COLUMN

【ドイツコミック情報便3】マティアス・シュルトハイスの世界~『河をゆく女』と『放浪者』~


ドイツ・ハンブルク在住の翻訳家、岩本順子さんがお届けする「ドイツコミック情報便」。

今回は岩本さんイチオシのドイツ人漫画家マティアス・シュルトハイス
日本デビュー作となった『河をゆく女』と初期の短編作品『放浪者』をご紹介します!


★前回、前々回の記事は下記よりどうぞ↓
【ドイツコミック情報便1】マティアス・シュルトハイスの世界~イントロダクション~
【ドイツコミック情報便2】マティアス・シュルトハイスの世界~『ビルとの旅』の周辺~



* * *


2007年のある日、かつての編集仲間から「MANDALA」誌(講談社)が、世界各地のコミック作家に、まとまったページ数のオールカラー作品を発表する場を提供していることを教えてもらい、久しぶりにマティアスに声をかけてみようと思った。約5年ぶりの電話だった。マティアスは、電話口で一旦躊躇したものの、締切に合わせ、40ページのネームを描いてくれた。それが『河をゆく女』だった。

マティアスがこの作品を構想したのは、『ビルとの旅』同様、ずいぶん昔のことだという。アイディアはあったが、長い間かたちにならなかったのだ。ネームの完成度は高く、編集部はそのまま作画とカラリングを依頼した。「MANDALA」誌上に掲載されたのは2008年。これが彼の日本デビュー作となった。

『河をゆく女』と訳したが、原題は「Woman on the River」つまり『河の上の女』だ。35年の刑期を終えて出所したばかりの元殺し屋デニスは、夜な夜なモーターヨットで運河を徘徊する謎の女性に恋をする。だが、その恋は成就せず、デニスの過去の過ちゆえに、彼女の復讐というかたちで終わる。

2007年当時、マティアスはハンブルク南東部の港湾地帯であるローテンブルクスオルト地区に住んでいた。エルベ川とその支流のビレ川に挟まれた中州のひとつで、運河が縦横に走る、取り残されたような一帯だ。

打ち合わせのために、マティアスと再会することになり、彼の住む港湾地区を歩くことになった。仕事場の辺りはわかりにくく、探すのに一苦労した。地図では目と鼻の先にあるはずだが、どうしても見つからない。最終的に、携帯電話で誘導してもらわなければ、辿り着けなかった。入り組んでいるわけではないが、まるで迷宮のようだった。


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▲『河をゆく女』より(カラー/白黒ラフ) ©Matthias Schultheiss/Spritter Verlag ©Matthias Schultheiss


水彩絵の具でカラリングされた完成原稿を見た時、体温が上がってくるのを感じた。刑務所から出て来たばかりのデニスは、緑豊かな運河のほとりの小さな家に落ち着く。作品の舞台となる風景は、ハンブルクの運河のようでありながら、熱と湿り気を帯びている。北国の乾いた夏の風景が、マティアスのかけた魔法によって、緑が奔放に繁殖し、激しい雨が降る亜熱帯の風景となっていた。

マティアスは2014年4月8日のブログにこんなことを書いている。

一時は、僕にとってコミックは過去のものになったと思った。しかし人生というのはわからないもの。僕はその後、シナリオの仕事を通じて、ストーリーを紡ぐことと、ストーリーを絵にすることを改めて学んだ。また教師として働くことで、人間について学んだ。これらの時間は決して無駄ではなかった。僕は生きて、新しいことに挑戦し、新しいことを学んだ。無駄と思われた時間は、かけがえのない経験を積んだ時間だったのだ。(中略)ところで『河をゆく女』だが、読者の多くから、この作品の背景はどこか亜熱帯の国、あるいはマイアミではないかというコメントを沢山もらった。でも、僕が描いたのは真夏のハンブルクの風景だ。昔、産業地区があったところの運河。それをそのまま描いた。当時、僕は主人公デニスのように、この地区に移り住んだところだった


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▲マティアスが作画用に撮影した資料写真 ©Matthias Schultheiss


マティアスは「この作品は描かれるべくして描かれた作品。 犯罪と流血、そして彼女のモーターヨットを除いて、すべて本当の話だ」と語っている。「僕はこの話を作品に昇華させることで、解放された」とまで言っている。

2013年、『Woman on the River』はドイツでアルバム(23×32cm)として出版された。日本版は40ページだが、ドイツ版は58ページになっている。冒頭に日本版では触れられていないデニスの過去が、12ページにわたって描かれたほか、隣家に住む一家と過ごす穏やかな日のシーンが2ページ、クライアントを殺害するシーンが2ページ、ラストに冒頭のシーンと呼応する運河のシーンが2ページ、それぞれ加筆された。デニスの過去が描かれることで、物語は膨らみを得た。


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▲『河をゆく女』より(カラー/白黒ラフ) ©Matthias Schultheiss/Spritter Verlag ©Matthias Schultheiss


2013年6月14日のブログで、マティアスはドイツでの出版についてこう綴っている。

『Woman on the River』がシュプリッターから出版された。美しい本だ。出版することができてとても嬉しく、自分で物語を何度も読み返す。この作品はほぼ実話だ。登場するバーは実在する。ハンブルク東部のこの運河地帯は実在する。僕はそこで数年暮らした。小さな息子がいる隣家の夫婦も実在した。犯罪者たちだけが架空の人物だ。雨は本当に降った。僕は雷雨が好きだ。この物語は憧憬であり、僕の初期の作品『Stromer(放浪者)』(1988)に繋がる。『Stromer』に描いた風景も同じ地区だ。なぜ僕の心にこの風景があるのか、その理由はまだわからない。『河をゆく女』を描いた年は美しい夏だった。今年の夏はそれとは対照的で、あまりにも寒い。サンフランシスコがとても懐かしい


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▲『放浪者』表紙 ©Matthias Schultheiss


放浪者(Stromer)』はかつてハンブルクの出版社フンメル社のマーチャンダイズ商品として制作された作品。全て鉛筆での作画だった。マティアスは今年の夏に、この作品をPCに取り込み、カラリングし、『The blue eyed boy(青い瞳の少年)』と改題してブログに掲載している。 孤独な少年と孤独な女が出会い、関係を持ち始める。寂れてしまった産業地帯の風景が多くを語りかけてくる作品だ。そしてこの作品も、どこかドイツよりももっと暑い国が舞台であるかのように思える。でもこの風景は確かにハンブルクであり、そこに『河をゆく女』の原型がある。

個人的に悔やまれるのは、2007年の時点での翻訳の拙さだ。当時の私には、マティアスの文章の持つ陰影、その奥に秘められた世界がよく見えていなかった。あれから7年。今回改めて完全版を読み返し、物語がすっと心に沁み入るのを感じた。そして、今ならもっといい翻訳ができるのになと思った。


★『Woman on the River』はシュプリッター社のサイトで一部閲覧可能です↓
http://www.splitter-verlag.eu/woman-on-the-river.html


★『Stromer』はマティアスのブログの以下のページでご覧いただけます↓
http://matthias-schultheiss.de/?p=6935
http://matthias-schultheiss.de/?p=6976
http://matthias-schultheiss.de/?p=6996

Text by 岩本順子

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