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【フランス映画祭2013】長編アニメ『森に生きる少年~カラスの日~』監督来日!


今月6月21日(金)から24日(月)にかけて、
フランス映画祭2013というイベントが東京・有楽町にて行われます。


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公式サイト:http://unifrance.jp/festival/2013/


フランス映画祭は、フランス映画の振興に努めるフランス文化・通信省の非営利の外郭団体ユニフランスが、1993年から主催している映画祭で、今年で21回目を数えます。昨年はエリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュの大ヒット作『最強のふたり』が上映され話題を呼びましたが、今年もフランソワ・オゾン監督の『In the House(英題)』をはじめ、要注目の長編映画が13作品と短編が8作品上映される予定です。

そしてこの度、本邦初公開となるアニメ映画『森に生きる少年 ~カラスの日~(Le Jour des Corneilles)』がフランス映画祭にて上映されることとなり、来日中の監督ジャン=クリストフ・デッサン氏がBD研究会にゲストとして来てくださることになりました!

そこで今回は、この長編アニメ映画『森に生きる少年 ~カラスの日~』についてご紹介致します。



* * *



フランス映画祭では、ここ数年、長編アニメ作品も上映されており、昨年はバンジャマン・レネール、ステファン・オビエ、ヴァンサン・パタール監督『アーネストとセレスティーヌ』が、一昨年はリュック・ベッソン監督『アーサー3』とアラン・ガニョル、ジャン=ルー・フェリシオリ監督『パリ猫の生き方』が公開されました。


今年上映される映画はジャン=クリストフ・デッサン監督の『森に生きる少年 ~カラスの日~』。本作はジャン=クリストフ・デッサンの監督デビュー作で、昨年6月のアヌシー国際アニメーション映画祭で好意的に受け入れられると、10月の一般公開でも多くの動員を達成し、好評を博した作品です。

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監督のジャン=クリストフ・デッサンはフランス生まれ。名門として知られるパリのゴブラン映像学校でアニメーションを修得しており、以前BDfileで『ミロの世界』というBDの作者として紹介したクリストフ・フェレラ氏とは同期だったとか。パリで行われた日本のアニメーター大塚康生氏のワークショップを二人揃って受講したこともあるそうです。

卒業後は、フランスの短編テレビアニメシリーズ『オギー&コックローチ(Oggy et les Cafards)』でキャリアをスタートさせ、『ラッキー・ルーク(Lucky Luke)』の劇場用長編、『ラビの猫(Le Chat du rabbin)』の劇場用長編でアニメ監督(ディレクター)兼ストーリーボードを担当。原作BDを手掛けたジョアン・スファールが監督を務めた『ラビの猫』は、2012年のセザール賞最優秀アニメーション作品賞を受賞しました。『ラッキー・ルーク』も『ラビの猫』も元はBDであり、そういう意味ではBDとも関わりの深いアニメーターといえます。


そんなデッサン監督の初長編監督作となる本作『森に生きる少年 ~カラスの日~』は、ジャン=フランソワ・ボーシュマンによる原作が必ずしも子ども向けではないにもかかわらず、子どもが見ても十二分に楽しめる内容の作品となっています。

主人公は、父親と一緒に森に住む一人の少年。父親はある理由から人間たちを避け、少年とただ二人森で生活しています。ある日、父親が脚に大怪我を負ってしまい、少年は、森に棲む、頭部のみが動物の姿をした奇妙な人物たちに導かれ、助けを求めに人間たちの住む村へと向かいます。

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少年は、文明社会からまったく隔絶された環境に育ち、父親からは「息子」とのみ呼ばれているため名前がありません。そんな彼が、街で初めて父親以外の人間と出会い、同年代の少女マノンと交流するうちに、これまで知らなかった世界を発見していく過程が、本作ではじつに丁寧に描かれます。

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また、少年の父親がかなりのインパクトのあるキャラクターで、森の野生生物よりもはるかにワイルドな彼が、スクリーン狭しと暴れまわる姿は圧巻の迫力。やがて、この父親の秘められた過去が明らかになり、動物の頭部を持つ奇妙な人物たちの正体も解き明かされていくのですが・・・・。この続きはぜひスクリーンでご 覧ください。


自然との共生というテーマを描くにあたっては、宮崎駿作品を強く意識していたそうですが、丁寧な自然描写に加え、印象派の絵画を思わせる美しい色彩が、森や動物たちをいきいきと描いており、少年の成長とともに見る者に爽やかな感動をもたらしてくれます。さらに、俳優のジャン・レノや映画監督のクロード・シャブロルといった豪華な声優陣が作品を支えている点も要注目です。

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ジャン=クリストフ・デッサン監督『森に生きる少年 ~カラスの日~』は6月23日(日)11時から有楽町朝日ホールで上映されます。上映後には監督のトークも行われるとのことですので、ご関心がある方はぜひ会場に足をお運びください。

トーク終了後は、ジャン=クリストフ・デッサン監督がBD研究会に来てくれることになっています。
(※BD研究会についての詳しい説明はコチラ

東京飯田橋にあるアンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)の301号室15時頃から開始予定で、事前申し込みは特に不要です。

フランス・アニメの現在や日本アニメとの相違など、現役アニメーターから話を聞けるまたとない機会ですので、ぜひふるってご参加ください!


(執筆協力:原正人)

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BDガイドの決定版がついに発売! 『はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』


先日5月31日、雑誌『イラストレーション』などで知られる玄光社さんから
はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』が発売されました。

130605_01.jpg はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド


A4変型判 168ページ
定価:1,890円(税込)
発売元:玄光社
ISBN978-4-7683-0444-0

好評発売中


ここ数年、弊社をはじめ、その他さまざまな出版社から
邦訳刊行されるバンド・デシネの数が徐々に増えつつあり、
それに応じて、雑誌やWEBなどでもBDが取り上げられる機会も多くなってきましたが、
ついに!待望の、丸ごとBDを取り上げたガイド本の登場です!

このガイド本、現在日本で出ているBD邦訳本をほぼすべて網羅している他、
各作品の図版もふんだんに掲載されており、
BD入門書としては完璧な内容!といっていいです。

そこで今回は、監修という立場でこのガイド本の制作にも
深く携わっていらっしゃるBD翻訳者の原正人さんに、
『はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』の魅力について
たっぷり語っていただきました!

最後にイベントの告知もありますので、お見逃しなく!


* * *


はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』は、バンド・デシネを紹介した初めてのガイド本である、と言ってしまいたいところだが、実はこれまでにも同様のBD紹介書は存在していた。
例えば、『STUDIO VOICE』Vol.179「特集:地球コミック宣言」(1990年) 、『デザインの現場』No.58「特集:コミックスの芸術家たち」(1992年)、『本とコンピュータ』2002年春号 「特集:MANGA HONCO フランス語圏のマンガ(BD)たち」(2002年)、『フランスコミック・アート展 図録』(I.D.F 2003年)、『pen』2007年8月15日号「特集:「Manga」の原点を探して、世界のコミック大研究。」(2007年)......。

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▲過去のBD紹介雑誌。日本語で読めるBDの数少ない貴重な資料。


いちいちその内容に触れている余裕がないが、未知の文化に触れるワクワク感を伝えるという共通した魅力を持ちつつ、それぞれに個性があった。筆者がBDについて調べていく過程でお世話になった恩のある本たちである。


これだけ紹介書がある中で、『はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』に意義があるとすれば、やはりまず第一に、増えてきた邦訳を、表紙だけでなく、中面の図版とともに一望することができる点だろう。逆に言えば、ようやくそのような本が成立するほどにBDの邦訳が進んだということでもある。中面1点1点の図版はWEB上で立ち読みすることもできるかもしれない。しかし、このようにまとめて紹介することでBDの全体像がなんとなく見えてくるはずだ。とりわけBDは、日本マンガと比較すると、表現の多様性にその特徴がある。白黒の作品がある一方で、カラーの作品があり、一口に白黒、カラーと言っても、その中に無限のヴァリエーションがある。作品によって表現方法を変える作者も少なくない。BDの表現の幅をぜひ堪能していただきたい。

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▲イラストの他、なんと各作品の丸々1ページ分も掲載!


作家紹介のパートで紹介しているのは、原則として現在一般書店で入手可能な邦訳があるBD作家である。品切なり絶版なりで現在入手できない作品の中にもすばらしいものはあり(特にボードァン『』、マックス・カバンヌ『目かくし鬼』、アレックス・バルビエ『市長への手紙』)、それらを紹介できなかったのは残念だが、その一部については「さらなる必見邦訳作家29人」というページで紹介している。もちろん未邦訳の中にもぜひ紹介したい作家はたくさんいる。それらについてはさまざまな箇所にさりげなく紹介をすべり込ませているが、本格的な紹介はいずれ別の機会の楽しみとしたい。

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▲現在では入手困難だが、いずれも評価の高い作品。


二番目の見どころは、日本人の有名マンガ家のインタビュー・対談・座談会である。昨年11月の海外マンガフェスタで行われた浦沢直樹さん×フランソワ・スクイテン×ブノワ・ペータースの座談会は『ユリイカ』2013年3月臨時増刊号「世界マンガ大系」にも収録されていたが、それ以外の座談会はここで初めて活字になり、それ以外にオリジナルインタビュー、対談が収録されている。とりわけ谷口ジローさん×ブノワ・ペータース×夏目房之介さんの座談会は、フランスで映画化された『遥かな町へ』の日本語版初上映と併せて鳥取で行われた非常に貴重なものである。谷口さんのBD好きはよく知られているかと思うが、今回のオリジナルインタビューで、そのBD愛をついにどっぷりと語ってもらうことができた。メビウス、エンキ・ビラルといった巨匠はもちろん、イタリアやスペインの作家や若手作家までフォローする知識は驚愕である。


きっとBDを読んでいるに違いないと思いつつ、実際のところがなかなかわからなかった江口寿史さんと松本大洋さんにインタビューできたのも大収穫だった。オススメBDのコメントを見てもらえば一目瞭然だが、江口さんのBD愛も並大抵のものではない。BDというと、日本ではメビウスやエンキ・ビラルなどSF路線の作家が好きという人が圧倒的に多いと思うが、江口さんが好きだと言うのは「リーニュ・クレール」の作家たち。筆者はこれらの作家を全然フォローできていないのだが、今回のインタビューを通じて、その魅力を改めて教えてもらった。今後、これらの作家たちを発掘していけるのが楽しみである。松本大洋さんのミゲランショ・プラードというのも意外な発見だった。プラードはかつて雑誌『ウォンバット』創刊号(講談社、1992年5月)に『探偵モンターノの冒険』が20ページほど訳載されているが、もっと紹介されるべき作家だろう。ダヴィッド・プリュドムマヌエーレ・フィオールなど注目の若手作家を好きな作家として挙げているところも趣味がいい。

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▲『ウォンバット』創刊号に掲載されたミゲランショ・プラードの『探偵モンターノの冒険』


そして、特別対談として、これからどんどん注目を浴びていくであろう若手マンガ家えすとえむさんとケン・ニイムラさんにも話を聞くことができた。ケン・ニイムラさんはスペイン生まれ、えすとえむさんも頻繁に海外に出かけるなど、そもそも海外文化にそれほど違和感を感じない作家たちである。彼らからは特に若い世代のBDについて貴重な話を聞くことができた。年長の作家たちと比べると、やはり若い作家はBDの趣味も異なるという印象がある。それにしても、これらのマンガ家たちのBDに対する知識には実に驚かされる。誰もが最初は「あんまり知らないから」と言うのだが、話を聞いているうちに、BDを紹介している筆者が知らないような作家やエピソードが次から次に出てくるのである。

インタビューをすることはかなわなかったが、やはりBD好きとして知られる寺田克也さんは表紙を描いてくれた。BDの神メビウスに対するリスペクトが伝わるすばらしい絵である。裏表紙を飾るのは3月に来日したスイスのBD作家フレデリック・ペータース。寺田さんがフレデリック・ペータースがお好きということもあり、彼の来日中には兵庫県立美術館で対談も行われ、その模様も収めている。ちなみに2人に表紙上での競作を依頼したのはこの本の編集者である。それほど綿密な打ち合わせができたわけでもなく、正直、大丈夫なのかとヒヤヒヤしていたが、結果的にすばらしいものに仕上がった。寺田さんの絵が日本らしくキャラクターを前面に出し、BDというびっくり箱から驚異的な世界が立ち上がる瞬間を描いているとすれば、ペータースは自伝的な作品で知られる作家らしく、BD作家に焦点を当てている。作品に巻き込まれていく作者のカオス状態を描いているのだろうか? 日本のマンガ・アニメ的文化とフランス語圏のBD文化の対照的な特徴がこの競作に集約されているようで、非常に興味深い。ちなみにフレデリック・ペータースの『青い薬』を上述の『ユリイカ』2013年3月臨時増刊号に抄訳したが、それがこの夏、青土社から完訳単行本として出版されることになった。こちらも楽しみにしていただきたい。

その他、「バンド・デシネきそのきそ」というBDの基礎知識やいくつかのキーワードを掘り下げたコラム「知っているといつか得する豆知識」、「邦訳BD先取り紹介!」、「さらにBDを知るためのBOOKガイド」など、さまざまなページが設けられているが、個人的にはバンド・デシネ通が選ぶオススメBDのアンケートが非常に楽しかった。BD通のマンガ家・アニメーターや邦訳BDの編集者、研究者、翻訳者などが、邦訳・未邦訳を問わず好きなBDを熱く語ってくれている。筆者も巻末で6つの未邦訳作品をおすすめしている。上述の『ユリイカ』2013年3月臨時増刊号でも未邦訳作品を9作品あげているが、それとはかぶらないようにした。おすすめしたいBDはいくらでもあるのである

そうそう、ベデくんの存在を忘れてはならない。BDfileでも「教えて!BDくん」コーナーでおなじみの彼が、印刷媒体に初登場。「バンド・デシネ大使ベデくんのオカシナ日本発見!」というコーナーで、BDに描かれた「オカシナ日本」を紹介してくれている。ベデくんが描いたBDキャラ「サムライ」も必見である。

駆け足で紹介してきたが、『はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』、だいたいこんな本である。はたしてタイトルにふさわしい、BD初心者向けの親しみやすさと十分な情報を備えた本にきちんとなっているだろうか? てんこ盛りになり過ぎたきらいがあるのではないかと心配だが、まずは手にとって、実際に見ていただきたい。バンド・デシネという、まだ日本では決して広く知られていない新しい文化に触れて、ワクワクしていただけたら幸いである。


(Text by 原正人)

* * *


最後に、ここで嬉しいお知らせです!

この『はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』の刊行を記念して、
寺田克也さん×原正人さんのトークイベントの開催が決定したそうです!


『はじめてのひとのためのバンド・デシネ徹底ガイド』
発刊記念トークショー


【出演】 寺田克也(漫画家)×原正人(翻訳家)
【日時】 6月20日(木)19:00~21:00
【場所】 ヴィレッジヴァンガード渋谷宇田川町 コミック売り場
         宇田川町33-1 B1F

※前半1時間はトーク、後半1時間はサイン会の予定です。
※ヴィレッジヴァンガード渋谷宇田川町店で『はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』を買うと
 サイン会整理券が配布されます。先着限定です。


会場のスペースが限られているとのことですが、
ようやく実現したBDファン待望のガイド本の刊行を記念した貴重なこの機会、ぜひお見逃しなく!


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【来日イベント情報】人気スイス人BD作家フレデリック・ペータース来日!


明日3月14日から24日にかけて、
いまフランスで注目のスイス人BD作家であり、
先日発売された『ユリイカ』3月臨時増刊号にて
青い薬』という作品が一部翻訳掲載されたことでも話題になっている
フレデリック・ペータースが来日します!

130313_01.jpg   『ユリイカ』3月増刊号
  特集:海外マンガ大系

  [出版社] 青土社

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来日中には、人気アーティスト寺田克也さんとの対談をはじめ、
札幌から九州まで、全国でさまざまな講演イベントが予定されています。
(詳細は記事の後半にて)

そこで、来日を記念して、
以前よりこのフレデリック・ペータースをイチオシの作家!とプッシュしていらっしゃった
BD翻訳者の原正人さんに、ペータースの魅力について解説していただきました。




* * *



フレデリック・ペータースというBD作家をご存じだろうか?
『闇の国々』の作者の一人ブノワ・ペータースと同じ苗字だが、もちろん親族ではない。
フレデリック・ペータースは、1974年、スイスのジュネーヴ生まれ。2000年以降に頭角を現し、ここ数年は新刊を出す度にアングレーム国際漫画祭にノミネートされている期待のBD作家だ。


2007年に『リュプス』(Lupus, Atrabile)第4巻で「アングレーム重要作品賞」を受賞し、翌2008年には『総合情報局』(RG, Gallimard)第1巻でも同賞を受賞している。そして、今年行われた同祭では、最新作『アーマ』(Aâma, Gallimard)第2巻でシリーズ賞を受賞した。
自身のサイトの略歴によれば、1995年にジュネーヴの応用美術学校を卒業したあと、3年間、スイス航空でポーターの仕事をしていたというユニークな経歴の持ち主でもある。


最初に広く注目を集めたのは、2001年に出版された『青い薬』(Pilules bleues, Atrabile)。

130313_03.jpg   青い薬 (Pilules bleues)

  [著者] Frederik Peeters
  [出版社] Atrabile

  2001

この作品については、冒頭の40ページ弱を『ユリイカ』3月臨時増刊号「総特集☆世界マンガ大系 BD、グラフィックノベル、Manga...時空を結ぶ線の冒険」に訳出したので、ぜひお読みいただきたい。

1990年代以降、BDに白黒の自伝的な作品が増えたことはBDファンにはおなじみかもしれないが、この作品もそういった系譜に連なる作品である。

主人公はフレデリック・ペータース本人。彼は10代の後半に恋していたカティと数年ぶりに出会い、幾度かの逢瀬を通じて、再び恋に落ちる。しかし、彼女は実はエイズに感染していて・・・・という内容で、訳出した部分では、二人が結ばれるまでが語られる。
エイズというと、ちょっと重たく感じてしまうかもしれないが、必ずしも深刻な内容ではない。詩的な省察を交えつつ、二人の、時にユーモラスで、時に繊細なやりとりが綴られていく。何よりも筆で描かれた温かみのある描線と愛嬌のあるキャラクターが魅力だろう。キャラクターはどれも表情豊かで、日本人の私たちにとってもなじみやすい。個人的にはずっと訳したいと思っていた作品でもあり、一部分ではあれ、ようやく念願が適ってうれしい。未訳の部分もすばらしいので(とりわけカティの連れ子がすごくいい!)、いずれ全訳をお届けできるといいのだが・・・・。

このような白黒の、日常を描いたBDは、すでにギィ・ドゥリール『マンガ平壌―あるアニメーターの北朝鮮出張記』(檜垣嗣子訳、明石書店)、ダヴィッド・ベーの『大発作』(関澄かおる訳、明石書店)、マルジャン・サトラピ『ペルセポリス』(全2巻、園田恵子訳、バジリコ)、クリストフ・シャブテ『ひとりぼっち』(中里修作訳、国書刊行会)、エマニュエル・ギベール『アランの戦争』(野田謙介訳、国書刊行会)などが翻訳されているが、まだまだ未紹介の優れた作品が存在している。これからさらに紹介が進むことを期待したい。


フレデリック・ペータースに話を戻そう。

『青い薬』はアトラビル(Atrabile:かつて西洋で信じられた四体液の一つ「黒胆汁」の意である)というスイスの小出版社(フレデリック・ペータースが仲間と一緒に作った出版社らしい)から刊行されたが、その後、『リュプス』(Lupus, Atrabile, 2003-2006)という全4巻の作品を同じくアトラビルから刊行し、さらに注目を集めると、以降はユマノイド・アソシエ社やフランスの老舗文芸出版社ガリマールで精力的に作品を発表していく。


『リュプス』を含めた代表作とその簡単なあらすじを以下に掲げておこう。


130313_04.jpg   リュプス (Lupus) 全4巻

  [著者] Frederik Peeters
  [出版社] Atrabile

  2003-2006年

科学者を父にもつリュプスは、定職も持たずに、友人で退役軍人のトニとさまざま惑星を旅し、釣りを楽しむというモラトリアムな生活を送っている。ある惑星を訪れた二人は、そこでサーナという若い娘と出会う。サーナは二人に惑星から連れ出してほしいと頼むが、実は彼女はその地の権力者の娘だった。出発直前になって、サーナの父が出発を阻止しようとする。それをとどめようとしたトニがサーナの父を銃で殺し、トニもサーナの父が撃った銃弾に倒れる。かくして、リュプスとサーナのあてもない逃避行が始まる・・・・。



130313_05.jpg   コーマ (Koma) 全6巻

  [著者] Pierre Wazem(作) / Frederik Peeters(画)
  [出版社] Les Humanoïdes Associés

  2003-2008年

舞台は産業革命時代を彷彿とさせる工場のような建物が乱立するとある都市。主人公の少女アディダスは父の煙突掃除の仕事を手伝っている。彼女は昔から急に意識を失ってしまうことが多く、最近ではその頻度が高まっている。あるとき、彼女は煙突掃除をしながら、奇妙な深い穴に入り込んでしまう。その奥では、ゴリラのような巨大な怪物たちがそれぞれ機械を前に忙しそうに働いている。実は、それらの機械はそれぞれ人間たちの寿命を管理する機械だった。アディダスは機械の調子が悪いために、体調を崩していたのだ。担当の怪物と力を合わせ、一命を取りとめたアディダスだが、やがて、彼らの存在が当局に知られ、アディダスは不老長寿を目論む権力者たちの身勝手なふるまいに巻き込まれていくことになる・・・・。



130313_06.jpg   総合情報局 (RG) 全2巻

  [著者] Pierre Dragon(作) / Frederik Peeters(画)
  [出版社] Gallimard

  2007-2008年

フランスのテロ・反政府の情報機関「総合情報局」局員ドラゴンの活躍を描いた刑事もの作品。
元総合情報局局員が原作を担当。



130313_07.jpg   厚皮類 (Pachyderme)

  [著者] Frederik Peeters
  [出版社] Gallimard

  2009年

カリス・ソレルは夫が交通事故で収容された病院に向かっている。しかし、巨大な像が道路を塞いでいるため、道路は渋滞し、なかなか車は動かない。いたしかたなく彼女は歩いて病院に向かうが、そこで彼女を待ち受けていたのは、夢とも現実ともつかない不思議な体験だった・・・・交通事故に遭ったのは夫だったのか、それとも彼女自身だったのか? 現実と夢と妄想が交錯する不思議な作品。



130313_08.jpg   砂の城 (Château de sable)

  [著者] Pierre Oscar Lévy(作) / Frederik Peeters(画)
  [出版社] Atrabile

  2010年

とある海水浴場に二組の家族が訪れる。彼らの穏やかな休日は、ある若い女性の死体の発見を通じて一変してしまう。一同はその場に居合わせたアラブ系男性の犯行を怪しむが、実はその場所そのものに不思議な力が働いていた。やがて土地の魔力が一同に襲いかかる...



130313_09.jpg   アーマ (Aâma) 1~2巻(以下続刊)

  [著者] Frederik Peeters
  [出版社] Gallimard

  2011年~

何もない台地で目を覚ましたヴェルロック・ニムは、記憶を失ってしまっていることを知る。呆然としている彼のもとにゴリラ型アンドロイド、チャーチルが駆け寄り、彼自身が日記をつけていた手帖を渡す。それによると、故郷で財産を失った彼は、弟に同行し、製薬会社が調査を進めていたある未開の惑星を訪れた。そこで何かが起きたようなのだが・・・・。
『リュプス』以降、久しぶりにフレデリック・ペータースが挑むSF作品。



さて、そのフレデリック・ペータースだが、3月14日~24日にかけて来日し、全国でさまざまなイベントが行われる。



バンド・デシネ作家フレデリック・ペータース氏の講演会
日時:3月16日(土) 16:30~17:45
場所:アンスティチュ・フランセ横浜(〒 231-0015横浜市中区尾上町5-76 明治屋尾上町ビル7階)
料金:1,800円(会員1,500円) ※3月16日の全てのイベントにご参加いただけます。


スイス人バンドデシネ作家 - フレデリク・ペータースを囲んで
日時:3月17日(日) 14:00~16:00
場所:アンスティチュ・フランセ関西 京都 稲畑ホール
料金:入場無料


スイス人バンドデシネ作家 - フレデリク・ペータースを囲んで
日時:3月19日(火) 18:30~20:00
場所:アンスティチュ・フランセ関西 大阪
料金:入場無料


対談フレデリク・ペータース×寺田克也
日時:3月20日(水) 13:00~15:15
場所:兵庫県立美術館
※要事前申込


バンド・デシネ作家フレデリック・ペータース講演会
日時:3月21日(木) 18:00~19:00
場所:北九州市漫画ミュージアム(〒 803-8501北九州市小倉北区浅野2-14-5)
常設展観覧料:一般 400円、中高生 200円、小学生100円


スイス人BD作家フレデリック・ペータースを囲んで
日時:3月23日(土)
場所:札幌アリアンス・フランスセーズ
※要事前予約

※リンク先でペータースだったり、ピーターズだったり、表記がさまざまだが、フランス語のPeetersの発音は、ピーターズに近い。



さまざまな催しが行われる関係で有料ではあるが、3月16日(土) にアンスティチュ・フランセ横浜で行われるイベントでは私が司会を務めさせていただくことになっている。当日は講演会終了後に、作者のサイン会も行われる予定である。ぜひ足をお運びいただきたい。

九州から北海道まで10日間で日本縦断という、フレデリック・ペータース本人にとってはハードなスケジュールだが、逆に日本のファンにとっては、さまざまな場所で彼に会えるチャンスである。この機会にまだ日本ではあまり紹介されていないフレデリック・ペータースの魅力に触れていただければ幸いである。


(Text by 原正人)


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アングレーム国際漫画祭2013 現地レポート


先日、1月31日(木)から2月3日(日)まで4日間の日程で行われた
フランスが世界に誇るバンド・デシネ(以下:BD)の祭典、
アングレーム国際漫画祭2013

2013年度の受賞作品については既報の通りですが、
受賞作品やフェスティバルそのものは知っていても、
どんなお祭りがどんなところで行われているのか、
日本では、まだなかなか知るチャンスはありません。

そこで今年は、思い切って現地へ取材に行ってきた!というライターの林聡宏さんから、
2013年アングレーム国際漫画祭の現地の生の情報をお届けします!



* * *



会場はアングレームというフランス西部の街。パリやリヨンといった主要都市から
TGV(高速特急電車、日本でいう新幹線)で4~5時間というかなり面倒な場所にあります。
さらにこのTGVがなかなかくせ者で、どこのホームに到着するのか10分前くらいにならないと分かりません。
日本では考えられないですよね(笑)。


アングレームの駅に着くとBDファンでホームや駅の周辺はこの通り溢れかえっています。

(※クリックで拡大します。以下同様)
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アングレーム駅を降りたところでは、まだBD一色とは言い切れないのですが...


そこからさらにメイン会場のある街の中心部に移動します。


街中にはフェスティバルの旗と共にこれでもかとBDを売る人々が!
中には「BD 2ユーロ (300円弱)」なんて看板も・・・・

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街中には隠れBDスポットが用意されており、家々の壁や路上の消防器具など、
そこら中にBDキャラクターたちが描かれています。
これを全て探すのもこのお祭りの醍醐味のひとつなのです!

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パン屋さんにまで・・・・

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各パビリオンに入るには一日券、もしくは連日券を買わなくてはならないのですが、
この日は到着時間も遅かったので購入は見送ることに。
代わりに夜のアングレームを徘徊します!

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夜のアングレームは、昼間とは打って変わってシックな雰囲気へと様変わり。

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教会の壁に映し出されたホログラムにアステリックスとオベリクスが!
コミカルなアニメーションと幻想的な雰囲気に人々も立ち止まって見入っていました。
最後にはしっかり協賛宣伝も。

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わたしのウェブで行ったホテルの予約がうまくいっていなかったらしく、
別のホテルを斡旋されたのですが、偶然にもこちら各出版社の御用達。
ディナーの予約もこの通りです!

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ちなみに毎年こちらのホテルはお祭り中は関係者が多く宿泊するそうです。
穴場スポットのひとつですね・・・・。

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またまた偶然ですが、昨年海外マンガフェスタにも来日された
闇の国々』の原作者、ブノワ・ペータース氏とエレベーターでばったり!

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朝方にはグランプリ審査委員を送迎する車がホテル前に・・・・とんでもないところに泊まってしまいました。
地元テレビ局のインタビューを受けていたため、ご挨拶はかないませんでしたが、
同じく『闇の国々』の作画担当フランソワ・スクイテン氏と各作家陣、審査委員が続々と登場!

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本日は15ユーロの一日券を購入し、いざパビリオンへ!

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まずは路上までのびる長蛇の列を発見、その先には・・・・

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昨年のグランプリ受賞者ジャン=クロード・ドゥニ氏の展覧会
残念ながら館内の撮影は禁止されていました。

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BDラジオチャンネルのトレーラーと、その横にはコスプレ体験パビリオンが!
そのコスプレのまま街中を歩き回ることもできます(笑)日本ではいたって普通なこの光景、
実はヨーロッパではまだまだ一般的ではありません。

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こちらは今回特設された韓国パビリオン
新進気鋭の作家陣の原画が並びます。日本も負けてられません!

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こちらがメインの物販ブース。フランスの大手BD出版社
CASTERMAN、DARGAUT、Glénatt、Futuropolis、DELCOURTなどが軒を連ねます。
なによりこのパビリオンでは買ったその場でBDに作家からのサインがもらえるという特典付き!
各作家陣の前には長蛇の列が! 大混乱状態でした!

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別のパビリオンには中小系の出版社のブースや、アメコミ、中国・台湾の作家のコーナーが。
こちらも大手に負けじと大賑わいです。
中にはエロティックなBDを取り扱ったり、謎のキャラクターを展示する出版社も!

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そしてこちらの近未来的な建物はアステリックスやBDの変遷が展示されています。
アステリックスたちにかかれば名画たちもこの通り! BD流のオマージュで楽しませてくれます。

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その先にある川を越えて・・・・

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こちらの建物の中にはBD作家から指導を受けた素人の作品が展示されています。
差し詰めBD教室と言ったところ。ユーモア部門やオリジナリティーなど各賞が贈与されています。

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その横の建物ではBDとBDグッズ、そしてマンガの販売コーナーが設けられていました。
とんでもない量の品揃えです!

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ちなみにご覧の通りアングレームは景色だって抜群です!
BD抜きにしてもフランスでも有数の観光地として知られています。

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いかがだったでしょうか。撮影禁止の区域もあるため、全てをお届けできないのが残念ですが、
少しでもアングレームの空気を感じていただけたでしょうか?
本当に時間さえあれば4日間全日程滞在して漫喫したくなる素敵なお祭りでした!
みなさんも来年度、機会があればどうぞアングレーム国際漫画祭を訪れてみてください。


(取材・執筆:林 聡宏)



COLUMN

東北大学ブノワ・ペータース講演『エルジェとコミックアート』レポート


先日13日、東北大学にて『闇の国々』著者ブノワ・ペータースによる講演が行われました。


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講演のタイトルは
『エルジェとコミックアート ~「タンタンの冒険旅行」の秘密~』

タイトルからも分かる通り、『タンタンの冒険』シリーズの著者、エルジェについての講演です。


1128_03.jpg   『タンタンの冒険』 全24巻

  [著] エルジェ
  [訳] 川口恵子
  [出版社] 福音館書店



『闇の国々』の原作者として知られているペータースですが、もともとはソルボンヌ大学で哲学を修め、その後は文学者のロラン・バルトに師事。これまでにエルジェについての評論本を3冊刊行しています。


1128_04.jpg   Hergé, fils de Tintin

  [著] Benoît Peeters
  [出版社] Flammarion


そのペータースが、専門であるエルジェについて講演する貴重な機会ということで、今回は、あの『ファン・ホーム~ある家族の悲喜劇~』(小社刊)の詳細な用語解説を手掛けてくださった、仙台在住の翻訳家、南佳介さんに、講演の模様についてレポートしていただきました。




* * *



2012年11月13日、東北大学にてブノワ・ペータース氏の講演が開かれた。

エルジェとコミックアート ~「タンタンの冒険旅行」の秘密~』(原題:Hergé et l'art de la bande dessinée)というタイトルからもお分かりの通り、エルジェ論である。


『闇の国々』の原作者、つまりはバンドデシネ作家として知られているペータース氏だが、もともとはソルボンヌ大学で哲学を修め、そののちロラン・バルトに師事した経歴の持ち主。小説家・脚本家・批評家として多方面の著作があり、現在は哲学者ジャック・デリダの初の評伝が邦訳準備中というところで、こちらも楽しみとしたい。


1128_05.jpg   Derrida

  [著] Benoît Peeters
  [出版社] Flammarion

  2010



『タンタンの冒険』といえば、スピルバーグによる映画化、また雑誌『ユリイカ』でのタンタン特集号が記憶に新しいが、一般的な認知という意味ではまだまだこれからという面もあるかと思う。


  ユリイカ 2011年12月号 
  特集=タンタンの冒険


  [出版社] 青土社


そうした事情を忖度されてか、ペータース氏の講演も、まずエルジェの「人となり」を作品歴と共に、多彩なスライド資料を参照しながら解説する形式で進んでいった。


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エルジェの源流には「ボーイスカウト」体験があり、『ベルギーのボーイスカウト』誌(le Boy Scout Belge)に発表したイラストが、日刊紙『20世紀』の編集長・ワレ神父の目に留まったことで、それが後の『タンタン』シリーズの萌芽となった。

興味深いのは、先のイラストでは「レタリング」もすべてエルジェの手によるものだったということである。『20世紀』で各種業務をこなす中でも、レタリングの仕事も請け負っていたというのが、後年の『タンタン』シリーズについても少なからぬ影響を与えたように思われる。


『20世紀』の木曜版に子供向けの付録をつけたことが『タンタン』シリーズの始まりとなったが、当初は純粋に反コミュニズム、反ロシア(ソビエト)を意図したものだった。そのため、「絵」ではなく「写真(photo)」という言葉を用い、タンタンが「現実の人間」だと信じ込ませようとする試みが随所に見られる。

その一つとして、『20世紀』の4月1日号に、ソ連の秘密警察からの手紙が掲載されるなど、すでにメタ的な仕掛けが施されていた。

またロシア編の連載終了時には、ブリュッセルの北駅でタンタンを迎えようというイベントも計画された。実際にボーイスカウトの少年を雇い、タンタンの扮装をさせた上で、スーツケース片手に犬と一緒にあらわれるこの「タンタン」を、大勢の少年たちが出迎えたそうである。


商魂たくましい編集長のワレ神父は、連載をアルバム化して売ろうということを思いつく。そうした試み自体も非常に珍しかったということで、これがそののちの『タンタン』シリーズの出発点となった。
それ以降、コンゴ編やアメリカ編とシリーズを重ねるごとに「明晰な線」(リーニュ・クレール Ligne Claire)の成長が一段と明確になり、エジプト編からレギュラーキャラクター、デュポン・デュポンが登場、中国編の『青い蓮』では中国人留学生・張充仁(チャン・チョンジェン)との交流により、現実に即した描写が可能になった。ロシア編からわずか5年で、画力・マンガ上のテクニックともに、大きな進歩を遂げる。


シリーズはその後も続いていくのだが、やはり大きな転機は第二次世界大戦である。ドイツのベルギー侵攻によりタンタンの連載も終了となり、その後参加した『ル・ソワール』誌(le soir)がドイツ主導のものだったため、エルジェと政治の関わりは複雑を極めるものとなった。ペータース氏もこの点を強調されており、あまりに入り組んでいるため、今回は立ち入らないという方針で講演は進んでいった。


戦中の紙不足からアルバムも大幅にページ減となり、このあたりから白黒の世界でなく、カラーによって作品が発表されるようになる。それまでの個人作業からスタッフを用いての形態に移行、白黒時代のタンタンを懐かしむのは、読者であるペータース氏だけでなく、ほかならぬ作者エルジェも同じだったようだ。

世界的なタンタンの成功とは裏腹に、戦争中、ドイツ主導の雑誌に参加したかどで作品が発表できなくなるなど、エルジェ自身も深いうつ状態に陥る。描こうとすると手に蕁麻疹が出るなど、転地療養先で描いたイラストも多い。

ようやくそのうつ状態を抜け出すきっかけになったのが、月世界を舞台にした二作品だが、講演の締めくくりとしてペータース氏が取り上げたのが、架空の国を舞台にした独裁者の物語であった(『ビーカー教授事件』)。

その独裁者のカイゼル髭が、モチーフとしてあらゆるところにあらわれる――建築の装飾、自動車のバンパー、はてはフランス語のアクサン・シルコンフレックス(^)が、その髭の形にしつらえられている。


(図1 『ビーカー教授事件』 p. 47)
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(図2 同上)
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もともとデビュー時からレタリングも行っていたエルジェだが、こうした「文字遊び」も作品中に息づいていたようで、そうしてみると、文字遊びの名著、マサン『文字とイマージュ』が思い浮かぶ。


1128_10.jpg   La lettre et l'image

  [著] Massin
  [出版社] Gallimard

  1970


くだんの『ユリイカ』でも実に多彩なエルジェ論が掲載されていたが、こうした「レタリング=文字遊び」の観点からタンタンを読み解くのも可能かもしれない。

事実、講演者のペータース氏は、エルジェの存在をたびたび「レファランス」(référence)と評しており、ヨーロッパでは手塚治虫に匹敵するメジャーな作家であるが、その影響・出会いは各人で異なるという。

その「広がり」こそがエルジェの魅力であり、またその魅力をよく知るペータース氏だけに、予定を大幅に超過して2時間たっぷりの講演であった。



(協力:成田雄太氏、森本浩一氏、森田直子氏)
(Text by 南佳介)


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