COLUMN

東北大学ブノワ・ペータース講演『エルジェとコミックアート』レポート


先日13日、東北大学にて『闇の国々』著者ブノワ・ペータースによる講演が行われました。


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講演のタイトルは
『エルジェとコミックアート ~「タンタンの冒険旅行」の秘密~』

タイトルからも分かる通り、『タンタンの冒険』シリーズの著者、エルジェについての講演です。


1128_03.jpg   『タンタンの冒険』 全24巻

  [著] エルジェ
  [訳] 川口恵子
  [出版社] 福音館書店



『闇の国々』の原作者として知られているペータースですが、もともとはソルボンヌ大学で哲学を修め、その後は文学者のロラン・バルトに師事。これまでにエルジェについての評論本を3冊刊行しています。


1128_04.jpg   Hergé, fils de Tintin

  [著] Benoît Peeters
  [出版社] Flammarion


そのペータースが、専門であるエルジェについて講演する貴重な機会ということで、今回は、あの『ファン・ホーム~ある家族の悲喜劇~』(小社刊)の詳細な用語解説を手掛けてくださった、仙台在住の翻訳家、南佳介さんに、講演の模様についてレポートしていただきました。




* * *



2012年11月13日、東北大学にてブノワ・ペータース氏の講演が開かれた。

エルジェとコミックアート ~「タンタンの冒険旅行」の秘密~』(原題:Hergé et l'art de la bande dessinée)というタイトルからもお分かりの通り、エルジェ論である。


『闇の国々』の原作者、つまりはバンドデシネ作家として知られているペータース氏だが、もともとはソルボンヌ大学で哲学を修め、そののちロラン・バルトに師事した経歴の持ち主。小説家・脚本家・批評家として多方面の著作があり、現在は哲学者ジャック・デリダの初の評伝が邦訳準備中というところで、こちらも楽しみとしたい。


1128_05.jpg   Derrida

  [著] Benoît Peeters
  [出版社] Flammarion

  2010



『タンタンの冒険』といえば、スピルバーグによる映画化、また雑誌『ユリイカ』でのタンタン特集号が記憶に新しいが、一般的な認知という意味ではまだまだこれからという面もあるかと思う。


  ユリイカ 2011年12月号 
  特集=タンタンの冒険


  [出版社] 青土社


そうした事情を忖度されてか、ペータース氏の講演も、まずエルジェの「人となり」を作品歴と共に、多彩なスライド資料を参照しながら解説する形式で進んでいった。


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エルジェの源流には「ボーイスカウト」体験があり、『ベルギーのボーイスカウト』誌(le Boy Scout Belge)に発表したイラストが、日刊紙『20世紀』の編集長・ワレ神父の目に留まったことで、それが後の『タンタン』シリーズの萌芽となった。

興味深いのは、先のイラストでは「レタリング」もすべてエルジェの手によるものだったということである。『20世紀』で各種業務をこなす中でも、レタリングの仕事も請け負っていたというのが、後年の『タンタン』シリーズについても少なからぬ影響を与えたように思われる。


『20世紀』の木曜版に子供向けの付録をつけたことが『タンタン』シリーズの始まりとなったが、当初は純粋に反コミュニズム、反ロシア(ソビエト)を意図したものだった。そのため、「絵」ではなく「写真(photo)」という言葉を用い、タンタンが「現実の人間」だと信じ込ませようとする試みが随所に見られる。

その一つとして、『20世紀』の4月1日号に、ソ連の秘密警察からの手紙が掲載されるなど、すでにメタ的な仕掛けが施されていた。

またロシア編の連載終了時には、ブリュッセルの北駅でタンタンを迎えようというイベントも計画された。実際にボーイスカウトの少年を雇い、タンタンの扮装をさせた上で、スーツケース片手に犬と一緒にあらわれるこの「タンタン」を、大勢の少年たちが出迎えたそうである。


商魂たくましい編集長のワレ神父は、連載をアルバム化して売ろうということを思いつく。そうした試み自体も非常に珍しかったということで、これがそののちの『タンタン』シリーズの出発点となった。
それ以降、コンゴ編やアメリカ編とシリーズを重ねるごとに「明晰な線」(リーニュ・クレール Ligne Claire)の成長が一段と明確になり、エジプト編からレギュラーキャラクター、デュポン・デュポンが登場、中国編の『青い蓮』では中国人留学生・張充仁(チャン・チョンジェン)との交流により、現実に即した描写が可能になった。ロシア編からわずか5年で、画力・マンガ上のテクニックともに、大きな進歩を遂げる。


シリーズはその後も続いていくのだが、やはり大きな転機は第二次世界大戦である。ドイツのベルギー侵攻によりタンタンの連載も終了となり、その後参加した『ル・ソワール』誌(le soir)がドイツ主導のものだったため、エルジェと政治の関わりは複雑を極めるものとなった。ペータース氏もこの点を強調されており、あまりに入り組んでいるため、今回は立ち入らないという方針で講演は進んでいった。


戦中の紙不足からアルバムも大幅にページ減となり、このあたりから白黒の世界でなく、カラーによって作品が発表されるようになる。それまでの個人作業からスタッフを用いての形態に移行、白黒時代のタンタンを懐かしむのは、読者であるペータース氏だけでなく、ほかならぬ作者エルジェも同じだったようだ。

世界的なタンタンの成功とは裏腹に、戦争中、ドイツ主導の雑誌に参加したかどで作品が発表できなくなるなど、エルジェ自身も深いうつ状態に陥る。描こうとすると手に蕁麻疹が出るなど、転地療養先で描いたイラストも多い。

ようやくそのうつ状態を抜け出すきっかけになったのが、月世界を舞台にした二作品だが、講演の締めくくりとしてペータース氏が取り上げたのが、架空の国を舞台にした独裁者の物語であった(『ビーカー教授事件』)。

その独裁者のカイゼル髭が、モチーフとしてあらゆるところにあらわれる――建築の装飾、自動車のバンパー、はてはフランス語のアクサン・シルコンフレックス(^)が、その髭の形にしつらえられている。


(図1 『ビーカー教授事件』 p. 47)
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(図2 同上)
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もともとデビュー時からレタリングも行っていたエルジェだが、こうした「文字遊び」も作品中に息づいていたようで、そうしてみると、文字遊びの名著、マサン『文字とイマージュ』が思い浮かぶ。


1128_10.jpg   La lettre et l'image

  [著] Massin
  [出版社] Gallimard

  1970


くだんの『ユリイカ』でも実に多彩なエルジェ論が掲載されていたが、こうした「レタリング=文字遊び」の観点からタンタンを読み解くのも可能かもしれない。

事実、講演者のペータース氏は、エルジェの存在をたびたび「レファランス」(référence)と評しており、ヨーロッパでは手塚治虫に匹敵するメジャーな作家であるが、その影響・出会いは各人で異なるという。

その「広がり」こそがエルジェの魅力であり、またその魅力をよく知るペータース氏だけに、予定を大幅に超過して2時間たっぷりの講演であった。



(協力:成田雄太氏、森本浩一氏、森田直子氏)
(Text by 南佳介)


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