COLUMN

【BD研究会レポート】アニメ『森に生きる少年 ~カラスの日~』監督ジャン=クリフトフ・デッサン氏①


6月に東京・有楽町で開催された「フランス映画祭2013」。
そこで本邦初公開となるアニメ映画『森に生きる少年 ~カラスの日~(Le Jour des Corneilles)』が上映されることになり、監督のジャン=クリストフ・デッサン氏が来日しました。

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映画『森に生きる少年~カラスの日~』については以前BDfileでもご紹介しましたが、
今回はそのデッサン氏を迎えて行われた2013年6月23日のBD研究会のレポートをお届けします。

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(※BD研究会についての詳しい説明はコチラ


『ラッキー・ルーク』『長老(ラビ)の猫』など、人気BD作品のアニメ化にも携わっていらっしゃるデッサン氏の経歴から、あまり知られていないフランスのアニメ業界事情までをおおくりします!



* * *


 「まずご本人から簡単に経歴についてお話いただいて、その後に映像を見ながら今回の映画『森に生きる少年 ~カラスの日~』についてご説明いただきたいと思います。ではデッサンさん、よろしくお願いします」

デッサン 「12、13年前に日本に初めて来て以来、わりと日本には定期的に訪れているんですが、自分の仕事をプレゼンテーションするのは今回が初めてです」


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■最初は哲学、数学、そして建築

デッサン 「私は、パリから40キロぐらい離れた郊外のイル・ド・フランス地方イヴリンヌというところで育ちました。家の近くには森があって、子供の頃はよくそこで遊んだりしていました。当時、テレビでは多くのアニメが放送されていて、とても影響を受けました。家にはテレビがなかったのですが、友達のところに頻繁に観にいって、記憶を辿りながら観たものを自分でも描いてみたりしました。特に好きで観て描いたのは、アメリカのカートゥーン作品です。若い頃からすでに、絵を描いたりとか、アニメを作ったりするような仕事をしたいと思っていたのですが、当時はまだそれが職業として成り立つのか、フランスでそういう勉強ができるのかが分からなかったので、最初は哲学、数学、そして建築について勉強し、最終的にはゴブランというアニメーション学校に入りました」

 「ゴブランっていうのは、フランスの名門アニメーション学校ですよね」

デッサン 「アニメーション学校では一番有名だということは確かですね」

 「前回ゲストで来てくださったクリストフ・フェレラさんと同じ学校で、しかも同級生だそうです」

デッサン 「そうしてゴブランに入ったものの、アニメーションや絵を描くことを仕事にするにあたって、親を説得するのが難しい問題でした。ですから、プロとしてこれでやっていくんだというのを見せるために16歳の頃から実際に仕事をするようになりました。まずイラストレーターとして出版社に売り込みに行き、雑誌のイラストや本のイラストを描く仕事を始めました。また、学校に入る前に、すでに自分の家にはパソコンがあったので、そこでアニメーションづくりのようなこともできました。それが1993~95年ぐらいのことですが、その時にストーリーボードを描いてみたり、自分が読んで気に入った本のストーリーをアニメにしたりといった作業をしてみました。要するに、ビジュアル化してみたんです。アニメーションで本格的に映画を作ろうといった具体的な目標ではなかったんですが、気に入った本があるとその文章をビジュアル化するという作業を、なんとなく楽しみながらやっていました。そういう作業をしていくうちに、"なぜ自分はこの作品が好きなのか"や"この作家は作品を通して何を伝えたいのか"といったことを、絵を描くことで常に自問自答し、分析するようになりました。例えば、ある物語をイラストにする場合、どういう絵にしたらそのシーンが上手くいくかを常に考えながら本を読むようになり、そうするうちに自然に学んでいったことになります。なので、イラストレーションの仕事を、ある意味独学でやっていったというところは大きいと思います。

なぜ最初に建築の学校に入ったかというと、芸術系の学校がちゃんと職業に繋がるのかどうか当てにならなかったのと、どちらかというと自分は数学的な頭なので純粋に芸術だけの世界がちょっと合わなかったからです。でも、いざ学校に入ってみると、やっぱり思ったものと違うなと感じてしまいました。というのも、建築はかなり拘束が多い世界で、そこから開放されたいという思いがあり、映画の背景などを描くといった方向に興味がいきました。こうして、どんどんゴブランの方に近づいていき、入学試験を受けたわけです」



■アニメーションの仕事、そして韓国へ

デッサン 「最初の希望としては、背景とか舞台装置を専門にした学科に行きたかったんですが、年齢が若かったので"むしろアニメの方に行ってはどうか?"と言われ、それもいいかなと思って行きました。結果的に、今でもアニメーションを仕事にしているので、それで良かったと思っています。ゴブランというのは本当に素晴らしいところで、いろんな人と出会えたというのが良かったですね。特に、若い人達や同じぐらいの歳の人達で、本当に好きで絵を描いている人達と知り合えたことが良かったです。みんな出身はさまざまなんですが、絵を描くのが好きというのは一致していて、当時はまだ知る由もないですが、その後一緒に仕事をする仕事仲間になりました。学校を出てすぐフランスで仕事をしたわけではなかったので、経緯としては、相当経ってから、かつての同窓生達と再会して一緒に仕事をすることになりました。

ゴブランのアニメーション学部では、初期の頃のディズニーの手法を用いて伝統的な修練を積み、2年生になると短編の映画を作ることになります。なので、2年目でこの学校に入った目的がちゃんと実現できました。その後研修をするんですが、最初は当時まだパリにあったディズニースタジオに行き、次にゴーモン(Gaumont)という映画会社に行きました。ゴーモンはのちにアニメーションから手を引いたんですが、最近また復活したという話も聞いています。日本でやっているか分かりませんが『オギー&コックローチ(Oggy and the Cockroaches)』という作品の制作に関わりました」


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▲『オギー&コックローチ』


 「日本ではCSのカートゥーンネットワークで今もやってますね」

デッサン 「このシリーズは韓国で作られていて、そこで私はアニメーション監督として仕事をしていました。プロデュース会社から"韓国に行け"と言われた時には、これで日本の知り合いに会いにいくチケットがだいぶ安くなる、と思って、すぐに引き受けました(笑)。結局、韓国には5年いて、最初はアニメーションのスーパーバイザーとして、それからアニメーター、そしてアニメーション監督として、さまざまなスタジオで働きました。韓国の下請け会社では日本のアニメの下請けをやったり、アメリカのアニメシリーズの下請けなどもやっていました。なぜ5年も韓国にいたかというと、フランスでは芸術的で壮大なアニメがよく作られるので制作期間が非常に長く、組織的になかなか上手く時間を使うことができないんです。ところが、韓国や日本、アメリカのように芸術的ではなくともたくさんのアニメを作っている場合は、短期間でいろいろなノウハウを学ぶことができるのです。フランスのアニメーション、アメリカのアニメーション、日本のアニメーションはどれも違うので、さまざまなやり方をその都度学んでいくことができ、大変でしたがとても実りのあるものでした」



■フランス製のアニメをつくる

デッサン 「長い間韓国にいたので、2005年にフランスに帰ってきた時は、誰も知り合いがいなくてどうしようかと思いました。ですが奇跡的に、帰国した次の日に電話が鳴って"あるスタジオで働かないか?"という提案があったので、すぐにOKしました。最初そのスタジオでは、みんなの仕事の構成や配分を調整して手伝うような仕事をしていたのですが、そのうちに"スタッフを集めてチームを作り、長編アニメのプロジェクトをやっていくのは可能か?"と打診されました。それが第1アシスタントとして関わった最初の仕事で、BDの『ラッキー・ルーク(Lucky Luke)』というシリーズのアニメ化でした。当時、フランスでアニメを作るというのは本当に稀なことで、CMの30秒のショートフィルムみたいなものは作っていましたが、少し長いものについては他の国に依頼して作ってもらっていました。ですから、『ラッキー・ルーク』のアニメ化は、当時のフランスとしては本当に挑戦だったのです。難しい仕事ではありましたが、誰もやったことがないだけにとても面白い経験でした」


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▲『ラッキー・ルーク』


デッサン 「さらに、偶然にも同時期に、他のスタジオでもアニメ映画が制作されるようになりました。というのも、フランスのアニメーション・スクールの卒業生達が、私と同じように他の国で修行をして、十分に職業人として機能するようになって戻ってきたからです。私は韓国に行きましたが、他の人達はアメリカに行っていて、そういった人達がプロの集団として育っていました。そういった時代だったのです。

次に自分が関わったアニメは『長老(ラビ)の猫(Le Chat du rabbin)』と言われる、ジョアン・スファールのBDをアニメ化したものでした」


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▲『長老(ラビ)の猫』


デッサン 「彼の作品をアニメ化しないか」という話はずっとあったんですが、どのようにやればいいかをスファール自身は分からなかったため、2007年の終わりぐらいに彼からコンタクトがありました。その時、最初に私が彼の相談相手になり、結果的に2年ほどかかって完成しました。これがジョアン・スファールが描いた原作本です。アルバムは全部で5巻あるのですが、これは全巻をまとめたインテグラル版です。そして、これがアニメを作る上でどのような仕事をしたかというメイキングブックです。『長老の猫』は"横浜フランスアニメーション映画祭2013"で一週間ほど日本でも上映されます
現在は終了しています


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▲原作コミック Le Chat du rabbin ▲メイキング本 L'Art du Chat du rabbin


デッサン 「この『長老の猫』を作った時に、あるアニメーターがパソコンを使って直接アニメーションを制作していたんです。それまで私は紙でアニメを作っていたんですが、それ以降パソコンで制作することを学びました。『長老の猫』は半分を紙で、もう半分をパソコンで作りましたが、最終的にはすべてパソコンに取り込んで作業しました。資金面の話もすると『ラッキー・ルーク』のアニメ化はプロデューサー的には絶対成功するだろうという目算がありました。『ラッキー・ルーク』は1950年代に作られた人気BDで、その本を持っている人達はみんな観にくるだろうという企画だったんです。一方『長老の猫』についても、本だけで70万部売れていたので、それだけの観客は見込めるだろうということで資金を調達するのは最初から上手くいきました。だからプロデューサー達は、すでに有名なBD作品のアニメ化を望んで企画を立てるんですね。『ラッキー・ルーク』は2006年、『長老の猫』は2008年に世に出ましたが、『森に生きる少年~カラスの日~』については2005年から企画があったものの、結果的に資金の調達ができたのが2009~2010年で、実現には4~5年かかったわけです」



■BD原作のアニメーション


参加者 「『ラッキー・ルーク』『長老の猫』はBDが原作で元々の絵があるわけですが、今回のデッサンさんが作られた『森に生きる少年』は小説原作ですよね。絵を描く人にとっては、より自由度が高いと思うのですが、どうでしたか?」

デッサン 「『長老の猫』に関しては、原作者が"自分のコマにある絵しか使ってほしくない"という徹底ぶりで、最初のコマから次のコマへと、BDそのものが映画のストーリーボードになるように指定してきたんです。実はアニメーション制作時には、先ほどお見せしたBD原作しか無かったんですけど、のちにストーリーボードがあったということになっています。恐らくこのメイキングブックを作るために後付けで描いたんだと思いますが・・・・(笑)。BDの原作にあるものしか使っちゃいけないということでとても大変でした。『ラッキー・ルーク』についてはもう少し自由度があって、むしろBDよりも面白いもの、もっと豊かなものになるようにということだったのでやりやすかったです。そして『森に生きる少年』は完全に自由で、白紙から始まっただけに難しい作業でしたけど、より楽しい作業でした」


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参加者 「先ほど、フランスで知れ渡っていて発行部数も伸びている作品をアニメ化するっていうのは資金が集まりやすいというお話がありましたが、実際そうやって作ってみて興行的にも当たっているんでしょうか?」

デッサン 「実際にヒットしたかというと、必ずしも成功とは言えないですね。特に『ラッキー・ルーク』の場合は、ものすごく技術的にコストも掛かっているので・・・・みなさん『ラッキー・ルーク』はご存知でしょうか?」

参加者 「DVDは持っていますよ」

 「あの、キャラを描いたりできますか?」

参加者 「ええっ!? キャラをですか(笑)。ええと、主人公が『トイ・ストーリー』のウッディに似ていて・・・・」

デッサン 「それじゃあ、私が描きましょう(笑)。ドタバタの西部劇なんですよね。ジョリー・ジャンパーっていう馬に乗って悪い奴と戦う、自分の影よりも早く撃つことができるカウボーイが主人公です。『アステリックス(Astérix)』という大人気作品に関わったルネ・ゴシニがシナリオを書いていて、初期の作品はやっぱりものすごく面白いです」


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▲主人公ラッキー・ルーク


 「いまだに続編というか、新しいものが出てますよね。作家を変えて」

デッサン 「ダルトン兄弟っていう4人の悪者の兄弟がいて、彼らは逮捕されてしまうんですが、シリーズになった時に逮捕されちゃうと宿敵がいなくなってしまうので、ダルトン兄弟のいとこのやっぱり4人兄弟が出てくるんです。そっちは元祖よりもバカで失敗ばかりするんですが。あと、実在の人物でカラミティ・ジェーンという女性などもいます」


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▲ダルトン兄弟


大西 「カラミティ・ジェーンは、宝塚でも舞台化されましたね」

デッサン 「こいつが4人いるんです」

 「背の高さが違うんですよね」

大西 「そう、お兄さんから弟まで」

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デッサン 「映画以来描いてなかったので、なんとなく覚えてる限りで描いてますけど(笑)。『ラッキー・ルーク』は西部劇なので、荷車が出てきたり、馬が出てきたりして、それを一つ一つ描いていかないといけなかったんです。しかも、荷車は何百とあり、馬車には必ず2人は乗せなきゃいけないとかで、手作業でやっていくとものすごい人手が必要で、とてもお金が掛かったんです。アニメ作品が成功するには、とりあえず掛かった分のコストだけ儲からないといけないんですけど、そこがとても難しかった。『長老の猫』については、ジョアン・スファールのマーケティングが巧みで、宣伝などもたくさんあったので出だしはすごく好調だったんですけど、次第に下がってきてこれも完全なヒットとは言えませんでした」



■フランスのアニメーション製作事情

デッサン 「逆に『森に生きる少年』に関しては、ヒットと言えるかというとまだ全然なんですが、評が良かったというのと、プロモーションされなかったわりには口コミでどんどん良くなっていきました。フランスではアニメーションがヒットするには結構年数が掛かるんです。コストをペイするには最終的にテレビで放映されるかどうかが大事で、テレビの放映権というのはかなり大きいので、そこで稼ぐかたちになります。ご存知のようにフランスではすごく長いバカンスがあるので、子供のためにアニメ映画がたくさん必要なんです。『ラッキー・ルーク』はとても良い思い出ですが、とにかく技術的な困難が非常に多かったです。もしプロデューサーがシナリオを見た段階で「これは相当な人手とコストが掛かる」と気づいてくれたら違ったかもしれないですが。製作サイドは、まず作品が有名であるかどうかを一番に考え、その上でできるだけ早く完成させようと考えるのですが、作品の企画に対してスタッフの人数がかなり少なかった。その少ない人手でもなんとか出来たということは、一人一人が自分のできる範囲でいろいろな技術や解決方法を提案して力を合わせたからだと思いますが、本当に大変でした」

 「先ほどの質問の続きで、フランスにはアニメの成功作がなかなかないという話でしたが、その中でも近年成功した作品ってあるんですか?」

デッサン 「ヒット作があまりないのに、なぜフランスでアニメが続けられるかというと、それにはまず『キリクと魔女』というアニメの成功があります。『キリク』は作家主義というか、作家さんが小さなスタジオで丁寧に作った作品です。宣伝も全然なく、本当に口コミでヒットして、最終的に観客動員数は100万人を超えました。そういう成功例があったので"じゃあ、アニメをやろう"という話になったんですけど、結局のところはテーマと制作環境とコストのバランスで考えないといけない。やっぱりそこが難しいところですね。あと、大きな成功ということでは、シルヴァン・ショメの『ベルヴィル・ランデブー』と、マルジャン・サトラピの『ペルセポリス』、この2つも相当なヒットでした。これらの作品はちゃんとコストをペイして利益を出しています」


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▲『キリクと魔女』 ▲『ベルヴィル・ランデブー』 ▲『ペルセポリス』


 「あと、日本ではテレビアニメが盛んですけど、フランスでは現状短いものなどしかないんでしょうか?」

デッサン 「フランスは世界で3番目のアニメ製作国なんですが、それはテレビでは自国のアニメ作品をある程度放送しなきゃいけないという法律があるためで、国内にも制作会社がたくさんあります。そういった会社が子供向けのアニメなども作っていて、学校生活や生徒同士の関係などがよくテーマになっていたりします。自分がアニメーションを始めた頃は、暴力的だとかいう理由で日本のアニメが批判されていて、あまり放映されなくなっていました。ですが最近また復活しているようで、ちょっとした流行になっているみたいです」

 「フランス製のテレビアニメの中で注目すべき作品などはありますか?」

デッサン 「日本でもやっていた『トータリー・スパイズ!』という作品は、かなり日本のアニメの影響を受けてますね。先ほどお話した『オギー&コックローチ』もとても有名で、現在長編アニメが進行中だそうです」


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▲『トータリー・スパイズ!』


 「まさにフランス人が描いたカートゥーンって感じですね。ちょっと奇妙な(笑)」

デッサン 「このゴキブリ君はダルトン兄弟と同じようなタイプで、フランスやベルギー的ですね」


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▲オギーとコックローチ



■アニメーション、生き残りへの道

参加者 「フランス製作の作品を放送しなきゃいけないという法律があるとのことですが、それは製作する国がフランスであるなら実際に作る国は他でもいいんですか?」

デッサン 「最終的には、企画と制作会社がフランスであればいいので、アニメーションの部分は海外ということはよくあります。この法律については最近でもアメリカから批判されていて、アメリカのアニメをもっと放送できるようにしろとか言われています。でもそれを呑んでしまうとアメリカの方式と資金でフランスのアニメーションは生きていけなくなってしまうので、テレビ局にある程度の割合で国内製のアニメを放送するように法律で決められているんです」

参加者 「その法律に国内からの批判は無いんでしょうか? また、いま日本でも問題になってますけど、実制作を海外でやることによって技術の流失などはないんでしょうか?」

デッサン 「まず、国内からの批判ですが、一般的に多くの人はこの件についてあんまり興味が無いですね。アニメをやってますと言うと、"えっ、それって仕事になるんですか?"みたいな反応から始まるので(笑)。一方、実際にアニメに関わっている人達は海外からの圧力は大変なことだと思っています。フランスは保険や税金などが高いので、いろんなことが高くつくんです。そこに保険などの心配がないアメリカのような国が入ってくるとコストを安くできてしまうので、そういう国に対して競争力を持つことが不可能なんです。なので、すでにこういう職業はちょっと絶滅種のような感じになっていて、私もまだそんなに歳をとってないですけど、この世界は終わりかかってるのかなと感じることがあります。別に絶望的になってるわけじゃなくて、若い人でやりたがっている人もいっぱいいるんですが、やはりとても難しい仕事であることは確かなんです。たぶん、長編映画で美しい物語をハイクオリティで作っていくしかアニメの生き残る道はないと思うんですけど、テレビはもうすでに別のものに取って代わられている気がするんです。例えば、私の子供なんかもテレビでアニメなんか観ないで、他のことをして遊んでいます。韓国の友人と同じような話をしたことがあって、その友人はレストランを経営していて牛を飼っているんですが、韓国の牛肉はとても高いんです。"なんでこんなに高いのか?"と聞いたら、友人は"アメリカやオーストラリアの牛肉と競争するためには、おいしい牛肉を提供するしかないんだ"と言うんです。つまり、高くてもいいからその牛肉を食べたいと人々が思ってくれれば、その値段でも払ってくれると。アメリカやオーストラリアには絶対負けない質の高いものを作る。そこには当然価格の上昇がついてきますが、それしか生き残る道はないんだと。すべての業界で同じことが言えると思いますが、結局は品質の良いものを作り続けることだけが生き残りの道だと思うんです。スピード重視で雑に作られたものは、結局消えてなくなるしかないと思っています。例えば、スタジオジブリの映画なども同じことだと思うんですが、とても予算は高いですけど、世界で一番愛されてる映画だと思いますね」

 「デッサンさん、ありがとうございました。それでは、次にデッサンさんの最新作『森に生きる少年』についてお話していただきたいと思いますが、その前にいったん休憩としましょう」


〔通訳:大西愛子〕
〔編集協力:小林大樹〕



次回は『森に生きる少年~カラスの日~』の制作秘話について語っていただきます。
お楽しみに!

COLUMN

【BD研究会レポート】日本在住のアニメーター兼BD作家クリストフ・フェレラ氏を迎えて③


3回にわたってお送りしてきました
クリストフ・フェレラさんを迎えてのBD研究会レポートも今回で最終回です。
(過去の記事はこちらから→ 第1回 第2回

前回に引き続き、質疑応答を交えながらBD作品『ミロの世界』の制作裏話と、
BDの作画テクニック、アニメとの違いなどより深く掘り下げたお話を伺っていきます!

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* * *

■BD特有の作画手法

 「クリストフさんはずっとアニメ制作に携わってきたわけですが、BDを作るにあたって、例えばフキダシの位置なんかに悩んだりはしませんでしたか?」
 
フェレラ 「ずっとフキダシのないアニメの世界で仕事をしてきたので、バンド・デシネを描くにあたって、"フキダシを入れると俺の絵が隠れてしまうなあ"ということは、まず気になりました。フキダシを入れる位置についてはやはり難しいものがあって、自分自身まだしっかりとわかっているとは言えません。ただ、原作のリシャールがもともとバンド・デシネの作家なので、彼にいろいろと指摘されたり、直されたりして、形にできたと思います。

例えば、誰かが驚くシーンを描こうと思った場合、左側に驚いた顔を描いて、その右側にフキダシで「びっくりした!」みたいなセリフを入れてしまうと、バンド・デシネは左から右に読むので、読者は一度右側のフキダシを読んでから左に戻って人物の驚いた顔を確認する、という視線誘導上の無駄な動きが発生してしまいます。だから、まずフキダシを左のほうに置いて驚いたセリフを、その次に驚いた人物の顔を入れるというかたちをとります。読者にどう読ませたいか、読者の視線をどう誘導するかということを考えて画面を構成する必要があるんです。そういったものについては、まだまだ自分ひとりでは自信を持ってできていないですが、『ミロの世界』については、先ほども言いました通り、リシャールにいろいろと助けてもらってます」

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フェレラ 「私はもともとアニメの世界で仕事をしていたので、人にものを見せて説明しようとする時には、ものを足していこうとする癖があるんです。例えば――これを縄だと思ってください」

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フェレラ 「縄の先にカギが付いている縄です。これが3つあります。原作には、このカギの付いた縄が、窓から出て地上に落ちる、という状況を描いてくれとあったんですが、やはり自分の中にある画面構成だとアニメ的なものが出てきてしまうんですね。つまり、こういうふうにしたんです。窓から3本の縄が出ているコマがあって、次に地面に落ちるコマがある」

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フェレラ 「ここで原作のリシャールが言ってくれたわけです。"2コマもいらないよ。こういう時は、窓のそばに1つ目のカギがあって、2つ目は窓から出ていて、3つ目はすでに地上に落ちてる。こういうふうに描けば1コマで済むじゃないか"と」

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 「これは、エルジェがやったことですね」

フェレラ 「そう。こういう絵の描き方を『タンタンの冒険』の中でエルジェがやっているんです。つまり、人物の一連の動きを1コマの中で描くという」

参加者 「たぶん『金のはさみのカニ』か、もしくは『紅海のサメ』かな」

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▲タンタンの冒険シリーズ『金のはさみのカニ』より


 「これって、すごくBD的な手法ですよね」

参加者 「日本の漫画と明らかに違う、海外漫画の独特の文法ですね。いわゆる"省略"というか」

 「そうですね。省略とか、あるいは経済的な描き方」

フェレラ 「日本の漫画と比べるとバンド・デシネはページ数が少ないので、ある程度限られたスペースで描くということですね」

参加者 「手塚治虫以前は、わりと日本もBD的な描き方だったような気がするんですよね。手塚治虫がアニメーションとか、映画の手法を漫画に取り入れたっていうのがあるので」



■紙に印刷される仕事

参加者 「絵を描く時はタブレット端末を使ってるんでしょうか?」

フェレラ 「はい、タブレットです」

参加者 「普通のタブレットですか、それとも液晶の?」

フェレラ 「普通のですね。でも次はどうしようか考えています。MacBookで作ってるんですけど、古いパソコンなので画面は小さいし遅いしで、ちょっとツラいんですよね」

 「レタリングは別の人がやってるんですか?」

フェレラ 「いえ、イメージがあるので全部自分でやってます。フォトショップを使えば簡単ですし。基本的に描きながら文字も付けています」

参加者 「先ほど"色が気に入らない"とおっしゃっていましたが、どうしてそうなってしまったんでしょうか?」

フェレラ 「全体的にはそれほど失敗したとは思ってないんですが、やはり細かい部分で明るいところと暗いところのコントラストがちょっと強すぎるのと、暗すぎてディテールが見づらくなっていたりするところがあって、それに関しては満足していないです。自分にとって紙に印刷する仕事は初めてなので慣れていなくて。もともと映像の世界ではモニターを見て仕事をしていて、モニターでは明るく見えるんですが、紙に印刷されると違うんだなと今回実感したところです」

 「ああ、なるほど。自分で彩色した色ではなく、印刷がということですね」

フェレラ 「フランスに住んでいたら印刷所でカラーチェックできるんですけど、今は日本に住んでいて、それができませんでしたから」



■BD作家が抱える責任

参加者 「日本のマンガは、まず週刊誌などで連載されて、それを単行本にまとめるというかたちが多いと思うんですけど、フランスの場合、絵本みたいな感じでポンッといきなり本が出版されますよね。日本だと、連載中に読者アンケートを取っていて、作り手はそのアンケートを参考にして、時にはストーリーを変えなきゃいけなかったり、編集者の意向も影響したりしますが、フランスの漫画家さん達は、自分が"こういうものを作りたい!"と思ったものが作れる環境があるということでしょうか?」

フェレラ 「日本と比べると、フランスのバンド・デシネは"作家の意向が一番"だということは言えると思います。それには良い面もあれば、悪い面もあります。自分に関して言うと、とりあえず自分の好きなことを思いっきりできるというのが良い面ですね。悪い面としては、日本のようにアンケートはないけれど、代わりに売れなかったらそれなりの結果がもたらされます。さきほど、幸いなことに『ミロの世界』の1巻は売れていると言いましたが、仮にこれが売れていなかったら、出版社によっては"1巻目が売れなかったから、もうこれで終わりだな"と言われる可能性もあります。フランスでも、30年ぐらい前までは連載誌があったんですが、残念ながら無くなってしまって、今ではほとんどの作品が描き下ろしです」

大西 「今日たまたま、『Les ignorants』(※BDfile紹介記事参照)っていう本を持ってきているんですが、その中で主人公2人がフュチュロポリス(Futuropolis)という出版社を訪ねる場面があるんです。それによると、ある大手の出版社で、1年に持ち込みされる原稿の数が800、実際に出版されるのが50で、その中の40はもうすでに名を成した作家たちなんだそうです。ということは、新規の作家はたったの10なんですね。ひとつの例としてご参考までに」 翻訳者の大西愛子さん〕

 「確かに、出版社や作家の傾向にもよりますが、新人はなかなか世に出にくい気がしますよね」

フェレラ 「今はなかなかバンド・デシネの業界も厳しいですから。きちんと売れるっていうのは難しいですね」

参加者 「編集者と原作者と作家の関係性って、BD関係のイベントでもよく出る話なんですが、『闇の国々』の原作者のブノワ・ペータースも、何年か前に『モーニング』で仕事をした経験から「日本では編集者の存在が大きい」ということを言っていました。それでなんとなく、日本は江戸時代の浮世絵の版元にはじまって、出版社が強いみたいな文化が脈々と続いてるのかなと思ったりしていて。フランスは作家と原作者の信頼性でわりと自由に描けるというのがとても素晴らしいと思うんですけど、それだけ責任を持って自分の物語を作っていかなきゃいけないのは大変だなと思いますね」

 「クリストフさんは、BDでも漫画でもいいんですけど、日本のような編集者がいて、一緒にお仕事できそうだと思いますか? BD作家の方は編集者から何か言われるのが嫌だとよく聞くんですけど、どうですか?」

フェレラ 「あんまりうるさいと辞めちゃうかもしれません(笑)」

 「それはそうですね(笑)」

フェレラ 「さきほど、フランスのBD作家は責任が大きいという話がありましたが、さらに言うと、日本のようにアシスタントを抱える習慣がないので何から何まで自分達でやらなくちゃいけないんですね。個人的には、アニメの世界にいたこともあって、かつては出来上がった作品を観る時に"これはみんなで作ったものだ"という思いが強かったんですが、バンド・デシネの場合、"全部自分でやったものだ!"という思いが強いです。ですから、もしも作品がイケてないんだとしたら、自分がイケてなかったってことですね(笑)」



■アニメ制作の経験を生かして

参加者 「現在BDを描かれていますが、アニメーターも続けていかれるんですよね。そうなると、BDで培ったことを将来的に自分のアニメーションにフィードバックするなんてこともあるでしょうか?」

フェレラ 「おそらくアニメとバンド・デシネの影響は双方向にあると思うんです。先にアニメをやっていて良かったなということは、アニメの世界で仕事をしてきた経験があることで、一般のバンド・デシネの作家さんよりも早く描けるということです。これはアニメ業界での経験がとても生きてる点だと思います。また、バンド・デシネでアクションを表現するような時にもアニメの経験が生きてるのかもしれません。反対に、バンド・デシネの経験がアニメに何か与えるとしたら、例えば『ミロの世界』の評判が良くてアニメ化しようなんて話になった時には、バンド・デシネからアニメの世界に戻していくような作業になると思います。実は、今ちょうど2巻目の告知映像をアニメで作っているところなんです」

参加者 「それは誰かにお願いしてるんですか?」

フェレラ 「自分で描いてます。特にギャラとかはないんですが(笑)。8月に本が出るタイミングにあわせて公開しようと考えています。出版社でも新刊の告知ムービーを作るんですけど、適当にページをスキャンして動かしたりとか、あんまり大がかりなことはできないので、それなら自分で作ろうと思って。

アニメの現場にいた時は、自分が描いたものを作画監督にチェックしてもらって直される、という手順を必ずとらないといけなかったので、それなりにフラストレーションも溜まっていたんですが、今回『ミロの世界』第2巻の告知ムービーを作るにあたっては、まず自分のためだということがありました。自分の作品の告知ムービーを作って公開できるのは嬉しいことですし、そういうかたちで役に立つのであれば、と思って1分ぐらいのムービーを今作っています」

参加者 「今の話に関連してですが、労働環境としての日本のアニメ制作現場ってどう思われました?」

フェレラ 「かなり大変な労働環境ですね。ですから、以前と比べてアニメ関連の仕事量は減らしました。やっぱり、苦労しても報われない部分もありますし、子供も出来たので家族のことも考えなきゃいけないですから。おかげさまで、今ではバンド・デシネで食べられるようになってきてるので、アニメに関しては自分でぜひやりたい!と思うような仕事でなければ控えめにしたいと思ってます。ただ、日本のアニメ業界の友人も多いので、飲みに行ったりお茶に行ったりすると、必ずアニメの話になって、それはちょっとツラいですね。やっぱり、そういう話を聞かされると自分もまたアニメの仕事をやりたくなります。でも実際にやれば、いろいろと不満も出てきて、決して良いことにはならないというのもわかっているので、そういう意味でもジレンマを感じています」

参加者 「日本のアニメ、あるいはマンガの中で、一番好きな男性キャラクターと女性キャラクターを教えてください」

フェレラ 「難しいなあ(笑)。『ドラゴンボール』の孫悟空かな・・・・いや、ベジータだったなあ。その頃ベジータがカッコよかったですね」

 「意外と普通のキャラクターでホッとしますね(笑)」

フェレラ 「女性は・・・・ナウシカかなあ。あんまりそういうことを考えたことがなくて、急に振られたのでなかなか出てこないですね。なので、今晩考えて明日になったら全然違う答えになってるかもしれないです」

 「ちなみに好きなアニメ、マンガだったらどうですか?」

フェレラ 「最近の漫画だと『ONE PIECE』が好きです。あと漫画でもアニメでも一番衝撃を受けたのは『AKIRA』ですね。15、6歳の時に当時パリの郊外に住んでいて、初めてひとりでパリに行って、ひとりで『AKIRA』の映画を観に行ったんです。そんなに観てないんですけど、最近のアニメだと6年前に放送していた『電脳コイル』、『天元突破グレンラガン』とか、そのあたりが良かったですね。あとは、劇場アニメで宮崎駿、細田守、今敏の作品が大好きです」

 「ということでクリストフ・フェレラさんにお話をうかがいました。クリストフさんありがとうございました!」


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〔通訳:鵜野孝紀〕
〔編集協力:小林大樹〕

* * *


以上、3回にわたって、BD研究会のレポートをお送りしました!
BDとアニメ、日本とフランス、という二つの世界を知るフェレラさんだけに、
興味深いエピソードをいろいろ伺うことができた回でした。

これを読んでBD研に興味を持った方は、ぜひ一度気軽にBD研に足をお運びください。
(※BD研究会についての詳しい説明はコチラ

BD研レポート、また次回をお楽しみに!


COLUMN

【BD研究会レポート】日本在住のアニメーター兼BD作家クリストフ・フェレラ氏を迎えて②


前回に引き続き、日本在住の現役アニメーターにしてBD作家、
クリストフ・フェレラさんをゲストに迎えて行われた
BD研究会の模様をお送り致します。

今回はいよいよ、今年3月に発売された
フェレラさんのBD作品『ミロの世界』についてのお話を
〔前編〕〔後編〕の2回に分けてお送り致します。

130508_05.jpg ミロの世界
Le Monde de Milo 1巻(以下続刊)
 


[著者] Richard Marazano, Christophe Ferreira
[出版社] Dargaud

2013



* * *



 「それでは、引き続きクリストフさんが3月に出版した『ミロの世界』のお話をうかがおうと思います。回覧している原書は、みなさんひと通り見ていただけましたでしょうか。全2巻で完結予定で、第2巻は8月に発売予定だそうです。さきほどクリストフさん本人から聞いたんですが、ご本人としては、第1巻は色がちょっと暗くて気に入らないそうで(笑)。2巻ではカラーリングをもうちょっと明るくしたいそうです。ではこの『ミロの世界』について、クリストフさんからお話をうかがいたいと思います」

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■バンド・デシネの制作過程


フェレラ 「ではまず、作品を制作するにあたって、原作をどのように絵にしていくのかをお話したいと思います。私の場合、最初に原作者のリシャールのほうからストーリーのレジュメのようなものをもらいます。そこには作品に出てくるキャラクターの簡単な説明もあるので、それを受け取った時点から絵を描き始めます」

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フェレラ 「このあたりはレジュメをもらった時点で私が描いた絵ですね。最終的に作品に出てくるキャラクターとは少し風貌などが違っていると思います。描きながら、どういう姿形にしていくかを考え、だんだんとキャラクターが決まっていきます。最近は、最初からフォトショップなどの画像編集ソフトを使う人も多いですが、私自身はやはり水彩で描くことにこだわりたかった。ただ、非常に時間や手間がかかるということがわかって、途中からは水彩で描くのをやめました」

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フェレラ 「冒頭で老女が3人出てきますが、もともとの原作には1人しかいませんでした。私が老女を3人にして描いたところ、リシャールが"こっちのほうが良いかもしれない"と言って、彼のほうで原作を変えたんです。そんなふうにキャッチボールをしながら作業を進めていきました。レジュメを元に私がイラストを描き始め、ひと通りのやりとりをした後にリシャールのほうから、このようなページごとに区切った原作が送られてきました」

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フェレラ 「これは52ページに相当するところですが、コマが9つあるので、9つのパートに分かれています。明るい色になっているところが状況の説明で、色の濃いところがセリフ部分です。これを受け取って私のほうで読み、気に入らないところがあればリシャールに指摘します。その後でストーリーボードに取りかかります。このストーリーボードに関しては、自分のやりたいようにやらせてもらいました。例えば、原作でコマが9つになっていても、私のほうでそのうちの2つのコマを1つに繋げて、最終的に8コマにしてしまったこともあります」

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フェレラ 「ストーリーボードをリシャールに送って見てもらった後は、鉛筆で下絵を描き始めます。リシャールのほうでも、ストーリーボードを見て何か気になる点があれば、それを知らせてきます。私はアニメ出身ということもあって、思いきり"寄った"絵を描いたり、ついアニメ的な見せ方をしてしまうんですが、原作者のリシャールがバンド・デシネの出身で「バンド・デシネではあまり寄り過ぎるのは良くない。もう少し背景も見える絵にした方が良い」というアドバイスをしてくれたので、それでちょっと引いた絵を入れることもありました。こうして鉛筆の下描きが決まったところで、それをスキャンして彩色に移ります」

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フェレラ 「さきほど、イメージボードでは自分で好きなように修正することがあると言いましたが、このページの一番上の部分も、もともと原作では2コマだったのを修正して1コマにしています。右も左も同じ人物なんですが、時間の経過とともに、移動している状況を1コマで見せられるように変えました。こちらが完成原稿です」

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フェレラ 「私はペンやインクは使わないので、これはすべて鉛筆画です。ここで線を決めて、その後に彩色に入るわけです。順序で言うと、まずこういうかたちにストーリーボードを作って、その段階で描いたものをスキャンしてフキダシをどこに入れるか決めたり、影を付けたりします。それから、実際に線を決めて、色を付けていきます。ここまでがだいたい2日ぐらいの作業です」

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フェレラ 「フォトショップが便利なのは、線の色も変えられることで、ここでは線の色を他の部分とは変えています。先ほどは回想シーンだったので、ちょっと違う色の線にしました。この宙に漂っている魚も、他とは違う赤い輪郭線になってます。絵を描く時にはA3判の用紙を使います」

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 「ざっとどういうストーリーなのか話していただけますか?」

フェレラ 「湖の畔に住む主人公のミロという少年が、ある時不思議な卵を見つけます。その卵から光り輝く魚が生まれるのですが、その魚が生まれた頃からミロの周りでは不思議な出来事が起こるようになります。風変わりな人達が現われるようになったり、さらに、変な目をした巨人のようなものも現われるようになります。ミロは謎の少女と出会い、魚を連れて一緒に湖に向かいます。そこで現実と大きくかけ離れた不思議な世界に連れて行かれてしまうのですが、湖の向こう側の世界ではさまざまな冒険が待っています。その冒険の数々は第2巻のほうに出てくるので、これ以上はお話できないんですけども」


■作画家と原作者


 「制作過程、ストーリーなどについてお話いただきました。この時点で何か質問ある方はどうぞ」

参加者 「色は全部フォトショップで塗ってるんですか?」

フェレラ 「イメージボードは水彩ですね。最初はできれば全部水彩で描きたいと思ったんですが、やっぱりお金にならないし、間違えたら面倒なのでやめてしまいました。でも、次の作品は水彩でと考えています。フォトショップで色を付けるにあたっては、レイヤーを使って効果を上から乗せるようなやり方を試しています。『ミロの世界』はまだ一作目なので、バンドデシネを描くという新しい作業をする上でいろいろ学ぶところもあり、苦労しました」

参加者 「原作者の方の人とイメージボードでやりとりする際について、いま見せていただいたものだと、ほぼ下描きのような状態になっていたんですが、日本のマンガでいう"ネーム"のように、その前にザッとラフに描いたものを一度送って調整してから、このようなイメージボードを作るんでしょうか?」

フェレラ 「中間的なものはないですね。シナリオをテキストの状態でいろいろやりとりをして詰めた後、直接この形態になります。原作をもらって、それを元に描いた状態がこれです

 「すごいですね」

参加者 「日本の場合、この段階で原作者とやりとりしていると、時にはまるまる差し替えっていうこともあるので・・・・」

フェレラ 「我々は、(日本のマンガ家のように制作に携わる人が)他に何人もいるわけではなく2人での作業ですし、お互い信頼関係がありますから。それに、ストーリーボードを描いた後、どうしても1コマいじらなくちゃいけないということになっても、それほど大きいサイズでもありませんし、描き直すのはたいした手間ではないんです。そういうことができるように、この時点でストーリーボードをスキャンしてしまいます。フォトショップ上で作業するので、原作者のほうから何か指摘があって変えることになっても容易ですし、例えば真ん中の目が映っているコマをもうちょっと狭くすることになっても簡単にいじることができます」

参加者 「さきほど見せていただいた資料では、テキストのシナリオの段階で、もうコマ数が決まっていましたが、最初のコマ割りはどちらが決めるんでしょう?」

フェレラ 「これは原作者のほうですね。ただ、彼の仕事の仕方はちょっと風変わりだと思いますよ。バンド・デシネのアルバムは、1冊だいたい50ページ程度のものが多いんですが、原作者のいる作品で50ページぐらいのものを描こうという時には、絵を描く方は通常50ページ分の原作すべてが手元に来てからでないと描き始めません。ところが、リシャールの場合は少しずつしかくれないんです。私が『ミロの世界』の絵を描き始めた時にもらった原作は10ページ分だけでした。その10ページ分の作画が終わったところで、それに応じて彼のほうでも原作を書き進めていくんです。彼に言わせると"どんな作品にしたいかは頭の中にできているんだが、それを全部一度に書き切ってしまうのはイヤだ"と。"書き終えた時点で、その作品が死んでしまう気がするんだ"と言うんです。

作品が少しずつできあがっていくのを、彼自身も一緒に続きを発見するように作業するのが好きなんだと思います。それと、少しずつ進めていくことで、彼の作業に関して何か言いたいことがある時には即時に指摘ができる、という利点もあります。仮に、話の最後まで原作ができてから渡すということになると、作画担当は必ずしも私でなくてもよく、他の作家に渡す可能性だってありうるわけです。ところが我々の仕事のやり方だと、だんだん作画ができあがっていくのを見ながら彼が続きを書くことになるので、お互いに影響し合う部分がある。例えば、ある登場人物についての描き方が面白くていいなと思ったら、次のストーリーの中でもう少し重要な役目を与えるようにする、というようなことが起こるわけです。原作者のリシャールの頭の中には、だいたいこのように進んでいくというお話のビジョンがありますが、それ以外の部分ではお互いに作用し合いながら作っています。まさに2人の作品だと言えます。原作が全部書かれてから、あとはどの漫画家に渡してもいい、というような作品ではなくて、2人で作り上げていく作品にしたいというのがリシャールの仕事の仕方なのです。

ですから、ダルゴー社に最初にこの企画を売り込む時に説明したストーリーとは、全然違う内容になっています。『ミロの世界』の共同作業で特徴的な例を一つ挙げましょう。物語のある登場人物が実は大ウソつきだったということが2巻の40ページぐらいで分かるのですが、それをリシャールは私に言いませんでした。私自身、まさかそんなウソつきな人ではないだろうと思いながら描いていたんです。ずっと後になって彼から送られてきた原作の続きを見て、ようやく"こいつはウソをついていたのか!!"と知ったなんてこともありました」

参加者 「いわゆる編集者の意見などは入らないんですか?」

フェレラ 「あまり入らないですね。例えば、ダルゴー社の場合は編集者が4人いて、それぞれの編集者が複数の作家さんを抱えています。『ミロの世界』の場合、私は担当の編集者から1つだけ指摘を受けました。あるコマに関して、1つ言われたことがあったんですが、今のところ編集者から指摘されたのはそれだけです。あとは第1巻の表紙に関して、当初表紙用に描いたイラストはもっと暗いイメージだったんですが、編集者から"もうちょっと明るい感じが欲しい。自然の広がる風景とか明るい要素も足してほしい"と言われて、最終的にこのような表紙になりました」


■BD出版の現在と編集者の関わり


フェレラ 「それから、この作品はもともと1巻あたり46ページで全3巻で完結というかたちを考えていたんですが、ダルゴー社の編集者から"全3巻は長いので全2巻で。ただし1巻あたりのページ数を増やそう"と言われて、最終的に54ページ×2巻という長さになりました。こういう子供向けの作品は、現在フランスで決してよく売れているわけではないんです。例えば、もうちょっと大人向けの『ブラックサッド』なんかはよく売れているんですが、下の年齢層向けの作品はあまり出ないので、そういう意味で、出版社側はリスクをとるのを嫌がったんだろうと思います。ただ、おかげさまで『ミロの世界』は1巻に関しては好調なようで、重版もしているそうです」

 「BDでは、子ども向けの作品で『タンタンの冒険』とか『スピルーとファンタジオ』といった、シリーズとして何十年も続いているクラシックなものがメインストリームとしてありますよね。そういうものはもちろんすごく売れていると思いますが、子供向けの新しいシリーズというのは難しいんですか?」

フェレラ 「最近の子供向け作品の中でも売れているものは売れていますが、『ミロの世界』のようなタイプの作品というのはちょっと難しいと言われています」

参加者 「ちなみに初版は何部くらいなんでしょうか?」

フェレラ 「正確なところは分からないですね。日本と比べたらお恥ずかしい数字になるかと思いますけど、せいぜい1万部とかそれぐらいじゃないでしょうか。現在のフランスの市場ですと、とりあえず1万部にいったら「売れた!」という話になります。これは15ユーロぐらいだったと思いますけど、本としては高い買い物になりますので、なかなかたくさん売るのは難しいです。あと、フランスはそんなに人口が多い国ではありませんから」

 「『ミロの世界』は、絵柄がちょっと日本のアニメやマンガを思わせますよね。最近フランスでも増えてきてはいますが、まだこのような絵柄で描く人達が多いというわけではないです。それに関して、出版社側は心配したりしなかったんでしょうか?」

フェレラ 「それは全然心配されなかったですね。マンガ風と言っても、そこまで思いきりマンガ寄りでもないですし。さきほどもお話したように、学生時代には古典的な美術の素養も身に付けていたので、そういう絵も描けます。『ミロの世界』の絵柄には、そういったいろんな要素が入り混じっていると思います。ダルゴー社でこの作品が採用された時も、編集者にしてみれば、ちょっとマンガ風なところはマンガ好きな読者にもアピールできるし、100%マンガ風ではない分、一般のBD読者にも受け入れられるから「良いとこ取りじゃん!」といった感じで受け取ってもらえた部分があると思います。実は『ミロの世界』の第2巻の作業自体は終わっていて、今は同じダルゴー社から刊行予定の次の作品に取り掛かっているところなんですが、次回作はもうちょっとリアルな絵柄になると思います」


〔通訳:鵜野孝紀〕


次回、BD制作と作画のテクニック、アニメーションとの関わりについて、
参加者の質疑応答を交えながら、より詳しく語っていただきます!


COLUMN

【BD研究会レポート】日本在住のアニメーター兼BD作家クリストフ・フェレラ氏を迎えて①


今回は、以前BDfileでご紹介した
日本在住の現役アニメーターにしてBD作家、クリストフ・フェレラさんを
ゲストに迎えて行われた、2013年6月2日のBD研究会の模様をお届けします。


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(※BD研究会についての詳しい説明はコチラ


BD作品『ミロの世界』の制作裏話から携わったアニメの話まで、
フェレラさんから興味深いお話をたくさん伺うことができました。

数回に分けて連載予定ですが、
今回は、フランスと日本、両方のアニメ制作現場を経験してきたフェレラさんの
これまでの経歴と、アニメーターとしての仕事をテーマにおおくりします!


* * *


 「ではまず、クリストフさんのこれまでの経歴について、ご本人からお話していただきたいと思います。よろしくお願いします」


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フェレラ
 「はじめまして。日本語がそこまで上手くないので、フランス語で失礼します。今年37歳で、パリ出身です」



■アニメーターを目指すまで

フェレラ 「思春期を80年代のフランスで過ごしましたが、この時代はフランスのテレビでも日本のアニメをたくさん放送していた頃でした。そういうものをたくさん観て、同時にフランスのバンド・デシネにもたくさん触れながら育ちました。やがて私も他の子どもたちと同様に絵を描きはじめましたが、だんだんと絵を描くことを仕事にできたらと思うようになりました。ただ、そういった道に進むにはどうしたらいいか分からなかったので、とりあえずグラフィックデザインの勉強をしようと考えて専門学校に入学し、ページレイアウトなどのデザイン関係の勉強をしました。

この学校に通って良かったのは、いわゆる現代的なデザインだけではなくて古典的な美術についても学ぶことができたという点です。例えば裸婦を描くとか、静物画などについても勉強することができ、とてもいい経験になりました。ただ、このグラフィックの専門学校は5年制なんですが、5年もやっているうちに、だんだん学校の勉強が嫌になってしまいました。5年間のうち、最初の3年で専門的な勉強をした後は、2年間さらに高度なグラフィックの勉強をさせられるんです。自分が本当にやりたいことはこれではないと分かって、違う勉強をしたいと思っていた時に、パリのアニメ専門学校でゴブラン(Gobelins)という学校のことを知り、そこに入学することにしました」



■アメリカ式のアニメ制作、そして日本へ

フェレラ 「このゴブランという学校では、実際に自分でアニメが作れるようになるのに、だいたい2年をかけてさまざまなことを勉強します。ゴブランで勉強するアニメの作り方はどちらかと言うとアメリカ式で、この課程を終えた後に、ディズニーやドリームワークスといったスタジオで仕事ができるように勉強するわけです。ゴブランに入って良かったと思う一方で、アメリカ式のアニメ制作方法ばかりやらされることにはちょっとうんざりしていました。というのも、先ほども言いましたが、私自身は子どもの頃から日本のアニメを観て育ったので、これはちょっと自分の好きだった、やりたいタイプのアニメとは違うな、と。そういうストレスがあったわけですが、この2年間の課程を終えた後には実際にアニメの現場に入りました。

フランスのテレビ用のアニメシリーズの現場で1~2年ほど仕事をしたのですが、そのあと自分にとって大きな出来事がありました。パリでアニメーション関係のフェスティバルがあったんですが、そこに日本のアニメ界に大きな業績を残した大塚康夫さんという方がいらして、いわゆるマスタークラスが開かれました。大塚さんから直接アニメについての講義を受ける機会を得たのです。そこで日本的なアニメの作り方について聞くことができました。しかも、このマスタークラスが終わったあと、大塚さんは"君たち、もし興味があれば日本のアニメスタジオを案内してあげるよ"と言ってくださり、こうして2002年の夏、私は初めて日本を訪れました。

日本には3週間ほど滞在して、大塚さんにいくつかのアニメスタジオを見学させていただきました。その後、日本のアニメスタジオの方から"1年間インターン研修をしないか?"というお誘いをいただくことになります。それで、翌年の2003年にワーキングホリデービザで日本に来て、住むことになりました。テレコム・アニメーションフィルムというところで、ビザが切れるまでの1年間、実際にインターンとして働くことになったのです」



■日仏合作アニメの制作

フェレラ 「この1年の間、私にとって素晴らしかったのは、自分が子どもの頃にフランスのテレビで観た日本のアニメを実際に作った方たちに直接お会いすることができたことです。1年後、ワーキングホリデーのビザが切れて、フランスに帰らなければなりませんでしたが、私はなんとしてもまた日本に戻って来たいと思っていました。そこで日本に戻る方法として、オリジナルの新しいアニメ作品の企画を立ち上げればいいというアイデアを聞き、日仏合作のアニメ映画、あるいはテレビアニメシリーズの企画を立てることにしたのです。インターンでお世話になったテレコム・アニメーションフィルムのスタジオに提案したところ、彼らはこれを快諾してくださいました。また、かつて自分が所属していたフランスのスタジオにも提案したところ、そちらの方でもOKが出て、私はこの日仏共同企画のために日本とフランスを仕事で往復できるような立場になりました。その時の画像がすこしあるのでお見せしましょう」


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フェレラ 「全部はお見せできないんですが、こういう設定画がたくさんあります。これは、いわゆる"イメージボード"といいます。日本側のスタッフと、どういう作品を作っていくか相談する際、こういうイラストを用意して話し合いをしたわけです。この企画には2~3年かかりました。この間に、私は作品のストーリー、イメージボード作り、あるいはデザインを自身で担当しました。今ご覧いただいているものは、すべて水彩で描いています。しかし、残念なことに、この企画は公開までには至りませんでした。フランス側のスタジオが閉鎖してしまい、さらに日本側ともいろいろと上手くいかないことがあって、途中で頓挫してしまったのです。ただ、このストーリーはこれからバンド・デシネで描こうかなとも考えています。パイロット映像があるので、これもすこしお見せします。懐かしい作品です。古くて・・・・もうとても観ていられません。全部描き直したいです(笑)」


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(※2分半ほどの無音のパイロット映像を鑑賞)


 「すごくいいじゃないですか! 普通に面白そうです」

フェレラ 「仮のタイトルは『KITSUNE』です。登場するキツネのキャラクターの名前は"キツネ"、ブタの名前も"ブタ"(笑)。このアニメはテレコム・アニメーションフィルムの有名なアニメスタッフ、友永和秀さんと一緒に作りました。友永さんはかつて『名探偵ホームズ』とか『ルパン三世』でも活躍された方です」

 「どんなストーリーなんですか?」

フェレラ 「小さいキツネがブタと出会って、悪者たちに攻められて危険な状況にある町を一緒に救うというストーリーなんですが、同時にこの小さいキツネの成長物語でもあります」


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フェレラ 「今ご覧に入れた『KITSUNE』は2~3年の年月をかけて結局作品にはなりませんでしたが、ワーキングホリデーの時と違い、今度は長期のビザを取れて日本で長く暮すことができるようになったため、少し状況が変わりました。テレコム・アニメーションフィルムとフランスのスタジオとの仕事は完全に終わってしまいましたが、今度は日本にスタジオを持っているフランスのアンカマ(Ankama)というアニメ制作会社で2年間仕事をすることになったのです。そもそもは、実はこのアンカマという会社が『KITSUNE』の企画に興味を持ってくれて、これを完成させようということで仕事が始まったんですが、結局こちらも2年ほどで止まってしまいました。やはりいろいろと問題が発生して、残念ながら最後まで企画を実現させることが出来なかったのです」〔※〕


■アニメ企画の頓挫、BD作家へ


フェレラ 「一方で、当時、私の周りには、プロで活躍しているバンド・デシネの作家が何人かいて、以前から彼らに"お前もバンド・デシネを描けよ"と言われていたんです。でも私自身は、アニメへの情熱が強かったので"いや、俺はアニメをやるからいいよ"と断っていました。ただ、お話してきたように、自分のアニメ企画がまったく完成に至らず、ちょっとアニメが嫌になっていたこともありまして、バンド・デシネを描こうと思い始めました。実は、『ミロの世界』の原作を書いてくれたリシャール・マラザーノは、もともとは先ほど紹介した私のアニメ企画で一緒に仕事をするために紹介された人だったんです。彼とは、自分のアニメ企画が1度ならず2度も頓挫し、どうしようと思っていた頃に、"今後いったい何をしていこうか?"など、いろいろな話をしました。

当時、私は『KITSUNE』以外にもアニメ企画をいろいろ考えていて、それ用のイメージ画を描いていました。私が好きなタイプのストーリーというのがあって、例えば、有名な『はてしない物語』のような作品――つまり、主人公がまったく別の世界に行って、そしてまた戻ってくるといったようなタイプのストーリーを自分でも作りたいと思っていました。そういう、自分がやりたいと思っている作品の絵をリシャールに送って見てもらったところ、彼は、自分もこういうタイプの作品が好きだし、やりたいと思ってるんだ、と言ってくれて、新しい作品のシノプシスとなるような文章を送ってきてくれました。これがのちに『ミロの世界』の原作となる話です。

リシャールとそんなやり取りをしてる間も、私はアンカマに席を置いて働いていました。そしてあの、2011年3月11日を迎えるわけですが、この震災でアンカマはフランス人のスタッフ全員をフランスに引き上げさせました。私自身もあの震災直後にフランスに帰りました。当時は、一時的に東京のスタジオを閉めるだけという話だったんですが、最終的に東京のスタジオを完全に畳むことになり、私はフランスに帰り、まったく仕事がない状況になってしまいました。そこで、バンド・デシネを描かないかと言ってくれていたリシャールと一緒にダルゴー(dargaud)というバンド・デシネの出版社に行って、先ほどご覧に入れた『KITSUNE』の図版と一緒に、作品の企画を提出したんです。そうしたら"3ページぐらいのテストページを描いてくれないか"と言われまして、それが結果的に『ミロの世界』の冒頭の3ページになりました。2011年の夏には、また日本に戻りましたが、出版社に言われた3ページを描きつつ、同時に生活のためにフリーランスのアニメーターとしていろいろな仕事をやりました。その後、テストページが認められてダルゴー社との契約に至り、こうして私の最初のバンド・デシネ作品が出来上がったわけです」



■質疑応答

 「ざっとクリストフさんの経歴をお話いただきました。『ミロの世界』については後で図版と一緒に紹介していただくとして、ここまでで何かご質問のある方はいらっしゃいますか?」

参加者 「フアーノ・ガルニドの『ブラックサッド』という、登場人物がみんな、頭だけ動物になっているBDがあるんですが、以前、インタビューでガルニドは"動物にした理由は特異な物語にしたかったからだ"と答えています。クリストフさんが『KITSUNE』で、登場人物を全部動物にしたのには、何か理由があるのでしょうか?」

フェレラ 「私の場合はむしろ逆かもしれません。そもそもこの作品が生まれたのは、退屈している時に気晴らしにブタの絵を描いて、剣を持たせてみたのがきっかけなんです。それがちょっと興に乗って、他の動物も描くようになって、だんだんと膨らんでいった、というかたちですね。いろいろと理屈を付けるようになったのは後になってからで、もともとは1枚の暇つぶしに描いた絵から始まったんです。でも、動物の姿をしたキャラクターの出てくる作品はそれほど多くないので、最終的にはオリジナリティのあるものになったんじゃないかと思っています。あえて寓話的なものを作るために動物の姿形を、ということはまったく考えていませんでした」


参加者 「子どもの頃は、どういう日本のアニメ作品が好きだったんですか?」

フェレラ 「『ドラゴンボール』『聖闘士星矢』『北斗の拳』などですね」

参加者 「それは10代の頃?」

フェレラ 「そうですね」

参加者 「さすがに『マジンガーZ』とかは見ていませんか?」

フェレラ 「フランスでは『マジンガーZ』は放送されてなかったんです。だけど『(UFOロボ)グレンダイザー』はすごく人気がありました。あと『(黄金戦士)ゴールドライタン』『(宇宙海賊)キャプテンハーロック』などですね」


参加者 「ゴブランという学校で勉強されていた時に、アメリカ式のアニメ制作が合わなくて日本のほうが良かったとおっしゃっていましたが、アメリカのどういうところを合わないと感じて、日本のどういうところが良いなと思ったんでしょうか?」

フェレラ 「フランスもそうなんですが、アメリカのアニメ制作スタイルというのはものすごく細かく分業化されていて、同じシーンの中でも、この人は影を付ける、この人はここを描く、といったように、それぞれ別の人が担当しているんです。一方、日本の場合は、特定のシーンを任されたら、一人のアニメーターさんが背景(原図)なども含めて、全体的にその人の手で作ることができます。そこが大きく違うところです。私は分業化が進んだアメリカ式のやり方があんまり好きじゃありませんでした。

例えばアメリカでアニメの仕事をしたら、試写の時に"自分はどこで何をしたのかな?"というふうに感じてしまうと思うんです。自分はここのシーンを担当したんだ、と思っていても、関わったのは本当に細かい部分なので、"ここかな? あそこかな?"という感じになってしまって、あまりやった甲斐がないんです。その点、日本のアニメの場合は、同じシーンに関わる人はせいぜい3人ぐらいしかいません。チーフアニメーターと言われる人が全体をチェックして、あとは原画を担当する人、動画を担当する人がいる。いわゆる、作画監督、原画マン、動画マンの3人で一つのシーンを担当するわけです。そうすると、やはり試写で観ていても、そのシーンが出てくれば"ここは我々の仕事だな"というのがよく分かるわけで、私はこちらのほうがいいと思いました。それと、アメリカ製のアニメはあまり作品として胸にグッとくるようなものがなかったんですよ。日本の作品のほうが自分に訴えかけてくるような感動する作品が多かったので」


参加者 「『KITSUNE』のパイロットフィルムが、さきほど見せていただいたかたちにまとまったのは何年頃でしょうか? あと、クリストフさんが原画としてどのくらい画を動かしたのか、日本とフランスのスタッフの割合みたいなことを教えていただけますか?」

フェレラ 「できたのは6年ぐらい前だから・・・・2006年頃だと思います。スタッフとしては、アニメーターさんが5人いて、あとは背景さんが2人いました。私自身も背景を少しやって、ひと月半ぐらいでさきほどのパイロット版が出来上がりました。スタッフの割合は、メインの仕事をしてもらった日本人の方が4~5人で、他に3人ほどフランス人がいました。さっき話したアニメーターさんと背景さんの計7人の他に、3D担当のフランス人が1人いて、さらに私を加えて大体9人ぐらいの人数でしょうか。他にもいろいろ細かい作業があるんですけど、それは日本のスタジオのスタッフさんがやってくれました」


参加者 「クリストフさんは、日本とフランス、両方のアニメスタジオで仕事をしたということですが、どのような違いがありましたか?」

フェレラ 「自分が関わったフランスの会社は、どちらかというと作品の"製作"をする、プロダクションをする会社でした。例えば、資金をどこからどうやって調達するかとか、そういった仕事のほうが多かったと思います。日本では実際にアニメを作る会社にいたので、アニメ"制作"のほうは日本の会社でやりました。そもそもそういう違いがあるので、両者を比較するのはちょっと難しいですね」

参加者 「子供の頃に読んでいたバンド・デシネやマンガにはどういったものがありますか?」

フェレラ 「子どもの頃は、まだ日本のマンガはなくて、観ていたのはアニメだけです。17~18歳ぐらいの頃に『ドラゴンボール』などが出版されましたが、それまでマンガは『AKIRA』と『銃夢』くらいでした。バンド・デシネに関しては、実は本当に小さい時に読んでいただけで、その後は読むのをやめてしまったので、子供向けの『アステリックス』(Astérix)、『スピルーとファンタジオ』(Spirou et Fantasio)、『レオナール』(Léonard)などです」


 「僕もちょっと質問いいですか? アニメーション学校のゴブランってよく聞くんですが、大学ではないんですよね」

フェレラ 「専門学校ですね。でも、レベルは大学並みです。フランスで初めて設立されたアニメ専門養成学校でもあります」

 「超エリート学校と聞いていますが、国立なんですか?」

フェレラ 「半官半民という言い方でいいか分からないですが・・・・基本的には国立ですが、いろいろな企業が資金を提供してるので完全な国立というわけではありません。かといって、私立の学校というわけでもありません。学生ももちろん授業料を払うわけです。入学試験は結構厳しくて、試験は丸一日かかります。だいたい1000人の応募があったとして、最初の試験で50人ぐらいに絞られて、その後、面接試験を経て、最終的に25人ぐらいが実際に入学を許されます。2年間の課程でアニメーション科のクラスは一つしかありません」

 「ここを卒業した方は有名なバンド・デシネの作家になったり、あるいはアニメーターになったりするそうですが、同級生で有名な方はいますか? 『森に生きる少年 ~カラスの日~』の監督ジャン=クリストフ・デッサンが同級生だそうですけど」

フェレラ 「同級生にはそんなに有名な人はいませんね。でも自分の1年上の先輩方の中にはドリームワークスやディズニーのスタジオに就職した人たちがいます。ジャン=クリストフ・デッサンのように自分で作品を撮るような人も実際いましたね」

 「ありがとうございます。じゃあ、一回ここで休憩を入れて、その後『ミロの世界』のお話をお聞きしましょう」


〔通訳:鵜野孝紀〕


―『キツネ』はその後、若手アニメーター育成プロジェクト「アニメミライ2012」の1作『BUTA』の原案に使われ、劇場公開されています。


次回は、いよいよBD『ミロの世界』について語っていただきます。
お楽しみに!

COLUMN

【本日発売!】スクイテン最新作『ラ・ドゥース』 AR体験の楽しみ方!


本日26日(水)、ついにスクイテンの単独最新作『ラ・ドゥース』日本語版が発売となりました。


ラ・ドゥース

[著] フランソワ・スクイテン
[訳] 古永真一

定価:3,200円+税
好評発売中

© 2012 Casterman, Bruxelles All rights reserved.

『ラ・ドゥース』日本語版特設サイト


闇の国々』シリーズでは、ブノワ・ペータースとのタッグで制作を行っているスクイテンですが、
本作『ラ・ドゥース』はスクイテン初の単独作品となります。

そしてスクイテンが今作のテーマに選んだのが......「鉄道」!

ブリュッセルの地下鉄ポルト・ドゥ・アル駅やパリの地下鉄アール・ゼ・メティエ駅の
デザインを手掛けたことでも知られるスクイテンは、実は大の鉄道好き
2014年にオープン予定のブリュッセルの鉄道博物館ではコンセプトデザインも担当しているそうです。

本書『ラ・ドゥース』では、1930年代に実際にベルギーで活躍した幻の流線形蒸気機関車
12.004号を細部にまでこだわった作画で見事によみがえらせています。

そして本書のもう一つの見どころが
日本でも最近、新たな広告ツールとしても注目を集めている
AR(拡張現実)システムを仕掛けとして盛り込んでいるということ。
これはバンド・デシネとしては初の試みだそうです。

そこで、今回は本書『ラ・ドゥース』をお買い上げの方のために、
AR(拡張現実)システムの楽しみ方を詳しく解説させていただきます。



■用意するもの

  ・『ラ・ドゥース』日本語版
  ・インターネット接続できるパソコン (推奨環境については下記をご確認ください)
  ・WEBカメラ (パソコンに内蔵のものか、外付けのもの、どちらでもOK)


【パソコン推奨環境】

●Microsoft Windows
  Microsoft Windows(2000, XP, Vistaのいずれか)
  Pentium II (または同等レベル)
  256 MB of RAM
  DirectX 9.0c(August 2007)またはそれより上のバージョン
  Internet Explorer(4.0+), Firefox(1.0+), Netscape(6.1+)
  →推奨環境にはありませんが、Google Chromeでも使えるようです。

●Apple Mac OS
  Mac OS X Tiger(10.3.9以上)
  G3またはIntel Core Solo/Duo Processor
  256 MB of RAM
  Safari, Camino, Firefoxのいずれか
  ※Netscape Navigator 4.xはサポートを打ち切りました


STEP 1 準備段階
まず、ARシステムを起動するためのソフト(3DVIA Player)をパソコンにダウンロードします。


1. 『ラ・ドゥース』日本語版特設サイトにアクセスし、メニューの「AR(拡張現実)」をクリックします。


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2. 映像画面の下にある「使い方」をクリックするとウィンドウが開きます。

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3. リンクをクリックします。

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4. ダッソー・システムズのサイト(英語)が開いたら、「Install Now!」ボタンをクリックします。

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5. 「このファイルを実行しますか?」という画面が出たら、「実行」をクリック。インストールが始まります。

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6. 「Installation Complete」という画面になったら、インストール完了です。ダッソー・システムズのページを閉じてください。

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STEP 2 システムの起動
ソフトのインストールが出来たら、いよいよシステムを起動させます。


1. WEBカメラを接続します。パソコンに内蔵されている場合はそのままでOKです。

2. 「AR(拡張現実)」ページの映像画面の下にある「スタート」ボタンをクリックすると、システムの読み込みが始まります。

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3. システムの読み込みが終わったら、「スタート」をクリック。

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4. 『ラ・ドゥース』日本語版のカバーをめくります。

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5. 画面の指示に従って、図で示したイラスト部分を、WEBカメラに映してください。

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6. イラストが正しく読み込まれたら、ARシステムが起動します。


7. AR画面を全画面表示にしたい場合は、右上のアイコンをクリックしてください。

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STEP3 AR体験スタート!!
それでは、ARシステムによる驚きの3D体験で、"ラ・ドゥース"の旅をお楽しみください!!


■『ラ・ドゥース』PV



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