COLUMN

【BD研究会レポート】アニメ『森に生きる少年 ~カラスの日~』監督ジャン=クリフトフ・デッサン氏①


6月に東京・有楽町で開催された「フランス映画祭2013」。
そこで本邦初公開となるアニメ映画『森に生きる少年 ~カラスの日~(Le Jour des Corneilles)』が上映されることになり、監督のジャン=クリストフ・デッサン氏が来日しました。

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映画『森に生きる少年~カラスの日~』については以前BDfileでもご紹介しましたが、
今回はそのデッサン氏を迎えて行われた2013年6月23日のBD研究会のレポートをお届けします。

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(※BD研究会についての詳しい説明はコチラ


『ラッキー・ルーク』『長老(ラビ)の猫』など、人気BD作品のアニメ化にも携わっていらっしゃるデッサン氏の経歴から、あまり知られていないフランスのアニメ業界事情までをおおくりします!



* * *


 「まずご本人から簡単に経歴についてお話いただいて、その後に映像を見ながら今回の映画『森に生きる少年 ~カラスの日~』についてご説明いただきたいと思います。ではデッサンさん、よろしくお願いします」

デッサン 「12、13年前に日本に初めて来て以来、わりと日本には定期的に訪れているんですが、自分の仕事をプレゼンテーションするのは今回が初めてです」


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■最初は哲学、数学、そして建築

デッサン 「私は、パリから40キロぐらい離れた郊外のイル・ド・フランス地方イヴリンヌというところで育ちました。家の近くには森があって、子供の頃はよくそこで遊んだりしていました。当時、テレビでは多くのアニメが放送されていて、とても影響を受けました。家にはテレビがなかったのですが、友達のところに頻繁に観にいって、記憶を辿りながら観たものを自分でも描いてみたりしました。特に好きで観て描いたのは、アメリカのカートゥーン作品です。若い頃からすでに、絵を描いたりとか、アニメを作ったりするような仕事をしたいと思っていたのですが、当時はまだそれが職業として成り立つのか、フランスでそういう勉強ができるのかが分からなかったので、最初は哲学、数学、そして建築について勉強し、最終的にはゴブランというアニメーション学校に入りました」

 「ゴブランっていうのは、フランスの名門アニメーション学校ですよね」

デッサン 「アニメーション学校では一番有名だということは確かですね」

 「前回ゲストで来てくださったクリストフ・フェレラさんと同じ学校で、しかも同級生だそうです」

デッサン 「そうしてゴブランに入ったものの、アニメーションや絵を描くことを仕事にするにあたって、親を説得するのが難しい問題でした。ですから、プロとしてこれでやっていくんだというのを見せるために16歳の頃から実際に仕事をするようになりました。まずイラストレーターとして出版社に売り込みに行き、雑誌のイラストや本のイラストを描く仕事を始めました。また、学校に入る前に、すでに自分の家にはパソコンがあったので、そこでアニメーションづくりのようなこともできました。それが1993~95年ぐらいのことですが、その時にストーリーボードを描いてみたり、自分が読んで気に入った本のストーリーをアニメにしたりといった作業をしてみました。要するに、ビジュアル化してみたんです。アニメーションで本格的に映画を作ろうといった具体的な目標ではなかったんですが、気に入った本があるとその文章をビジュアル化するという作業を、なんとなく楽しみながらやっていました。そういう作業をしていくうちに、"なぜ自分はこの作品が好きなのか"や"この作家は作品を通して何を伝えたいのか"といったことを、絵を描くことで常に自問自答し、分析するようになりました。例えば、ある物語をイラストにする場合、どういう絵にしたらそのシーンが上手くいくかを常に考えながら本を読むようになり、そうするうちに自然に学んでいったことになります。なので、イラストレーションの仕事を、ある意味独学でやっていったというところは大きいと思います。

なぜ最初に建築の学校に入ったかというと、芸術系の学校がちゃんと職業に繋がるのかどうか当てにならなかったのと、どちらかというと自分は数学的な頭なので純粋に芸術だけの世界がちょっと合わなかったからです。でも、いざ学校に入ってみると、やっぱり思ったものと違うなと感じてしまいました。というのも、建築はかなり拘束が多い世界で、そこから開放されたいという思いがあり、映画の背景などを描くといった方向に興味がいきました。こうして、どんどんゴブランの方に近づいていき、入学試験を受けたわけです」



■アニメーションの仕事、そして韓国へ

デッサン 「最初の希望としては、背景とか舞台装置を専門にした学科に行きたかったんですが、年齢が若かったので"むしろアニメの方に行ってはどうか?"と言われ、それもいいかなと思って行きました。結果的に、今でもアニメーションを仕事にしているので、それで良かったと思っています。ゴブランというのは本当に素晴らしいところで、いろんな人と出会えたというのが良かったですね。特に、若い人達や同じぐらいの歳の人達で、本当に好きで絵を描いている人達と知り合えたことが良かったです。みんな出身はさまざまなんですが、絵を描くのが好きというのは一致していて、当時はまだ知る由もないですが、その後一緒に仕事をする仕事仲間になりました。学校を出てすぐフランスで仕事をしたわけではなかったので、経緯としては、相当経ってから、かつての同窓生達と再会して一緒に仕事をすることになりました。

ゴブランのアニメーション学部では、初期の頃のディズニーの手法を用いて伝統的な修練を積み、2年生になると短編の映画を作ることになります。なので、2年目でこの学校に入った目的がちゃんと実現できました。その後研修をするんですが、最初は当時まだパリにあったディズニースタジオに行き、次にゴーモン(Gaumont)という映画会社に行きました。ゴーモンはのちにアニメーションから手を引いたんですが、最近また復活したという話も聞いています。日本でやっているか分かりませんが『オギー&コックローチ(Oggy and the Cockroaches)』という作品の制作に関わりました」


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▲『オギー&コックローチ』


 「日本ではCSのカートゥーンネットワークで今もやってますね」

デッサン 「このシリーズは韓国で作られていて、そこで私はアニメーション監督として仕事をしていました。プロデュース会社から"韓国に行け"と言われた時には、これで日本の知り合いに会いにいくチケットがだいぶ安くなる、と思って、すぐに引き受けました(笑)。結局、韓国には5年いて、最初はアニメーションのスーパーバイザーとして、それからアニメーター、そしてアニメーション監督として、さまざまなスタジオで働きました。韓国の下請け会社では日本のアニメの下請けをやったり、アメリカのアニメシリーズの下請けなどもやっていました。なぜ5年も韓国にいたかというと、フランスでは芸術的で壮大なアニメがよく作られるので制作期間が非常に長く、組織的になかなか上手く時間を使うことができないんです。ところが、韓国や日本、アメリカのように芸術的ではなくともたくさんのアニメを作っている場合は、短期間でいろいろなノウハウを学ぶことができるのです。フランスのアニメーション、アメリカのアニメーション、日本のアニメーションはどれも違うので、さまざまなやり方をその都度学んでいくことができ、大変でしたがとても実りのあるものでした」



■フランス製のアニメをつくる

デッサン 「長い間韓国にいたので、2005年にフランスに帰ってきた時は、誰も知り合いがいなくてどうしようかと思いました。ですが奇跡的に、帰国した次の日に電話が鳴って"あるスタジオで働かないか?"という提案があったので、すぐにOKしました。最初そのスタジオでは、みんなの仕事の構成や配分を調整して手伝うような仕事をしていたのですが、そのうちに"スタッフを集めてチームを作り、長編アニメのプロジェクトをやっていくのは可能か?"と打診されました。それが第1アシスタントとして関わった最初の仕事で、BDの『ラッキー・ルーク(Lucky Luke)』というシリーズのアニメ化でした。当時、フランスでアニメを作るというのは本当に稀なことで、CMの30秒のショートフィルムみたいなものは作っていましたが、少し長いものについては他の国に依頼して作ってもらっていました。ですから、『ラッキー・ルーク』のアニメ化は、当時のフランスとしては本当に挑戦だったのです。難しい仕事ではありましたが、誰もやったことがないだけにとても面白い経験でした」


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▲『ラッキー・ルーク』


デッサン 「さらに、偶然にも同時期に、他のスタジオでもアニメ映画が制作されるようになりました。というのも、フランスのアニメーション・スクールの卒業生達が、私と同じように他の国で修行をして、十分に職業人として機能するようになって戻ってきたからです。私は韓国に行きましたが、他の人達はアメリカに行っていて、そういった人達がプロの集団として育っていました。そういった時代だったのです。

次に自分が関わったアニメは『長老(ラビ)の猫(Le Chat du rabbin)』と言われる、ジョアン・スファールのBDをアニメ化したものでした」


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▲『長老(ラビ)の猫』


デッサン 「彼の作品をアニメ化しないか」という話はずっとあったんですが、どのようにやればいいかをスファール自身は分からなかったため、2007年の終わりぐらいに彼からコンタクトがありました。その時、最初に私が彼の相談相手になり、結果的に2年ほどかかって完成しました。これがジョアン・スファールが描いた原作本です。アルバムは全部で5巻あるのですが、これは全巻をまとめたインテグラル版です。そして、これがアニメを作る上でどのような仕事をしたかというメイキングブックです。『長老の猫』は"横浜フランスアニメーション映画祭2013"で一週間ほど日本でも上映されます
現在は終了しています


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▲原作コミック Le Chat du rabbin ▲メイキング本 L'Art du Chat du rabbin


デッサン 「この『長老の猫』を作った時に、あるアニメーターがパソコンを使って直接アニメーションを制作していたんです。それまで私は紙でアニメを作っていたんですが、それ以降パソコンで制作することを学びました。『長老の猫』は半分を紙で、もう半分をパソコンで作りましたが、最終的にはすべてパソコンに取り込んで作業しました。資金面の話もすると『ラッキー・ルーク』のアニメ化はプロデューサー的には絶対成功するだろうという目算がありました。『ラッキー・ルーク』は1950年代に作られた人気BDで、その本を持っている人達はみんな観にくるだろうという企画だったんです。一方『長老の猫』についても、本だけで70万部売れていたので、それだけの観客は見込めるだろうということで資金を調達するのは最初から上手くいきました。だからプロデューサー達は、すでに有名なBD作品のアニメ化を望んで企画を立てるんですね。『ラッキー・ルーク』は2006年、『長老の猫』は2008年に世に出ましたが、『森に生きる少年~カラスの日~』については2005年から企画があったものの、結果的に資金の調達ができたのが2009~2010年で、実現には4~5年かかったわけです」



■BD原作のアニメーション


参加者 「『ラッキー・ルーク』『長老の猫』はBDが原作で元々の絵があるわけですが、今回のデッサンさんが作られた『森に生きる少年』は小説原作ですよね。絵を描く人にとっては、より自由度が高いと思うのですが、どうでしたか?」

デッサン 「『長老の猫』に関しては、原作者が"自分のコマにある絵しか使ってほしくない"という徹底ぶりで、最初のコマから次のコマへと、BDそのものが映画のストーリーボードになるように指定してきたんです。実はアニメーション制作時には、先ほどお見せしたBD原作しか無かったんですけど、のちにストーリーボードがあったということになっています。恐らくこのメイキングブックを作るために後付けで描いたんだと思いますが・・・・(笑)。BDの原作にあるものしか使っちゃいけないということでとても大変でした。『ラッキー・ルーク』についてはもう少し自由度があって、むしろBDよりも面白いもの、もっと豊かなものになるようにということだったのでやりやすかったです。そして『森に生きる少年』は完全に自由で、白紙から始まっただけに難しい作業でしたけど、より楽しい作業でした」


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参加者 「先ほど、フランスで知れ渡っていて発行部数も伸びている作品をアニメ化するっていうのは資金が集まりやすいというお話がありましたが、実際そうやって作ってみて興行的にも当たっているんでしょうか?」

デッサン 「実際にヒットしたかというと、必ずしも成功とは言えないですね。特に『ラッキー・ルーク』の場合は、ものすごく技術的にコストも掛かっているので・・・・みなさん『ラッキー・ルーク』はご存知でしょうか?」

参加者 「DVDは持っていますよ」

 「あの、キャラを描いたりできますか?」

参加者 「ええっ!? キャラをですか(笑)。ええと、主人公が『トイ・ストーリー』のウッディに似ていて・・・・」

デッサン 「それじゃあ、私が描きましょう(笑)。ドタバタの西部劇なんですよね。ジョリー・ジャンパーっていう馬に乗って悪い奴と戦う、自分の影よりも早く撃つことができるカウボーイが主人公です。『アステリックス(Astérix)』という大人気作品に関わったルネ・ゴシニがシナリオを書いていて、初期の作品はやっぱりものすごく面白いです」


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▲主人公ラッキー・ルーク


 「いまだに続編というか、新しいものが出てますよね。作家を変えて」

デッサン 「ダルトン兄弟っていう4人の悪者の兄弟がいて、彼らは逮捕されてしまうんですが、シリーズになった時に逮捕されちゃうと宿敵がいなくなってしまうので、ダルトン兄弟のいとこのやっぱり4人兄弟が出てくるんです。そっちは元祖よりもバカで失敗ばかりするんですが。あと、実在の人物でカラミティ・ジェーンという女性などもいます」


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▲ダルトン兄弟


大西 「カラミティ・ジェーンは、宝塚でも舞台化されましたね」

デッサン 「こいつが4人いるんです」

 「背の高さが違うんですよね」

大西 「そう、お兄さんから弟まで」

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デッサン 「映画以来描いてなかったので、なんとなく覚えてる限りで描いてますけど(笑)。『ラッキー・ルーク』は西部劇なので、荷車が出てきたり、馬が出てきたりして、それを一つ一つ描いていかないといけなかったんです。しかも、荷車は何百とあり、馬車には必ず2人は乗せなきゃいけないとかで、手作業でやっていくとものすごい人手が必要で、とてもお金が掛かったんです。アニメ作品が成功するには、とりあえず掛かった分のコストだけ儲からないといけないんですけど、そこがとても難しかった。『長老の猫』については、ジョアン・スファールのマーケティングが巧みで、宣伝などもたくさんあったので出だしはすごく好調だったんですけど、次第に下がってきてこれも完全なヒットとは言えませんでした」



■フランスのアニメーション製作事情

デッサン 「逆に『森に生きる少年』に関しては、ヒットと言えるかというとまだ全然なんですが、評が良かったというのと、プロモーションされなかったわりには口コミでどんどん良くなっていきました。フランスではアニメーションがヒットするには結構年数が掛かるんです。コストをペイするには最終的にテレビで放映されるかどうかが大事で、テレビの放映権というのはかなり大きいので、そこで稼ぐかたちになります。ご存知のようにフランスではすごく長いバカンスがあるので、子供のためにアニメ映画がたくさん必要なんです。『ラッキー・ルーク』はとても良い思い出ですが、とにかく技術的な困難が非常に多かったです。もしプロデューサーがシナリオを見た段階で「これは相当な人手とコストが掛かる」と気づいてくれたら違ったかもしれないですが。製作サイドは、まず作品が有名であるかどうかを一番に考え、その上でできるだけ早く完成させようと考えるのですが、作品の企画に対してスタッフの人数がかなり少なかった。その少ない人手でもなんとか出来たということは、一人一人が自分のできる範囲でいろいろな技術や解決方法を提案して力を合わせたからだと思いますが、本当に大変でした」

 「先ほどの質問の続きで、フランスにはアニメの成功作がなかなかないという話でしたが、その中でも近年成功した作品ってあるんですか?」

デッサン 「ヒット作があまりないのに、なぜフランスでアニメが続けられるかというと、それにはまず『キリクと魔女』というアニメの成功があります。『キリク』は作家主義というか、作家さんが小さなスタジオで丁寧に作った作品です。宣伝も全然なく、本当に口コミでヒットして、最終的に観客動員数は100万人を超えました。そういう成功例があったので"じゃあ、アニメをやろう"という話になったんですけど、結局のところはテーマと制作環境とコストのバランスで考えないといけない。やっぱりそこが難しいところですね。あと、大きな成功ということでは、シルヴァン・ショメの『ベルヴィル・ランデブー』と、マルジャン・サトラピの『ペルセポリス』、この2つも相当なヒットでした。これらの作品はちゃんとコストをペイして利益を出しています」


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▲『キリクと魔女』 ▲『ベルヴィル・ランデブー』 ▲『ペルセポリス』


 「あと、日本ではテレビアニメが盛んですけど、フランスでは現状短いものなどしかないんでしょうか?」

デッサン 「フランスは世界で3番目のアニメ製作国なんですが、それはテレビでは自国のアニメ作品をある程度放送しなきゃいけないという法律があるためで、国内にも制作会社がたくさんあります。そういった会社が子供向けのアニメなども作っていて、学校生活や生徒同士の関係などがよくテーマになっていたりします。自分がアニメーションを始めた頃は、暴力的だとかいう理由で日本のアニメが批判されていて、あまり放映されなくなっていました。ですが最近また復活しているようで、ちょっとした流行になっているみたいです」

 「フランス製のテレビアニメの中で注目すべき作品などはありますか?」

デッサン 「日本でもやっていた『トータリー・スパイズ!』という作品は、かなり日本のアニメの影響を受けてますね。先ほどお話した『オギー&コックローチ』もとても有名で、現在長編アニメが進行中だそうです」


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▲『トータリー・スパイズ!』


 「まさにフランス人が描いたカートゥーンって感じですね。ちょっと奇妙な(笑)」

デッサン 「このゴキブリ君はダルトン兄弟と同じようなタイプで、フランスやベルギー的ですね」


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▲オギーとコックローチ



■アニメーション、生き残りへの道

参加者 「フランス製作の作品を放送しなきゃいけないという法律があるとのことですが、それは製作する国がフランスであるなら実際に作る国は他でもいいんですか?」

デッサン 「最終的には、企画と制作会社がフランスであればいいので、アニメーションの部分は海外ということはよくあります。この法律については最近でもアメリカから批判されていて、アメリカのアニメをもっと放送できるようにしろとか言われています。でもそれを呑んでしまうとアメリカの方式と資金でフランスのアニメーションは生きていけなくなってしまうので、テレビ局にある程度の割合で国内製のアニメを放送するように法律で決められているんです」

参加者 「その法律に国内からの批判は無いんでしょうか? また、いま日本でも問題になってますけど、実制作を海外でやることによって技術の流失などはないんでしょうか?」

デッサン 「まず、国内からの批判ですが、一般的に多くの人はこの件についてあんまり興味が無いですね。アニメをやってますと言うと、"えっ、それって仕事になるんですか?"みたいな反応から始まるので(笑)。一方、実際にアニメに関わっている人達は海外からの圧力は大変なことだと思っています。フランスは保険や税金などが高いので、いろんなことが高くつくんです。そこに保険などの心配がないアメリカのような国が入ってくるとコストを安くできてしまうので、そういう国に対して競争力を持つことが不可能なんです。なので、すでにこういう職業はちょっと絶滅種のような感じになっていて、私もまだそんなに歳をとってないですけど、この世界は終わりかかってるのかなと感じることがあります。別に絶望的になってるわけじゃなくて、若い人でやりたがっている人もいっぱいいるんですが、やはりとても難しい仕事であることは確かなんです。たぶん、長編映画で美しい物語をハイクオリティで作っていくしかアニメの生き残る道はないと思うんですけど、テレビはもうすでに別のものに取って代わられている気がするんです。例えば、私の子供なんかもテレビでアニメなんか観ないで、他のことをして遊んでいます。韓国の友人と同じような話をしたことがあって、その友人はレストランを経営していて牛を飼っているんですが、韓国の牛肉はとても高いんです。"なんでこんなに高いのか?"と聞いたら、友人は"アメリカやオーストラリアの牛肉と競争するためには、おいしい牛肉を提供するしかないんだ"と言うんです。つまり、高くてもいいからその牛肉を食べたいと人々が思ってくれれば、その値段でも払ってくれると。アメリカやオーストラリアには絶対負けない質の高いものを作る。そこには当然価格の上昇がついてきますが、それしか生き残る道はないんだと。すべての業界で同じことが言えると思いますが、結局は品質の良いものを作り続けることだけが生き残りの道だと思うんです。スピード重視で雑に作られたものは、結局消えてなくなるしかないと思っています。例えば、スタジオジブリの映画なども同じことだと思うんですが、とても予算は高いですけど、世界で一番愛されてる映画だと思いますね」

 「デッサンさん、ありがとうございました。それでは、次にデッサンさんの最新作『森に生きる少年』についてお話していただきたいと思いますが、その前にいったん休憩としましょう」


〔通訳:大西愛子〕
〔編集協力:小林大樹〕



次回は『森に生きる少年~カラスの日~』の制作秘話について語っていただきます。
お楽しみに!

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