現在好評発売中のニコラ・ド・クレシー邦訳最新作『サルヴァトール』。
この『サルヴァトール』の魅力の一つと言えるのが、随所に散りばめられたフランス人らしいエスプリです。
ニコラ・ド・クレシー[著] 大西愛子[訳]
B5判変型、224ページ、上製、オールカラー 定価:3,150円(税込) ISBN 978-4-7968-7114-3 ©DUPUIS 2010, by De Crécy All rights reserved |
もちろん普通に読んでも楽しめるのですが、
「実はフランス人ってこんなふう!」という予備知識があると、より楽しめる作品となっています。
そこで今回は、『サルヴァトール』をより楽しむために、翻訳者の大西愛子さんに、
作品の背景にあるフランス人特有の文化について語っていただきました。
* * *
"いかにもフランスだな。ロマンティシズム、システムD、
日曜大工、いい加減な衛生観念" ――『サルヴァトール』p188より
多くの日本人にとってフランスはおしゃれな国というイメージがあると思います。
最近ではじゃんぽ~る西さんの『パリ 愛してるぜ~』(飛鳥新社)のようにちっともおしゃれじゃないフランス(パリ)が紹介されることもありますが、女性向けの月刊誌(フィガロ、クレア、エクラ等)などはおおむね、依然としてフランス(パリ)=「おしゃれ」というイメージで作られています。
でもフランスって時にとても汚い! パリに行っていちばん驚くのは、街中のあちこちに犬の糞が転がってることじゃないでしょうか。気をつけて歩かないとうっかり踏んでしまうことも。それなのに、フランス人って食べ物が地面に落ちても、拾ってほこりを払って口に入れたりします。朝市のチーズ売り場にはハエがたかっているし、パン屋さんのバゲットも床において立てかけてあったりします。
日本人にとっていちばんわかりやすい例はディズニーランドでしょう。パリ郊外にユーロ・ディズニーランドがあるのですが、そこをフランス人は「病的に清潔」だと思っているようです。しかし、東京ディズニーランドとくらべるとどこか汚い。ゴミなども落ちていて、とても清潔とはいえない場所です。ジャーマンシェパードのヘルムートでなくても「いい加減な衛生観念」だと言いたくなります。
"表示を変えればいいのさ。チョコレート、90%のカカオ相当"
――『サルヴァトール』p123より
衛生観念とは少し違うかもしれませんが、子豚たちが事業を立ち上げる場面、なにやらとても怪しげです。
この場面もとてもフランス的です。数年前、日本では食品の産地偽装問題でわいたことがありますが、たぶんフランスだったらそんなに大騒ぎしないのではないかと思います。そもそもラベルに書いてあることをあんまり信用していないのではないでしょうか。眉唾だと思っている。
また最近日本で話題のレバ刺し禁止令も、フランスだったらまた違うとらえられ方がされるだろうと思います。フランスのチーズのカマンベールは本来搾りたての生乳を殺菌せずに使うのですが、そのために食中毒がおきたこともあります。大手の食品会社が衛生面を考慮して殺菌済みの牛乳を使うことにしたところ、大波紋を呼びました。伝統的な食文化が冒されるからです。
結局、食文化も国民の健康も守るため、生乳を使う製造法を認めながらも、リスクについても啓蒙していくということになったようです。
なぜそういうことになるのかを考えると、おそらくフランス人にとっていちばん大事なものは「自由」だということに尽きるのかなと思います。自由はリスクも責任も負います。自分で考えて、自分で決める。彼らはひとに何か言われてその通りにすることはまずありません。とりあえず「反対」する。つまり、お上に言われたから従うということはないのです。
"わたしと同じで、ふたりとも消費社会に反対してるの"
――『サルヴァトール』P79より
もうひとつご紹介したいのがBCBG(ベーセ・ベージェー)という言葉です。注にもあるようにこれは 「Bon chic bon genre」という言葉の略で80年代に流行りました。今では日常語として使われていますが、ハイソな雰囲気の趣味のいい、クラシックなライフスタイルのことを表現した言葉です。
この言葉を世に知らしめたのがティエリ・マントゥの『Le Guide du BCBG』という本で、大ベストセラーになりました。日本語にも翻訳されましたが、どこか、とらえられかたがフランスと日本とでは違うような気がします。内容はまったく同じものなのにもかかわらずです。
ティエリ・マントウ[著]/伊藤緋紗子[訳] 光文社文庫(※絶版)
なんとBCBG御用達のショップリストつき! ファッションから老後の生活(!)まで網羅してます。 ちょっと斜に構えて読むのが正解。 |
フランスでこの本はむしろユーモアのジャンルに分類されているようです。ガイドブックの形をとった、いわば「BCBGあるある」のような本なのです。こうするとBCBGっぽいよね、みたいな感じで冗談めかしてとらえられている気がします。
ところが日本語に訳されたものは完全なマニュアル本。フランスでは風刺とか、社会風俗の観察を面白おかしく書いたものとしてとらえられ、日本では「フランス人に学ぶ」といった真面目な捉えられ方になる。お国柄の違いということなのでしょうが、一歩間違うと誤読の可能性もあるので、ここは押さえておきたいところです。
そしてこうしたBCBGの人たちが多く住むのが、高級住宅街として知られるパリの16区です。つまり、ゴシックマニアで豚の生贄の儀式をするセルジュ、そしてフランソワに対して異常な執着を見せるレアも似たような環境に育っています。彼らはすべてを手にしながらもどこか満たされない若者たちで、彼らの行動自体はあまりBCBGではありませんが、彼らが育った環境はBCBGです。彼らの家のインテリアなどを見ると、まさにBCBGであると言えます。
余談ですが、レアの母親が食卓で用意しているコップの中の飲み物はアスピリンで、これもフランス人が好んで服用する万能薬です(頭痛、風邪のひきはじめなど)。更年期の女性が特に好んで飲んでおり、タブレットを水に溶かして服用します。溶けると発砲して炭酸入りの薬液になります。
"悪党...ってひどいな。
おれが借りる部品はいつもおまけみたいなもんだってのに"
――『サルヴァトール』P19より
さて最後に、フランス人にとってのユーモアを理解するのに大事なのはもしかしたら「ne pas se prendre au sérieux」ということかもしれません。自分のことを真面目に捉えない、自分のことを客観視できる態度のことです。
日本だと自虐ネタというのがありますが、これとは違います。自分が本気で真面目に何かしようとしているときに、別の自分が「おいおい、そんなに真面目になるなよ」とつっこみを入れる、そんな感じです。まわりのことが見えなくなるくらいのめりこんでしまうような態度を彼らはかっこ悪いと感じる。常に自分のことも茶化すことができるくらいに距離感を持って見るというのがとても大事にされているということです。
『サルヴァトール』を読むと、このフランス人特有の茶化し方が随所に出ています。特に顕著なのがナレーションの部分。ここに作者と作品との間の距離感が感じられます。自分の作品なのに作中キャラクターたちを茶化したり、主人公の性格がとても悪かったり。こういったことも、自分自身に対する自由の形なのかもしれません。
要するにフランス人にとってやはりいちばん大事なのは自由ということになるのでしょうか。他人から強制されない自由、マニュアルなど必要としない自由、そして自分の行動についても制約されないという自由。
この「自由」こそが、『サルヴァトール』を、そしてフランスを理解するキーワードなのかもしれません。
(Text by 大西愛子)