COLUMN

【メビウス追悼特集】"わたしたちの世代はメビウスの背中を追いかけてBDを知った"

3月10日のメビウス氏の訃報を受け、

マンガ批評家の竹川環史さんから追悼文をご寄稿いただきました。

 

竹川さんは、「ユリイカ」2009年7月号の「特集・メビウスと日本マンガ」でも

「メビウス―視ることへの贈り物」と題した評論を寄稿されています。

 

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  ユリイカ 2009年7月号

  ~特集・メビウスと日本マンガ~

  定価:1,300円(税込)
  発行:青土社
  ISBN:978-4791701957

 

 


* * *

 

 

 

バンド・デシネの巨匠、メビウス(ジャン・ジロー)が逝去された。まさに巨星墜つという衝撃だ。

 

間違いなく、名だたるマンガ家、クリエイター、評論家によって、数多くの追悼文が書かれるだろう。現在までの日本マンガとバンド・デシネの関係が総括され、歴史的なひとつの節目になるだろう。

 

筆者はその役を担うには値しないが、いくらか中途半端なわたしたちの世代にとって、メビウスがどんな存在だったか、証言を残しておきたいと思う。

 

筆者は40代前半だが、それは、『スターログ』が継続的に海外マンガを紹介していたときにはまだ幼く、ここ数年のBDの翻訳ラッシュには、だいぶ待たされた感をもつ世代である。中途半端な世代と書いたのはそういう、谷間の世代という意味だ。

 

メビウスの名前を最初に知ったのは、高校生の終わりごろだった。周囲にメビウスやバンド・デシネ(記憶では「フレンチ・コミック」という言い方のほうが一般的だった)を知る者は少なかったが、数少ないそうした知人たちが、どのようにメビウスやバンド・デシネを知ったかというと、大友克洋へ影響を与えたという話として伝え聞いたのである。

 

メビウスへのリスペクトを証言している日本のマンガ家・イラストレーターは大友に限らないが、わたしたちの世代は、中学にあがる前後で『童夢』の単行本が刊行され、高校生で『AKIRA』の連載に出会うので、大友の名前を介して知るのが一番わかりやすかった。わたしたちは洋書店へいってメビウスのBDや画集を探したものだ。

 

おそらく同じ世代でも、メビウスやバンド・デシネを知る時期がもう少し遅いグループだと、大友よりも宮崎駿との関係のほうが知られているかもしれない。また、エンキ・ビラルの翻訳が出版されたタイミングでビラルの向こう側にバンド・デシネやメビウスの存在を知った人たちもいるだろう。

 

実際、80年代後半から90年代まで、比較的入手しやすく目にすることのできるBDはビラルか(イタリアだが)グイド・クレパックスだった。

 

にもかかわらず、いくらか偏見も含まれているかもしれないが、どの時期にどのような経由でバンド・デシネを知ったにしても、だいたいわたしたちの世代にとっては、典型的なヨーロッパのマンガ表現とはメビウスの表現のことだった。メビウスがヨーロッパだった。

 

美しくやわらかいパステルカラー。一瞬にして眼をひきつける配色。緻密で冒険的な線描によって表現された立体感や空間の奥行き。
そのリアルな空間表現に、フラットな面の効果やシンプルで記号的なキャラクターを調和させる巧みさ。細部の魅力......。

 

"アート"

 
その言葉で考えたくなるものが、そこにはあった。ヨーロッパではマンガも芸術のひとつであるという話は当時からどこかで目にしていたが、メビウスを通してなら理解できる気がした。

 

メビウスの表現に出会ってしばらくして、友人と話したことがある。たくさんのBDを見たことがあるわけでもないのに、メビウスを、ヨーロッパのマンガの中心と位置づけるようなことを乱暴にも言い合った。


 
乱暴な議論の中身はこんなふうだ。
マンガの絵とは「嘘のつける」絵である。たとえばあるコマで急に目が「点」になるという表現があるとする。その手前のコマではその絵なりに物理的現実としての目を描いていたとみなすことができるが、目が「点」になったコマでは、何らかの心象が描かれている。すなわち前後のコマではそれぞれ別の水準の虚構性が成立している。(実際にはひとつのコマにも複数の虚構性が混在している)

 

このように、ある水準から別の水準につぎつぎとジャンプすることができることを「嘘のつける」絵と呼んで、メビウスは空間表現やカラーにおいて日本マンガとは別次元のヴィジュアルを実現しつつ、あくまでも「嘘のつける」絵を描いていると話し合った。その、"アート"と"マンガ"の両立をもって、メビウスをヨーロッパのマンガの中心だと、勝手に位置づけたのだ。


 
もちろん、メビウスの絵の性質とバンド・デシネの中心かどうかとは無関係だ。ただ、熱をもってそんなことを議論したくなるような表現が、メビウスにあったということなのである。


 
さらに、わたしたちはフランスではメビウスやビラルが、『少年ジャンプ』的な意味での"メインストリーム"だとその頃は思っていた。

 

そうした誤解も含めて、わたしたちの世代にとって、メビウスこそがバンド・デシネだった。もちろん、同じ世代でも違った印象を抱く人も数多くいるだろう。そのことを否定はしない。ただ、BDについてはメビウスしか知らないという人もまた多かった。

 

BDの翻訳も紹介も少なかった時期にちょうど中高生だった世代にとって、ヨーロッパのマンガの存在とその美しさに気づかせてくれたのはメビウスだった。BDへの関心を持ち続けることができたのは、何よりメビウスの衝撃がそれだけ深く心にささったからだ。

 

そのメビウスが亡くなった。

 

その事実は、やはり手塚治虫が亡くなったときと同様の、ひとつの時代の終わりを感じさせる。

 

わたしが、バンド・デシネとはどういうものなのかについて人に話すとき、常に脳裏にはメビウスの描いたBDの紙面が浮かんでいた。これからもずっとそうだろう。

 

メビウス氏のご冥福をお祈りします。

 

 

 

(マンガ批評家・竹川環史)

 

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