハイスのブログはこちら↓
http://matthias-schultheiss.de

Text by 岩本順子

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