COLUMN

【ドイツコミック情報便1】マティアス・シュルトハイスの世界~イントロダクション~


以前、「ドイツコミック最前線を知る!」と題してインタビューをさせていただいた
ドイツ・ハンブルク在住の翻訳者、岩本順子さん。

前回の記事はこちらから↓
ドイツコミック最前線を知る!/『ベイビーズ・イン・ブラック』翻訳者・岩本順子さんインタビュー〔前編〕
ドイツコミック最前線を知る!/『ベイビーズ・イン・ブラック』翻訳者・岩本順子さんインタビュー〔後編〕

岩本さんは、かつて講談社の『モーニング』に掲載されたドイツコミックの翻訳なども手掛け、
ドイツにおける日本漫画の普及にも携わってこられた方です。

そんなドイツコミック事情に詳しい岩本順子さんに、
なかなか知ることのできないドイツのコミック事情、作家について
これから定期的にご紹介いただけることになりました!
まずは岩本さんが特におすすめするドイツ人漫画家マティアス・シュルトハイスについて
数回にわけて詳しくご紹介いただきます!


* * *


■シュルトハイス・クロニクル

ドイツのコミック作家のなかで、誰にも模倣できない独自の画風を持ち、オリジナルの物語を無限に紡ぐことができる作家というと、マティアス・シュルトハイスしか思いつかない。68歳を迎えた現在も、ますます精力的に創作活動を続けている。

ドイツのコミック作品が、海外で翻訳出版されるケースは増えている。しかし、マティアスはフランス、アメリカ、そして日本のそれぞれのマーケットに直接飛び込み、現地の編集者とコミュニケーションをとりながら作品を生み出してきた、本当の意味でのインターナショナルな作家だ。ドイツのコミック業界の器は、彼にとっては小さすぎたのかもしれない。

まずはマティアスの経歴を簡単に紹介しよう。


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▲マティアス・シュルトハイス


マティアスは1946年ニュルンベルク生まれ。子供時代からコミックを読むのも描くのも大好きだった。特に、スイス人作家ハンスルディ・ヴェッシャーの『宇宙飛行士ニック』 がお気に入りだったという。

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▲7歳のころの絵。ジェット装置着用の宇宙飛行士

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▲7歳の頃の作品『強盗』(左:表紙タイトル/右:ページ例)


学校を出て、家具職人の修業を積んだ後、ハンブルク芸術大学(HFBK)で商業イラストレーションを学び、ハンブルクを拠点にフリーのイラストレーターとして活動しはじめた。

デビュー作品は、アメリカのトラック野郎が主人公の『トラッカー』(1981)。しかし、それ以前にも『ザンクトパウリの狼』など、未発表の小品を描いている。その後チャールズ・ブコウスキーの短篇作品をコミック化した『ブコウスキー短編集』(1984)が話題となり、本格的に作家活動を開始した。その後、フランス人のエージェント、ポール・デロエの勧めで、フランスの出版社、アルバン・ミシェル社に作品を持ち込み、同社がオーナーとなったばかりのコミック誌『エコー・デ・サヴァンヌ(L'Écho des Savanes)』に作品が掲載されるようになった。初の長編作『シェルビーの真実』(フランス語版タイトルは『ベルの定理』)は、1985年に同誌に一部が掲載され、後に3巻のアルバム(BDの単行本)として出版された。


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▲『ブコウスキー短編集』 ©Charles Bukowski and Matthias Schultheiss (L&PM Editores)

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▲『シェルビーの真実』 ©Matthias Schultheiss (Carlsen)


続く長編『ラゴスの鮫』もフランスのグレナ社から3巻のアルバムとして出版され、ドイツに逆輸入された。当時のドイツの出版元はハンブルクのカールセン社だった。マティアスは、1986年のエアランゲン・コミックサロンで、第2回マックス&モリッツ賞(ドイツ最優秀コミック作家賞)を受賞したのだが、それでもドイツの出版社は本格的に彼と組もうとはせず、小品を出すに留まった。


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▲『ラゴスの鮫』 ©Matthias Schultheiss/Éditions Glénat, Splitter Verlag


マティアスは、1990年代に入ると、アメリカ市場に挑戦した。ロンドンのコミック見本市で出会ったダークホース社のために、長編SF『プロペラマン』を描き始めたのである。その頃、講談社とも出会い、日本市場にチャレンジしたが、描き下ろし大作『狂気の中枢』は日の目を見なかった。

アメリカと日本の市場に向けて仕事をした後、マティアスは一時的に行き場を失い、ハンブルクの芸術学校で教鞭を執るかたわら、テレビドラマのシナリオライターとして活動した。しかし、次世代にコミック制作の手法を教え、広範な視聴者に受け入れられるストーリーを生み出す間も、創作の手を休めることはなかった。2008年と2009年に『河をゆく女』と『ダディ』が講談社の『マンダラ』誌に掲載され、2010年にはグレナ社から『ビルとの旅』を出版、ヨーロッパでのカムバックを果たした。いずれの作品も、ドイツではビーレフェルトのシュプリッター社が出版した。

2012年には、グレナ社が絶版となっていた『ラゴスの鮫』を復刻出版、シュプリッター社も今年の夏にドイツ語版の1‐3巻を1冊にまとめて出版した。マティアスは現在、同作品の続編の制作に取り組んでおり、うち48ページが4巻目のアルバムとして夏に出版されたばかり。続編も全3巻となる予定だという。


■シュルトハイス作品と私

1990年代初頭にマティアス・シュルトハイスのことを教えてくれたのは、当時の講談社国際室のスタッフやコミック編集部の編集者たちだった。彼の評判は、フランスやイタリア経由でも日本の出版社に伝わっていた。ハンブルクのコミックショップへ行けば、作品がいくつも並んでいた。手当り次第に読み始めたのは、それからだった。

しかし当時の私には、彼の作品は難解すぎた。吹き出しやモノローグを何度も読み返すのだが、なかなか作品世界に入り込めない。日本の漫画と異なる文法に慣れる必要があり、それには少し時間がかかりそうだった。

ところで、1990年代はハンブルクのコミックシーンがとても元気だった時代だ。日本から漫画が押し寄せてくる直前で、ハンブルクだけで、プロ、アマチュアあわせ100人余りの作家たちが活動していた。彼らはI.N.C.(Initiative Comic-Kunst e.V./イニシアティヴ・コミックアート協会)という団体を結成し、4回にわたって合同展覧会を開催した。毎回、取り壊しが決まったビル内の、廃業したディスコやクラブが会場だった。大抵の作家は、自作を壁に掛けているだけだったが、マティアスのコーナーは独特の雰囲気を醸し出していた。砂を敷き詰めたスペースには、石や流木などの漂流物、紐などで作られた不思議なオブジェが置いてあった。 彼は『シェルビーの真実』の1シーンを3次元で再現していたのだった。その空間に立ったとき、私は初めてマティアスの世界に少しだけ入り込めたように感じた。その空間では、ドイツ語も、ヨーロッパ・コミックの文法も必要がなかったからだ。

カムバック後の長編『ビルとの旅』は、私が一番気に入っている作品だ。彼の作品の中で、これほど引き込まれたものはない。ストーリーも、作画スタイルも、 時間の流れも、描かれる世界も、何もかもが愛おしく感じられる。マティアスと彼の作品に出会って約20年、この作品からもらった感動が引き金となって、今、過去の作品を読み返している。次回から、彼の代表作を少しずつご紹介したい。


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▲『ビルとの旅』 ©Matthias Schultheiss/Éditions Glénat, Splitter Verlag


<参考>
マティアス・シュルトハイスのオフィシャルサイト
http://matthias-schultheiss.de/
(初期のイラスト作品や未発表作品も公開されています)


Text by 岩本順子


0815_06.jpg ■岩本順子さんPROFILE

1960年神戸市生まれ。翻訳者、ライター。ハンブルク在住。
90年代に日本の漫画作品のドイツ語訳に従事。現在はドイツとブラジルを往復しながら、両国の風土、食文化、ワインについて執筆活動中。自ら運営するサイトでは、ハンブルク・エッセイも発信してい る。著作に『おいしいワインが出来た!名門ケラー醸造所飛び込み奮闘記』(講談社)、『ドイツワイン 偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)、『ぼくは兵役に行かない!』(ボーダーインク)、訳書に『ベイビーズ・イン・ブラック』(講談社)がある。
WEBサイト:www.junkoiwamoto.com


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