COLUMN

【BD最新事情】モテない! サエない! 思春期男子のモヤモヤを描く注目のBD作家


今回は、日本ではまだ、なかなか紹介されるチャンスがない
ギャグ・ユーモアジャンルのBD作品の中から、
近年特に、多彩な活躍で注目を集めているBD作家リアド・サトゥッフについて、
BD最新情報に詳しく、翻訳・日仏コーディネーター・通訳として活躍されている
鵜野孝紀さんにご紹介いただきました!


* * *



今回は、独特の絵柄と雰囲気をもつユーモア作品を描き、BD作家にとどまらず映画監督としても活躍するリアド・サトゥッフ(Riad SATTOUF)を紹介したい。

1978年、シリア人の父とフランス人母の間にパリで生まれたサトゥッフは幼年期をシリアやリビアで過ごし、13歳から母親の実家があるフランス・ブルターニュ地方で思春期を過ごす。パリのアニメ専門校ゴブランで学んだ後、バンド・デシネ作家としてデビューを果たした。

中学生時代、女子にもてず一人に絵を描くことに熱中したのが今日BD作家となった原点だというサトゥッフらしく、作品の主人公はコンプレックスを抱えて、さえない「もてない君」が目立つ。アンチヒーローをメインに据えたコメディーを得意としている。 

Manuel du puceau(童貞くんマニュアル)』(Bréal Jeunesse刊、2003年)で思春期に訪れる性の目覚めとその対処法を説き、『Ma Circoncision(ボクの割礼)』(Bréal Jeunesse 刊、2004年)では80年代シリアの国内状況と絡めて自身が8歳のとき経験した割礼経験を描いた。


20140521_01.jpg 20140521_02.jpg
▲左:『Manuel du puceau(童貞くんマニュアル)』/右:『Ma Circoncision(ボクの割礼)』


その後、作者が実際にパリの街で見かけた若者の生態を活写した『La vie secrète des jeunes(若者達の密かな生活)』を2007年から2013年まで風刺週刊紙「Charlie Hebdo(シャルリー・エブド)」に連載し、ラソシアシオン社で3巻の単行本にまとめられると、TVの人気報道バラエティー番組の一コーナーとして実写化されるなど人気を博した。

20140521_03.jpg

20140521_04.jpg 20140521_13.jpg
▲『La vie secrète des jeunes(若者達の密かな生活)』 / © Riad Sattouf/L'Association


Les Pauvres Aventures de Jérémie(ジェレミーの情けない冒険)』(ダルゴー社刊)は、TVゲーム会社に勤めるジェレミーと幼なじみのBD作家を中心とした波瀾万丈な喜劇ものといったところ。2003年から2010年にかけて全4巻が刊行され、昨年一冊にまとまった完全版が発売された。

20140521_05.jpg 20140521_12.jpg
▲『Les Pauvres Aventures de Jérémie(ジェレミーの情けない冒険)』 / © Riad Sattouf/Dargaud


また、近未来のフランスを「男の中の男」パスカル・ブリュタルが暴れ回るハチャメチャな『Pascal Brutal(パスカル・ブリュタル)』は諷刺BD誌「フリュイド・グラシアル(Fluide Glacial )」で連載され、2010年アングレーム国際漫画フェスティバルで最優秀作品賞を受賞している。現在、アルバム3巻が刊行されており、最新・第4巻が2014年9月に発売予定である。


20140521_06.jpg

20140521_07.jpg 20140521_08.jpg
▲『Pascal Brutal(パスカル・ブリュタル)』


2009年からは映画の制作にも乗り出し、クラスの美少女とのデートに成功し初めてのベッドインを試みる中学生とその親友が引き起こすドタバタを描いた初監督作『Les Beaux Gosses(イケてるオレたち・仮)』(2009年公開)は、2010年セザール賞(フランスの映画賞、アメリカのアカデミー賞に相当)の最優秀初作品賞を受賞


20140521_09.jpg
▲映画『Les Beaux Gosses(イケてるオレたち・仮)』 ⇒予告編(広告あり)

さらに今年1月に公開された『Jacky au royaume des filles(女子王国のジャッキー)』(2014年)では、女性が権力を持ち社会の中枢機能(政治から軍事まで)を支配し、男たちはベールをかぶり家に閉じ込められている架空の国を描いた(まるでイスラム版『大奥』のよう)。主人公のジャッキーは将軍の娘と結婚することを夢見る。将軍の娘、大佐の役をあのシャルロット・ゲンズブールが演じたことでも話題となった。


20140521_10.jpg
▲映画『Jacky au royaume des filles(女子王国のジャッキー)』 ⇒予告編(広告あり)


最新のBD作品『l'Arabe du futur(未来のアラブ人)』(Allary Editions、2014年)では自らの半生と同時代の中東史を交差させ、『ペルセポリス』(マルジャン・サトラピ、日本版はバジリコ刊)を彷彿とさせる作品となるようだ。今月フランスで発売されたばかりの第1巻では、両親が学生時代にパリの大学で出会い結婚、サトゥッフの誕生からアサド時代のシリア、カダフィ政権下のリビアを舞台で過ごした幼年期を描く。

作品名は、中東が古い慣習から抜け出し、近代的な世界へ飛躍することを願うサトゥッフの父が、自身の息子が「未来のアラブ人」となるべく育てようとしたことに依っている。一年に1巻のペースで2016年に全3巻で完結する予定。発売直後からすでにサトゥッフの最高傑作との呼び声も高い

20140521_11.jpg
20140521_14.jpg 20140521_15.jpg
▲『l'Arabe du futur(未来のアラブ人)』 / © Riad Sattouf/Allary Éditions


ユーモア作品は本国でしか通用しないギャグや原語独特の表現などがあり、なかなか日本では紹介されづらいが、BDのまた別のジャンルの現在を代表する作家として注目されたい。


Text by 鵜野孝紀

COLUMN

【特別寄稿】わが隣人フィリップ・ドリュイエ


現在、好評発売中のフィリップ・ドリュイエの『ローン・スローン』。
みなさんもうご覧になりましたか?

ローン・スローン.jpg ローン・スローン

フィリップ・ドリュイエ[著]
ジャック・ロブ[作・原案]
バンジャマン・ルグラン[作]
原正人[訳]

B5判変型・上製・336頁・本文4C

定価:4,000円+税
ISBN 978-4-7968-7185-3
小学館集英社プロダクション

好評発売中!!

以前の記事でも少しだけご紹介しましたが、
本作は、欧米圏では"スペース・アーキテクト(宇宙建築家)"の異名で知られる
BD史上最大のカルトアーティスト、フィリップ・ドリュイエの代表作です。

フィリップ・ドリュイエは、同時代のメビウスらとともに60~70代のBD界を牽引し、
出版社ユマノイド・アソシエを立ち上げたり、伝説の雑誌『メタル・ユルラン』を創刊するなど、
BDの歴史を語る上でも欠くことのできない、多大な貢献をしてきた人物なのですが、
実は、あのメビウスよりも先に、BD界に革命を起こしたアーティストでもあるのです。

そこで、今回は以前メビウス追悼特集で特別講義を掲載させていただいたこともある
日本在住のメビウス研究者で、ドリュイエの大ファンでもあるというダニエル・ピゾリさんに
フィリップ・ドリュイエについての解説文をご寄稿いただきました!


* * *


まだ若かった頃、ある日、こんなことを思いついた。

私の大好きなBD作家たちは電話帳に名前を載せているのだろうか?
当時、エルジェとユデルゾを除けば、BD作家はスターではなかった。彼らの仕事はまともな仕事とは思われていなかった。よくて無視、下手すれば軽蔑の的。作家にしてみれば名前を隠す理由なんてどこにもない。

私は数日間、根気強くパリの電話帳をめくった。するとどうだろう。うれしいことに当時の私のアイドルたちの名前はことごとく電話番号、住所とともに掲載されていた。

フィリップ・ドリュイエの住所を知ったのもその時だった。彼はなんとパリ10区の北駅界隈、私の自宅から200mのところに住んでいたのである!



だが、まずは私のドリュイエ体験を振り返るところから始めよう。

週刊誌『ピロット』のページ上でドリュイエの〈ローン・スローン〉を初めて目にしたとき、私は11歳か12歳だったはずだ。赤目のネオ地球人の冒険を描いたシリーズ第2作『デリリウス』が掲載されていた。
ページを繰るごとに立ち現れるヴィジュアル・ショックに、私はたちまちうちのめされてしまった。『タンタン』や『スピルー』、『ピフ・ガジェット』といった週刊誌はもちろん、マーベルやDCのアメリカンコミックスも貪るように読んでいたこの私がである。


当時、雨後の筍のように現れたBD雑誌の中で、『ピロット』は最良の雑誌だと見なされていた。事実、70年代の『ピロット』は、集結した作家たちの才能と彼らが連載する作品の独創性でまばゆいばかりに光り輝いていた。しかし、それでも、ドリュイエの作品に比肩できるものは1つもなかった。彼が描いたページは毎週読者を仰天させ、彼を前にしてはどんなに偉大な作家ですらアカデミックな型にはまった堅物に見えた。

例えば、同じ頃、まだメビウスになる前のジャン・ジローが『ピロット』で〈ブルーベリー〉という西部劇シリーズを連載していた。当時〈ブルーベリー〉は絶好調。シリーズ全体の中でも最良の時期だった。それなのに、ジローはまだ古典的なコマ割りしか用いていなかった。そして、主人公のブルーベリー中尉は、どんなに頑張っても結局は"正義の味方"だった。しかるに、ローン・スローンは善悪の境界にいた。享楽的な冒険家であったかと思えば、情け容赦を知らない乱暴者でもあり、悩める魂でもあった。彼は文字通り古典的なコマ割りには収まりきらないキャラクターだったのだ。

ドリュイエ作品には、アメリカンコミックスに特有の宇宙の息吹とスペクタクル性に富んだイメージが感じられたが、それが何倍にも増幅されていた。それこそが、若い読者であった私に感銘を与えたものの正体である!

呆然自失とした私の目の前に巨大な扉が開いていた。そこには爆発を引き起こし、カオスと化した、途方もない宇宙が広がり、私を眩暈へと誘った。〈ローン・スローン〉のページは、まるで別世界からやってきたかのようだった。作者は読者を無限世界へと放り込み、乱暴に時空の奈落へと突き落とし、暴力とエロスと悪夢でごった返すメエルシュトレエムで溺れさせた。悠久の昔に建てられた巨大な建造物。作ったのは神々なのか失われた文明なのか。それらに囲まれて、人間はまるで豆粒のように小さく感じられた。

ひしめくように描かれた細密な絵の数々、グラフィックの実験、ページ構成のカオス(計算されたものも、されていないものもある)......。これらが全ページを埋め尽くしている。アングルは狂気としか言いようがない。まずはページの余白が消え、次いでコマとコマの間の余白が消え、しまいにはコマそのものさえ消えてしまう。

これらすべてを支えているのが、クラシックなBDの文法を破壊せんとする狂気の天才作家の魔法なのだ。


ドリュイエは『ピロット』で仕事をする以前にすでにグラフィックの革命家を自認していた。

〈ローン・スローン〉の最初の単行本は、実は1966年に遡る。版元はエリック・ロスフェルド。大人向けのBDを世に送り出した総合出版社である。エリック・ロスフェルドが出版するBDは部数も決して多くなく、値段は高めに設定されていた。代表的な作品はジャン=クロード・フォレスト作の『バーバレラ』 (1964年)。バーバレラは、初めて裸身を晒す自由を獲得したヒロインで、フランスBDの歴史を画すと同時に物議を醸した。

ドリュイエの最初の〈ローン・スローン〉はどうだったかというと、決していい出来ではなかった。絵の腕前は下手なビギナーと言ったところか。商業的にも芸術的にも失敗作だった。しかし、3年後、ドリュイエが『ピロット』で仕事をし始めたときには、状況はまったく変わっていた。

1969年から71年にかけて、彼は『ピロット』で、『ローン・スローンの6つの旅』という短編群を発表する。作者は主人公をラヴクラフトの物語から飛び出してきたような暗黒神や宇宙の力と対決させる。これらの物語の大半は、彼がでっち上げたもので、非常に狂った世界が展開されている。そして、1972年には、上述した『デリリウス』が連載された。ある新興宗教のためにスローンが押し込み強盗を働く話である。物語の舞台は、宇宙のラスベガスとでも言うべき堕落しきった惑星。原作を務めるのは有名なBD原作者ジャック・ロブである。


140507_01.jpg
▲『ローン・スローンの6つの旅』オリジナル版の表紙。大きなフォーマットで出版されたダルゴー社"幻想物語"叢書の記念すべき第1冊目。


140507_02.jpg
▲『デリリウス』オリジナル版の表紙。


絵に関して言えば、ドリュイエは完全な独学者である。ただ、『ピロット』で仕事をし始めたときには、彼は既に写真家、イラストレーター、舞台美術家のキャリアを積んでいた。

フランス・ベルギーのBD作家やアメリカのコミック作家から影響を受けたのはもちろんだが(ポイヴェ、ジャコブス、ホガース、カービーなど)、彼はそれ以外にも美術館や映画館に足しげく通い、さまざまな芸術を吸収した。

アーティストやその作品に対するオマージュはしばしば引用の形を取り、時には名前や作品がそのままページの中に取り入れられた。

私はそのおかげで、M・C・エッシャーと彼のありえない建築物(『デリリウス』)を、アルノルト・ベックリンと彼が描いた『死の島』(『ガイル』)を、さらにはギュスターヴ・モローギュスターヴ・ドレオプ・アートソラリゼーション(当時流行していた)、ヒエロニムス・ボスと彼が描くグロテスクな形象(とりわけ『ヴュズ』や雑誌『エコー・デ・サバンヌ』での仕事に見受けられる)、その他数多くのアーティストや作品を知ることができた。


140507_03.jpg
▲M・C・エッシャーとフィリップ・ドリュイエが好んで描く"ペンローズの三角形"。


140507_04.jpg
▲ドリュイエがインスピレーションを受け、『ガイル』に取り込んだアルノルト・ベックリンの『死の島』の1作。


文学方面についての借りも明らかにしておかなければならない。ラヴクラフトが想像した幻想的な怪物や、マイケル・ムアコックのヒロイック・ファンタジー(ドリュイエは〈エルリック・サーガ〉の一篇『白き狼の宿命』をBD化している)、フィリップ・K・ディックやA・E・ヴァン・ヴォークト、レイ・ブラッドベリのSFなどがそれだ。

そもそもローン・スローンというキャラクターは、アメリカの女性作家C・L・ムーアが創造したノースウェスト・スミスという宇宙の冒険家に着想を得たものだ。ムーアは、この作品の中で、SFとラヴクラフトに由来するファンタジーを混ぜ合わせている。主人公スミスの連れは金星人のヤロールだが、この名前はスローンの盟友で火星人のヤールを容易に想起させる。


140507_05.jpg
▲C・L・ムーアが創り出したヒーロー、ノースウェスト・スミス。ルネ・カイエ画(1957年)。


ドリュイエの絵はお世辞にもうまいとは言えない。しかし、そのバロック性や遠近法の卓越した使用、創作に対するエネルギーや創造性がその欠点を補ってあまりある。

デビュー当時、彼は創作に当たって、友人たちにアドバイスを求めることもあった。例えば、ジャン・ジロー=メビウスは、彼にどうやってキャラクターをきちんと立たせたらいいか教えている(それはメビウスの十八番の一つだった)。ある日、『ローン・スローンの6つの旅』所収の「烈風の島」を描いているとき、ドリュイエはメビウスから「カメラをこんな風に船の上に置くもんじゃない。BDではこんな風にしちゃダメだ」と忠告された。しかし、ドリュイエはこのアドバイスを一切意に介さなかった。構図は自分の縄張りだとはっきり自覚していたのである。

メビウスは「正しく描く」ことに執心していたが、それはドリュイエにとっては最優先の事柄ではなかった。一見正反対の作家であるこの2人は、しかし、お互いに協力しあってもいる。メビウスはドリュイエのいくつかのページに手を入れ、ふと思いついたアイディアを提案したりしている。逆にメビウスは〈ローン・スローン〉の作者から多大な影響をこうむっている。自分が触れたあらゆるスタイルを吸収するというのは、メビウスの特徴の1つなのだ。

一方で、この強烈な2つの個性がしばしば衝突したのも事実である。ドリュイエは口達者で、オブラートに包んだもの言いを好まない。いくらか芝居がかった調子で、ピリピリしたどぎつい言葉を用いて自己表現する。メビウスは落ちついた声と節度ある調子で語り、しばしばとても知的かつニューエイジ的なモノローグで周囲を煙にまく。それは感情を隠す彼流のやり口であった。

この違いは彼らの作品にはっきりと刻印されている。

メビウスが空白によって無限を表現するような箇所で、ドリュイエはありとあらゆるものを詰め込む。ドリュイエはものをどんどん積み重ね、どんな小さな空間すら埋め尽くし、ページをさまざまなショットや斜線や集中線でいっぱいにしてしまう。彼のキャラクターにはどこかグロテスクなところがある。彼は中途半端なものを嫌い、気前よく場面を見せようとする。空間の奥の奥まで、ページの隅の隅まで見るべきものがある。彼は破滅と黙示録の光景を好んで描く。

メビウスは真逆だ。まるで瞑想の、観想のためであるかのように、空間はしばしば閑散としており、静寂が支配している。時間は不動で、読者は表象された空間の外側に締め出される。キャラクターたちは優美に身構えている。彼が描くページからは大気の恩寵とでも言うべき雰囲気が立ち昇っている。

メビウスは決して大きな原稿用紙を用いない。ドリュイエはとてつもなく大きい紙を用いる。例えば、『ガイル』の原稿は120×85㎝もある。そしてしばしば、原稿には直接彩色が施される。全ページをそんなサイズで描くことがどれだけのエネルギーと労働量を必要とするか、推して知るべしであろう。

ドリュイエは独特の、極めて私的な色彩を用いて仕事をする。ポップで幻覚的な色彩を使ったかと思えば、緑と赤を中心とした悲劇的な渋い色彩を用い、それらが実に見事に調和している。ドリュイエの彩色が話題になることは稀だが、彼は非常に優れたカラリストでもある。


〈ローン・スローン〉シリーズの第2作目『デリリウス』は忌憚のない暴力とエロスという点でも革新的だった。青少年向けの雑誌に2人の裸の男が性器を露出して描かれたのは初めてのことだった。その後に描かれた単行本では(1974年の『イラガエル Yragaël』、1975年の『気狂いウルム Urmle Fou』)、ローン・スローンこそ登場しないが、性的なモチーフがページの至るところに描かれている。そう言えば、彼が描く建築物はどれもこれも男性器の形を思わせる。


その頃、雑誌『メタル・ユルラン』の共同創立者でもあったドリュイエは、"アンダーグラウンド"な活動を増やし始める。それは彼にとってストレス発散の格好の機会だった。彼は己の衝動を紙にぶつけた。発作的な暴力と不吉なブラックユーモアへの志向が遺憾なく発揮された。それが最高潮を迎えたのが『ヴュズ Vuzz』(1974年)というモラルのかけらもない同名のキャラクターを主人公に据えたサイレント作品である。シンプルな絵柄の白黒作品で、雑誌『フェニックス』に連載された。『ミラージュ Mirages』(1976年)という短編集もある。その中の一篇「自転車置場」は、子供に向けられたとてつもない悪意で、未だに私を苛んでやまない。物語の舞台が現代のフランスであるだけになおさらである。

140507_06.jpg
▲1974年に刊行された雑誌『フェニックス』の表紙。ドリュイエの『ヴュズ』が連載された。


140507_07.jpg
▲『ミラージュ』(1976年)オリジナル版の表紙。


その次に出版されたのが『Nuit』(1976年)である。これはドリュイエの最高傑作と目される作品で、癌で亡くなった彼の最初の妻への絵による痛ましいレクイエムであると同時に、その妻の臨終のメタファーともなっている。

その後、ドリュイエは『ガイル』(1978年)で再び〈ローン・スローン〉に戻ってきた。ギュスターヴ・フロベールの小説を自由にBD化した『サランボー』(1980~86年)もシリーズの一角を担っている。2000年には『カオス』が出版されるが、これはもともと別の企画であったものを組み込んだハイブ リッドな作品である。この作品にはヴュズも登場する。2012年には『デリリウスⅡ』が刊行された。これが同シリーズの最新作である。長い歳月を経て、ドリュイエの絵は進化を遂げた。形式化の度を増し、ナレーションはよりリズミカルになっている。一方で、ドリュイエは、BD以外の媒体での仕事も増やしつつある。彫刻に宝飾品、ミュージック・クリップにオペラ、ゲームにテレビ......。彼はさまざまな場所で仕事をしている。


140507_08.jpg
▲1974 年、アンプ・メーカー"ウーヘル"のために描かれたポスター。ドリュイエはこの絵を『ガイル』で再利用している。『ピロット』757号に引換券と交換でこのポスター(86×58㎝)をプレゼントするという広告が掲載された。今でもこのポスターは私のコレクションとして大事に保管されている。


1960年代のデビュー以来、BDの読者を驚かせ、狼狽させてきたこの作家が、今年ようやく日本で本格的に紹介されることとなった。日本の読者は、ドリュイエを読むことがいつの時代にあっても悩ましい体験であることを身を持って知ることになるだろう。



エピローグ:

さて、ドリュイエが近所に住んでいることを知って、私はどうしたか?

どうもしなかったのである。

彼の家に電話をかけたり、家の外で彼を待ち伏せするには、私はあまりに内気だった。巨大な原稿を抱えた彼と偶然街ですれ違わないかと心を躍らせたものだが、そんなことは結局起こらなかった。

時に友人たちにフィリップ・ドリュイエの近所に住んでいることを自慢することもあったが、「それって誰だっけ?」と答えられるのがオチだった。友人たちはそそくさとサッカーの試合の話題に戻っていってしまった。

そう、当時、BD作家はスターではなかったのだ。


Text by Daniel Pizzoli
Translated by 原正人

[関連記事]
【BD研究会レポート】メビウス追悼 ダニエル・ピゾリ氏が語るメビウス〔ジャン・ジロー編〕
【BD研究会レポート】メビウス追悼 ダニエル・ピゾリ氏が語るメビウス〔メビウス編〕
【BD研究会レポート】メビウス追悼 ダニエル・ピゾリ氏が語るメビウス〔質疑応答編〕

COLUMN

【BD最新事情】エルジェ没後30年を経て『タンタン』に新たな光


ベルギーのBD作家エルジェによるBDの世界的名作『タンタンの冒険』。

昨年、ハリウッドで映画化され、日本でも邦訳の新装版が発売されたり、
雑誌の特集で取り上げられるなどして、多いに盛り上がったのは記憶に新しいですが、
その『タンタン』をめぐり、昨年BD界で、ある議論が話題になりました。

エルジェ以外の作家が『タンタン』の続編を描いてもよいか、否か、という議論です。

この話題について、ミロ・マナラ『ガリバリアーナ』などの翻訳や日仏コーディネーター、
通訳として活躍されており、BD最新情報に詳しい鵜野孝紀さんに解説していただきました!


* * *


昨秋から今年初めにかけてフランス・ベルギーのBD界はとある議論に沸いた。
有名作品は原著作者の手を離れても描き継がれるべきか。とりわけ『タンタン』の続編制作を巡る議論である。

きっかけは、昨年(2013年)10月に刊行されたフランスの国民的作品『アステリックス』の新作(第35巻 『Astérix chez les Pictes / アステリックスとピクト人』)〔※1〕である。オリジナルの原作執筆者、ルネ・ゴシニー(1926-1977)亡きあと一人で作品を描き続けてきた漫画家アルベール・ユデルゾ(1927-)は、長らく自分亡き後は作品を第三者に引継がせることはないと断言してきたが、これを撤回し、初めて作品制作を他の作家にゆだねたのである〔※2〕


140402_01.jpg 『Astérix chez les Pictes』
(アステリックスとピクト人)


[作]Jean-Yves FERRI
[画]Didier CONRAD
[出版社]Les Éditions Albert René
[刊行年]2013年


時を同じくして、『タンタン』の著作権管理を行うムランサール社・社長ニック・ロドウェル氏による「(シリーズ著作権が切れる前年の)2052年〔※3〕までにはタンタンの続編制作を許可してもよい」との談話がフランスとベルギーの新聞に掲載された。
生前のエルジェは自分以外に『タンタン』を描かせることは望まないとしていた(上のユデルゾも自分の作品の継承を望まなかったのはエルジェに倣ったものと言われる)が、『タンタン』の版元カステルマン社による続編制作の可能性に道が開けたと思わせるロドウェルの発言には、新旧の『タンタン』読者やBD専門家らが騒然とした。

背景には、近年必ずしも良好でなかったカステルマン社とムランサール社の関係が改善されたこともあるだろう。それを裏付けるように、エルジェ没後30年目の2013年、カルテルマン社はベルギーにあるエルジェ美術館のスポンサー契約を交わしており、また同社が『タンタン』出版を始めて80周年となる2014年に新たな関連出版企画を打ち出すことにも合意している。

また、ロドウェル氏には『タンタン』がパブリックドメインとなることを極力避けたいという意図があるようだ。元より著作権管理に厳格なことで知られるムランサール社であるが、『タンタン』を守ることが自分の使命であるとも述べており、未来永劫に渡って自由な利用を許さないことがエルジェの遺志に沿うのだという強い信念が感じられる。


ともかく、これにより『タンタン』続編制作の是非、また「有名人気作品は誰のものか」(作者の死後、第三者によって描き続けられるべきか否か)の命題を巡る議論がネットや紙媒体を賑わせた。

昨年(2013年)12月には、国営TV局の名物討論番組にロドウェル氏の他、著作権の専門家、生前のエルジェを知る関係者、BD作家らが招かれ討論が行われた〔※4〕

次いで、2014年1月開催のアングレーム国際漫画フェスティバルでもロドウェル氏とBD専門家らによる討論会を企画〔※5〕
フェスティバル公式サイトには投票フォームが設けられ、『タンタン』続編制作の是非を問うアンケートを行った。結果は67%が「ノン」の回答であったという〔※6〕

2050年代というとかなり先のことになるが、日本のタンタン読者はどう思うだろうか。2010年代には企画が動き出すだろうという噂もあるが、ロドウェル氏自身はやんわりと否定している。

一方で、今年『タンタン』出版を始めて80年目〔※7〕の節目を迎えたカステルマン社は記念出版企画第1弾として『LA MALEDICTION DE RASCAR CAPAC (ラスカル・カパックの呪い)』を3月に刊行した。

140402_02.jpg 『LA MALEDICTION DE RASCAR CAPAC
(ラスカル・カパックの呪い)』


この本には『タンタン』シリーズ中期の傑作『ななつの水晶球〔※8〕の新聞連載当時(「ル・ソワール」紙、1943年12月~1944年8月)のモノクロオリジナル版が完全収録されている。

140402_03.jpg
▲モノクロオリジナル版 © Hergé/Moulinsart 2014

140402_04.jpg▲モノクロオリジナル版 © Hergé/Moulinsart 2014


左側のページでは、エルジェが作品制作のため収集した資料、ラフ画などを紹介、作品が描かれた過程を詳細に追うことができる。

140402_05.jpg

140402_06.jpg▲本文ページサンプル © Hergé/Moulinsart 2014

140402_07.jpg 140402_08.jpg
▲『ななつの水晶球』 (左)1948年版表紙 (右)日本版表紙

140402_09.jpg 140402_10.jpg
© Hergé/Moulinsart 2014

秋には同企画第2弾の刊行が控えており、他にも様々な関連企画、とりわけムランサール社の全面バックアップによる『タンタン』全作品の再版が行われるそうで(1番手は『ファラオの葉巻』)、大いに注目したいところだ。


Text by 鵜野孝紀


[注]

1―昨年末時点で163万部を売り上げ、2013年唯一のミリオンセラーとなりこの年にフランスで最も売れた本となった(GfK調べ)。アステリックスは新刊が出るたび200万部超の売上を記録し、その年のBD全体の市場規模を左右するほど。

2―それでも、ユデルゾが完全監修し、過去の巻と並べても全く違和感を感じさせない作品となっている。

3―作者のエルジェ(1907-1983)の死後70年目の2053年を過ぎるとパブリックドメインとなり誰でも自由に利用することができることになる。

4―フランス語だが、YouTubeの公式動画で全編視聴可能:    

5―YouTubeの公式動画(フランス語):https://www.youtube.com/watch?v=P0Hct1ZvGvM

6―http://tintin.bdangouleme.com/

7―1934年の『ファラオの葉巻』のこと。それ以前の3作(『ソビエト旅行』『コンゴ探検』『アメリカへ』)は当時「プチ20世紀」から刊行されていた。

8―1944年9月の「ル・ソワール」発行中止により、約150回分、本にして50ページ相当で中断。戦後「タンタン・マガジン」で制作を再開。現在発売されているオールカラー版は1948年に刊行されたもので新聞連載分から数多くの変更が加えられている。続きの『太陽の神殿』と合わせて2部作を成す。


* * *


『タンタン』の続編ははたして実現するのか? 日本のBDファンとしても大いに気になる議論ですね。

鵜野さんには、今後も定期的にBDの最新情報などをお届けいただく予定です!

COLUMN

【3/15来日講演!】コゼのマンガの魅力──想像の旅、想像の自伝


先日、BDfileでもお伝えしましたが、
今週末から「フランコフォニーのお祭り」の一環として
スイスの人気BD作家コゼが来日し、全国各地で講演・ワークショップなどを行ないます。

しかし、日本ではまだコゼの翻訳本などは刊行されておらず、
彼がどういう作品を描く作家さんなのか、知る機会がなかなかありません。

そこで、今回は来日に先駆け、
15日(土)にアンスティチュ・フランセ横浜で行なわれるコゼの講演会で、
司会を担当される、翻訳家で首都大学東京准教授の古永真一さんに
コゼ作品の魅力について、ご紹介いただきました!


★コゼ来日講演・ワークショップについての情報まとめは⇒コチラ



* * *


スイスのマンガというと、最近ではフレデリック・ペータースの傑作『青い薬(原正人訳、青土社、2013年)が翻訳されたことが思い浮かぶ。マンガを「発明」したと言われるロドルフ・テプフェールもスイス出身であり、スイスという国はマンガと縁の深い国だということがわかる。個人的には、最近、高山宏先生のお話を拝聴する機会があり、観想学で知られるスイスの思想家ラヴァーターのヨーロッパ文化への影響の大きさを指摘しながら「日本人はスイスを知らなすぎる」と悲憤慷慨されていたことが記憶に残っている。私もスイスについてはあまりよく知らないのだが、今回のコゼの来日は日本人がスイス文化を知る良い機会――一人のスイス人が異文化をどのように見ているのかを知る機会――になるだろう。


というわけで、この場を借りてコゼとはどんな漫画家なのかを簡単に紹介してみたい〔※1〕

140226_01.jpg
COSEY© Maghen - Cauvin


コゼは1950年ローザンヌ生まれで、16歳から広告会社でイラストレーターとして研鑽を積み、1970年スイスの代表的な漫画家ドリブと出会う。ドリブといえば、インディアンを描いた『ヤカリ』(1970)というシリーズが有名だが、90年代にはエイズ予防や売春批判といった社会派の作品も手がけている。

そのドリブからマンガの創作作法を学んだコゼは、『ソワール・ジュネス』誌に作画家として作品を発表するようになり、スイスの日刊紙にも冒険家のレポーターを主人公とするマンガを連載する。その後、週刊『タンタン』でも活動するようになり、1975年に同誌にて彼の代表作『ジョナタン』を発表する。80年代は、長編『ピーター・パンを求めて』、90年代は『イタリア旅行』、『サイゴン=ハノイ』、ラブストーリーの短編集『フランク・L・ライトの家』、97年からは『ジョナタン』の制作を再開する。2013年には『ジョナタン』シリーズの第16巻が出版されている。


コゼの作品でどれか一つと言われれば、やはり『ジョナタン』であろう。


140312_01.jpg ジョナタン 完全版 第1巻
Jonathan (Intégrale) - tome 1


[著]Cosey
[出版社]Le Lombard 


若い頃のコゼにそっくりなジョナタンという名の青年が、チベットやインドを旅するなかで、さまざまな人々との交流が描かれる。完全版の冒頭にはコゼが旅したときの資料(写真、日記、地図......)が掲載されていて自伝的な要素も感じさせるが、物語にはサスペンスやアクションといった冒険譚の要素がふんだんに盛り込まれており、最後まで読者を惹きつけて離さない。

ジョナタンという名前は、リチャード・バックの小説『カモメのジョナサン』(1970)に由来する〔※2〕。群れを追放されたジョナサンは、2匹の光り輝くカモメに導かれて高次の飛行術を身につけ、下界で教えようとするが周囲から悪魔と恐れられるという話だ。当時のアメリカのヒッピー文化と結びつけられることもある作品だが、日本でも一時、オウム真理教の幹部が入信のきっかけになった小説として挙げて話題になった。

たしかに『ジョナタン』からは、主人公の風貌や東洋への関心など、ヒッピー文化の影響がうかがわれるが、そうした流行が過ぎ去った後も描き続けている事実からしても、精神病院を脱走した記憶喪失の男による内面の探求という要素からしても、『カモメのジョナサン』と同様にヒッピーという一時的な流行にとどまらない作品である。また、中国のチベット侵攻という血なまぐさい現実もしっかり描かれている。ジョナタンは再会を果たした恋人が中国軍に虐殺されてしまうのだが、負傷した中国兵と道中を共にすることになるのだ。いずれにしても『ジョナタン』の中国語訳は、現時点では難しいのではないかと思わせるような内容である〔※3〕

もともとコゼは雪や山が好きで、仏教やヒンドゥー教に関心があったので、チベットを舞台にしたマンガを描くことは自然な流れだったようだ。『タンタン、チベットに行く』や、鎖国されていたチベットに潜入したアンクサンドラ・ダヴィッド=ネールの著作〔※4〕の影響も受けたという。

140312_02.jpg 第7巻 『ケイト』
Jonathan tome 7 - KATE


[著]Cosey
[出版社]Le Lombard
[刊行年]1981 

140312_03.jpg
▲チベットの詩に登場する伝説の「白い鳥の城」を目指すケイトとジョナタン
 (第7巻『ケイト』より)


ジョナタンが旅するのはチベットやインドだけではない。第16巻『アツコ』では日本を訪れている。



140312_04.jpg 第15巻 『アツコ』
Jonathan tome 15 - ATSUKO
(édition spéciale)


[著]Cosey
[出版社]Le Lombard
[刊行年]2011


この風来坊がどんな日本旅行を体験するのか興味深いところだ。ジョナタンは東京の谷中や岐阜の飛騨高山を訪ねながら、アツコという女性との出会いをきっかけにして、彼女の一族の過去を知ることになる。日記にはさまっていた髪の毛の束の謎を解くうちに痛切なラブストーリーが露わになる。

140312_05.jpg
▲第15巻『アツコ』より


コゼには『ジョナタン』以外にも優れた作品があるということも記しておきたい。『イタリア旅行』は、ベトナム戦争の傷を抱える二人のアメリカ人が、イタリアに住む共通の初恋の女性シャーリーに会いに行く物語である。

140312_06.jpg イタリア旅行
Le Voyage en Italie (édition intégrale)


[著]Cosey
[出版社]Dupuis
[刊行年]1988

シャーリーはカンボジア難民の少女の世話をしており、彼等はこの子を養女にして旅券の偽造までしてアメリカに連れて帰ろうとする。人は傷手から立ち直ることができるのか、いかにして人生の希望を取り戻すことができるのかといったことを考えさせる物語だ。

140312_07.jpg
▲初恋の女性の住むイタリアの町にたどりついたアーサーとイアン(『イタリア旅行』より)


短編集『フランク・L・ライトの家』も取り上げておこう。「バラ色の小さなチューリップ」では、かつて恋人だった女性と再会した老人の物語。彼女は彼のことを知らないと言い張るので彼は当惑する。お尻にあるチューリップの形の染みが決定的な手がかりになるのだが、場所が場所だけに突き止めるのに苦労する。ほのぼのとした老いらくのラブストーリーだ。

140312_08.jpg フランク・L・ライトの家
Une maison de Frank L. Wright


[著]Cosey
[出版社]Dupuis
[刊行年]2003

表題作は、サリンジャーのようなインタビュー嫌いの有名作家のインタビューをとりつけた大学生が主人公である。彼が作家の自宅を訪ねるとあいにくと不在で、そこで働いている若い女性が現れ、彼の相手をする。話しているうちにその女性の正体は......という話。

「Only love can break a heart」では、友人宅を訪れた若者がそこで老齢の女性と出会い、ひょんなことから一緒にドライヴに出かけ、カヌーに乗ったりする。若者との何気ないやりとりをすることで、彼女は湖に「あるもの」を捨てる。その「あるもの」とは......。


コゼの絵の魅力について触れることができなかったが、近年の作品は、初期の作品と比べると円熟の境地に達している。キャラクターはいかにもBDらしい写実的な絵柄だが、丹念に描かれた背景画に馴染んでおり、コマ割りの妙もあってか日本人にも読みやすい。今回の来日は、コゼ作品の魅力を知るまたとない機会になるはずだ。


(Text by 古永真一)




※1―コゼの伝記的な記述については以下の著作を参照した。
 Patrick Gaumer, Dictionaire mondial de la BD, Larousse, 2010.
※2―本稿ではコゼのインタビュー映像の発音にならって、「ジョナサン」ではなくフランス語読みの「ジョナタン」と表記した。
※3―『紺碧の仏陀Le Bouddha d'Azur』(1巻2005年、2巻2006年)では、エッフェル塔やビートルズに興味をもつ等身大のチベットの若者の生活風景が描かれ、中国共産党員の父をもつチベットの娘が、北京で学ぶべきか悩んだ結果、チベットのために戦う決意をする。また、中国政府がチベットに核廃棄物処理場を建設しようとする思惑も描かれている。
※4―アレクサンドラ・ダヴィッド=ネールはフランスの東洋学の学者。以下の著作が、二巻本で翻訳されている。『パリジェンヌのラサ旅行』(中谷真理訳)、平凡社、1999年。


COLUMN

【在仏特派員企画】 サロン・ド・リーブル@ポー現地レポート


9月のパリでのイベント、"Tokyo Crazy Kawaii"に続いて、
トゥールーズの現地特派員・鈴木賢三さんが、
先月、11/8~11/10にポーで開催された
サロン・ド・リーブルの取材に行ってきてくださいました。

131218_01.jpg
公式Facebook(https://www.facebook.com/PauPyreneesFeteLeLivre

サロン・ド・リーブルとは、日本で言えば書籍の見本市のこと。
各地方都市の娯楽イベント的な要素が強く、特別な業者用ブースを除けば、
出版社や小売業者による一般参加者向けの直販がメインです。

このときよくあるのが、BD作家のサイン会デディキャス」(dédicace:文字通りに訳すと献呈)。
フランスのコミックイベントでは普通に行われている、
誰でも一度は遭遇するであろう光景です。

今回の取材ではどんな収穫があったでしょうか。
以下、鈴木賢三さんのレポートをご覧ください。


* * *


みなさん、こんにちは。トゥールーズの鈴木賢三です。

今回は、パリの反対側、ボルドーのずっと南東、
アングレームよりももっともっとパリから遠い、
不治の病が治っちゃった奇跡で有名なルルドのお隣、
ポー(Pau)で開催されたサロン・ド・リーブルに行ってきました。

お目当てはもちろんBD作家と直接話せるサイン会、デディキャス(dédicace)
BD作家にアポなし直撃取材をしようという目論見です。

ことの発端は、9月の"Tokyo Crazy Kawaii"に遡ります。
そこで、BD作家を目指しているボクの親友、フランク・マンガンとした会話の中でのことでした。

131218_02.jpg
▲フランク。来年早々アングレーム国際漫画祭で開催されるコンクール「Concours Jeunes Talents(若き才能のためのコンクール)」にもチャレンジしました。現在はBDを描きつつ、地元の図書館でBD/マンガ担当の司書として働いています。


ボク 「フランクさぁ、日本のBDサイトにアップする記事のネタを探してるんだけど、何かないかなぁ」
フランク 「え、どんなのですか?」
ボク 「作家さんのインタビューとか、BDショップのレポートとか......あとは、フランスでは普通だけど日本のBDファンにはあまり馴染みのない感じのことがいいなぁ」
フランク 「ポーにボクのよく知ってるBDショップがありますよ。確か11月にイベントがありますよ。これなんかどうですか?」
ボク 「お、それいいね。絶対取材に行く。許可、もらってくれないかなぁ?」
フランク 「わかりました。だいじょぶです」

こんな会話の結果、トゥールーズから電車で2時間半、ポーくんだりまで取材に行ってきました。まだ本格的な冬になる前、先月半ばのことです。

ポーの駅を降りると、駅のすぐ前には小川が流れ、
目の前に高台に上がるためのエレベーターが現れます。
エレベーターと書いてありますが、昔どこかの遊園地で乗ったケーブルカーみたいです。
これに乗って町の中心街に上がります。うおぉ、観光気分が盛り上がります。

131218_03.jpg 131218_04.jpg
131218_05.jpg 131218_06.jpg


エレベーターを降りると高台からの絶景にびっくり!
遠くにピレネー山脈が見えます。
街の中心にはいきなり出ます。同じアーキテーヌだからなのか、
なんとなくボルドーに街の雰囲気が似ています。

131218_07.jpg 131218_08.jpg
131218_09.jpg 131218_10.jpg


街の中心からサロン・ド・リーブルの会場までは歩いて10分ほど。
会場に着くと、入り口手前にはなにやら不思議な植物のオブジェが......。

131218_11.jpg


本のイベントなのに、ブタさんの見世物もなにやら場違いな感じです。
でも、子どもたちは夢中で見入っています。
中でブタさんたちがどんな芸を繰り広げているのか気になりますが、
大人は見せてもらえません。頼む勇気もありません。

131218_12.jpg 131218_13.jpg


会場に入ると、今度は、このあたりの特産品を用いたワインやフォワグラ、テリーヌの直販が......。
本のイベントじゃないのか......。フランク......。

131218_14.jpg 131218_15.jpg


さらに中に進むとやっと書籍の姿がありました。
あとで聞いたのですが、今回のイベントのテーマが「農業」とのこと。

131218_16.jpg 131218_17.jpg

各所のマンガコーナーで『銀の匙』と『百姓貴族』の
フランス語版が平積みだった訳がこれで分かりました。
写真は撮り忘れました。ごめんなさい。


ずっと奥に行くと、取材許可を出してくれたBDショップ
Bachi-Bouzoukのブースにやっとたどり着きました。
今回、BD作家たちのデディキャスはこのショップの主催です。
8人のBD作家に、多くの人が集まっています。

131218_18.jpg

お、デディキャスの会場の隣に何やら人だかりが......。
フランクが何かやっています。

フランクがクレープに何やらイラストを印刷しています。
Tシャツ用のシルクスクリーンだそうです。子どもたちは大喜び。
でもフランクも早くデディキャスの方に座れるといいね。
そっとボクはその場を去ります。

131218_19.jpg 131218_20.jpg


さて、さて、いよいよ、BD作家さんに突撃です。
うーん、どの作家さんにデディキャスしてもらおうか。まずはBDを物色します。
よし、この2冊に決めた!

131218_21.jpg Un matin de septembre
(ある朝、9月に)


[著]ジェローム・ピニェ(Jérôme Pigney)
[出版社]Des ronds dans l'O
[発行年]2013
131218_22.jpg Vincent et Van Gogh
(ヴァンサンとファン・ゴッホ)


[著]グラディミール・スミュージャ(Gradimir Smudja)
[出版社]Delcourt
[発行年]2013


まずは、『ある朝、9月に』を買って、ジェローム・ピニェさんのところに行きました。

131218_23.jpg


ボク 「ボンジュール。先生、デディキャス、お願いします」
ピニェ氏 「もちろん。さぁ、座って。」

131218_24.jpg 131218_25.jpg 131218_26.jpg

ボク 「先生のこのBD は白黒ですね。BDというよりグラフィック・ノベルに近い感じですが......?」
ピニェ氏 「そうなんだよ。ボクは文学の教員でね。この作品では普通のBDよりもっと文学的な作品を目指したんだ」
ボク 「吹き出しがいっさいないというのもそのあたりを狙ったものですか?」
ピニェ氏 「そうそう。そのほうが、より強く内面が描けると考えたんだよ」
ボク 「好きな日本のマンガかはいらっしゃいますか?」
ピニェ氏 「もちろん。谷口ジローは好きだよ。彼こそグラフィック・ノベルに近くないかい?」
ボク 「そうですね。フランスの方はよくそうおっしゃいます」

こうして、ピニェさんに描いていただいたのが、これです。
どうやら、裃(かみしも)っぽい何かを描いたようです。

131218_27.jpg


さて、次はグラディミール・スミュージャの『ヴァンサンとファン・ゴッホ』です。

131218_28.jpg


ボク 「ボンジュール。先生、デディキャス、お願いします」
スミュージャ氏 「ボンジュール。あれ、新刊じゃなくて、ゴッホの方でいいの?」
ボク 「はい、このカメラ目線の表紙に惹かれました。」
スミュージャ氏 「おお、じゃあ、それを描いてあげるよ。名前は?」

131218_29.jpg 131218_30.jpg
131218_31.jpg 131218_32.jpg

ボク 「鈴木賢三です」
スミュージャ氏 「えーと......」
ボク 「日本人です。香水のKENZOとバイクのSUZUKI、ご存じじゃないですか?」
スミュージャ氏 「あー、そうか。実は、次回作は北斎を描こうと思って準備しているよ。君は江戸から来たの ?」
ボク 「はい(笑)。東京です」
スミュージャ氏 「そうそう。東京。日本語で君の名前はどう書くの? ほら、ここに書くから教えて」
ボク 「こうです」
スミュージャ氏 「わぁお、難しいなぁ......よし、こうかな...」

131218_33.jpg

スミュージャさんはセルビア出身で現在はイタリアにお住まいとのこと。
お互いアクセントがきつくて会話がなかなかうまく行きませんでした。
ボクが選んだBD、『ヴァンサンとファン・ゴッホ』は2003年の作品で、
それ以前はアート系の書籍を出版なさっていたとのこと。
『ヴァンサンとファン・ゴッホ』はゴッホのタッチとモチーフで
ゴッホの内面と不思議な日常をコミカルに描いた作品です。
そしてもちろんゴッホの内面ですから狂気のイメージがちらつきます。


最後に、BDショップ「Bachi-Bouzouk」で、
スミュージャさんの新刊芸術の経糸』(Au fil de l'Art )の原画展をやっていると
紹介していただきましたので、そちらに行ってきました。

131218_35.jpg
131218_36.jpg 131218_37.jpg

ご覧のようにこちらの作品も各時代の巨匠を
『ヴァンサンとファン・ゴッホ』と同じコンセプトで描いています。
スミュージャさんは、このコンセプトで、ゴッホを2冊、ロートレックを4冊、
美術史を現在1巻まで描いており(以下続巻予定)、そして北斎を準備中ということです。

いかがでしたでしょうか。
このときのお二人との詳しいやり取りは、
デディキャスのあとさせていただいたインタビューや作品紹介と合わせて、
後日改めてお送りいたします。お楽しみに。


(Text by 鈴木賢三)

<<前 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11
  • 教えて!BDくん
  • 邦訳BDガイド
新着記事
カテゴリー
アーカイブ
リンク
  • L'INCAL アンカル
  • 氷河期 -ルーヴル美術館BDプロジェクト-
  • ピノキオ
  • レヴォリュ美術館の地下 -ルーヴル美術館BDプロジェクト-
  • 皺
  • 闇の国々
  • follow me
  • find us
  • SHOPRO BOOKS