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自由でいい加減なフランスの"リアル"/『サルヴァトール』をより楽しむための作品解説

 

 

現在好評発売中のニコラ・ド・クレシー邦訳最新作『サルヴァトール』。

 

この『サルヴァトール』の魅力の一つと言えるのが、随所に散りばめられたフランス人らしいエスプリです。

 

 

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  サルヴァトール

 

  ニコラ・ド・クレシー[著]

  大西愛子[訳]

 

  B5判変型、224ページ、上製、オールカラー

  定価:3,150円(税込)

  ISBN 978-4-7968-7114-3

  ©DUPUIS 2010, by De Crécy All rights reserved

 

 

 

もちろん普通に読んでも楽しめるのですが、

実はフランス人ってこんなふう!」という予備知識があると、より楽しめる作品となっています。

 

そこで今回は、『サルヴァトール』をより楽しむために、翻訳者の大西愛子さんに、

作品の背景にあるフランス人特有の文化について語っていただきました。

 


 

 

* * *

 

 

 

"いかにもフランスだな。ロマンティシズム、システムD、
日曜大工、いい加減な衛生観念"
 ――『サルヴァトール』p188より

 

 

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多くの日本人にとってフランスはおしゃれな国というイメージがあると思います。

 

最近ではじゃんぽ~る西さんの『パリ 愛してるぜ~』(飛鳥新社)のようにちっともおしゃれじゃないフランス(パリ)が紹介されることもありますが、女性向けの月刊誌(フィガロ、クレア、エクラ等)などはおおむね、依然としてフランス(パリ)=「おしゃれ」というイメージで作られています。

 

でもフランスって時にとても汚い! パリに行っていちばん驚くのは、街中のあちこちに犬の糞が転がってることじゃないでしょうか。気をつけて歩かないとうっかり踏んでしまうことも。それなのに、フランス人って食べ物が地面に落ちても、拾ってほこりを払って口に入れたりします。朝市のチーズ売り場にはハエがたかっているし、パン屋さんのバゲットも床において立てかけてあったりします。

 

日本人にとっていちばんわかりやすい例はディズニーランドでしょう。パリ郊外にユーロ・ディズニーランドがあるのですが、そこをフランス人は「病的に清潔」だと思っているようです。しかし、東京ディズニーランドとくらべるとどこか汚い。ゴミなども落ちていて、とても清潔とはいえない場所です。ジャーマンシェパードのヘルムートでなくても「いい加減な衛生観念」だと言いたくなります。

 

 

 

 

 

"表示を変えればいいのさ。チョコレート、90%のカカオ相当"
――『サルヴァトール』p123より

 

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衛生観念とは少し違うかもしれませんが、子豚たちが事業を立ち上げる場面、なにやらとても怪しげです。

 

この場面もとてもフランス的です。数年前、日本では食品の産地偽装問題でわいたことがありますが、たぶんフランスだったらそんなに大騒ぎしないのではないかと思います。そもそもラベルに書いてあることをあんまり信用していないのではないでしょうか。眉唾だと思っている。

 

また最近日本で話題のレバ刺し禁止令も、フランスだったらまた違うとらえられ方がされるだろうと思います。フランスのチーズのカマンベールは本来搾りたての生乳を殺菌せずに使うのですが、そのために食中毒がおきたこともあります。大手の食品会社が衛生面を考慮して殺菌済みの牛乳を使うことにしたところ、大波紋を呼びました。伝統的な食文化が冒されるからです。

 

結局、食文化も国民の健康も守るため、生乳を使う製造法を認めながらも、リスクについても啓蒙していくということになったようです。

 

なぜそういうことになるのかを考えると、おそらくフランス人にとっていちばん大事なものは「自由」だということに尽きるのかなと思います。自由はリスクも責任も負います。自分で考えて、自分で決める。彼らはひとに何か言われてその通りにすることはまずありません。とりあえず「反対」する。つまり、お上に言われたから従うということはないのです。


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 "わたしと同じで、ふたりとも消費社会に反対してるの"
――『サルヴァトール』P79より

 

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もうひとつご紹介したいのがBCBG(ベーセ・ベージェー)という言葉です。注にもあるようにこれは 「Bon chic bon genre」という言葉の略で80年代に流行りました。今では日常語として使われていますが、ハイソな雰囲気の趣味のいい、クラシックなライフスタイルのことを表現した言葉です。

 

この言葉を世に知らしめたのがティエリ・マントゥの『Le Guide du BCBG』という本で、大ベストセラーになりました。日本語にも翻訳されましたが、どこか、とらえられかたがフランスと日本とでは違うような気がします。内容はまったく同じものなのにもかかわらずです。

 

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  フランス上流階級BCBG(ベーセー・ベージェー)

  ―フランス人の「おしゃれ・趣味・生き方」バイブル

 

   ティエリ・マントウ[著]/伊藤緋紗子[訳]

  光文社文庫(※絶版)

 

 

  なんとBCBG御用達のショップリストつき!

  ファッションから老後の生活(!)まで網羅してます。

  ちょっと斜に構えて読むのが正解。

 

 

フランスでこの本はむしろユーモアのジャンルに分類されているようです。ガイドブックの形をとった、いわば「BCBGあるある」のような本なのです。こうするとBCBGっぽいよね、みたいな感じで冗談めかしてとらえられている気がします。

 

ところが日本語に訳されたものは完全なマニュアル本。フランスでは風刺とか、社会風俗の観察を面白おかしく書いたものとしてとらえられ、日本では「フランス人に学ぶ」といった真面目な捉えられ方になる。お国柄の違いということなのでしょうが、一歩間違うと誤読の可能性もあるので、ここは押さえておきたいところです。

 

 

 

そしてこうしたBCBGの人たちが多く住むのが、高級住宅街として知られるパリの16区です。つまり、ゴシックマニアで豚の生贄の儀式をするセルジュ、そしてフランソワに対して異常な執着を見せるレアも似たような環境に育っています。彼らはすべてを手にしながらもどこか満たされない若者たちで、彼らの行動自体はあまりBCBGではありませんが、彼らが育った環境はBCBGです。彼らの家のインテリアなどを見ると、まさにBCBGであると言えます。

 

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余談ですが、レアの母親が食卓で用意しているコップの中の飲み物はアスピリンで、これもフランス人が好んで服用する万能薬です(頭痛、風邪のひきはじめなど)。更年期の女性が特に好んで飲んでおり、タブレットを水に溶かして服用します。溶けると発砲して炭酸入りの薬液になります。


 

 

 

"悪党...ってひどいな。

 おれが借りる部品はいつもおまけみたいなもんだってのに"

――『サルヴァトール』P19より

  

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さて最後に、フランス人にとってのユーモアを理解するのに大事なのはもしかしたら「ne pas se prendre au sérieux」ということかもしれません。自分のことを真面目に捉えない、自分のことを客観視できる態度のことです。

 

日本だと自虐ネタというのがありますが、これとは違います。自分が本気で真面目に何かしようとしているときに、別の自分が「おいおい、そんなに真面目になるなよ」とつっこみを入れる、そんな感じです。まわりのことが見えなくなるくらいのめりこんでしまうような態度を彼らはかっこ悪いと感じる。常に自分のことも茶化すことができるくらいに距離感を持って見るというのがとても大事にされているということです。

 

『サルヴァトール』を読むと、このフランス人特有の茶化し方が随所に出ています。特に顕著なのがナレーションの部分。ここに作者と作品との間の距離感が感じられます。自分の作品なのに作中キャラクターたちを茶化したり、主人公の性格がとても悪かったり。こういったことも、自分自身に対する自由の形なのかもしれません。

 

要するにフランス人にとってやはりいちばん大事なのは自由ということになるのでしょうか。他人から強制されない自由マニュアルなど必要としない自由、そして自分の行動についても制約されないという自由

 

この「自由」こそが、『サルヴァトール』を、そしてフランスを理解するキーワードなのかもしれません。

 

 

 

(Text by 大西愛子)

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【BD研究会レポート】メビウス追悼 ダニエル・ピゾリ氏が語るメビウス〔質疑応答編〕

 

〔ジャン・ジロー編〕、〔メビウス編〕と2回に分けてお送りした

メビウス研究家ダニエル・ピゾリさんによる発表もいよいよ最終回です。

 

※前回、前々回の記事はこちら→〔ジャン・ジロー編〕〔メビウス編

 

 

今回は〔質疑応答編〕ということで、

BD研究会メンバーが、これまでメビウスについて気になっていたアレコレを

ピゾリさんに質問してみました!

 

 


* * *

 

 

 

 「では、ここから質疑応答にうつります。さきほどの発表を聞いてダニエルさんに何か聞きたいことがあれば、どんどん質問していただきたいと思います」

 

 

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■メビウスの色彩感覚について

 

 

観客A 「メビウスは色彩感覚についてもしばしば取り上げられていると思うんですが、色彩的な部分でメビウスが影響を受けた作家は誰かいるんでしょうか?」

 

ピゾリ 「彼が色彩感覚で影響を受けたとすれば、それは他のBD作家でも、現代美術の作家でもなくて、むしろ古典の画家からだと思います。彼が美術学校に行ったというのは先ほどもお話しましたが、その学校の授業の内容というのはどちらかというとオーソドックスな美術教育だったんです。当時、時代的には現代アートが非常に花開いた時期でしたが、彼の受けた美術教育というのは非常にオーソドックスなものだったので、彼の色彩感覚の背景にあるのはそういった古典の画家の影響だと思います」

 

 「具体的にどういった画家でしょうか?」

 

ピゾリ 「なかなか具体的な作家名を挙げるのは難しいですね。ただ、ルネサンス期の画家の影響はあると思います。とりわけ、光と影の使い方においてですね。メビウスはモノクロでもカラーでも、光と影をどう表現するかということに非常に心を砕いていたところがありまして、その部分でルネサンス期の画家から強く影響を受けていると思います。そして、のちにはアメリカのイラストレーターの仕事からも吸収していくことになるわけですが。ここで作家の名前を挙げるとしたら、アングルとかティツィアーノ。まず、アングルはやはり光と影の使い方。イタリアのティツィアーノからは色のグラデーションの手法に影響があるという風に考えています。

 

 


■同時代人からの影響について

 

 

観客B 「60年代後半から、BDでもサイケデリックなものが流行りましたが、メビウスについても、例えばドラッグとか、そういったものの影響はあるんでしょうか?」

 

ピゾリ 「メビウスがかなり"葉っぱ"に親しんでいたことは確かですが、メビウス自身が常にさまざまなイメージから影響を受けたり、新しいものを取り込んでいくというタイプの人でしたので、むしろそういった外部のイメージからの影響とか、触発の方が大きかったのではないかと思います。

 

例えば『エデナの世界』の頃は、当時フランス語版の出版が始まっていた大友克洋の『AKIRA』の影響が非常に色濃く出ていると思います。これについては、ご本人にお会いして質問した時に、メビウス自身が大友克洋からの影響を認めています。さらに、例えば『メタル・ユルラン』の初期掲載作品である『アルザック』、あるいはその他の短編においては、フィリップ・ドリュイエの影響がたいへん大きい。メビウスは、このように他の人の作品に触発されて、それを取り入れ、自身の作品としてアウトプットするということを常に行っていた人でした」

 

 

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  エデナの世界

 

  メビウス[著]/原正人[訳]

  TOブックス

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  AKIRA

 

  大友克洋[著]

  講談社

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  メビウス 

  『アルザック』(Arzach)

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  フィリップ・ドリュイエ

  『ローン・スローン』シリーズ(Lone Slone)

 

 

 

 

■即興的なスタイル

 

 


観客C 「細かい質問で恐縮なんですが、『アルザック』のタイトルがその時々でスペルが違うのはなぜなんでしょうか?」

 

0530_08.jpg   ←各扉ごとにタイトルのスペルがちがう

 

 

ピゾリ 「これは頻繁にメビウスに問われている問題なんですが、なぜなのかはハッキリ分かっています。これはただ単にタイトルの綴りを変えることで面白がって遊んでいるんですね。「密閉されたガレージ」シリーズでも同じような事をしています。作品自体、あらかじめ決められたストーリーを描くというタイプのシリーズではないので、その時々の気分で綴りを変えてみるとかいうことも作品を作る作業の一部となっているということなんです」

 

観客C 「それは、例えば『ブルーベリー』のようなカチッとした仕事とは対比的に、即興的な事をやりたくなったからということでしょうか?」

 

ピゾリ 「まったくおっしゃるとおりだと思います。『ブルーベリー』は非常に制約の多い、おっしゃるようにカチッとした作品です。また、部数の出る作品でもありましたから、そういった意味でも責任を負わされていたのだと思います。ですからジャン・ジローにとって、自分を素直に出せたのがメビウス名義で描いていた仕事なのだろうと思います。時々嫌になって、『ブルーベリー』の仕事を完全にやめてメビウスの世界を楽しむ、という仕事の仕方をしていた時期もありました」

 

 「さきほど、メビウスは同じスタイルを続けられないという話をダニエルさんがしていましたが、実際のところ即興を意図的にやっているのか、天然なのかよく分からないところがあるんです。メビウスがヌマ・サドゥールという人と行った対談の中で、彼はすごく字を間違えるということを指摘されてるんですね。メビウスは絶対に間違えないって言ってるんですが、実際はすごく間違えてる(笑)。僕が訳した『エデナの世界』という作品の中でも"トロロペン"という最後の悪役になる登場人物が出てくるんですが、その"トロロペン"を1回"スティロペン"って言ってるんです。出版社も確認すればいいと思うんですが、それで通っちゃうんですよね。BDってわりと全般的にそういうところがあるような気がします」

 

観客D 「しょっちゅう顔が変わったりとか服の模様がどんどん変わったりもしますよね」

 

 

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↑女性の服装がコマごとに変わっていることに注目。主人公の大佐のシャツの模様も。

 

 

 「ああ、ありますね。細かいことは気にするな、ということなんでしょうか(笑)」

 

ピゾリ 「ひとつには、彼自身にある種二重人格的なところがあって、あえて危険なところに身を晒そうという意志も見え隠れしていると思います。メビウスは自分の描く絵の描線に関してはとてもコントロールが効いていて、しっかりと描くことができるのですが、同時にわざと自由にペンを走らせて、抽象的で幻想的な新しいものを創造するということをしていました。また、さきほどお話した古典的絵画のような光や影、あるいはパースのつけ方などで、ある意味アカデミックとも言えるカチッとした仕事をしながら、一方で、いわゆる現代アートや、アンダーグラウンドなものにも彼は強く惹かれているんですね。ただ、例えば『インサイド・メビウス』のような自由に描いた作品であっても、やはりしっかりと絵として押さえるべきところは押さえています。絵が狂っているところは決してないし、そういった部分は古典絵画のようにしっかりとした絵になっていると思います」


 

 

■精神世界への関心

 

 

観客E 「メビウスが82年に日本に初めて来た時、手塚治虫と京都と奈良を旅行した際のことが『スターログ』という昔の雑誌に載っているんですが、その中で、メビウスはこの旅行を通じて、東洋の美術や思想にものすごく影響を受けたと語っていました。その後のメビウスの作品で、『B砂漠の40日間』などは東洋の美術の影響を色濃く受けてると思うんですが、実際のところはどうなんでしょうか?」

 

 ピゾリ 「『B砂漠の40日間』はおっしゃるとおり、東洋思想の影響があると思います。非常にシャーマン的、あるいは禅の世界に近いものがありますよね。あの作品は、結局、砂漠での瞑想というのがテーマになってます。それから、例えば弓矢を引く絵がありますが、あれはまさに日本の弓道の影響そのままです。

 

 

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実際、メビウスは東洋思想にかぶれていましたが、必ずしも読者の評判がよかったわけではないようです。彼の精神世界に対する関心というのは、時々行き過ぎることがあって、事実2回ほどセクト(カルト)宗教にハマっています。

 

最初は、タヒチで異星人が地球に上陸するのを待とうというもので、長くタヒチに滞在したことがありました。その時は結局異星人が来なかったので、そのままロサンゼルスに行って仕事をしたようです。2回目はアンスティンクトテラピーという新興宗教です。これは生のものしか食べないという宗教で、自分の心の声を聞いて食べるものを選びなさいという教えなんだそうです。いずれの場合も、家族を全員引き連れて行ってます。

 

ちなみに、2回目のアンスティンクトテラピーに関しては、最終的に主催者が法廷で裁かれるという顛末がありました。不法に医療品を扱ったとか、未成年にエッチな事をしたとか、資金を着服したとか、どうもそういう犯罪行為に手を染めたそうで、主催者が刑務所入りしました。どうも、まだそこに入ってる模様ですね(笑)。

 

流石にこれだけの経験をした後はメビウス自身も懲りて、以降はそういったカルト宗教的なものから距離を置くようになりました。あとは、最初のタヒチに1年ぐらい宇宙人に会いに行ったというのは、要するに本当のところを言うと、税務署から逃げて1年タヒチにトンズラしていたんです。ここの法では収入に税金がかからないので、どうもこれは税金を払いたくなかったんだろうなと(笑)。実際のところはそうだったんじゃないかと言われています」

 

 

* * *

 

 

以上で、BD研究会レポート、メビウス追悼特集は終わりです。

BD研究会レポートは、機会があれば、また定期的に行っていきたいと思いますので、

次回をどうぞお楽しみに。

 

 

また、BD研究会に興味がわいたと言う方は、ぜひ一度参加してみてください!

(※BD研究会についての詳しい情報はコチラ

 

 

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【BD研究会レポート】メビウス追悼 ダニエル・ピゾリ氏が語るメビウス〔メビウス編〕

 

今週は先週に引き続き、
BD研究会レポートということで、
メビウス研究家ダニエル・ピゾリさんの発表をお送りします。


今回は、後編〔メビウス編〕です。

 

※前編〔ジャン・ジロー編〕はコチラ

 

 


* * *

 

 

 

 「ジャン・ジローのお話、『ブルーベリー』のお話はここまでですが、このままメビウスのお話に入ってしまってよろしいでしょうか? ではピゾリさん、続けてメビウスのお話をお願いします」

 

 

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ピゾリ 「では、ここからメビウスのお話をさせていただこうと思いますが、その前にこちらを。

 

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これは間もなくフランスで行われるバンド・デシネの原画オークションに出品される原画の画像です。

 

ジャン・ジローは非常に大きな紙に原稿を描きました。例えば、これは60センチ×80センチ大の原稿です。

一般にフランスの作家は、日本の漫画家と比べると作品の数が少ないとみなさん思ってらっしゃると思いますが、フランスのバンド・デシネの場合、作業は作家さんが一人で全部やってるんですね。色もカラーも自分ひとりです。ですので、やはり1冊描くのに10カ月ぐらいかかったりするわけです。


さきほど、ジャン・ジローの話はお終いと言っておきながら、なぜまたジャン・ジローの話をしてるんだと思われるかもしれませんが、実はこの原稿は1974年頃に描かれたもので、この頃は、すでに彼はメビウスとしての活動も本格化させている時期です。つまり、ジャン・ジローとメビウスの境目というのは、なかなかハッキリと言えないところもあるんですね」

 

 

 

■メビウスに影響を与えたアーティストたち

 

 

ピゾリ 「では、ここから本格的にメビウスのお話をしたいと思います。先ほど、1963年には『ハラキリ』でメビウス名義の作品を描いてるというお話をしましたけれども(※前編〔ジャン・ジロー編〕を参照)、実際に本格的にメビウスとしての仕事を始めるのは60年代終わりから70年代にかけてです。まずSF関連のイラストの仕事を始めるんですね。そして、ジャン・ジローが先ほどお見せしたような非常に大きな用紙に筆で描いていたとすれば、メビウスの場合にはペンやロットリングでもっと緻密な作業をするというような感じになるかと思います。この二人の作家には、そういう仕事の仕方、絵の描き方の違いがあります。

 

 

メビウスの仕事においては、他のアーティストのからもさまざまな影響を受けています。

例えばこちらの絵では、アメリカのSF雑誌で非常に活躍していたヴァージル・フィンレイという作家の影響が、非常に色濃く出ています。

 

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いわゆる銅版画のテクニックに似た描き方で、その後も頻繁に使われるようになりますが、こういう描き方はアメリカの作家の影響を受けていますね。

次に、こちらの絵はエド・エムシュウィラーの影響が見て取れる絵だと思います。

 

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あとは、やはりギュスターヴ・ドレですね。これはドレの版画絵です。 

 

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 メビウスの初期の作品には、こういったほとんど模写かと思わせるような、先人の絵のテクニックの影響をありありと見る事ができます」

 

 

 

■メビウス初期の傑作『まわり道』

 

 

ピゾリ 「そして1970年代、彼は1973年に『まわり道』という作品を、この時はジル名義で発表するんですが、これはメビウスの初期の典型的なスタイルだと言っていいと思います。

 

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  『まわり道』

  (La Déviation, Pilote, 1973)

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メビウス自身が家族で出かけるところから物語が始まるんですが、当時の奥さんのクロディーヌ・ジローさんと娘のエレーヌが一緒にいますね。

 

この作品は、その後のバンド・デシネの作家達に大きな影響を与えることになります。例えば、この辺りの処理の仕方はエンキ・ビラルなどが非常に影響を受けていますね。ただ、皆さんがおそらく見慣れているビラルの絵ではなく、エンキ・ビラルの初期の作品に見られる影響です」

 

 

 

■五月革命以後のBD界の変化

 

 

ピゾリ 「1970年代の状況をお話する場合に忘れてはいけないのは、1968年のいわゆる五月革命―フランスにおける若い世代の台頭―です。それまでのものを否定して、新しい価値観がどんどん入ってくるという時代で、バンド・デシネに対しても、やはりいろいろな影響を与えました。

 

フランスのBD作家たちは、新しい世代の作家として、それまでいわゆる商業誌では描く事が難しかったセックスや暴力、あるいはさまざまな想像......ほとんど妄想と言ってもいいようなさまざまな幻想的な内容のものをコミックにしようとし始めます。

 

ただその際、『ピロット』誌のような雑誌では、なかなかそういうものは描けません。それで『ピロット』誌に描いていた作家たちが、自分の描きたいものを描くために、次々と『ピロット』誌を離れていくことになります。そのようにして、自分達のやりたいことができる、新しい雑誌を創刊しようという動きが出てくるわけです。特に有名なものとしては、『レコー・デ・サヴァンヌ(L'Écho des Savanes)』という雑誌があります」

 

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■二つの出会い

 

 

ピゾリ 「メビウス自身は、1973年に『ピロット』誌で描くことをやめて、今度はメビウスとして自分がしたい仕事をやっていこうとするのですが、この時期、メビウスにとって非常に大きな出来事が2つ訪れます。

 

1つはホドロフスキーとの出会いです。この2人の出会いは、メビウスのその後の作品制作に非常に大きな転機をもたらします。

そして2つ目が『メタル・ユルラン』という雑誌の創刊ですね。1975年の話です。

 

 

ホドロフスキーはメビウスを『デューン』という映画制作の企画に誘うことになります。ホドロフスキーというのはご存知のように、作家であり、戯曲家でもあったわけなんですけれども、この『デューン』という作品の映画化で、メビウスに衣装デザインと絵コンテの仕事を依頼します。

 

メビウスは、この企画の準備のために3000枚の絵を描いたと言われていますが、残念ながら映画は実現には至りませんでした。ちなみにホドロフスキーというのは非常に変わった人で、タロットカードをやったり、ミステリアスなことに傾倒している人で、いわゆるスピリチュアルな世界にどっぷり浸かっている人なんですね。メビウスはこの時期、ホドロフスキーを師匠のように崇めていました。

 

そしてメビウスは、3人の仲間と共に、新雑誌『メタル・ユルラン』の創刊に着手することになります」

 

 

 

■『メタル・ユルラン』創刊

 

 

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ピゾリ 「こちらをご覧ください。服装や髪型でお分かりになると思いますが、非常にセブンティーズな写真ですね。この4人が『メタル・ユルラン』の創刊メンバーです。

 

右からジャン・ジロー(メビウス)。なんか、靴を履いてなかったりします。その次がフィリップ・ドリュイエですね。ジャン・ジローがドリュイエの足を優しく踏んづけているところです(笑)。その次の、右から3番目がジャン=ピエール・ディオネですね。このジャン=ピエール・ディオネという人は、もともとコミック評論家だった人で、その後は映画評論家としても非常に有名になる人です。ベルナール・ファルカスという人がいちばん左の人で、この人はいわゆる資金調達をしていた人物なんですが、最終的に金庫を持って姿をくらましてしまいます。

 

それで、彼らは『メタル・ユルラン』を発売するにあたって、自分たちの出版社を作ります。それが、レ・ジュマノイド・アソシエという出版社で、今もあります。

これが、その当時メビウスが描いたレ・ジュマノイド・アソシエの会社のロゴです」

 

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■『アルザック』の衝撃


 

ピゾリ 「そして『メタル・ユルラン』誌の創刊号で、再びバンド・デシネ界に衝撃を与えるような作品がメビウスによって描かれます。それが『アルザック』です。

 

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こういうものを作るようになったというのは、当時の印刷技術の発達のおかげでもあります。それまでできなかった、絵に直接彩色するということがその頃からできるようになり、メビウスはさっそくその技術を使って、こういう仕事をしています。

 

それと、セリフのない作品というのも当時としては非常に珍しかったので、これも読者には衝撃でした。ここまでディテールを描き込んで、しかもカラーという、こういう作品はそれまでにはありませんでしたので、フランスのBD界に衝撃をもって迎えられました。

 


それと平行してもう一つ、世界的に、とりわけアメリカの作家達に非常に影響を与える事になる「密封されたガレージ(Le Garage hermétique)」というシリーズを始めます。『運命の少佐』という作品ですね。

 

 

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これは『メタル・ユルラン』誌に毎号2ページを貰って描いていたものです。

 

その当時、メビウスはハリウッドの仕事もしていたので、それ以上は描けなかったんですね。毎号2ページずつ描いていたのですが、2ページごとにちょっと絵のスタイルが変わるというようなことにもなっています。しかも、いったいどんな話を描いていたのか本人が忘れた状態で次の2ページを描いたりするものですから、その前のページで起こっていた前日の話を、次に描いちゃったりするわけです。

 

ただ、ちょっと個人的なことを申し上げると、私はもう何千冊とコミックを読んできましたが、その中でもこれは本当にいちばんの作品だと思っています」

 

 

■変化し続ける絵


 

ピゾリ 「この『メタル・ユルラン』は1975年1月創刊で、1987年6月まで続きました。メビウスにとって、『メタル・ユルラン』誌というのは、イラストレーターとしても、いろいろなテクニックを試して、それをのちのち自分の作品に取り入れていくというような、そういう場所だったと言えます。

 

そしてこれはメビウスの素晴らしい点のひとつだと思うんですが、彼はどんなにスタイルを変えても、見る人にはメビウスだと分かるんですね。メビウスは常に変化し続ける絵描きで、同じスタイルで絵を描くということができない人です。ですから、最初にあるスタイルで描き始めたとして、絵が出来上がる頃には全然違うスタイルで描いているということもよくあります。

 

決まったひとつのスタイルで安定できずに、常に変わり続けるなかで、どうやって素晴らしい作品を描き得たのか、これはひとつ私自身のテーマとしてもありまして、それについて現在いろいろ考察しつつ本を書いているところです。順調にいけば、私の新しい著作として、来年には出版される予定です」

 

 

 

■さまざまなメビウスの仕事

 

 

ピゾリ 「これは、ジョージ・ルーカスに依頼されて『スター・ウォーズ』の世界を描いたイラストです。

 

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ここには、彼の「密封されたガレージ」シリーズの主人公が描かれていたりもしますね。

 

『メタル・ユルラン』の時代から、残念ながら今年の3月に亡くなるまでの間、メビウスは本当に大量の作品を描いているのですが、その中からいくつか素晴らしい作品を選んでご覧に入れようと思います。

 

これは1999年の『B砂漠の40日間』(邦訳:飛鳥新社刊)。0.1ミリの細いロットリングで、本の大きさと同じ紙に下書きなしで直に描かれたものです。

 

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これは彼が描いている場面を写した写真ですが、ここでは0.2ミリのロットリングを使ってます。 

 

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そして時にメビウスは、彼自身より、もっととんでもない人に出会う機会もありました。

これはアメリカのジェフ・ダローという作家さんと共作したイラストです。

  

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 ジェフ・ダローが下書きをして、ペン入れとカラーはメビウスですね。この仕事の後、メビウスは、こんなこと引き受けなきゃ良かったと言ったそうです(笑)。ジェフ・ダローという人は、非常に細かい絵を描くのですが、この一連の絵は彼自身がペン入れをしていたら、おそらく絵にならなかったんじゃないかと思います。これはやはり、メビウスが奥行き、その他を上手く考慮しつつペン入れをしているので、このような素晴らしい絵になり得たんじゃないかと思っています。

 

メビウスは、パリのモンパルナスにスターダムというギャラリーを持っているのですが、そこで時々展覧会をして原画を売るということをしていました。先ほどご覧に入れたのは、2006年に「ブッダライン」という名前で展覧会を行った時に発表された絵です。

 

それから、これはエルメスの「ヴォワヤージュ」―旅という意味ですね―という名前の香水の発表の時に依頼されてメビウスが描いたイラストです。 

 

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実物は、リボンのような横にずっと長い紙に絵を描いて、それがケースに納められるという、かなり変わった、技術的に難しそうなもので、プレスキット用に描かれたものでした。

(※こちらのエルメス公式サイトで見ることができます)

 

このエルメスのプレスキットの仕事が2010年の話ですから、もう本当に最後の方の仕事ですね。

 

この絵などを見ますと、絵描きとしての才能だけじゃなくてカラーのセンスも非常に感じさせる絵だと思います。やはり色遣いにおいてもメビウスはユニークで超一流ですね。これはパソコンで作業をしていて、ワコムのタブレットを使っています。メビウスは最期の方になると、だんだんペンも持てなくなったのでタブレットで仕事をしていまして、最後の『アルザック―巡視者』などもワコムを使って描いています。

 

ひとつだけ残念なのは、それがちょっと一目瞭然だというところですね。あとはやはり、少し目の方も悪くしていた関係で、ディテールを描くのに画面で拡大して作業をしているため、最終的に全体で見ると、ちょっと調和が取れてないなと思わせるようなところもあります」

 

 

■メビウス最後の本『La Cité feu』

 

 

ピゾリ 「これは昨年出た、おそらくメビウスの最後の出版物です。


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版型はそれほど大きくありません。ここでは即興でいろんなモンスターを描くようなことをしていますね。あるいは、車で走っていて、車の車体が震えているところから、また別なものに変化するというようなものを描いたり。

 

そうやって、いわゆる描線の追求というか、絵の線の可能性というものを最後の最後まで追求したメビウスであったと思います。

 

というわけで、発表はこれで以上です。どうもありがとうございました」

 

 

 「ピゾリさん、ありがとうございました」

 

 

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というわけで、ピゾリさんの発表は以上です!

この後、質疑応答でもいろいろと面白いお話を伺ったので、

後日まとめて公開致します! お楽しみに!

 

COLUMN

【BD研究会レポート】メビウス追悼 ダニエル・ピゾリ氏が語るメビウス〔ジャン・ジロー編〕

 

BDファンのための集い「BD研究会」(通称:ベデ研)をご存知でしょうか?

 

『アンカル』『ピノキオ』などの翻訳で知られる

翻訳者の原正人さんが中心になって活動しているグループで、

だいたい月に1回くらいのペースで、BDファンが集って情報交換を行ったり、

時にはゲストとして、海外の作家さんや編集者さんをお招きしてお話を伺うなど、

精力的に活動を行っています。


(※BD研究会についての詳しい情報はコチラ

 

 

そのBD研究会で、先日、今年3月10日に亡くなった

BD界の巨匠メビウスを偲んでの追悼集会が東京・飯田橋にある日仏学院で行われました。

 

今回のゲストはメビウスがジャン・ジロー名義で描いた

西部劇BD『ブルーベリー』の研究書『ll était une fois Blueberry(昔、ブルーベリーという男が...)』で

知られるダニエル・ピゾリ(Daniel Pizzoli)さん。

ピゾリさんは、なんと現在日本にお住まいなんです。

 

メビウス、ジャン・ジロー、二つの名前を持つこの偉大な作家について

ピゾリさんが詳しく解説してくださいましたので、

その模様を〈ジャン・ジロー編〉〈メビウス編〉の2回に分けてレポートします!

 


 


* * *

 

 

 

 「今回、BD研究会に初めて来てくださった方も多いのではないかと思います。ありがとうございます。まず最初にご挨拶をさせていただくと、僕は原正人といいまして、一応BD研究会の代表というような立場で、司会進行や連絡などをさせていただいます」

 

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 「前にも一度、メビウスが来日した際(※1)に、メビウスについての発表会を開いたことがありましたが、もうそれから3年経つんですね。先日、メビウスが残念ながらお亡くなりになって、その追悼ということで、今回またこのようなかたちでBD研究会を開くことになりました。

今日は、こちらにいらっしゃるダニエル・ ピゾリさんにメビウスについての発表をしていただきたいと思います。ダニエルさんは、『ブルーベリー』というメビウスがジャン・ジロー名義で描いている西部劇のBDがあるんですが、それについての研究書を書いていらっしゃる方です」

 

 

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  ll était une fois Blueberry

 

  Daniel Pizzoli[著]

  Dargaud

 

 

 

 

原 「『ブルーベリー』については、僕も以前『ユリイカ』(※2)で文章を書いたりしましたが、その時にも、ピゾリさんの本を参照させていただきました。実は僕も、去年初めてピゾリさんにお会いしたのですが、なんでこんな方が日本にいるのかと、正直たいへん驚きました(笑)。

とにかくメビウスについてはたいへん詳しい方ですので、今日はメビウスについていろいろとお話を伺いたいと思います。

じゃあ準備の方はよろしいでしょうか。それではピゾリさん、よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

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ピゾリ 「今日はこういったかたちでメビウス追悼の会をされるということで、たいへん結構なことだと思っております。よろしくお願い致します。

 

最初に、私自身のことをお話させていただきますと、私は、パリの学校でずっと絵を描く勉強をしていまして、その後いわゆる装飾美術を専門に学び、広告とデッサンの仕事に就きました。

この『ll était une fois Blueberry』は、学校の卒業論文で作った本です。当時は今みたいに、DTPのような便利な技術もありませんでしたので、すべて手仕事で切り張りして版下を作りました。それで、『ブルーベリー』を出版しているDARGAUD(ダルゴー)という出版社に行って卒業論文を見せたところ、すぐに出版が決まったんです」

 

 

 

■ 『ブルーベリー』との出会い

 

ピゾリ 「私が初めて『ブルーベリー』を読んだのは、掲載されていた『ピロット』誌で、12歳の頃でした。その時に読んだエピソードが「チワワ・パール」編です。シリーズの第13巻目にあたるエピソードですが、それからすっかり『ブルーベリー』のファンになってしまいました。

 

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  『ブルーベリー』第13巻

  「チワワ・パール」(Chiuahua Pearl, 1973)

 

実は、私はBDのアルバムはかなりのコレクションを持っていまして、多くはフランスの家に置いてあるんですが、実際、数えてみたら数千はあるんじゃないかと思います。そんなコレクションを持っているくらいですから、もちろんBDが好きで、絵が好きで、言葉が好きなんですけれども、ジャン・ジロー/メビウスの読者として自分が少し特殊だなと思うところがあるんです。

 

というのも、ジャン・ジロー、あるいはジルの名義で発表された作品が好きな読者というのは、メビウス名義で発表された作品があまり好きでないことが多い。その逆もまた然りで、メビウスファンの人はジャン・ジロー名義の作品があまり好きでないことが多いんですね。ところが私の場合は、そのどちらも同等に好きなんです。そこは読者として、多少変わっているところだと思います。

 

ちなみに作品の売上げ部数を比較してみると、ジル名義、ジャン・ジロー名義で出された作品は平均で約20万~30万くらいの数が出ているのに対し、メビウス名義の作品は、実はそれほど売れていなくて、約5000部程度と言われています。つまり、圧倒的にジル名義の作品の方が一般には読まれているようです」

 

 

 

■二人の偉大なアーティスト

 

ピゾリ 「さて、私は2012年3月10日には二人のアーティストが亡くなったと言っていいんじゃないかと思っています。一人はメビウスであり、もう一人はジルです。

 

一般的な認識としては、ジルは西部劇の作家であり、メビウスはSFの作家です。まずジルがいて、その後にメビウスが来た、と考えている方も多いと思うのですが、実はジャン・ジローがジルになる前に、すでにメビウス的な仕事もしていたという事実があるんです。

 

 

ではまず、ジルのことからお話しようと思います。

 

ジャン・ジローは1938年、パリの郊外で生まれました。子供の頃から学校で絵を描いていて、最初に、当時非常に有名だった「ABC」という通信制の美術講座に登録して勉強をしました。その後、パリ市内のレピュブリックという界隈にある装飾美術学校に入学し、当初は、ビジュアルコミュニケーション、視覚コミュニケーションといったコミュニケーション系の学科に入りたかったそうなんですけど、そこがもう定員がいっぱいになっていたのでタピスリーの学科に行くことになりました。それで、16歳の頃には、早くもプロとして仕事を始めることになります。

 

西部劇もの、ユーモアもの、あるいはリアルなものを描くようになっていくのですが、その当時、彼が仕事をしていた出版社の人間には、ハッキリと「リアルなものを描いていては将来はないよ」と言われたそうです。それで1958年に、当時フランスのコミック界でたいへん活躍していたジジェ(Jijé)という作家と出会います。この作家さんは非常にリアルな作風で意欲的に仕事をしていた方です。代表作は『ジェリー・スプリング』ですね。

 

 

『ジェリー・スプリング』(Jerry Spring)

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といっても、この時ジジェとは会っただけで、それ以上のことはありませんでした。この時期、ジャン・ジローは学校が嫌になりまして、学校を休んで母親を追って初めてメキシコに行きます。それから、当時フランスの若者は全て通らなければいけなかった兵役も経験します。それが終わって帰ってきた時、『文明の歴史』という本の企画に参加しました。そこで彼は、非常にリアルなイラストで優れた仕事をするんですね。それでジジェのところに1年間弟子入りすることになります」

 

 

 

■ジルと師匠ジジェ

 

ピゾリ 「ジジェのところに入ると、例えば、まず自然を見てキチッと描くとか、筆で描くとか、いろいろなことをやらされるものなんですが、ジャン・ジローの場合は、そういうことをまったくしませんでした。独自の描き方というのを貫くんですね。それがまた、師匠であるジジェを驚かせることになります。

 

ジャン・ジローは、物事というのは内側から描いていくものだという考え方をしていて、ジジェのように、実物や自然を見て、それをクロッキーのようなかたちでしっかり描いていく、さまざまな資料にあたってリアルな絵を追求していくというスタイルとは全く別のスタイルを貫きます。

 

つまり、ジャン・ジローは師匠であるジジェの「こういう風に絵を覚えたまえ」というやり方を完全に拒否するわけなんですが、にもかかわらずジジェそっくりの絵を描けるようになってしまいます。そして"ジル"として、最初の作品を出版することになるんですが、その時の絵が、まるでジジェの絵そっくりなんですね。

ですので、この後、ジルの2作目の単行本の一部はジジェが代理で描いていたりもします。それでも違いが全く分からないほどなんですけれども。ジジェは『ピロット』誌の第1号の表紙を描いたりもしているのですが、ジャン・ジローの『ブルーベリー』の単行本第1冊目の表紙になっている絵、これも実はジジェが描いています」

 

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  『ブルーベリー』第1巻

  「ナヴァホ砦」(Fort Navajo, 1965)

 

 

 

 

■『ハラキリ』誌での連載

 

ピゾリ 「一方その頃、フランスの風刺雑誌『ハラキリ』――この『ハラキリ』というのは、「愚かで意地悪な雑誌」というのがスローガンなのですが――で、1962年から63年にかけてジャン・ジローはメビウスのペンネームで作品を発表します。

 

ここで先ほどの、ジルの名義の前にメビウスはすでにいたというお話に戻ります。その当時のものが、こちらの雑誌に再録されています。

 

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当時、アメリカで刊行されていた『MAD』という雑誌がありますが、そこのスター作家だったジャック・デイヴィス(Jack Davis)という人の作風に、この頃の絵はたいへんよく似ています」

 

 

 

■ジャン・ミシェル・シャルリエと『プルーベリー』

 

ピゾリ 「ジジェのもとで学んだ時代、そして『ハラキリ』で作品を発表した時代を経て、ここでようやくジャン・ジローはジャン・ミシェル・シャルリエと出会うことになります。

ジャン・ミシェル・シャルリエは、かの『ピロット』誌の当時の編集長で、ルネ・ゴシニという『アステリックス』の原作で有名な人と一緒にこの雑誌をやっていました。『ピロット』誌は、1959年10月に創刊されて1989年10月まで続いた雑誌です。

 

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これは『ブルーベリー』の連載がスタートした当時の『ピロット』誌の表紙です。ただ、この当時の表紙は先ほどお話したように、ジジェが描いています。その後、ジャン・ジロー自身が表紙を描くようになっていきますが。

 


『ブルーベリー』は連載開始後、たちまち人気作品になります。この主人公が、飲んだくれだわ、人を騙すわ、とにかくハチャメチャなキャラクターで、しかもインディアンの味方というそれまで無かった設定だった。このキャラクター設定が人気の秘密ではないかと思います。

 

ここで、ジャン・ミシェル・シャルリエについてもお話したいと思います。やはりこの当時、時代を博した作家でありますので少し時間を割いてご説明します。

 

ジャン・ミシェル・シャルリエと、ジャン・ジローの二人で組んで始めた『ブルーベリー』ですが、シャルリエが、どちらかというと現実のアメリカの歴史に則した話を持ってくるというスタイルだったのに対して、ジャン・ジローの場合は、映画からのインスピレーションが多かったようです。初めにジョン・フォードの西部劇映画、次にいわゆるマカロニ・ウェスタンを経て、そしてまた古典的な西部劇......というように映画で描かれる西部劇というのはさまざまな変遷があったのですが、それをジャン・ジロー自身が後を追うかたちで『ブルーベリー』の作品作りに生かしてきた傾向が見られます。

 

 

これはシリーズの15巻目にあたる「棺桶のバラッド」という作品ですが、シャルリエはこのエピソードで、主人公ブルーベリーのバイオグラフィーというか、人生を振り返るような内容のものを作ります。

 

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  『ブルーベリー』第15巻

  「棺桶のバラッド」(Ballade pour un cercueil, 1974)

 

 

その際、まるで実際に撮られて古びたような写真の絵を使うなど、この当時のシャルリエはいろんなアイデアを用いて、ちょっと楽しんでるような雰囲気があります。

 

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これは、いわゆる西部劇の舞台になってる時代、19世紀頃の絵のように描かれた『ブルーベリー』です。

 

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これはピーター・クレイ(Peter Clay)というアーティストが描いた絵で、この人はやはり『ピロット』誌で活躍していたジャン・タバリー(Jean Tabary)という作家の兄弟であったりします。『イズノーグー』(Iznogoud)という、中東を舞台にしたユーモア作品で有名なジャン・タバリーです。

 

このように、シャルリエは『ブルーベリー』をネタにした遊びのようなことをしたわけなんですが、この後、一部の読者から『ブルーベリー』の生涯をまとめたものが欲しい、買いたいという反響が来るまでになって、一部の読者がブルーベリーに実在のモデルがいたかのように信じてしまうという事態にまでなりました」

 

 

 

■最も評価の高い作品

 

ピゾリ 「『ブルーベリー』は28巻のアルバムで出版されています。その他にいくつかスピンオフ作品も出ていますが、スピンオフは私に言わせるとあまり面白くないし、正直それほど価値のあるものではありません。

ジャン・ミシェル・シャルリエは、この『ブルーベリー』連載途中に亡くなってしまい、それ以降はジャン・ジローが1人で作品を作り続けました。ただ、シャルリエが亡くなってから第24巻の『ミスター・ブルーベリー』以降、ブルーベリーが怪我をして、ベッドに横たわったまま物語るという内容の作品が続いたものですから、読者には必ずしも評判は良くなかったようです。

 

『ブルーベリー』ファンの間では、第12巻「黄金の銃弾を撃つ亡霊」から、第17巻「天使の顔」あたりまでが『ブルーベリー』の最高潮であり、最も優れた仕事であると言われています。

 

ジャン・ジローは、だいたい14巻目あたりから自分のスタイルをどんどん出すようになるのですが、さきほどお話した12巻~17巻あたりの最も評価の高い時期は、ジャン・ジロー自身の画力も上がり、その中で自分のスタイルをどんどん出してくるようになってきた時期とちょうど重なっているわけです」

 

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ピゾリ 「以上で、私のジャン・ジローに関する発表は終わりにしたいと思います。その気になればいくらでもお話できるのですが、絵に関しての非常にテクニカルなお話になってしまうので(笑)。とりあえず今日のところはここまでとさせてください」

 

 

* * *

 

 

 

...と、いうわけで、〔ジャン・ジロー編〕は以上です。

いかがでしたでしょうか?

次回、〔メビウス編〕をお送りします。どうぞお楽しみに!

 

 


(通訳:鵜野孝紀氏)


※1--2009年5月のメビウス来日のこと。大友克洋、浦沢直樹など日本を代表する漫画家を交え、京都国際マンガミュージアム、京都精華大学、明治大学で講演やシンポジウムが行われた。
※2--『ユリイカ』2009年7月号「特集:メビウスと日本マンガ」

 

 

COLUMN

BDの原書が読める!買える! BLISTERさんに行って来た!

 

日本語版BDを読んで、BDに興味を持ったはいいけれど
実際にBDの原書を日本で買うことはできないの?

 

そんなお悩みをお持ちのBDファンの方に朗報です!

 

はるばる現地フランスまで行ったり、
アマゾン・フランスでフランス語の解読に四苦八苦しなくても、
BDの原書を読める!買える!場所が東京・日本橋にあります。


それが...


0502_01.jpg   オレンジの看板が目印!

 

アメコミ原書、関連グッズの取り扱いではもうお馴染み
BLISTER comicsさんです!

 

今回は、日本でも数少ないBD原書取り扱い店でもある
BLISTERさんにお邪魔して、店長の大橋さんにお話を伺ってきました。




 * * *

 

 

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  BLISTER店長の大橋さん。

  お忙しいところ快く取材に応じてくださいました。

――BDの原書を店頭に置こうと思ったきっかけは何だったんでしょうか?

 

一番のきっかけは、『ユーロマンガ』ですね。

あの雑誌が出た頃に、試しに店頭に置いてみたら、結構売れたんですよ。

ちょうど同じようなタイミングで、「ルーヴル美術館BDプロジェクト」とか、日本語版BDが定期的に刊行され始めたというのもあって、じゃ、関連してBDもやってみようかと、そういう流れです。


あと、これは全くたまたまなんですが、うちの社員に一人フランス人がいたんです。彼が昔からBDをやりたいって言ってて。

 

――そうなんですか! それは心強い。

 

 ただ、いざやろうとなった時に、アメコミに関しては出荷の流れとかがすでに確立してるんですが、BDをやるとなると、またイチからフランスとのルートを作んなきゃならない。

それがちょっと大変で、原宿時代(※)はやれてなかったんです。



0502_03.jpgのサムネール画像のサムネール画像   店内の様子。アメコミの原書がずらり!

 

その後こっち(日本橋)に来て、おもちゃよりも、どちらかというと書籍に力を入れていこうという方針に変わったんですが、その際、バラエティを広げるという意味で、BDっていう選択肢が再び出てきたんです。


この場所って、そんなに立地に恵まれているというわけでもないので、だったら目的を持ってわざわざ見に来てくれた人に、「こんなのもあった」というのを楽しんでもらえたらいいなと。

※BLISTER comicsは2010年3月に原宿から現在の日本橋へ移転した。

 

 

――大橋さんご自身は、もともとBDに関する知識はあったんですか?


 

僕個人としてはほとんど知らなかったです。

なので、仕入れる時には、いろんなブログやサイトなんかを見て、どういうのが人気なのかということを調べましたね。それで、仕入れ元にあった在庫表と照らし合わせて、まずは一回目の仕入れをしました。

 

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  こちらがBDコーナー。

  入り口から入ってすぐの棚です。


 

――じゃ、実際に届いてみて初めてどんな作品か分かるというようなことも......。

 

そうですね。

文字情報としては当然分かってるんですが、実際どんな絵なのかとか――もちろん有名なものは分かりますけど、それ以外のものは分からないので、結構挑戦的に発注してましたね。



――お店に来る方の反応はいかがでしょうか?


入荷したばかりの頃は、アメコミを見に来たついでに、「じゃあちょっと見てみようか」といったかんじのお客さんが数十人くらいはいました。

 

いまは新作の入荷とか拡大の路線がまだないので、BD目的のお客さんはそんなにたくさんはいないんですけど、ただお店に来た人は、やっぱりなんとなく見て行きますね。とりあえず原書を開いていきますよ。



――ここって自由に立ち読みできるんですか?



ええ、立ち読みOKです。むしろ立ち読みしに来てください(笑)!

 

 

0502_05.jpg 0502_06.jpg

 


――特に売れているBDはありますか?

 

実際のところ、原書を買っていくお客さんはそんなにはいなくて、たいていは、ここに並んでるのを眺めて日本語版を買っていくというのがメインなんです。ただ......いま、ここメビウスの原書がないんですよ。

2~3冊って単位じゃなくて、5~10冊くらいの結構な量を仕入れてたんですけど、こないだ全部売りきれちゃって。

 

――BLISTERさんはアメコミをたくさん扱っていらっしゃるわけですが、BDの魅力とは何だと思いますか?

 

一冊一冊全然違うってところでしょうか。例えば、マンガだったらマンガ、アメコミだったらアメコミって、なんとなくイメージが沸くんですけど、BDって本当に一冊一冊で違うんですよね。

作家さんとか、アーティストさんとかで全然変わってくるので、開いてみないとわからないというワクワク感があると思います。

 

――BLISTERさんから、特におすすめの作品はありますか?

 

人気の作品で言うと、『ブラックサッド』は複数冊揃ってますし、エンキ・ビラルの作品もまだ何冊かあります。

気軽に買うにはちょっと高いかもしれませんが、ぜひ見に来ていただければ。


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  日本語版も出ている『ブラックサッド』ですが、

  原書で持っててもかなりカッコイイ。


 

――ちなみに通販でも買えるんでしょうか?

 

BLISTERの公式サイトで買えるようにしようとしてますが、まだウェブページなどは作ってないです。

でも問い合わせしていただいて、在庫があれば発送しますよ。



――最後にBDfile読者の方にメッセージをお願いします。



BDもそうですが、アメコミも含めて、うちの店は基本的に立ち読みOKなので、一度BDの原書を見てみたいという方はぜひ来てください! 一度見てもらって、そこからの買う買わないはお好み次第、で構いませんので。



――大橋さん、有難うございました!

 

 

 

 

いかがでしたでしょうか?


BDの原書を一度見てみたい、という方は、
ぜひこの連休にでもお店に足を運んでみては?

 

 

■SHOP DATA■

 

0502_01.jpg   BLISTER comics

 

  〒103-0007
  東京都中央区日本橋浜町
  2-54-5村上第3ビル

  TEL 03-5643-3446
  URL http://www.blister.jp/

 

[営業時間]
水・木・金/17:00 - 20:00
土/11:00~18:00

[アクセス]
都営新宿線 浜町 徒歩約3分
東京メトロ半蔵門線 水天宮前駅 徒歩約7分
東京メトロ日比谷線 人形町駅 徒歩約10分
都営浅草線 人形町駅 徒歩約13分

 

 

★5月5日(土)、5月6日(日)の2日間は
アメコミが無料で貰えるイベント「FREE COMIC BOOK-DAY」も開催!!
詳しくはこちら→http://blistercomics.jp/

 

 

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